光年・千年

纏わりつくが、纏まらないおはなし、日記ふう。

春は名のみの、花は寒そう

2009-03-07 18:53:58 | 植物・花(春)
  雨で暖かく、晴れて寒い。これは少し違う。きのうは、先ほどきょうの朝刊を見ていると、フェーン現象の文字も見えて、フェーンではなかったようだというのは誤りで、この辺りでは、朝は風が強かったのは事実。しかし雨の降り出しが早く、風も弱いものにもなって、妙なお天気だと思った。あーゆうお天気なら、悪くもないと思ったのも本当である。

  どこがどうなったのか、いつもの長い時間の強風はなかった。その後というと、寒冷前線が通過、それで冬型となって、こんどは晴れそうで、雲の多い、ときに雪のお天気になる。でも、もう春なので、お天気に冬型の文字はいらないようだ。でも、きっと強い風は、まだまだ吹くだろう。
  今日のお天気というと、午前中は、グズグズしたもので、さっぱりしない。寒かった。その寒さも緩むというところまではいかなかったようだ。まったく、春は名のみである。これでは、花はまー別にしても、虫というか、モンシロチョウとかは出て来そうにない。余り心配はしない。しかし、虫は害虫だけではなく、益虫もいるはずだし、あちこち花から花へ飛び回る虫は、作物の生育にも必要なものである。その一部に、妙な虫もいてそれを見るとある人はやはり興味を引かれるのだろう。こうゆうものは理屈ではないようである。しかし、虫に興味を持つ人は、虫の心配をやはりしているだろう。

  寒さがまだ続くという、この表現は変なようだが、今朝はきのうの暖かさはない。よって、朝は寒いといえるもので、またお天気はすぐには回復もせず、慌てて、もう油も入っていない灯油ヒータのタンクに、油を入れた。ここのうちは、どっちだというと寒いというところ。しかし、ヒータは使うのであって、昔はそれこそ毎日のように、習慣で入れていたが、今は勘で入れている。今日は珍しく、空(から)ではなかった。
  このこと、油が入っているかどうか、はときに気になる。だから朝の時間、紙に書いているもので、いったいにいつ油を入れたか、その最新記録がないか見直した。それは普通は書いてあるはずだが、見当たらない。自分の記憶もいい加減である。肝心なことが書いてなく、その他のことが書いてある。いつも思うのだが、ある程度は役にたつことを書かないとと思う。それも出来なくなっている。歯痒いし、役立たず。

  きのうの暖かさは、多少は植物に影響を与えたようで、そのことを特に考えて歩いたわけでもないけれど、いくらかは花が咲いていないものも、その硬い蕾は、水分と暖かさで、溶け始めた感じがある。空気も悪くはないように思える。ただ、寒い。同じようなところを歩いていて、その変化を探る。また新しい花はないか、花でないといけなくはないが、花が適していると思う、を探す。しかし、新しい何かというのは、もう少し時間がたたないといけないようだ。違う場所にも、出向かないと。そう思う。
  きのうの暖かさときょうの寒さの狭間で、咲く花はいつもと変わらない表情である。この辺りは私も見習わないといけないかも知れない。無表情でありながら、そこに笑みがあるようにも思える。




  花弁がプラスチックで出来ていると思う花が、この黄色い花だが、今ころあちこちで見かける。これも例年通りだけど、名前は不明。ただ、この花は、プラスチックという感触はないようである。




  薄日のスイセンだが、きっと強力な太陽光が出ていたら、向こう側が透けて見えたのではないか。まだ元気に咲いている。




  ジンチョウゲの花の咲くところを早く見たいと思って。きょうの寒さだと、期待薄だった。しかしこれがきのうの雨と暖かさの効果だと思ったが、思いの外咲いているようで、よかった。匂いは感じないが。




  ふんわりしている感じがって、砂糖菓子のようでもある。こうゆうものを見ることも少ないように思う。




  余り意味はないが、きょうは最近のコースとしては、逆回りである。
  クロッカスの卵という感じ。白いものが出て来ない。




  3月の梅としては、この木の花の数は多目である。青空に映え、寒さに耐えて、印象的である。

弥生の空、3回目。

2009-03-07 16:32:49 | 散策
  もっと早く、青空が出ると思ったが、
  以外にもたもたして、午後も3時を過ぎて、安定した
  晴れの空。
  もったいないような、空があるが、もう少し早く晴れて欲しかった。

