光年・千年

纏わりつくが、纏まらないおはなし、日記ふう。

今、どのくらいの距離を歩くことが出来るか

2009-03-19 18:57:06 | 散策
  ぼちぼちとだが、歩くことを続けている、いると書きたいが、それもかなりスローペースで、また回数も減った。時間も短くなった。減ったが、またその回数を増やすことも考えている。もっとも原始的な、移動手段だけど、これしか自由になることはなく、これが出来なくなると、また困る。歩けないというのは、もっとも困ることの一つで、これにそれなりに、苦労させられる。歩けなくなったことはないが!。しかし困難があって、こんなことになろうとは思わなかった。結果としては、今はいろいろ問題はありそうで、ある程度の短い距離なら歩くことが出来る。

  歩けないというと、妙だが、これの最初の一歩というと、「過呼吸」とか、「過換気症候群」とか言われるものであって、これを知らないでそうゆう状態に陥る。そうゆう場合があると、これはものすごい苦痛に襲われることになる。これを、なぜかいい歳になって体験した。しかし、この問題は、もうその理屈も解決策もわかっていて、苦しいときもたまにありそうだが、わかっているから、その分楽なことは間違いない。こんなものになるほうがおかしい。今はそうゆう気でいる。

  その前はというと、まずは長いのは、学校の遠足で、これは、バスとか電車ではなく、また飛行機でもなかった時代で、歩いた。往復、20kmは歩くことが出来た。そのはずで、この後に人はだんだんと歩けなくなるようで、まー二十歳前くらいが一番歩くことの出来る年代と思われる。
  こちらの、あるいはあちこちの書き込みで、きょうは何キロメートル歩いた、とか書かれる方がいる。その数字をたまに見ると実にうらやましい。今の私だとせいぜい、2、3kmである。どうがんばっても、ただ明日いうものもあるから無理も出来ないが、4kmいくかどうか。それがである、

  20kmは歩いたと書かれる。大体年齢はというと、自分よりも高齢である。その場合が多い。そうゆう方のページばかり見ているわけでもないが、きょうは、「何万歩」歩いたとか出ると、おったまげる。この場合の数字は歩数であるから、距離とそのまま比べられない。しかし私も、一時歩数計を付けたことがあってそれで歩くところが大体同じだと、また時間も変わらないから、その値は平均という概念が使えることもわかって、今は止めた。30分歩くと、大体3000から3500という値が出る。これと大きく離れることはない。
  この上のクラスだと、山歩きがある。これも、1000mから2000m級のものというと本格的で、自分の経験からゆくと、1000m以下という場合が多かったから、その山の高さの値だけで、これは比較にならないと思う。それで、年齢に関係しないようなタッチというのもある。老後の楽しみ!というか、昔からというのもあるのだろうが、2000mクラスまで登られる方がおられるとなると、ただただ感心する。

  それで、どのくらいの距離歩けるか、というともう答えは出ている。せいぜい2、3kmなのである。ここはがんばってただ歩くことだけに集中する。そう決めても、高々4kmくらいであろう。これも去年一回あったかなかったか。
  しかし正確な距離というのは、これを求めるのはむつかしいようで、まずは国土地理院(今もあるのかどうか)の地図が必要になる。なるべく、縮尺の小さいもの。小さいほうが、小さなところが大きく出ていると思うが、反対かも知れず、よくわからない。
  これに近いものだと、地図関係の出版社のものがあるが、この場合もなかなか正確な距離というのはわかりづらい。しかし、少なめに換算するなら、直線で図ればいい。道は大体、まっすぐに引いた直線に比べて曲がっている。もっとも短い距離が直線で、これは直感でわかる。

  どこか遠いところへ行くときは交通機関に頼る。これが出来ないとどこにもいけない。この辺りが、ここに書かれること、また出る写真の単調さを物語る。でも、これもしょうがないものだ。が、いつか長い距離を歩かないといけないときがあるかも、とも思う。そうゆときにどうする、と思ったりもする。

  この少し前、時間で数分前に、どのくらいの距離が歩けるかということと、たとえば、この辺りに棲む、蟻とかが果たしてその小さな体でどのくらいの距離を歩くか、時間単位で、あるいは生涯でというようなことを考えていた。またもう少し大きいと、テントウムシがいるが、この虫いったいどこから飛んで来ているのか、なども暇なときに考えたりもする。テントウの居場所というのもわからないもので、移動する距離も不明確である。さらには、チョウが、トンボが、もう少し大きいと、鳥があるが、どのくらいの距離を一日に飛んでいるのかなど、も思っていたが、そのことはすっかりと忘れてしまった。

  今もあまりにも暖かいし、また花粉症の違和感で、少し苦しいし、言い訳もしたくなる。




  きょうの散歩で。花に接近して、というものは多いが、この花もここまで大きくすると、上品の一言。




  乾燥しすぎの、黄色いスイセン。風で動くことはなはだしい。




  同じようで違うようで、色は濃い目。この花も揺れた。

  クロッカス。



  大きくなって、この二日、乾燥状態。しっとり感がなく、かわいそう。




  純白では、なかった。真っ白なクロッカス、はそういえば珍しいかも。




  同じ色に見えた、濃い目の紫のクロッカス。花の色というと、肉眼ではどうしてもカメさんとは異なる色に見えている。この色の表現も考えてみると、むつかしい。

花粉症の空の下で

2009-03-19 16:28:58 | 植物・花(春)
  暖かく、花粉症がひどく、迷惑している。
  ひどいとかいうのは、ラジオに投稿されるメールでも、読まれていて
  またアナウンサさんも花粉症で、ことしは新規の対策を
  練っているといわれる。だから、ことしは、かなり、例年になく
  花粉症はひどい。

