光年・千年

纏わりつくが、纏まらないおはなし、日記ふう。

春はもたついている。

2009-03-04 18:58:31 | 散策
  暖かいというと、異常だ、とか思う。ほどほどの暖かさだと、ありがたみがあり、感謝の言葉も出る。日頃の行ないの悪さもこれはいけないと反省したくもなる。反省しても手遅れというのもあるが、お天気を見て自分のことを占うというのも変なようで、しかし、なんだかきょうが晴れなかったのは自分の行ないが悪いから、など思うのも普通なので、これも困る。気象というのは、どうなるかわからないから、予報がある。なるほど、これは自分の意思と関係ない。

  春がもうそこまで、と思うと余計に春が恋しい。暖かくなるのはまだ早いが、もう少し「ゆるく」生きられる条件にならないか、そう願うのもこれもまた普通。普通のことを思いつつ、この寒さはどうなっている、白鳥だって北国に帰るというのに、今また冬のようなお天気になってどうしてくれる、こう思う。これに、人為的な条件がかなり加わっているというのが今の報道とか、論評とかの筋というもので、温暖化もその一つ。温暖化なら、こんな寒い時期はもう終わっていると思うが、そうならないのが、温暖化が占いでは予想出来ないことを示している。また、温暖化といいつつ、もう少し視野を広げると、寒いと思えるところがある。全体的ではどうなのか。いつも思うが、その辺りが、「そうですねー」といえないところ。
  あっさりと、温暖化なんてないですよといってみたいが、そうもいかないのは実感しているから。これは暑くなると顕著で、この暑さにももう耐え切れないでいる。
  今はまだ寒い。寒い思いをするし、気候以外でも寒い。体にガタが来る寒さがある。夏がそのうちにやって来る。必ず、暑すぎる、何とかしてと書いているような気がするが、それは少し先を行き過ぎているかも知れない。

  体の調子というと、何度か嫌な思いをしている。何でこうなるの、ということがあって、これには本当に閉口した。今は少し楽な方だが、本格的な老化の年齢であって、これがこれから本当にやって来る。
  多少のことは何とか出来た。出来なかったことが出来るようになって、少しホッとした時期がある。これもまたもとに戻る感じがある。

  毎度のことだけど、灯油のヒータを使う。これに灯油を入れる。やらないといけない。でもいい加減、ポリタンクをどっこいしょと動かすのが面倒である。こんなこともあることはあったが、今はその程度がよりつらくなる。サイホンの原理というのを使って、灯油をヒータのカートリッジに入れる。このとき、ある条件が整わないと灯油は、カートリッジの方に移動しない。まったく、いい話しというのはない。「どっこいしょ」という力が最初にないと、油は移動しない。それ以外に、もちろん大気の存在がある。移動の初期条件にどっこいしょというのが必要なので、これが腰に来る。いい歳だから、腰に来るが、その年齢が少しおかしいのではないか、自分でもそう思う。お米の10kgの袋くらいは持てる。最近だって、重いと思えるPCをまずは下に移動し、こんどは新しいのを上に持ち上げた。こうゆうことの疲労がたまって、今の腰のガタツキがあるのかなー。

  腰痛にも心的なものがあるという。なるほどねー、わからないでもない。でも時代は、介護というのは皆苦労するのが当たり前の世の中。段々苦しくなるが、それは、まだ肉体的な負担にはなっていない。なっていないが、わかってもらえない苦しさとか、くやしさはある。しかし、これももうどうにかなるものではない。
  なるべく気にしないのがいい。しかし私の記憶は、まだまだそれに関してはある。よくはならない。それでも、何とかしなければならない。乖離現象の隙間は開くばかり。だから、腰も痛い。

