寒い時間である。また寒くなり始める。きな臭い動きというものもあるようで、余計寒気がする。
いらぬことは考えないほうがいいが、反省というものもある。あー頭が痛い、というときで、これは特にお酒を飲みすぎたというものではない。それ以外の原因で、いつのまにか頭痛が付きまとう状態になる。これもお酒が関係ないとはいえないが、それに直接関係あるものではなく、頭痛のするときがある。こうなると、不思議というか、不思議が多すぎる気もするが、これ以外に適当な言葉が見つからない、大いに反省したりする。あれがだめだった。もう少し昔のことも思い出される。またあんなことになると、いけない。入院などもう二度と出来ないから、体のことは気を使う。大体が、怖がりだから、それゆえの問題もあるようで、早い話しがうまいことはいかない。
きのうは、夜中に目が覚めて、それから頭痛も出て、少し参った。何度かこれまでもそうゆうときがある。しかし、そうゆうものは忘れるもので、しかしいざ例えば、頭痛以外のものでも、やけに心拍が上がって眠れないときがある。おかしいな、なにがいつもと違うのだろうか。そうゆうこともある。なかなか自分の思うとおり、体も動いてくれない。でも、これまでも、何とか自分で動揺を抑えて、どうにか今まで来た。それなら、反省することは反省し、諦めることは諦めてと思うが、これもそのときだけのもののようでもある。ひどい罪悪感はないが、なんでこうなるか、自分の側にも問題はある。
こうゆうことを、頭痛は教えてくれる。また、それが出るということは何かのサインでもあって、あれとこれと、それにもう一つこれに気を付けないと、と思う。長く、そうゆうことを思い、大反省みたいなものをやって、どうにか頭痛もおさまったが、それにしても厄介なものとお友達でいる。
これは避けられないものか。だぶんそうだろう。これの対処法はというと、一番いいのは、一日頭痛に悩まされるというもので、これを経験すると体のほうも、これは面白くはないという、自身が自身に言い聞かせるようで、これでもう一晩こんどは頭痛なしで眠れると、翌日は少なくともすっきりしていられる。
痛いというのは、歯が痛くてもだめで、頭も痛くてももちろんだめ。お腹も、さっぱりするという観点からの痛みなら、それはそれでいいようで、これは、歯痛とか頭痛とか、その他、筋肉痛に腰痛というものとは違うようで、もちろんこの痛みも、すっきりするとおさまらないといけない。その他、痛みというものは多そうだが、心的な痛みというと、これがわかりづらい。
私は、かなり部分的というか瞬間的なものの頭痛というものも、持ち合わせている。例えば、大体冬は寒いが、そうゆうところを歩いていて、あるところに寄る。あるいはそこが目的で出かける。それが金融機関であったり、病院であったりもするけれど、ここがやけに暖かいときがある。こうなると、外の温度との差もあるのだろうが、さらに待ち時間があるとなると一遍に頭痛が出る。だからそこを退くことが出来るとなるとその時間には、その痛みは消えてしまう。
こうゆうものも実に、「そんな」感覚を持ち合わせているといえないか。
その他、いろいろ頭の痛くなることは多い。
でも、そうでもないときがある。あるとき、突然でもないが、昔は小さかった子供さんが大きくなる。そうゆう人がある日、突然に、子供さんと一緒に現われたりもする。もちろん、私がその中心人物というか、目的の人ではないが建前上顔を出す。その人はずっと昔は、誰でもそうだが、小学生である。その人が、時間もたつとかわいい赤ちゃんを連れて来たりする。
もう歩くことも出来て、おしゃべりも出来る。ここまでが大変だっただろうが、今はこちらもさほど心配することもない。おつむを撫ぜたりも出来る、まだ、嫌がられることもなく、いい子だねー僕は、など言える。そのとおりなので、昔は小さかった、今は大人の子供だった人も、満足そうである。こうゆうときは、さすがに悩みも吹っ飛んでしまう。このまま、ずっといい子でなど、は言わない。最後に、はい、また来てくださいねー、なども言うが、むろん小さな赤ちゃんには伝わらない。いい時間を過ごせたものだ。
昔は、皆あーゆう感じで、まわりじゅうが、ニコニコ出来た。ところがどうだろうか。その時間の短いこと。その後にいったいどうなるか。それはわからない。かわいい坊やの頭を撫ぜて、少しだけ楽しい時間を過ごせた。
なんだかいつものように、わけわからない感じで終了。
寒さの中、春の花は咲いている。少しずつ変化はある。
花ではないが、この緑色がきれいなので、まずは一番目。
どっきりする色の花だが、これはお店の前に、どうゆうわけか揺れている。
きょうは青い空が、もうなかった時間だったが、それゆえか、このオオイヌノフグリは、その青い色を鮮やかにする。
ジンチョウゲの花、探すとようやく咲いたものが見つかる。春はこの花を見ると、まだ。
