光年・千年

纏わりつくが、纏まらないおはなし、日記ふう。

初夏から、真冬へ逆戻り

2009-03-20 18:56:31 | 植物・花(冬)
  大体タイトルどおりの気候の変化があって、今は真冬の感じ。急に来たから、この冷たさはかなり強く感じられる。一日で、15℃くらい、大きいところでの変化があったようだ。この辺りではどうか、はっきりはしないけど、弱り目に祟り目。何書いても、いいことはない。

  人の体温は、36℃くらい。こんなものもどうして決まってしまったのか、今の自分の平均した体温というのも、体温計の立派なのはあるが、もう忘れている。日常の体温を知っている必要性もあまりにない。大体、36℃を中心にぶれていると思う。風邪を引いてというのも最近はない。これはありがたいが、もし本物の風邪となると、かなり大変。でも、今の感じでいうと、風邪で大変はイコール、悪性のウイルスが原因のものということになって、まったく恐ろしいの一言だが、これも時代を反映していると思う。
  致死性のインフルエンザという概念はなかった。で、風邪というと、軽いものは、日常の生活の中で消えてゆくもの。体の抵抗力がないくらいに弱っていて、同時に悪性のウイルスと遭遇したというのが、ひどい風邪で、この概念は変わらない。どの程度のダメージを受けるかというのが大切で、これは昔は、さほどは心配されなかった。
 
  えらく話しが飛んだ。急に暖かくなる。すると、だるく感じられるときもあって、これにはまったく弱る。普段は寒いと、特にTVなど見ているときは、結構TVを見ている、コタツの中が最上である。TVは14インチでよく、また見るものは限られている。で、寒いときのTV観賞は、一種の楽しみでもある。楽しいものでないと見る気にもならない。しかし寒いと、楽しいの条件が奪われる。よって、コタツでTVというのが、まだまだ必須なのである。中途半端に寒いような暖かいようなは「だめ」であって、暑いくらいでもコタツ。きのうは、一昨日はまだコタツは必要だった、コタツは置いたがスイッチは必要なく、TVをほどほどに楽しめた。
  いやー、TVっていいですねといいたくなる気分で、でもコタツからは出て、TVも切った。それっきりである。

  寒くなるときもそうだが、暖かくなるときも、慣れが必要な時間が多くなる。素直に暖かさに対応出来ない。暖かいと、しかし35℃とかはなかなかいかないが、まずは体の熱の産生は多少は抑えられるであろう。冬だと、また筋肉とかを動かしたり、また必要な物質を合成するため、エネルギは生産されまた使用されるが、同時にただただ体温を維持するため、つまり熱を発生させるためにも、エネルギは使われる。
  お酒を飲むと、特に寒いときはこれが有効なような気もしたが、これもその中のアルコールの持つエネルギが、いったんは「生物で使われる形の化学物質」に変わって、それから熱エネルギに変わるからであろう。この辺りが、水とアルコールの違いで、いくら水を飲んでも、それが体温以下である限り、暖かくならない、と思う。エネルギというものの概念は、そうゆうことがあるかないか、でも判別される。よって、お酒はエネルギを持つ物質であって、当然取り過ぎはよくないが、また摂取が続けば、人の体重は増加することになる。
  なんだか理屈ぽいというか、本当かどうかは別として、面白くない話しになってきた。

  きょうはどんどんと冷えてきた。午前中はまだ建物の中は余熱があって、さほど寒くもなかった。ところが、ぐたっとして、同時にコタツのスイッチも入れて、TVを見ていて、さてこんなことばかりはしていられなく外に出ることになるが、この外の気温の寒さはというと、とんでもないもので、すぐに真冬の格好に変更した。
  あー寒い。心底寒く、しかし余熱と、体温と、冬の格好で、寒さはおさまった。なんとも体には悪い。皆すべて、きのうは春に見えたがきょうは一転真冬、あるいは地獄のようでもある。こうゆうときしか、地獄という言葉も使えない。もっとひどいときは、このこの言葉も出ない。あー寒い。さかさかっと歩いた。そのせいか、お墓のあるところに人の姿はなかった。この寒いときには人も外にいない。それで、帰ってくる。今度は寒すぎて、血の巡りも悪くなったようで、どうにもこうにも、かったるい時間というのを過ごす。
  暑すぎても、寒すぎても、その最初は無駄な時間を過ごさないといけないようで、しばらくして不甲斐なさというものを感じる。

  これも、彼岸だからしょうがないかと思うが、どうもきょうは、夜は晴れるようだ。このままだと、晴れで、放射冷却が起きる。アー、明日は、恐らく0℃くらいまで気温は下がるだろう。ここは大体、ラジオのお天気ニュースで気象協会の方がおっしゃっていたことを復習して、書いてみた。





