光年・千年

纏わりつくが、纏まらないおはなし、日記ふう。

目薬を、差してから

2009-03-25 19:04:42 | 散策
  お天気は、相変わらずのネコの目天気で、晴れるときもある。先ほどまで、太陽が輝いていた。そんなことは話題にもならないが、雨が降るか、雪が降るか、アレラが降るか、その他、変わることのない、快晴の空があって、いったいどこに、宇宙船は位置しているのか、わからない。また不思議と、雷は鳴らない。今の時代の恐ろしいものの一つは、これは地震だが、これはもういい。まる2年前のきょうに、能登半島沖地震があったが、地震は1年とかいう周期とは関係なく、またこの辺りも、2年たったからといって、ナマズがどうのこうのもなかったようで、明日はわからない。

  5年日記というものも、面倒くさく、これも目的は最初は違った。普通の手帳が売ってなかったというか、手に入らない可能性もあって、ある特殊なところで購入したもので、その後に1年ものの手帳も購入した。しかし、5年日記の始まりが、2007年だから、書かざるを得ない。そこそこ線を引いて、使いやすくし、また5年日記だと、日付が優先されて、それが毎年同じ曜日になるとは限らないから、いちいち、その年度のところに、今日は、何月何日ということを書かないと、いったいきょうが2009年の何月何日なのか、わからなくもなる。同じページに、たとえば3月25日が5年分、あるものは空白が、縦に並ぶ。このものを見るときの恐怖感はない。いったいきょうは何月なのか、何曜日なのか、それがわからなくなる。 
  ちょっとおかしいのではないか、と思われる方もいらっしゃるだろうが、それもあるが、同じ日付が5つも並ぶと、きょうは何年の何月の何日か、一瞬わからなくなる。それを回避するため、何月何日かというのを、先に書いておく。

  5年日記の功罪があるが、いずれにしろたくさんの事を把握するのは得意ではない。この先、まだ2年と半分は残っている。せめて、これくらいの時間は、ちゃんと埋めることが出来るようでありたい。この作業はもちろん、手帳を見ながらやるが、それ以外に、日付を睨むと、忘れていたことも思い出す。また過去の時間というのもそこに少し書かれていて、進歩はなく、退化しかないこと、自分では、そうゆうこともよくわかる。よくではなく、多少かも知れない。
  今、3月のお天気一覧というのも見ることが出来るが、朝の室温に関しては、ことしは乱高下があるのはたしかなようである。
 
  地震か、今も割りとはっきり思い出すことが出来るが、しかし、まる2年前という感じはない。記憶の曖昧さによる、時間の不確定性は激しい。

  地球も安定した棲みかではなくなっているなというのは、これは地震のことはさて置いても感じることは多々。去年のかなり振幅の激しいお天気状態からも、わかるようではあるが、TVでのもっと大きな、地球規模での災害報道を見ると、これは「どきどき」では済まなくて、見ない方がいいようにも思えてくる。笑えない現実がそばにある、と思うだけだ。
  氷河が溶けている。チベットの高峰の氷河、キリマンジャロの万年氷河が、ぐっと少なくなった。もっとわかりやすく、規模の大きいものでは、北極海の氷の減少。さらに、南極海でも凍っていた部分が離れていって氷山になり、これの大きさが島といっていいもので、それがプカプカ海を漂う。聞きたくない話しで、もうわかっている。その先に見えるものは、なんだろうか。

  希望が持てるものというと、宇宙への退避でとなるが、そこまではさすがに私も考えることはない。宇宙での滞在は、ある能力を備えた人のみが可能であって、また最後は地球に戻ってくることを前提としている。
  ISSに乗り移った、宇宙飛行士の若田さんは、いろいろな困難を乗り越えられて、それを現実のものにした。この話しは、非常に勇気付けられるものであって、しかし遠く及ばないものがある。むつかしいところ、またその厳しい現実というのは、何も論じることも出来ないが、これはTVでも流れたが、

  飲み水として、自分の排泄したものの循環についての話しが、一番面白く感じられた。こうゆうところは、そのものを現実に飲み干す方も、地上におられるということ。その他、水というのも、だんだんときれいにされてゆくもので、その考えかたの究極に、排泄物の循環というものがある。しかし、そうゆう装置が地上で出来あがって、いかがですかということもあると思うが、やっぱりそれは結構ですと、私は思う。でも、理屈からいって、自分の体の中から出てきたものだから、そんなに汚いと片付けるのもおかしいといえばおかしい。