  朝も近くのお医者さんにゆく。それだけで、なんか体中が
  おかしくなって帰って来る。自分のためではないが。
  看護師さんとことしの花粉症はひどいですね、と一言挨拶を交わした。
  それくらいひどい。
 
  その他、これはすごいという咲き方の梅、だろうと思う、そうゆうものも
  見つけた。また、サンシュユの花!も咲いていた。

  花粉症の空というのがぴたりである。




  アオキの、花芽。もう少しで、咲きそう。まだのようだが。




  菜の花。新鮮である。ここまでは、丸2日前のもの。




  びっしり咲いている。知っている場所のものだけど、しばらく
  ご無沙汰していた。
  こんなに立派に咲いたのは、初めて見る。びっくり。




  全体を出すのは、なかなかむつかしい。それにしても迫力満点。
  何枚も、もういいと思うまで、ボタンを押した。




  ハクモクレン。モクレンなども、これは4月の花だと思い返したばかり。
  しかしこの様子だと、3月中に咲きそうな気配はある。
  一番、美しいときの一つ。




  小さくて白い花だと、今はユキヤナギがきれいで、この花も
  一気に満開に近くなっている。にぎやかである。

見え隠れする、地球の月

2009-03-19 07:04:03 | 散策
  朝のお天気、大体晴れ。すでに風が出ている。細かくみると、風がないということはないようで、弱った。雲も多いとき、少ないときがあって、これによって月は見え隠れする。少しお腹のへこんでいる月が、低い南の位置にあって、暗いときは、黄色くすごみのある色。今は白。アメダスの6時の気温、14.6℃、気圧は1016.6hPa、湿度は57%。室温、15.8℃。暖房なしでいる。

  夜中というとほとんど音もしない。この時間は幸せである。少し明るい感じがあるが、部屋の灯りは何もつけない。真っ暗にする。そうでないと、例え5ワットの電球がついていても、明るく感じられて、よくない。音も、風のあるいは雨の弱めの音ならいいが、強い、大きいのはありがたくない。でも、子守唄でラジオを付けているときがあって、この音で目が覚めるときがある。ありがたくはない。
  幸い、きょうはきのうからきょうにかけては、特にひどい花粉症の症状は出なかった。暖かい時間が続いて、しかし朝方は少し冷える。寝すぎの感じがあるが、起きる時間頃に、もう鼻がグズグズいいだして、あとはいつものとおりの花粉症の儀式を行なった。出るものは皆出る。目玉が飛び出しそうにもなる。やかんの中のお茶のパックを突付いているときも大きなクシャミが。やり切れない。こんなひどい花粉症も久しぶり。

  きょうは暖か。というより、温度は普段より7℃から10℃くらい高め。すると、お湯は結構早く沸く。シュポシュポいうまで時間はかからない。パンなども早く焼けるから、タイマの設定を短めに。それと牛乳はレンジで温めるが、これは時間の変化は少ない。起きるときというのも、2枚目の衣服をヒータで暖める必要もないくらい。
  すると、顔を洗い、さらに鼻うがいをし、目玉の回りもよく洗うが、タオルで軽く吹いても、もう目はごわごわするし、ゴミが返って入っている感じがある。気分悪い。鼻だって、刺激になるからかまたすぐに液体がツーッと流れる。また鼻うがい。落ち着かない。しばらくすると、リンゴを切って、同時にそれを口に掘り込み、右の抜けそうで抜けない歯で噛んでいると、もう完全に湯は沸きちぎる。
  チンは大丈夫だが、またパンはというと、まだ少し黄色く色付いたところ。置いておくしかない。で、お茶のパックを揉んでいるとまたクシャミで、危ないこと。すべての時間というのが加速している。一気にやらないといけないことが増えて、しかも加速している、ように思える。

  考えてみると、ことしももう3月は後半だ。あっという間に3ヶ月がたった。早いというより、一日は1時間程度で変化して、また明日が来る感じもある。時計は電波時計でもあるから、かなりに調節はきく。コントロールのしがいがある。で、電池時計もある。こっちの方を信用する。すると電波時計と余り変わらない。時間の単位をどうして決めているか、その説明を読むことは可能だが、理解は出来ない。
  個人の時計は、段々に加速すると考えて間違いはない。あと少しで、もう夏が来る。そうゆう感じで、ことしも半分が過ぎ、早いですねというと、そうでうねという相槌を打たれて、やっぱりなー、と思う。こんなことはそうは長くは、続くわけがなく、そろそろと思ったりもする。色々こうありたいだの考えるが、大体ダラッとしている。多少のことは出来るが、ほとんどのことは出来ない。
  こうゆう思いで一日は過ぎる。だから1年も早い。