光年・千年

纏わりつくが、纏まらないおはなし、日記ふう。

虫メガネを探す

2009-03-22 18:56:22 | 散策
  雨の降り方が、朝の夢の中のそれに近く、ザンザ降りに近い音が聞こえる。雲はというと、真っ黒であって、まるで雪が降りそうだが、これはもう暗いから。予想外の、いいお天気、たとえば、乾きに乾ききった、土。その水の少なさに植物は、小動物はなかなかよみがえることが出来なかった。が、これでいくらかの土は流れるが、種もこれで発芽出来る。虫も出やすい。いつに、発芽のスイッチが入るか、いろいろ試してみる、そうゆうことも子供のときにあった宿題のようだが、大人というか歳だけ一人前でその解は出ない。草が少し大きくなった。この一週間の違いはというと、これが一番わかりやすい。そのうち、いやでも草とご対面となるが、今はかわいいが、この後が、いろいろな意味で怖い。

  虫メガネというのも、なつかしい。しかし、本物の虫メガネというのは、なかった。昔、祖父は新聞を見るのに虫メガネを使っていて、その後に、それを父も使っていたような気がするが、そんなことも遠い昔の出来事で、しかし虫メガネの一つも残っていてもいいような気がするが、それがない。今虫メガネを必要とするのは私がその一人だが、そんなことは大したことではなく、虫メガネ一つのないことがおかしいのである。昔は、とまた過去に思いを馳せるが、二つはあった。その記憶もあいまいといえば、あいまいである。
  ものが見えにくく思えるのは悲しい。今はメガネ一つで、何とかがんばっているが、辞書も字が細かい。ここはくっ付いているのか、何本線があるのか、これは漢字の話しだが、二本か三本か悩む。くっ付いているのか、離れるのが正しいのか。このときに、使っている虫メガネ、ルーペは何かのおまけのようなもので、これしかない。探せないのである。

  いえの中の、あるものは増える。大体に私が使うものは増えるが、それでもなるべく、もうだめだというのは、外に出している。ぜんぜんいらない。20年使ったラジオも、ついに壊れて、さらに同じ年数使った電気ヒータも、外に出したが、この目で存在は確認出来る。もったいなくもないが、見えているとあー、あれにお世話になっていたと思うこと、もある。もっとも、この先のことを考えると、よくはない。というか、もう置く場所もない。あるものは消える。この一つに、虫メガネもある。もう少し高級なものもあった。しかし記憶は消え去るもので、ある意味それは楽に生きてゆく手段でも便法でもあるようで、それを必要としない人はいいが、それ以外だとあれがあったのにと思う。思うときが必ず来る。

  ものの整理の仕方も、いろいろであって、残しておけ、というものが大体が基本、私の、だが、この記憶のなかから、少しずつ気付くのはふとこれがないという状態に陥ること。それは、自分のもの、個人的なもの、ではないが、ここにあったというもので、その他、だんだんとものはなくなってゆく。これがおかしいのであって、しかし自分でもそれを探すことは出来ない。その能力も昔はすぐれていたとか思ったが、何しろ捨てられるとどうしようもない。あるいはどこか、わからないところにしまわれる、収納されると、これも絶対といっていいほど、見つからない。
  これは自分自身でも体験した、ただ、自分勝手ではあるけれど、ものを捨ててはいない方なので、どこかにはある。ものが自然と崩壊する、あるいは消失すると言うと、あるときには便利である。これで証拠も消え去る。しかし必要なときに消え去るものでもあって、これは現実にはない。だが、なかなかそれを探し出すのも大変なので、

  先ほど、新聞の一面に出ていた、ある雑誌の広告に、ものの収納術関連のタイトルが目に入って、それの見出しを見て、さらには細かい文字も見ようとしたが、もともと大きな広告でもなく、虫メガネがどこかにないか、そう思ったのである。これで、もとに戻った。

  収納術はたしかにあるし、ものを捨てるのがいいというのと、溜めるのが最高というのもあって、最後は結局それを利用するときに使えるかどうかだが、それは収納術というか、「いやとあるものとの付き合い方」と、協調的であるか、あるいは独立か?。




  暖かいというか、汗も出そうな時間がある。この木はモチノキ。夏は、セミが大いに鳴く。




  ここにも、ツバキの花が咲き誇っている。この姿を見るまで時間がかかった。




  空に向かってこれから咲く、花。この花、道から見えているが、次は散っているということにもなりそうな気がする。




  アジサイを見ると、しんみりしてしまう。去年の花がまだ残っている。それで、新しい葉っぱが出てくる。
  アジサイは、雪に埋もれていても、大丈夫な強さがあって、この強さは、負け知らず。




