雨で暖かく、晴れて寒い。これは少し違う。きのうは、先ほどきょうの朝刊を見ていると、フェーン現象の文字も見えて、フェーンではなかったようだというのは誤りで、この辺りでは、朝は風が強かったのは事実。しかし雨の降り出しが早く、風も弱いものにもなって、妙なお天気だと思った。あーゆうお天気なら、悪くもないと思ったのも本当である。
どこがどうなったのか、いつもの長い時間の強風はなかった。その後というと、寒冷前線が通過、それで冬型となって、こんどは晴れそうで、雲の多い、ときに雪のお天気になる。でも、もう春なので、お天気に冬型の文字はいらないようだ。でも、きっと強い風は、まだまだ吹くだろう。
今日のお天気というと、午前中は、グズグズしたもので、さっぱりしない。寒かった。その寒さも緩むというところまではいかなかったようだ。まったく、春は名のみである。これでは、花はまー別にしても、虫というか、モンシロチョウとかは出て来そうにない。余り心配はしない。しかし、虫は害虫だけではなく、益虫もいるはずだし、あちこち花から花へ飛び回る虫は、作物の生育にも必要なものである。その一部に、妙な虫もいてそれを見るとある人はやはり興味を引かれるのだろう。こうゆうものは理屈ではないようである。しかし、虫に興味を持つ人は、虫の心配をやはりしているだろう。
寒さがまだ続くという、この表現は変なようだが、今朝はきのうの暖かさはない。よって、朝は寒いといえるもので、またお天気はすぐには回復もせず、慌てて、もう油も入っていない灯油ヒータのタンクに、油を入れた。ここのうちは、どっちだというと寒いというところ。しかし、ヒータは使うのであって、昔はそれこそ毎日のように、習慣で入れていたが、今は勘で入れている。今日は珍しく、空(から)ではなかった。
このこと、油が入っているかどうか、はときに気になる。だから朝の時間、紙に書いているもので、いったいにいつ油を入れたか、その最新記録がないか見直した。それは普通は書いてあるはずだが、見当たらない。自分の記憶もいい加減である。肝心なことが書いてなく、その他のことが書いてある。いつも思うのだが、ある程度は役にたつことを書かないとと思う。それも出来なくなっている。歯痒いし、役立たず。
きのうの暖かさは、多少は植物に影響を与えたようで、そのことを特に考えて歩いたわけでもないけれど、いくらかは花が咲いていないものも、その硬い蕾は、水分と暖かさで、溶け始めた感じがある。空気も悪くはないように思える。ただ、寒い。同じようなところを歩いていて、その変化を探る。また新しい花はないか、花でないといけなくはないが、花が適していると思う、を探す。しかし、新しい何かというのは、もう少し時間がたたないといけないようだ。違う場所にも、出向かないと。そう思う。
きのうの暖かさときょうの寒さの狭間で、咲く花はいつもと変わらない表情である。この辺りは私も見習わないといけないかも知れない。無表情でありながら、そこに笑みがあるようにも思える。
花弁がプラスチックで出来ていると思う花が、この黄色い花だが、今ころあちこちで見かける。これも例年通りだけど、名前は不明。ただ、この花は、プラスチックという感触はないようである。
薄日のスイセンだが、きっと強力な太陽光が出ていたら、向こう側が透けて見えたのではないか。まだ元気に咲いている。
ジンチョウゲの花の咲くところを早く見たいと思って。きょうの寒さだと、期待薄だった。しかしこれがきのうの雨と暖かさの効果だと思ったが、思いの外咲いているようで、よかった。匂いは感じないが。
ふんわりしている感じがって、砂糖菓子のようでもある。こうゆうものを見ることも少ないように思う。
余り意味はないが、きょうは最近のコースとしては、逆回りである。
クロッカスの卵という感じ。白いものが出て来ない。
3月の梅としては、この木の花の数は多目である。青空に映え、寒さに耐えて、印象的である。
どこがどうなったのか、いつもの長い時間の強風はなかった。その後というと、寒冷前線が通過、それで冬型となって、こんどは晴れそうで、雲の多い、ときに雪のお天気になる。でも、もう春なので、お天気に冬型の文字はいらないようだ。でも、きっと強い風は、まだまだ吹くだろう。
今日のお天気というと、午前中は、グズグズしたもので、さっぱりしない。寒かった。その寒さも緩むというところまではいかなかったようだ。まったく、春は名のみである。これでは、花はまー別にしても、虫というか、モンシロチョウとかは出て来そうにない。余り心配はしない。しかし、虫は害虫だけではなく、益虫もいるはずだし、あちこち花から花へ飛び回る虫は、作物の生育にも必要なものである。その一部に、妙な虫もいてそれを見るとある人はやはり興味を引かれるのだろう。こうゆうものは理屈ではないようである。しかし、虫に興味を持つ人は、虫の心配をやはりしているだろう。
寒さがまだ続くという、この表現は変なようだが、今朝はきのうの暖かさはない。よって、朝は寒いといえるもので、またお天気はすぐには回復もせず、慌てて、もう油も入っていない灯油ヒータのタンクに、油を入れた。ここのうちは、どっちだというと寒いというところ。しかし、ヒータは使うのであって、昔はそれこそ毎日のように、習慣で入れていたが、今は勘で入れている。今日は珍しく、空(から)ではなかった。
このこと、油が入っているかどうか、はときに気になる。だから朝の時間、紙に書いているもので、いったいにいつ油を入れたか、その最新記録がないか見直した。それは普通は書いてあるはずだが、見当たらない。自分の記憶もいい加減である。肝心なことが書いてなく、その他のことが書いてある。いつも思うのだが、ある程度は役にたつことを書かないとと思う。それも出来なくなっている。歯痒いし、役立たず。
きのうの暖かさは、多少は植物に影響を与えたようで、そのことを特に考えて歩いたわけでもないけれど、いくらかは花が咲いていないものも、その硬い蕾は、水分と暖かさで、溶け始めた感じがある。空気も悪くはないように思える。ただ、寒い。同じようなところを歩いていて、その変化を探る。また新しい花はないか、花でないといけなくはないが、花が適していると思う、を探す。しかし、新しい何かというのは、もう少し時間がたたないといけないようだ。違う場所にも、出向かないと。そう思う。
きのうの暖かさときょうの寒さの狭間で、咲く花はいつもと変わらない表情である。この辺りは私も見習わないといけないかも知れない。無表情でありながら、そこに笑みがあるようにも思える。
花弁がプラスチックで出来ていると思う花が、この黄色い花だが、今ころあちこちで見かける。これも例年通りだけど、名前は不明。ただ、この花は、プラスチックという感触はないようである。
薄日のスイセンだが、きっと強力な太陽光が出ていたら、向こう側が透けて見えたのではないか。まだ元気に咲いている。
ジンチョウゲの花の咲くところを早く見たいと思って。きょうの寒さだと、期待薄だった。しかしこれがきのうの雨と暖かさの効果だと思ったが、思いの外咲いているようで、よかった。匂いは感じないが。
ふんわりしている感じがって、砂糖菓子のようでもある。こうゆうものを見ることも少ないように思う。
余り意味はないが、きょうは最近のコースとしては、逆回りである。
クロッカスの卵という感じ。白いものが出て来ない。
3月の梅としては、この木の花の数は多目である。青空に映え、寒さに耐えて、印象的である。