ユキヤナギも、ことしは花を付けるのが遅いのではないか、そう思うことしきり。
いらぬことは考えないほうがいいが、反省というものもある。あー頭が痛い、というときで、これは特にお酒を飲みすぎたというものではない。それ以外の原因で、いつのまにか頭痛が付きまとう状態になる。これもお酒が関係ないとはいえないが、それに直接関係あるものではなく、頭痛のするときがある。こうなると、不思議というか、不思議が多すぎる気もするが、これ以外に適当な言葉が見つからない、大いに反省したりする。あれがだめだった。もう少し昔のことも思い出される。またあんなことになると、いけない。入院などもう二度と出来ないから、体のことは気を使う。大体が、怖がりだから、それゆえの問題もあるようで、早い話しがうまいことはいかない。
きのうは、夜中に目が覚めて、それから頭痛も出て、少し参った。何度かこれまでもそうゆうときがある。しかし、そうゆうものは忘れるもので、しかしいざ例えば、頭痛以外のものでも、やけに心拍が上がって眠れないときがある。おかしいな、なにがいつもと違うのだろうか。そうゆうこともある。なかなか自分の思うとおり、体も動いてくれない。でも、これまでも、何とか自分で動揺を抑えて、どうにか今まで来た。それなら、反省することは反省し、諦めることは諦めてと思うが、これもそのときだけのもののようでもある。ひどい罪悪感はないが、なんでこうなるか、自分の側にも問題はある。
こうゆうことを、頭痛は教えてくれる。また、それが出るということは何かのサインでもあって、あれとこれと、それにもう一つこれに気を付けないと、と思う。長く、そうゆうことを思い、大反省みたいなものをやって、どうにか頭痛もおさまったが、それにしても厄介なものとお友達でいる。
これは避けられないものか。だぶんそうだろう。これの対処法はというと、一番いいのは、一日頭痛に悩まされるというもので、これを経験すると体のほうも、これは面白くはないという、自身が自身に言い聞かせるようで、これでもう一晩こんどは頭痛なしで眠れると、翌日は少なくともすっきりしていられる。
痛いというのは、歯が痛くてもだめで、頭も痛くてももちろんだめ。お腹も、さっぱりするという観点からの痛みなら、それはそれでいいようで、これは、歯痛とか頭痛とか、その他、筋肉痛に腰痛というものとは違うようで、もちろんこの痛みも、すっきりするとおさまらないといけない。その他、痛みというものは多そうだが、心的な痛みというと、これがわかりづらい。
私は、かなり部分的というか瞬間的なものの頭痛というものも、持ち合わせている。例えば、大体冬は寒いが、そうゆうところを歩いていて、あるところに寄る。あるいはそこが目的で出かける。それが金融機関であったり、病院であったりもするけれど、ここがやけに暖かいときがある。こうなると、外の温度との差もあるのだろうが、さらに待ち時間があるとなると一遍に頭痛が出る。だからそこを退くことが出来るとなるとその時間には、その痛みは消えてしまう。
こうゆうものも実に、「そんな」感覚を持ち合わせているといえないか。
その他、いろいろ頭の痛くなることは多い。
でも、そうでもないときがある。あるとき、突然でもないが、昔は小さかった子供さんが大きくなる。そうゆう人がある日、突然に、子供さんと一緒に現われたりもする。もちろん、私がその中心人物というか、目的の人ではないが建前上顔を出す。その人はずっと昔は、誰でもそうだが、小学生である。その人が、時間もたつとかわいい赤ちゃんを連れて来たりする。
もう歩くことも出来て、おしゃべりも出来る。ここまでが大変だっただろうが、今はこちらもさほど心配することもない。おつむを撫ぜたりも出来る、まだ、嫌がられることもなく、いい子だねー僕は、など言える。そのとおりなので、昔は小さかった、今は大人の子供だった人も、満足そうである。こうゆうときは、さすがに悩みも吹っ飛んでしまう。このまま、ずっといい子でなど、は言わない。最後に、はい、また来てくださいねー、なども言うが、むろん小さな赤ちゃんには伝わらない。いい時間を過ごせたものだ。
昔は、皆あーゆう感じで、まわりじゅうが、ニコニコ出来た。ところがどうだろうか。その時間の短いこと。その後にいったいどうなるか。それはわからない。かわいい坊やの頭を撫ぜて、少しだけ楽しい時間を過ごせた。
なんだかいつものように、わけわからない感じで終了。
寒さの中、春の花は咲いている。少しずつ変化はある。
花ではないが、この緑色がきれいなので、まずは一番目。
どっきりする色の花だが、これはお店の前に、どうゆうわけか揺れている。
きょうは青い空が、もうなかった時間だったが、それゆえか、このオオイヌノフグリは、その青い色を鮮やかにする。
ジンチョウゲの花、探すとようやく咲いたものが見つかる。春はこの花を見ると、まだ。
ユキヤナギも、ことしは花を付けるのが遅いのではないか、そう思うことしきり。