春なのに、雪が降る。よくあること。暖冬だと、あるようで、厳しい寒さだとそれはない。だから、2月もおしまいころに、暖かく感じられるときがある。3月に入ると、それ、寒さの反動があって、これはもう完全に春だと思ったりもする。感じ方だが、ある人は時間ともに寒がりになり、ある人は、寒さをあまり感じなくなる。冬の寒がりは、それがやがて夏でも寒いとなり、これもしかし当然あり得ることで、もう驚かない。
自分の場合はというと、夏は暑さに耐え切れず、冬はまったく同じで、凍えあがる。いいのか悪いのかわからない。依然寒さには大丈夫だが、暑さにはだめという方がいる。この辺りだと夏はやけに暑い。また冬の寒さは、さほどでもなくなっている。よって、暑さには弱いが、寒さはだいじょうぶという人が多いのではないか。
だから、人生の途中から引っ越してこられたかたが、北が付く、雪が降る、雪山があると聞いて、その寒さには用心するが、夏の暑さには、寛容でつまりはそれにびっくりする。これは特に、地球の温暖化とは、関係なく大体昔から夏は暑い。だから、昼寝をし、さらに、暑さには耐えていた。もう少しいうと、「立て付け」はあまり気にしないでよかった。もっとも、ここのいえだけでの話しかも知れない。で、冬は寒いのであって、氷点、マイナスでもプラスでもないという、あり得ないと感じられる気温でも大丈夫、眠れる。こうゆう訓練が出来ている。
しかし、遠い昔の私の話しというと、春は、マー「若草山」辺りに行くというのが、今でも記憶に残るもので、それよりも以前でも、遠足とかある時代だと、奈良と京都は行っていることになる。最も大阪にいて、というものもあった。だから、何かあると、近畿日本鉄道の鶴橋駅に出かけて、そこから奈良線に乗り換え、あるいは大阪線に乗った。時に間違えて、遠いところまでいったりもしたが、それも今思うと大したことではない。
若草山は生駒山よりは、行かなかった。妙な表現だが、生駒山はお正月に行って、若草山となると、奈良までいってそれからまた先となるから、その先の選択は運命にまかされた。どっちでもよかった。しかし、まだ小さいと生駒山が楽だったようだ。(ここの生駒山は、信貴山の間違いです、すいません)。
関西にいると、学校の遠足で、京都へ奈良へは行く。ただ、行くだけである。その先にそこに住むようなことはまずはない。よって、知っているところは大体が観光地であってそれ以外の何ものでもない。大体有名どころは遠足で行く。今は昔で、韓国とか中国とか、その他のアジアの国々へ行くということはなく、これは今思うにいいときに行っていたと思う。景気がよかったとか関係なく、バスに揺られて、金閣寺だ、銀閣寺だと行った。家族でも平安神宮とか、その他平等院なども行った。なんだかその当時が懐かしい。人はそこそこ多く、しかし何が何やらわからない感じもあった。いい時間というと、そうゆうときかも知れない。
遠い昔で、結構もう大きくなると、さすがに遠足はなく、しかし、その遠足の延長と言うと、若草山かも知れない。この辺りははっきりしない。最後の奈良・京都巡りがいつだったかというと、若草山だった気がする。
近くではなかった。それで、当時の国鉄を乗り継いで奈良駅に着いた。最後まで国鉄、帰りは、近畿日本鉄道、近鉄であって、少しの時間特急に揺られた。これもいい話だと思う。若草山というのは、野焼きみたいのが有名だが、それはTVでしか知らない。しかしよくあーゆうことをやれたものだと感心する。最も今もその行事は続いているはずだから、他のところでも同様なことがあるはずで、これをやる理由がちゃんとある。ただ、山を燃やすので、ちょっと怖い感じはある。
若草山は山であって、ここの上まで行ったのは一回だけである。ここは一応は山。だから、その登りはきつい。もう上かというと、さらにその続きがある。だから、ハイヒールだの、革靴、ビジネスシューズだのではなかなか登れないが、そこを登るところがいいところでもある。上に行くと、さらに上があって、何段階かある。最後だかどうかわからないが、もういいだろうというところだと、さすがに人はいない。また下りも楽なようで、そうではない、滑ったりしたら目も当てられない。だが、何度も若草山に行ったわけでもないが、そうゆう人はいなかった。
無事下まで降りて、その後どうしたか覚えていない。どこかのお寺くらいには行ったかも知れない。目的はない。ただ、時間があった。お金はなかったはずだが、それでもお腹は減らなかった。何かを食べた。若草山か、今思うのは、そこにいけたとしても、1mも登れないだろうということ。アー高い山だな、それで終りだろう。時代が違いすぎる。そうゆう気が強い。行かなくてもよかったし、行ってもよかった。今思うとずいぶんと贅沢な時間だった。そうゆう感触で今は動いていない。どこかに何なにが目的で、何時何分にどこどこに行く。そうゆうもののまったくの対蹠点にあるものだった。
せかせかと今でも生きていると、その昔を過ごせた幸せを感じる。それにしても、時代錯誤のこととなった。
雪の白はもういい。でも、もう一回くらい出るかも知れない。しかし、春の白いものというと、まずはユキヤナギ。なんだかこじつけ。
あー白い。真っ白といいたいが、透明な感じもする。この色が春の色。
