光年・千年

纏わりつくが、纏まらないおはなし、日記ふう。

似合わない、いまどきの雨が雪

2009-03-14 18:51:51 | 散策
  寒さ暑さも彼岸まで、ということもあるので、でもまだ彼岸というと少し早く、しかし季節は春で、寒い。どうなっているのか、という毎日の疑問、まだ疑問に感じられるだけいいか。という安心感があって、そうゆうものもなくなるときが来る。体感というか季節の寒さに、気持ちの寒さ、心的なつらさも今の時期はある。何とかそれを解決は出来なくても、なるべくなら波の大きさ、振幅は小さく、また周期も長いものにしようとする。これがなかなかうまくゆかない。
  あっさりと天使は去ってしまう。穏やかな時間が過ぎる。仕方ない。そうゆう時間があるだけありがたいと思う。いろいろやってもらっている。こちらの至らないところは多い。それゆえ、天使が去るとまた小さな波は立つ、これがどうしても大きくなる。天使に少し遠慮する。ここは今思うと、ここまでやってもらっていることに感謝をすべきで、これ以上のことを言うべきではない。そうゆう気もする。

  朝の雨風が弱くなって、しかしこのところ土曜は雨というときが多かった。先週は違った。そう思う。違ったから、どうかなるかということはないけれど、また雨の土曜日が来た。雨というよりは悪天候の土曜日。雨に、風に低温にあるところでは雪。災難も通り越している。どうした、春のお天気。しかしお天気とはこうゆうもの。この調子でゆくと、今の目の前の出来事もそうゆう風に「ならない」ように考えれば出来るが、はずだが、これには感情を押し殺す気合が必要。もっとも、なんとも思わないというものもあるのだろう。そうゆう風に振る舞うことが出来たら。しかし、そうありたいと、きのう眠るときに考えたが、また「きのう」に似たようなことになるが、これもしょうがないか。どっちが悪いというと、こっちである。

  この寒さも考えようで、少しの気合で外に出た。雨は弱い。だから大して濡れるようなこともないだろう。また突如、突風にあうこともその可能性は低い。そう思えた。ごくごく普通の真冬の格好で外に出る。気合が少しあると寒さはあるが、それよりも歩くことに専念出来る。回り、危険性がないこと、を確認して、ただただ歩く。歩いていると、もう少し寒かったころを思い出す。また1年前、もう一つ前の2年前も思い出すかどうかはわからないが、しかし、そのこと、1年前の感覚というか、記憶というか、体調その他、感じたことがよみがえることはなかった。
  ただ、昔の人は、このくらいの寒さなら、ごく普通に歩いていて、また何事もないように振る舞ったはずだ、そうゆうことが今思い出された。季節外れの寒さの中で、昔の人のことを思う。そうして、ここに棲んでいた人は生きていた。そうゆう人も今はいない。これまた妙なもので、お亡くなりになられた人のことも、なぜか思い出される。それがご先祖様であったりもする。
  それ以外に、これまた歩いていると、何かの拍子に、暗いニュースの看板を見かけることがある。めったにないことだが、そういえば、ここには時々おじいさんが、いつも道の前に出て、空を見ていた。その人もそういえば亡くなられたのかも知れない。これと、彼岸が近いということに関連性はないが、この程度の寒さで、どうのこうの言っているのがおかしくも思われて、どうにかもとに戻ってきた。正直、最後はやはり冷え切った。こんな寒さはもういい。今は暖かさがやはり求められている。
  
  新聞を夕刻に見る、分厚い広告は見ずじまいで、本体だけざっと目を通した。あまり予想もしていなかったが、公共交通機関はかなり混乱をしている。これは相当な影響が出た。この天候の変化はしかし読み取れないもののようで、これが今の時代の気候の象徴のようである。天候に振り回される感じがあって、やり切れない。当たることは出来ないが、辟易感は強い。
  気象も変動をし、自分の周りのことも、今までどおりにはゆかなくなった。ますますおかしくなってくる。どうしていいか、わからないが、これでどうか、それでもやはりだめだ。「黙っていて」もうまくゆかず、なんともまだまだ先は、その奥行きは宇宙まで広がっている感じがある。これも、有界な時間に終わることははっきりしている。しかし溝は広がるようで、この感覚に慣れるには当分時間がかかるだろう。

