天気予報によると、午後もあまり遅くないうちから、雨が降るということになって、窓から、大して見えない外のある範囲を見上げる。鬱陶しいという思いが強い。なんだか、疲れている。万年疲労状態。いつもそれでぐたっとしている。そうゆうときが増えているようで、しかし気にもせず、って書いていることと実際は違う。この先、ずっと雨か、今日は灯油を頼むときかどうか、そんなことも思い浮かぶ。これも気が付かないとすっからかんで、
しかしボイラのタンクから、油を抜き取るという、作業はやらないことにしている。ボイラのタンクは大きく、そこからヒータ用に油を取ることは出来る。灯油ヒータ用のものに転用するというか、まったく同じなので転用もおかしいが、しかし、一応は別々で、ヒータ用とは区別している。ポリのタンクに入れているが、このタンクの底にもゴミはある。こうゆうことは、湯沸しにお風呂に、ボイラを使うところかどうかで、なんのこと、ともなるわけで、私もこうゆう思いを過去にした。
この灯油ヒータの油は、まだまだいる。5月でも、寒いときは、ヒータを使う。でもそのころというと、大して大きくないカートリッジに入っている油を使い切ることはむつかしく、最後はもとに戻す。そうゆうときが早く来ないか。
そんなことも思っていたが、窓から見る雲の動きはやけに激しい。雨ではなく、風がひどそうで適度な風は有効だが、とんでもない風は、もういい。こんなものは、なるべくない方がいいことは「事実」が証明している。それにしても、晴れていたのは短い時間だ。風が吹いている時間も晴れだが、あれだけの強風だと注意報も出て、はっきりいってろくなことはない。よっぽどお天気の神様のご機嫌がよくない。こうゆう言い方もおかしく、何しろよろしくないお天気へと、そうゆう時間が増えるほうへと、事態は推移している。雪は少なかった。でも降ることは降った。今度は天候不順。雪も降らなかったのがやはりおかしかった。そうゆうことが考えられる。
お天気のことは、一旦考えるのは中止。もうこれで十分だ。この先は、きのうもそうゆうことの、予報が出ていたが、この先は気温は低め。で、雪もある。
この先の予報は多分当たるから、せいぜいきょうの強風は、あまり考えないことにして、外に出た。
もっとも、外に出ないと何も始まらない。明日もあさっても外に出る。うちにいるとどうしても腐ってくる。気分だって、よくはならない。どんなときも、出来るなら外の空気を吸った方が生き生きする。逆に言うと、生き生きもするが、ゴミにも、塵にも、あるいは埃に、泥にもまみれるわけで、これで免疫力も付けば、世間の風当たりの強さもわかる。小さな世界で生きているが、その中でも外でも変化はある。刺激というものも必要で、最後は選択しないといけない。いらない刺激はもういい。生きつづけるのに必要な刺激は、人によって違うだろうが、うちにこもるのは、まずはいいことはない。
昔はこもっていた。今もぜんぜん関連性はないが、こもる日もある。大雨。大寒い。しょうがないが、気分の悪さは結構ある。これって、雨でも風でも運動する人と同じようで、違う?。そんなこと出来るわけがなく、仕方なしにこもっている。
風が大いにあったが、まずはハクモクレン辺りを探しに、外に出て、さっさと帰ってきた。それで、ちょうどよかった。
去年の11月ころ、葉っぱは遠の昔に散ってしまって、その後に小さな蕾が出来ていた。それが今、ようやく、開くことになる。
風があるせいか、空の青さはちょうどいい。こうなると、風のありがたみというのが、わかったりもする。最も、このときだけ。
色合いといい、感触といい、最適な時期のようだ。
何か、甘いお菓子のような気さえしてくる。このハクモクレンの花が、鳥についばまれるときは、少ないというか、なさそうなのが、不思議といえば不思議である。
その他、虫の世界はまだまだおとなしめか、冬のようで、少しだけ。
きのう、そばを飛んだ、初めてことし見るモンシロチョウ。かなり、白い。
望遠側で撮っていて、長短の激しいレンズだから、この程度が精一杯。
少なくても、3mは離れている。それでも少し動くと、ふわっと舞い上がる。
まったく、本能に忠実に動いている。