花弁の白さはというとしかし、雪のように結晶しているかのように、輝いている。
最新のジンチョウゲ。この匂いはというとそこまで余裕というか、感じるものはなかった。
明るい春の花の白で、雪も溶けたし、しかし春はまだ遠いかも知れない。
自分の場合はというと、夏は暑さに耐え切れず、冬はまったく同じで、凍えあがる。いいのか悪いのかわからない。依然寒さには大丈夫だが、暑さにはだめという方がいる。この辺りだと夏はやけに暑い。また冬の寒さは、さほどでもなくなっている。よって、暑さには弱いが、寒さはだいじょうぶという人が多いのではないか。
だから、人生の途中から引っ越してこられたかたが、北が付く、雪が降る、雪山があると聞いて、その寒さには用心するが、夏の暑さには、寛容でつまりはそれにびっくりする。これは特に、地球の温暖化とは、関係なく大体昔から夏は暑い。だから、昼寝をし、さらに、暑さには耐えていた。もう少しいうと、「立て付け」はあまり気にしないでよかった。もっとも、ここのいえだけでの話しかも知れない。で、冬は寒いのであって、氷点、マイナスでもプラスでもないという、あり得ないと感じられる気温でも大丈夫、眠れる。こうゆう訓練が出来ている。
しかし、遠い昔の私の話しというと、春は、マー「若草山」辺りに行くというのが、今でも記憶に残るもので、それよりも以前でも、遠足とかある時代だと、奈良と京都は行っていることになる。最も大阪にいて、というものもあった。だから、何かあると、近畿日本鉄道の鶴橋駅に出かけて、そこから奈良線に乗り換え、あるいは大阪線に乗った。時に間違えて、遠いところまでいったりもしたが、それも今思うと大したことではない。
若草山は生駒山よりは、行かなかった。妙な表現だが、生駒山はお正月に行って、若草山となると、奈良までいってそれからまた先となるから、その先の選択は運命にまかされた。どっちでもよかった。しかし、まだ小さいと生駒山が楽だったようだ。(ここの生駒山は、信貴山の間違いです、すいません)。
関西にいると、学校の遠足で、京都へ奈良へは行く。ただ、行くだけである。その先にそこに住むようなことはまずはない。よって、知っているところは大体が観光地であってそれ以外の何ものでもない。大体有名どころは遠足で行く。今は昔で、韓国とか中国とか、その他のアジアの国々へ行くということはなく、これは今思うにいいときに行っていたと思う。景気がよかったとか関係なく、バスに揺られて、金閣寺だ、銀閣寺だと行った。家族でも平安神宮とか、その他平等院なども行った。なんだかその当時が懐かしい。人はそこそこ多く、しかし何が何やらわからない感じもあった。いい時間というと、そうゆうときかも知れない。
遠い昔で、結構もう大きくなると、さすがに遠足はなく、しかし、その遠足の延長と言うと、若草山かも知れない。この辺りははっきりしない。最後の奈良・京都巡りがいつだったかというと、若草山だった気がする。
近くではなかった。それで、当時の国鉄を乗り継いで奈良駅に着いた。最後まで国鉄、帰りは、近畿日本鉄道、近鉄であって、少しの時間特急に揺られた。これもいい話だと思う。若草山というのは、野焼きみたいのが有名だが、それはTVでしか知らない。しかしよくあーゆうことをやれたものだと感心する。最も今もその行事は続いているはずだから、他のところでも同様なことがあるはずで、これをやる理由がちゃんとある。ただ、山を燃やすので、ちょっと怖い感じはある。
若草山は山であって、ここの上まで行ったのは一回だけである。ここは一応は山。だから、その登りはきつい。もう上かというと、さらにその続きがある。だから、ハイヒールだの、革靴、ビジネスシューズだのではなかなか登れないが、そこを登るところがいいところでもある。上に行くと、さらに上があって、何段階かある。最後だかどうかわからないが、もういいだろうというところだと、さすがに人はいない。また下りも楽なようで、そうではない、滑ったりしたら目も当てられない。だが、何度も若草山に行ったわけでもないが、そうゆう人はいなかった。
無事下まで降りて、その後どうしたか覚えていない。どこかのお寺くらいには行ったかも知れない。目的はない。ただ、時間があった。お金はなかったはずだが、それでもお腹は減らなかった。何かを食べた。若草山か、今思うのは、そこにいけたとしても、1mも登れないだろうということ。アー高い山だな、それで終りだろう。時代が違いすぎる。そうゆう気が強い。行かなくてもよかったし、行ってもよかった。今思うとずいぶんと贅沢な時間だった。そうゆう感触で今は動いていない。どこかに何なにが目的で、何時何分にどこどこに行く。そうゆうもののまったくの対蹠点にあるものだった。
せかせかと今でも生きていると、その昔を過ごせた幸せを感じる。それにしても、時代錯誤のこととなった。
雪の白はもういい。でも、もう一回くらい出るかも知れない。しかし、春の白いものというと、まずはユキヤナギ。なんだかこじつけ。
あー白い。真っ白といいたいが、透明な感じもする。この色が春の色。
花弁の白さはというとしかし、雪のように結晶しているかのように、輝いている。
最新のジンチョウゲ。この匂いはというとそこまで余裕というか、感じるものはなかった。
明るい春の花の白で、雪も溶けたし、しかし春はまだ遠いかも知れない。