暖かいというと、異常だ、とか思う。ほどほどの暖かさだと、ありがたみがあり、感謝の言葉も出る。日頃の行ないの悪さもこれはいけないと反省したくもなる。反省しても手遅れというのもあるが、お天気を見て自分のことを占うというのも変なようで、しかし、なんだかきょうが晴れなかったのは自分の行ないが悪いから、など思うのも普通なので、これも困る。気象というのは、どうなるかわからないから、予報がある。なるほど、これは自分の意思と関係ない。
春がもうそこまで、と思うと余計に春が恋しい。暖かくなるのはまだ早いが、もう少し「ゆるく」生きられる条件にならないか、そう願うのもこれもまた普通。普通のことを思いつつ、この寒さはどうなっている、白鳥だって北国に帰るというのに、今また冬のようなお天気になってどうしてくれる、こう思う。これに、人為的な条件がかなり加わっているというのが今の報道とか、論評とかの筋というもので、温暖化もその一つ。温暖化なら、こんな寒い時期はもう終わっていると思うが、そうならないのが、温暖化が占いでは予想出来ないことを示している。また、温暖化といいつつ、もう少し視野を広げると、寒いと思えるところがある。全体的ではどうなのか。いつも思うが、その辺りが、「そうですねー」といえないところ。
あっさりと、温暖化なんてないですよといってみたいが、そうもいかないのは実感しているから。これは暑くなると顕著で、この暑さにももう耐え切れないでいる。
今はまだ寒い。寒い思いをするし、気候以外でも寒い。体にガタが来る寒さがある。夏がそのうちにやって来る。必ず、暑すぎる、何とかしてと書いているような気がするが、それは少し先を行き過ぎているかも知れない。
体の調子というと、何度か嫌な思いをしている。何でこうなるの、ということがあって、これには本当に閉口した。今は少し楽な方だが、本格的な老化の年齢であって、これがこれから本当にやって来る。
多少のことは何とか出来た。出来なかったことが出来るようになって、少しホッとした時期がある。これもまたもとに戻る感じがある。
毎度のことだけど、灯油のヒータを使う。これに灯油を入れる。やらないといけない。でもいい加減、ポリタンクをどっこいしょと動かすのが面倒である。こんなこともあることはあったが、今はその程度がよりつらくなる。サイホンの原理というのを使って、灯油をヒータのカートリッジに入れる。このとき、ある条件が整わないと灯油は、カートリッジの方に移動しない。まったく、いい話しというのはない。「どっこいしょ」という力が最初にないと、油は移動しない。それ以外に、もちろん大気の存在がある。移動の初期条件にどっこいしょというのが必要なので、これが腰に来る。いい歳だから、腰に来るが、その年齢が少しおかしいのではないか、自分でもそう思う。お米の10kgの袋くらいは持てる。最近だって、重いと思えるPCをまずは下に移動し、こんどは新しいのを上に持ち上げた。こうゆうことの疲労がたまって、今の腰のガタツキがあるのかなー。
腰痛にも心的なものがあるという。なるほどねー、わからないでもない。でも時代は、介護というのは皆苦労するのが当たり前の世の中。段々苦しくなるが、それは、まだ肉体的な負担にはなっていない。なっていないが、わかってもらえない苦しさとか、くやしさはある。しかし、これももうどうにかなるものではない。
なるべく気にしないのがいい。しかし私の記憶は、まだまだそれに関してはある。よくはならない。それでも、何とかしなければならない。乖離現象の隙間は開くばかり。だから、腰も痛い。
珍しく、本音のところを書いてみた。だめだな、これは。
このような、お花は普通にはなく、飾ってあるというか、寂しげに咲いているので、借景。
あちこち、財布の中を探す。古いものだと、イチョウの木の芽。2回目。
ドングリ。「ドングリお天気」というのも借りてみたが、ドングリがこの辺りにはあることを思い出させてくれる。これが、実際あった。