  ということは、大体が、曇り空。ときに、パラパラの
  雨が降っていて、気温も低め。
  南の風が吹いていたが、この風が冷たく、歩くときは
  真冬に戻った。

  今は晴れ、この後どうなるのか。

  春は弥生。弥生の空も、3回目。




  3月4日の、夕方の空。雲がはっきりわかってしかも面白い形を作っている。




  この雲が、さらに勢いを増して、全体を覆うようになる。
  でも、この雲は雨を降らす雲ではないなと思う。




  同じ日。上のものよりいくらか、時間は経過している。これを見て少し
  驚くのは、この青い空。雲も健在だが、透明で青い空がある。




  階調がはっきりする、南の空。こんな空は、なかなか記憶がない。




  これは今朝で、ポッカリ東の空に、明るいところがある。



 
  こちらが西で、西の空はもう晴れそう。これを見ていて、今日は晴れと思ったが、
  どうもそうはいかなかったのは、これが春の空の証左だからかなー。

再び朝は来る。

2009-03-07 07:05:32 | 散策
  朝のお天気、薄曇。薄曇でこのままだとすぐに晴れそうな感じがあるが、何とまた雨が降ってきた。いい雨だと思ったが、きのう適度に降ったから、今日は晴れて欲しい。寒いかどうか、というと建物の中は、暖かく、外は先ほど出てみたが、もうきのうの暖かさはない。アメダスの6時の気温、4.8℃、気圧は1018.1hPa、湿度、86%。室温は、10℃、いい値。

  春だなと思うのは、春らしいことが話題になるからで、これはだいたい毎年同じである。春に来年のことなど考えている方は少し荷が重い。またことしの仕事が、来年という未来があると信じてやらないといけない、というのも、いいようで、これが励みになり、焦りにもつながる。やはり今は春で、春らしく新規一新して、というのがいいと思う。

  TVとか、ラジオでは、新しい番組が始まる。去年とか一昨年もそうゆうものがあった。そのものが始まったときは斬新で、しかし馴染めないが、今はすっかり自分の頭の中に刷り込まれて、もはや自分と同一化している。同じ人が番組を続けるにしろ、また新しい人と交代するにしろ、なんだか寂しい。止めないでくれー、など思うが、そうもいかない。でも、もう丸2年たつと、その新しい方のほうが、頭の中を占領してしまう。ことしは、改編はないとわかると、安心したりする。だいたい、こんな感じで、サイクルは進行する。すると、10年20年は簡単にたってしまって、あれ、10年前はどうだったかというと、まったく覚えていない。

  さらに昭和のことなど、すっかりと忘れてしまう。これは、いくら記憶力がいい人も、同じであって、それではと日記などを読み返す。すると、そこに革新的な自分がいることを発見する。それに比べて、なんと今は自分は保守的かがわかって、愕然としたりするが、もうそうゆうことにも慣れっこにもなる。しかし、保守的というのも、いろいろ回りから改革を要求されるもので、この立場が安寧かというと違う。今までだと、これでうまくいった、ところが今の今は、それが通用しない。
  ウェブログもそうだろう。最初は、なんだかわからないから、一言二言、書いておしまいだが、それ以上はだいたい何も出て来ない。そうゆうときは私にもあった。また原点に立ち戻ったほうがいい感じも自分でもするが、なんだかそうもゆかず、またどうしていいのか、わからなくなる時間でもある。
  変に数字も気にする。きょうはこれだけか、という感じである。それだけでも着ていただいた方に感謝しないといけないので、しかしその数字に不満が生じる。でも、結局何かやっても無駄な場合が多い。無駄なこともやれればいいが、やけにパターンが決まってしまって、自分がこれにカンジガラメになっている。蜘蛛が蜘蛛の巣に絡まって、動けないでいる。それを想像してしまう。

  今日も朝が来た。きのうは暖か。それで、温かいお茶もずいぶんと飲んだ。水が飲める、ありがたさを感じる。寒いと、温かいお茶を飲もうともしない。きのうは、それゆえ魔法瓶の中は空っぽになり、今日はちゃんとポットの掃除もして、また新しいお茶を入れた。これがなくなるのが、ちょうどいい。

  で、天気は、先ほどは少し雨が降ったが、これも変化としては面白いが、その雨の勢いも今はなくなって、明るい朝が来た。朝の明るさに素直に嬉しさを感じられる。つまらないことはさっさと忘れて、と、ここまで来たが、きょうのお天気はきっと晴れだろう。そう決めた。