  
  今は朝の時間がすでに明るくなっている。




  なかなかこうゆうことも出来ないものだが、朝の光というだけで、緑の葉っぱがやけに美しく光る。
  



  わずかな朝の光の中、赤いツバキが、輝いて見える。かろうじて、写っていた。




  ほとんど、光のことも考えていない。かすかな光で、この像が残っていた。




  アオキの、花の芽は、次第にその数を増やしている。外に日が当たる方向に花がある。




  シャクヤク(芍薬)の、芽が出てきて、少し時間がたった。
  去年は、なぜか花は咲かなかった。




  透過光で、こちらは、最初から、日が滲み出る様子を狙った、赤いツバキ。




  これも、早朝だから出来ることで、そうゆう機会は、なかなかない。
  滅多にないことの、一こま。

3月の、空と雲と

2009-03-25 16:20:00 | 散策
  地球も病気だからか、お天気も病気になった。
  そうゆうことさえも、思わせるお天気の変化で、
  なんとも、鬱陶しい時間を過ごす。

  なんともならんようだけど。
  春はもうやって来たが、今は休業中かな。
  春も、人の社会と同じで、何とか切りをやる。
  だから、春なのに冬に戻ってしまった。

  寒いし、風は吹くし、雨は横からに、当然なるし
  神経もピリピリする。本当に雪が降りそう。

  それで、何回目かの、3月の空。
  3月の太陽だったり、3月の雲だったり、3月の青空だったり。
  でも大体同じ。
  3月の空(そら)。




  大変な3月だけど、空を見ているとなかなかいいのがある。
  一番多いのは、たぶん空のファイル。




  颯爽と、3月の空に、白い雲が走る。




  この空の青さが、またいいと思う。こんなのがいつあったか、今頃見て
  びっくりしている。




  印象派の空もちゃんとあった。探せばもっとあると思う。




  穏やかな、朝の空。この写真、ものすごく傾いている。山が右上がりに
  見えている。




  こんな、やさしげな雲もあった。こうゆう空を見ていると、
  やっぱり春はいい、と思う。これは、本当。 

曇り空程度の明るさ

2009-03-25 06:50:24 | 散策
  朝のお天気、曇り。まだ雨はなく、静かな曇り空。日の出の時刻も早く、メモするのにもう電灯はいらない。でもくせで、ボタンを押す。最近のはボタン、昔のはネジ。室温を書いて、朝の最初の用事は終了。朝のお天気は結局のところ、曇りで、風もほとんどない。アメダスの6時の気温、4.2℃、気圧は1011.2hPa、湿度は90%。乾いた感じは、そういえばない。室温は、10℃。眠い温度。

  いつものように、やかんを火にかける。その他、新聞を引っぱり出す。そこに置いておく。外の感触を味わうが、雲が厚く太陽の形もなく、ただ少し灰色の雲が青っぽい。水色に変わりだしている。
  色々同時進行している。今はパンが焼ける時間が問題だけど、しかし黒くなることはまだない。お茶も沸けば、シュポシュポいう、レンジの牛乳もチンという。他、包丁でリンゴを刻みながら、口に入れる。もたつく。噛み砕く力が、ない、か弱い。

  窓ら外を見る。ということは今の時間、あまりないが、しょわしけない行動だと思って、しばらく窓から外を見上げていると、空の色がより明るく、また透明にも近くなって、こうしていると、一瞬の心の安らぎも得られるかも知れない、と思える。空が灰色に見えるか、水色に見えるか、結構主観的だ。
  空が灰色でも、これもなかなかいいものだ。今どきのPCでも、TVでも、目立つことが主になっていて、見ていてどんな感じがするかまで、考えられてはいないようだ。主観的なものの見方だが、TVや、PCの広告としてはデータに基づいた、かなり客観的なものとして作られているのだろう。結果として、それがどう評価されるか、これはまた別物。
  かなり個人的なものの見方、片寄った見方、またなんでも反発する見方をしているが、ものを作る側の人の考えというのも、結構に自信があるようで、大したものだと思う。まーそれくらいの考えがないと、ものは推し進めていけはしない。

  薄い、灰色が水色にも、またそれが透明にも思える時間というのがあった。いつも、びくびくして、あるいは時間に追われて、自分も同じようにガタガタ震えている。
  2007年の3月25日。5年日記によると、この日の午前、9時40分に地震、激しく揺れるとある。能登半島沖の大地震から、まる2年がたったことになる。