  雪はちらちらしたが、この辺りは暖かめで、雪はおそらく積もらない。
  それで、少し前の雪の様子。再放送。再登場、これは予想どおり。





  結構な枚数が残っている。慣れると短時間に、相当数のボタンを押せる。こんなことうまくなってもしょうないが。




  こんなものがあったか、記憶にもない。




  たしかに見ると美しい。でも、寒かったはずだ。気を付けないといけない。




  春だというのに、柔らかい、あるいは暖かいような雪。




  最後は蛇足。でもくっ付けました。もう雪はいらない。

窓は曇り、雪が舞う

2009-03-14 16:23:29 | 散策
  一気に冷えて来て、一言、寒い。

  早朝に最高気温が出て、その後はただ下がるのみ。
  雨のまま、推移すると思ったが、雪がチラチラと舞う。
  もっとも山沿いだと、雪も本降りのようで、ミゾレが降ったという 
  話しも聞いた。本格的な、冬に逆戻り。

  寒いと思ったが、いえに閉じこもっているのも苦痛だし、
  また風は止んで、雨もゆっくりになったので歩いて来た。
  でも、本格的に寒かった。きっとこうゆう寒さを感じている人が
  いる。それともう一つ、寒い中生きて来た、ということを
  思い出す感じもある。

  白いクロッカスがなぜか咲いていて、そのはず、それがこの寒さで
  また花びらを閉じていた。災難だな、クロッカスにとっては!。


  窓から、寒さを見ると、




  左の梅。これの花弁が、きっちりと咲いているのが写真からわかった。




  空が「水色」だといいが、なかなか希望どうりにゆかない。




  白の部分の色。灰色が見た目だが、若干この条件だと、水色がある?。




  こちらの方が、見た目の様子を直感的に表わしている。




  窓の様子。ガラスは平面で、曇りガラスだと簡単に合焦する。




  いろいろ、やってみました。

灰色の雲の流れ方

2009-03-14 06:55:21 | 散策
  朝のお天気、雨風。風は少しばかり穏やかになった。このすさまじい音がずっと聞こえていたら、眠れなかった。そうではなかった。途中から、風の音は弱くなった。不思議と暖かい。今はまた、雨と風がひどい。灰色の雲がいろいろな形をして、南西から東北の方角に流れてゆく。 
  アメダスの6時の気温、9.0℃。それから、午前1時はというと、16.2℃もある。なるほど、だから暖かい感じがあった。気圧は1004.5hPa、湿度90%。室温11.5℃、暖かい。

  風の音と、その他の考え事で、いえの中の問題はもう忘れた、それからやけに暖かいので、眠れない時間が長い。しかしよく吹く風で、これだと風車の一つも回したいと思うのも当然のようだが、簡単にペットボトルは回転するが、重い金属の、あるいは強度を増した、軽量の風車はなかなか回転しそうにない。これが発電機を回転させるようにするには、尋常の知恵では無理だろうな。木々は簡単にしなる。これが電気エネルギに変わるならと思うが、そんなことはあり得ない。などなど、空想の世界に浸る。頭が痛く、また重くなる。一体にいつまで風は吹くのか。

  朝が来る。少し明るく、もう夜明け、薄明に近い時間。再び風が吹き始める。時計を見る。後何分という感じになる。こうゆうときもすぐにまた眠るときもあるが、こんな日に限って朝も目が開いてしまう。どうにもこうにも、尾を引くものはある。また風が出て来た。どうなっているのか、わからないが、いずれにしろ、起きる時間である。

  朝は寒くはなかった。12℃近い室温がある。まだ外の様子ははっきりわからない。頭痛が残っていて、また鼻の頭も少し赤い。まずはいいことはない。鼻が赤いなんて、大体飲みすぎということになるが、それに似ていないともいえない。手とか足の裏はかさかさだが、頭はどちらかというと脂性のようだ。だから、きれいに禿げ上がった。これは隠せない。ここに触ると、少し痛い。このような症状が出る回数はしかし昔に比べてずっと減った。体調はよくないなー。こうゆう日もある。こうゆう日がこれからも続く。

  こぼしたパンくずを、ゴミ箱に捨てる。きれいにはならない。窓から、外を見ると灰色の雲がダイナミックに動いている。動きは穏やかだが、その状態から感じられるものは、エネルギの塊であって木々は激しく揺れ、また窓に雨は打ち付ける。この景色を見ているとある種の爽快感がある。こうゆう真似は自分には出来ない。途方もないエネルギの形態がそこにあるようで、これを見ていると圧倒される。自分の小ささがよくわかる。しかしこの先は、もっと小さく暮らすことを考えないといけない気にもなる。

  灰色の雲がなかなか雄大で、元気を与えてくれるようで、ショボ付いた目には新鮮で、しかし気は重い。