虫というと、テントウのようで、そうでもないとも考えられる、ものがくっ付いたときがあった。小さすぎて、テントウムシではないようである。じっとしているので、最後は、草に乗っけた。体長、5、6mmというところ。
しかしボイラのタンクから、油を抜き取るという、作業はやらないことにしている。ボイラのタンクは大きく、そこからヒータ用に油を取ることは出来る。灯油ヒータ用のものに転用するというか、まったく同じなので転用もおかしいが、しかし、一応は別々で、ヒータ用とは区別している。ポリのタンクに入れているが、このタンクの底にもゴミはある。こうゆうことは、湯沸しにお風呂に、ボイラを使うところかどうかで、なんのこと、ともなるわけで、私もこうゆう思いを過去にした。
この灯油ヒータの油は、まだまだいる。5月でも、寒いときは、ヒータを使う。でもそのころというと、大して大きくないカートリッジに入っている油を使い切ることはむつかしく、最後はもとに戻す。そうゆうときが早く来ないか。
そんなことも思っていたが、窓から見る雲の動きはやけに激しい。雨ではなく、風がひどそうで適度な風は有効だが、とんでもない風は、もういい。こんなものは、なるべくない方がいいことは「事実」が証明している。それにしても、晴れていたのは短い時間だ。風が吹いている時間も晴れだが、あれだけの強風だと注意報も出て、はっきりいってろくなことはない。よっぽどお天気の神様のご機嫌がよくない。こうゆう言い方もおかしく、何しろよろしくないお天気へと、そうゆう時間が増えるほうへと、事態は推移している。雪は少なかった。でも降ることは降った。今度は天候不順。雪も降らなかったのがやはりおかしかった。そうゆうことが考えられる。
お天気のことは、一旦考えるのは中止。もうこれで十分だ。この先は、きのうもそうゆうことの、予報が出ていたが、この先は気温は低め。で、雪もある。
この先の予報は多分当たるから、せいぜいきょうの強風は、あまり考えないことにして、外に出た。
もっとも、外に出ないと何も始まらない。明日もあさっても外に出る。うちにいるとどうしても腐ってくる。気分だって、よくはならない。どんなときも、出来るなら外の空気を吸った方が生き生きする。逆に言うと、生き生きもするが、ゴミにも、塵にも、あるいは埃に、泥にもまみれるわけで、これで免疫力も付けば、世間の風当たりの強さもわかる。小さな世界で生きているが、その中でも外でも変化はある。刺激というものも必要で、最後は選択しないといけない。いらない刺激はもういい。生きつづけるのに必要な刺激は、人によって違うだろうが、うちにこもるのは、まずはいいことはない。
昔はこもっていた。今もぜんぜん関連性はないが、こもる日もある。大雨。大寒い。しょうがないが、気分の悪さは結構ある。これって、雨でも風でも運動する人と同じようで、違う?。そんなこと出来るわけがなく、仕方なしにこもっている。
風が大いにあったが、まずはハクモクレン辺りを探しに、外に出て、さっさと帰ってきた。それで、ちょうどよかった。
去年の11月ころ、葉っぱは遠の昔に散ってしまって、その後に小さな蕾が出来ていた。それが今、ようやく、開くことになる。
風があるせいか、空の青さはちょうどいい。こうなると、風のありがたみというのが、わかったりもする。最も、このときだけ。
色合いといい、感触といい、最適な時期のようだ。
何か、甘いお菓子のような気さえしてくる。このハクモクレンの花が、鳥についばまれるときは、少ないというか、なさそうなのが、不思議といえば不思議である。
その他、虫の世界はまだまだおとなしめか、冬のようで、少しだけ。
きのう、そばを飛んだ、初めてことし見るモンシロチョウ。かなり、白い。
望遠側で撮っていて、長短の激しいレンズだから、この程度が精一杯。
少なくても、3mは離れている。それでも少し動くと、ふわっと舞い上がる。
まったく、本能に忠実に動いている。
虫というと、テントウのようで、そうでもないとも考えられる、ものがくっ付いたときがあった。小さすぎて、テントウムシではないようである。じっとしているので、最後は、草に乗っけた。体長、5、6mmというところ。