光年・千年

纏わりつくが、纏まらないおはなし、日記ふう。

春の散歩道

2009-03-21 18:52:01 | 散策
  暖かいとかいうのではなく、寒くはないかどうか、という分かれ目。

  ちっとも暖かくはない。これは朝の気温からわかる。少しは春らしいというものが気温からは、感じられない。風はというと、おさまった。おさまったが、多少の風も必要、これで、散歩の必要十分条件のどちらも満たされないまま、このままだと、眠りこける感じもあって、出かけた。
  重いものはもう止めて、軽いほうのどっちだという感じだが、何も悩むこともない。時間はあるようでない。でも時間の使い方は変わらないだろうな。時間を気にしない時代があった。もっとも有効に時間が使えた時代。もう過ぎ去って、久しい。これはしかし考えると、貴重でありがたかった。独りよがりでも何でもよく、しかし今は自分もその時代には戻れない。

  風が少しあって、木々が、また細めの植物はよく揺れる。一昨日もそうゆう時間があったが、このときはどうだったか、今それが思い出せない、暖かではあったが。でも、その時間というのも、歩いているとよみがえってくる。
  田舎というと、変わらないというイメージだが、どうだろうか。大いに変わったところがあって、昔と変わらないところがある。道の広さは変わった。信号が付いた。その程度だろうか、建物もずいぶんと変わって、これは都会で言うと少しだけ時間のたち方が遅いだけでもあって、それと大して変わらないのではと思う。
  しかし、ここの昔のことも、ものすごく断片的だし、また都会というものも、まったくの空想ではないが、TVで見るくらいだから、その乖離は大きいだろう。きっと今頃都会に行ってみると大いに驚く。で、都会から田舎に来ると、さほど感じるものはないのではないか。いってみれば少し昔の都会がある。時間差のある、それ以外は変わらない、と思われる風景が少なくとも、今頃の田舎にはある。

  散歩の話しだった。かったるいが、この感じはしかし予想していない。どうしたのかわからないが、ここは歩くしかなかった。カメさんも電池が切れそうで、それでよかった。あまりに長居も出来ないな、カメさんしだいでさっさと歩いて帰ったほうがいい。調子というと、大体よくないが、それにもましてよくないような、どうにもならない感じがある。いつどうなるか、わかったものではない。

  いつもの道である。ときどき、ここの花はと、公園であったり、道端に出ている、置かれている、花を見る。ときに、看板も見る。新しい家が建つときもあれば、その反対もあるのは想像に難くない。悲喜こもごもだが、そのことと自分とは直接には関係ない。あまりにいろいろ考えないほうがいい。
  一昨日と変わらない道を歩いていて、変化は少しだけ。暖かかったというのと寒かったというのを足せば、これは結果は、変化はなしにつながりそうで、そのとおりの結果があった。もう少し、遠回りもしたかったが、元気が出ないこともあるから、やはりこの辺りというところを歩いた。それでよかったと思う。

  途中でやはりカメさんの電池はなくなった。バッテリ、充電池の持ちようはメーカによってもまた機種によっても違うが、もうないですよ、というサインが出ても、100とか200枚はいけるものもある。大体、液晶を見る時間、光る時間を最小にしている。これで見るとどんなものもきれいに見えるので、使うことは少ない。この電池も完全に使い切った記憶がないでの、まだまだ大丈夫だと思った。切れてしばらくすればまた使える。
  しかし、ついに何も出来なくなる状態になってしまったので、もうカバンにカメさんもしまって、後は歩くのと目を大きく開いて帰ってきた。そうゆうときにこそ、何か新しいものが見えるものだが、そのとおりだった。ばっちりだなー。こうすれば、こうゆう機会を作ればもっと何かに出会えそう。そうゆう教訓は成り立ちそうにないが、ただ無心で歩いていたり、単純にあちこちを気楽に見るという歩き方は、もしかしたら新しいものの発見の近道かも知れない。似たようなものもありそうだが、そう思うのも一理あるかな。