  すぐそばにある、白い梅も、もう咲き終りのようで、花も散っていたかも知れない。




  まだまだ増える、ヒメオドリコソウ。




  驚きのチューリップ。葉っぱの形からいうと、小さいがこれはチューリップのようで、最大の収穫。




  小さく白く、咲くアネモネ。




  紫か紺、ブルーか、見極めにくい、アネモネ、また蕾が開いた。




  ほぼ真上から見ると、一つになってしまう。
  アネモネの花は葉っぱも花も、なぜか格別な感じがする。

雨の彼岸

2009-03-20 16:25:24 | 植物・花(春)
  寒い彼岸。
  寒い春分の日。こっちのほうがピンと来るが、
  雨の彼岸というと、なんかいいかとも。

  彼岸までのお約束の、寒さだが、まだ彼岸だというので
  これが終わるころにはもう寒くはなくなっているのだろう。
  暖かいというときがあった、だから寒くなる、またこんどは
  もう少し気温は上がる。でも、暖かいかどうかは、わからない。
  きのう、一昨日は特別だろう。

  雨で、それで、これもいいかもと思った。
  お天気はしかし、回復するということだったが、それは遅れて
  まだまだ雲の多い、寒い時間が続いている。
  この後、晴れると、明日の朝はかなり冷えるはず。

  雨彼岸。




  アオキの花の芽。まだ咲いていないものから。上に、白い空間があって
  バランスがとれた。




  二つ、三つ、アオキの小さな花が咲いていた。これから、この花が
  ウジャウジャと咲く。




  桃色の、雑草。花の色から、なにが想像されるか。

  暗いツバキ。いいツバキ、きれいなツバキ、おっかないツバキ。
  色々ある。



  背景で、救われると思ったりする。で、こうゆう花が多く、
  なんか傲慢な見方かも知れない。




  ようやく、雨の証拠が。雨が降っていて、このときに一度上がった。




  大体こんな感じで、彼岸にぴったりな気もする。この辺りは、
  人は何を考えているかということと関係するようだが、
  特に、そうゆうものはない。

激しい雨の朝

2009-03-20 06:53:55 | 散策
  朝のお天気、雨。かなり激しい。日付がきょうになって、それから降り出した。まだ薄暗く、きのうとは対照的。外に出てみたが大きな水たまり。いやーな感じ。また外の温度も下がっているから、ひんやり、これはいい感じかも。アメダスの6時の気温、9.2℃、ちなみに午前1時だと、18.1℃。気圧は1014.0hPa、湿度、96%。室温、17℃、これより少し上で、上がらない。

  きのうの夜は気温が下がらず、暑い感じもあったから、窓を開けた。すると風があって、涼しく感じられた。このときは、薄っすら星も見え隠れする。でも、念のため、また窓は閉めた。その必要があったかどうか。きょうの最高気温というと、あまり朝早い値のものをいうのも適当ではないかも知れないが、午前2時だと、18.2℃、である。
  眠るとき感じるのは、少し暑いということ。これは布団をわずかの間暖めたからで、この必要はなかった。また布団の重みというのも感じた。これも暑いからであろう。そのうち、暑さも重さも感じることはなくなった。眠ったようで、

  その後も、大体眠っている。鼻から、液体が垂れてきそうで、止まっている。雨が降り出したのは、2時ころからのようで、それゆえ鼻詰まりは起こりそうで、起こらず、しかし雨が強く、この音もすごく、目が覚めそうで覚めなかった。朝は雨の音で起きた。時計は、予定時刻を5分オーバしていて、つまり目覚ましは、鳴らなかった。危うく、もう少し眠るところ。よっぽどきのうの気候がこたえた。
  夢の中で、雨の音が聞こえているようで、夢に影響を与えるかどうか、これも面白いと思えるが、なぜか机を新調したいと思い、これを買いにゆくというものであって、その机、夢で出て来たのは、事務用のもの。そういえば、こうゆうものの前に座っていたときもあった。しかし、こんなものが入る可能性はまったくなく、しかし机は、本物そっくり。また出てくる人間も、本物でいかにもサラリーマンしている。ときに、人の姿は夢で鮮明に現われるが、しかし記憶の中ではその人は不明。知らない人。最近はTVの影響もある。

  きょうは春分だった。国立天文台の暦のページによると、春分は20時44分で、もう少し先。このときに、太陽の位置は、黄道の位置が0度になる。黄経が、0度である。もちろんこのとき、赤経も、0度である。
  きょうは休み?。なんでかな。それで新聞は厚かった。やけに一杯である。入学試験もあらから終わった。買い物の春。
  雨の後には、晴れがあって、明日はどうなるかなー。