  水分の足りない、スイセンかもともとこうゆう品種なのか。つっぱっている。




  出っ張ってもいる。新種?。

暖かいが、終日雨

2009-03-22 16:27:33 | 植物・花(春)
  雨は途中弱くなって、止みそうになった。
  雨は、朝は結構降った。それを考えると、もう止んでもいい。

  でも、お天気は、意地悪でもなかろうが、また雨を降らせ、
  風を吹かせた。それでもいいが、なんだか眠くて、
  これは暖かいこともあるが、まぶたが閉じる条件三つが
  そろってしまった。

  これはいけない。眠り込みそうにもなるもので、
  雨の止んでいる時間、外を歩いた。風が少しあったが、
  このおかげで、汗はかかなかった。なんだかいつもと
  調子が少し違う。暖かいと感じられる気温があると
  風が吹くのも、ありがたいものの一つになる。

  また空気が澄んでいて、遠く感じる山が、やけに近くに見える。
  雪のない山は、黒く青く、雪の残る高峰のその雪は真っ白である。
  剱岳の麓だけだが、非常によく見えた。
  

  きのうの夕日。



  3月21日、落日間近、日没間近の、太陽。




  先に「落ちたツバキの花」が出た。今日は本体のほう。
  花の数が多く、しかしいい位置はなかなかないもの。




  花がたくさん、というところを出したい。なので、
  結局後ろに下がったのがいいようである。




  さらに、後へ。勢いのある木だから、まだまだ花は落ちては咲きそう。

  少し暑いかも。



  これで、涼んでもらって。




  日の光が、梅の花を透明にしたような、しかし向こうはやはり見えない。




  透明な、梅の花は無理であったが、この梅の花を見ていると、
  モンシロチョウのようなものに似ていると思った。

  そのモンシロチョウだが、これだけ暖かくなっても、まだ飛んでいない。
  せいぜい、白い蛾くらいである。なぜ、モンシロチョウの
  一羽も飛ばないのか。不思議なようでもある。

強風の日曜の朝

2009-03-22 06:43:53 | 散策
  朝のお天気、曇り。先ほどTVでお天気情報を見ていると、もう雨雲がそこまで接近していた。晴れなのか、曇りなのか、はっきりしないが、何とやっぱり雨が降ってきた。風がうるさい、朝で、気温は高い。これって花粉三昧?。アメダスの6時の気温、15.8℃、気圧は1005.6hPa、低い。風速は、6mとあるが、5時だと、12mである。室温は、12℃。外のほうがはるかに暖か。

  いつから風が出始めたか。きのうは珍しく、沈んでゆく太陽が、ちょうど雲のフィルタもいい加減で、肉眼で赤いまるい夕日が見えた。まぶしくもなく、ときどき球形が歪んだ。なかなかいいもので、遠い昔を思い出したりもするが、近い将来は、どうなるか、こっちのほうが知りたい。しかし、大体いいことはないだろう。ちょうどここが真西。日も長くなったが、これからは暑いという日があるのか。

  それで、その後も星も見えたりしている。明日も晴れ?。
  夜中から、それにしてはうるさいと思えるほどの風が吹き始めた。風だとわかるまで、時間がかかった。それはいいが、どうも頭まで痛いというか、気持ちのいいものでもない。なんでこうなるの、って、やっぱり花粉だろう。悪いことは花粉のせいにする。それと気温かも、冷たいというか寒い、0℃だとかいいつつ一日の単位で、20℃にも上がったりもする。きょうの今のアメダスの値も、フェーン現象とはいえ、異常に高い。気温の変化も、頭痛の種、原因そのものでもあるのだろう。ある種の薬の作用で眠くもなるし、その他毎日ごたごたが、必ずあるし。これもしかし避けて通れない。ま、慣れの問題でもあって、しかしもしものことという場合もあって、決定的な何かがあるわけではない。諦めというのも、放置に等しい。

  春の悩み事は多いね。それで、今朝のお天気に戻ると、雨が降るがそれは多くはないような。上がってしまうのだろうか。天気情報のきょうのところを見ていなくて、明日に変わっていた。抜けている。 
  春の恒例事業というと、溝の掃除である。この言いかたにも色々あって、感じ方によって、溝をドブと書いたりも出来る。昔はこれがぴたりな感じだった。今は用水とかも使う。側溝とかも書く。何が流れているか、流れてくるか。インドのインダス川、ガンジス川だったか、のようなことはないと思う。これの掃除というが、どちらかと言えば、かき回しに近い。私がやれるのはそのくらい。だからなるべくやらない。今日はそれがあるらしい。しかし、雨だと中止。どっちだろうか。