地味だが田んぼの辺りを歩くと、水たまりに光が反射する。
去年から、まだぶら下がっているカエデの葉っぱがある。どうなっているのか、蜘蛛の糸が支えている?。
まだあるというと、ヘクソカズラの実。目玉みたいになってしまった。
春がもうそこまで、と思うと余計に春が恋しい。暖かくなるのはまだ早いが、もう少し「ゆるく」生きられる条件にならないか、そう願うのもこれもまた普通。普通のことを思いつつ、この寒さはどうなっている、白鳥だって北国に帰るというのに、今また冬のようなお天気になってどうしてくれる、こう思う。これに、人為的な条件がかなり加わっているというのが今の報道とか、論評とかの筋というもので、温暖化もその一つ。温暖化なら、こんな寒い時期はもう終わっていると思うが、そうならないのが、温暖化が占いでは予想出来ないことを示している。また、温暖化といいつつ、もう少し視野を広げると、寒いと思えるところがある。全体的ではどうなのか。いつも思うが、その辺りが、「そうですねー」といえないところ。
あっさりと、温暖化なんてないですよといってみたいが、そうもいかないのは実感しているから。これは暑くなると顕著で、この暑さにももう耐え切れないでいる。
今はまだ寒い。寒い思いをするし、気候以外でも寒い。体にガタが来る寒さがある。夏がそのうちにやって来る。必ず、暑すぎる、何とかしてと書いているような気がするが、それは少し先を行き過ぎているかも知れない。
体の調子というと、何度か嫌な思いをしている。何でこうなるの、ということがあって、これには本当に閉口した。今は少し楽な方だが、本格的な老化の年齢であって、これがこれから本当にやって来る。
多少のことは何とか出来た。出来なかったことが出来るようになって、少しホッとした時期がある。これもまたもとに戻る感じがある。
毎度のことだけど、灯油のヒータを使う。これに灯油を入れる。やらないといけない。でもいい加減、ポリタンクをどっこいしょと動かすのが面倒である。こんなこともあることはあったが、今はその程度がよりつらくなる。サイホンの原理というのを使って、灯油をヒータのカートリッジに入れる。このとき、ある条件が整わないと灯油は、カートリッジの方に移動しない。まったく、いい話しというのはない。「どっこいしょ」という力が最初にないと、油は移動しない。それ以外に、もちろん大気の存在がある。移動の初期条件にどっこいしょというのが必要なので、これが腰に来る。いい歳だから、腰に来るが、その年齢が少しおかしいのではないか、自分でもそう思う。お米の10kgの袋くらいは持てる。最近だって、重いと思えるPCをまずは下に移動し、こんどは新しいのを上に持ち上げた。こうゆうことの疲労がたまって、今の腰のガタツキがあるのかなー。
腰痛にも心的なものがあるという。なるほどねー、わからないでもない。でも時代は、介護というのは皆苦労するのが当たり前の世の中。段々苦しくなるが、それは、まだ肉体的な負担にはなっていない。なっていないが、わかってもらえない苦しさとか、くやしさはある。しかし、これももうどうにかなるものではない。
なるべく気にしないのがいい。しかし私の記憶は、まだまだそれに関してはある。よくはならない。それでも、何とかしなければならない。乖離現象の隙間は開くばかり。だから、腰も痛い。
珍しく、本音のところを書いてみた。だめだな、これは。
このような、お花は普通にはなく、飾ってあるというか、寂しげに咲いているので、借景。
あちこち、財布の中を探す。古いものだと、イチョウの木の芽。2回目。
ドングリ。「ドングリお天気」というのも借りてみたが、ドングリがこの辺りにはあることを思い出させてくれる。これが、実際あった。
地味だが田んぼの辺りを歩くと、水たまりに光が反射する。
去年から、まだぶら下がっているカエデの葉っぱがある。どうなっているのか、蜘蛛の糸が支えている?。
まだあるというと、ヘクソカズラの実。目玉みたいになってしまった。