  梅がこんなたくさん咲いたときは初めて見る、そう思ったものの、影。梅の影か、影の梅。




  上のものとこれで、大体一枚の構図になる。今日も見てきたが、花もかなり散っていた。




  照れ屋さんか、人見知りか。気が付かなかった、匂いはというと、しそうな感じがある。




  知っているただ一つのサンシュユ。これに出会うことのむつかしさ。




  すっかり、咲きあがったチューリップ。ここ以外に知らない。




  チューリップ公園というのもあるが、そこでは早く咲きすぎると困るから、「カンレイシャ」とかもかけて、その他チューリップの開花をいかに遅らせるかに苦労されているようだ。まだ、3月、でも、咲いていた。

春の小さな木の花

2009-03-21 16:24:32 | 植物・花(春)
  春だなー。そう思って、外に出ると、ビリッと寒い風。

  それで、寒いけど、晴れで母を散歩につれていってくれる
  姉を見送る。車で、買い物・散歩。

  それまでは、ぼんやりとしていた。ぼんやりというと、
  大体ネットを見ている。なんだかなー、気持ちが入らない時間。
  もったいない時間であるが、ボーっとして時間が過ぎた。
  気力なく、ぼんやりはやはり春か。晴れだが、外は寒そう。

  それで、ふと振り向くと、木も小さいが、それに劣らず小さい
  しかし天然色の花が咲いていた。慌てて、重いカメさんを持ってくる。
  いい加減である。むせている。咳が止まらない。苦しいと思いつつ
  ここの画面に向かっている。




  うわー明るい、ということで、もう少し暗くするかと思ったがそのまま。
  明るい春の、地味な木の、小さな天然色の花。




  重いカメさんは揺れるなー。ここは踏ん張るところ。
  するとこんどは木が揺れる。




  こんどは明るい、赤目のものがあった。桃色か、ピンクか、白桃色か。




  すぐに思い出した。毎年、春になるとこの木は小さな花を付ける。
  一年に2回くらい、花を付けてもいいくらいだが、それはないか。




  たくさんの花を付けるのが、小さな木の戦略かも。生き残りの。
  この花の匂いかも知れないが、昔もこの匂いがした。

  ツバキは大きな木だが、ゴソという音をたてるように
  花が落ちる。ツバキの花を見ていて、ファインダに落ちるツバキの花
  が映った。



  もう一回咲くツバキ。十分美しい。花が落ちるのは、
  新しい花を付けるため?。




  たくさんになった。惜しい。もう一枚。

晴れで、白いのは霜

2009-03-21 06:49:25 | 散策
  朝のお天気、ほぼ快晴。寒い。気温が下がるのがわかって、窓が開いているかどうか、たしかめたくらい。温度には敏感。静かな時間が続いて、クシャミも出なかった。朝がくるのが早い。風もなく、穏やか。アメダスの6時の気温、1.1℃、気圧は1023.0hPa、湿度93%、高め。室温、8.5℃、これでも寒い。

  しばらくして、気が付いたのは、辺りが白いことで、今頃も霜が降りる。そうか、雨が降った後だから、湿気もあって、降霜。遅い霜だけど、寒いからなー。ぞっとする。これをしみじみ見ている時間はなかった。外は1℃、これも寒く、最高気温が25℃もあった日もあるから、体調はおかしくなる。管理に十分気を付けてって、私も書くが、いったいどうすればいいか、その中身は何もない。ないまま、そうゆうことを書いたり、いったりするのもどうかと思うが、考え方が書生っぽい。青臭い。
  その青い植物も、今は白くなって、咲いたスイセンもうな垂れている。冷たいだろうなー。

  太陽がすでに出ていて、もう付いていけない。先に出てしまった。その位置は、ちょうど真東辺りだが、すでに理屈だと少し北に移動している。このところの太陽の移動は結構に激しく、1週間見ないで、ということはないが、そのくらいの間が開くと、位置が変わっているのが感覚的にわかる。どこが、真東かはわからないが、光の明るく輝く方向は、移動している感じはする。今が一番、移動が激しいのは、黄道の縦方向の変化を見ればいいはずで、どう見ても、黄経が0度と180度のときが一番その移動が激しい。よって、それが日の出の位置に反映されるはずで、見ていてもその動きの早さがわかる感じがする。

  霜を見て震えて、そして出ている太陽を見てきょうもいい時間が過ごせるようお祈りをし、そして今は花粉が盛んに悪さをする。先ほどから何度クシャミが出たか、鼻から液体を垂らし、明るすぎる机で、キーを打つ姿は自分でも滑稽であるように思える。あー、大変。