  珍しく、本音のところを書いてみた。だめだな、これは。




  このような、お花は普通にはなく、飾ってあるというか、寂しげに咲いているので、借景。




  あちこち、財布の中を探す。古いものだと、イチョウの木の芽。2回目。




  ドングリ。「ドングリお天気」というのも借りてみたが、ドングリがこの辺りにはあることを思い出させてくれる。これが、実際あった。




  地味だが田んぼの辺りを歩くと、水たまりに光が反射する。




  去年から、まだぶら下がっているカエデの葉っぱがある。どうなっているのか、蜘蛛の糸が支えている?。




  まだあるというと、ヘクソカズラの実。目玉みたいになってしまった。 

3月の空、早くも2回目

2009-03-04 16:30:06 | 散策
  寒いからか、体の硬い感じが強調される。
  イテテテ、なにかやると、この言葉が出る。
  イテテと思いつつ、バスケットに牛乳を入れる。
  これはもういいか。

  ちょっとアメダスの値を見ると午後3時までの最高気温は
  7℃ある。7℃もあると言うべきか。
  だから寒くて、意気消沈。沈没しそう。

  引き出しというか、箪笥も寒い。
  ここは、3月の空で。空は色々変化して
  同じものはないはずだが。




  3月1日の、朝の様子は、すでに一度出ている。なかなかいい感じ。




  明るい空があるが、夕刻に近い。
  西の方角から、黒いというか、怪しい雲が出てきた。




  西の、西北の方角だと、雪雲の筋のようなものも見えていて
  これは、もうだめだなと思う。
  しかし、この後、不思議と晴れて、ルーリン彗星(C/2007 N3)は
  見えたのである。ちょっとくどいかな。




  3月2日の朝。朝から、雲行きは怪しい。




  ただ、同じ朝でも、西の空はというと、比較的穏やか。
  その後の天気の変化は、忘れてしまったが、




  ところが、夕方の空はというと、この明るい太陽と、青い空があって
  ちょっと信じられない気分である。
  しかし、太陽の明るいところが大きすぎるようで、少しだけ薄い雲か、
  その他空の透明度を落とすものが、あったようである。

  この日の夜も、当然かも知れないが、ルーリン彗星(C/2007 N3)は
  見えた。しかし、よーく見ると、薄い雲がひっきりなしに
  流れていた。あー、もったいない。かなり執拗に書いている。

もう水曜日

2009-03-04 06:48:37 | 散策
  朝のお天気、曇り、小雨もあるような、ないような。静かな朝で、少しだけ明るい。朝霧のようなものがある。視界は余りよくない。アメダスの6時の気温、2.1℃、気圧は1019.1hPa、湿度は、97%。室温、6.1℃、6℃より少し高い。

  布団の中だと、あまり寒さは感じない。途中で目が開いたりもするが、また眠って、目覚ましで起きる。ホンの5分くらい、もう起きるという前の時間、眠っていた。今日は雨か曇りかで、こうなると、朝の明るさもさほどではなく、また冬眠したくもなる。早く暖かくならないか、それは春分を待たないといけないようで、しかし、寒さは感じないというとき。暖かさは、5月かな。

  朝はいつも、湯を沸かす。そこにお茶のパックを入れる。しばらくすると、やかんは湯気を出す。出すぎだと、湯もこぼれるので火の調節をする。この間に、顔を洗ったり、目も洗ったり、さらに鼻うがいもする。TVの天気情報も見ないといけないが、まだ時間的には早い。お天気情報は、しかしいつも同じ時間に流れることはないようで、今朝は雪も降っているからか、結構早かった。
  ポットにきのうのお茶が残っている場合がある。あーもったいない。いつもなるべく、この暖かい、あまり味も香りもしない、ほうじ茶を飲むようにするが、場所的には階段を往復しないといけなく、それを省略して水で済ませることにもなる。水も飲まないときもあるが、それがきのうのような少し寒いときで、
  朝、ポットのお茶を捨てるときに、たくさん茶色い液体が出る。あーきのうは、お茶はあまり飲まなかったか、反省する。もったいない。

  水分もたくさん取ったほうがいいという考えもあり、またそれほど気にすることもないような気もする。緊張からくる、喉の乾きとかいうのは、必ずあるようで、どこかに出かけるときはたしかに、ペットボトルのからのものに、水を入れて持ち歩くと、安心感がある。ちょっとした散歩でも、なぜか喉がいがらっぽいとか、それ以外になぜか喉の乾きが気になるときもある。色々、妙な症状が出るが、水だけで安心できる、その程度のもの。

  寒い朝、眠い朝で、また体も眠っている。