きのうまでのお天気というと、これが結構晴れ間が出たから、そのせいかどたばたもしたが、きょうはというと、ずっと穏やかというか、大きな変化はなく、ただ朝は太陽が出ていたような気がするが、曇り空があったことは間違いはない。
どんよりとした雲のその隙間から太陽はきょうも顔を見せてくれる。このありがたさ。この冬はもう終わりかどうか、わからないが。寒さも色々なものがあって、おいしいお酒は出来なかったとかいう感想を持つが、大きなお世話かも知れない。その他でいうと、さほどピリピリする寒さはなかったようで、これも慣れの問題もある。どうにもならない寒さというのは、あまりなかった。そのことを感じている時間というのも、あまりなかった。それ以外でいうと、寒いということは多く、自分だって老化の下り坂を一段また一段降りていて、いい感じはしない。これに、まだ鷹揚に対処出来なく、泣きたくなるようなこともままある。どんな人も、そうゆうときがあるものだ、そう思って仕方ないと納得もする。またこれに単順に反発もしたくなるが、体がゆうことをきかないという事実は厳然としてあるので、なんだか寂しい。こうゆう前触れというものはある。
3月だから、もういいかと思うと、雪が降っている。もう少し前だと多少は余裕があって、雪というと、お酒など思ったが、今はそんなことはない。そうゆうことを思うことも出来なくなった。ただ、この時期になってひどい雪は現実味がないので、暢気なことも書いていられる。雪もまたいい。もっとも、この雪は太平洋側の方でも降るようで、そちらのほうが主となるとこれは少し困ることになる。
そうゆう経験もあって、例えば雪は降らないと考えられているあるところで、雪が10cm降ったということで、電車が止まったというのが記憶にあるが、このときも雪は8年ぶりであった、という。たしか、東海道本線で、しかしあまりに古い話しだ。色々、順風にいかないことは多い。景気というのもそうゆうものであるらしい。
PCが、壊れたというのも自分としては、納得がいかないものだ。時代の先端をゆくものが、簡単に壊れる。直らない。これを活かすことが出来ない悲しさがある。ポイ捨て状態である。もう少しなんとか役立つだろう、新しいPCは買ったが、残りはちゃんととってある。いつでもこれのあるものは、使える。そうゆう場所もギリギリだがある。
また「ルーリン彗星(C/2007 N3)」というと、星空はそれだけではない、と言われそうで、そういえば、美しい月と金星の接近というものもあった。ただ、これを見て、ルーリン彗星を思い出すというのも、事実である。さらに、実際のところ、これがその写真かという疑問は残るものの、それを撮ってみて、これが一応本物であるとして、そのものを見極めるむつかしさというのも実感する。
たとえば、一昨年の、ホームズ彗星の場合だと、それは肉眼でもはっきりとわかるものであった。だから、それの写真というのも、迷うことなく、これがそうだということが出来た。これはおまけのようで、肉眼で見える彗星ということが大事なことだった。なぜそんなことが起こるのか、こうゆう疑問を持った人は少なからずいると思うが、そのことをもっと知りたいと思われた方も多いだろう。なかなか地味な感じのする星空だが、大体すべての出来事は星空が実験場であり、研究の源のような気もするから、不思議でもある。生き物も、宇宙からやって来たというから、これもなかなか地味だでは済ませられない。
このところ、慣れないことばかりが続いて、これがいいのか悪いのか、よくはわからないが、それで、結構どうしていいかわからない、という、周章狼狽気味でもあって、きょうの雪がこれらの出来事の一応のおしまいであって欲しいとも思うのである。
梅。枝垂れ梅。この花の多いこと。目が回りそう。
梅がこんなに、たくさんの花を付けると、春は本物と考えたくなる。この梅に今も雪がチラチラしているのだろうか。
フキノトウ。これもこうなると、どこにいったと探す必要はない。
もっと大きなものも、見つけた。このときは少し目を大きく広げた。ここまでくると、もう完全な春と言えそうだが、だから、季節外れの雪が降るのも、考えてみると、当然かも知れない。
どんよりとした雲のその隙間から太陽はきょうも顔を見せてくれる。このありがたさ。この冬はもう終わりかどうか、わからないが。寒さも色々なものがあって、おいしいお酒は出来なかったとかいう感想を持つが、大きなお世話かも知れない。その他でいうと、さほどピリピリする寒さはなかったようで、これも慣れの問題もある。どうにもならない寒さというのは、あまりなかった。そのことを感じている時間というのも、あまりなかった。それ以外でいうと、寒いということは多く、自分だって老化の下り坂を一段また一段降りていて、いい感じはしない。これに、まだ鷹揚に対処出来なく、泣きたくなるようなこともままある。どんな人も、そうゆうときがあるものだ、そう思って仕方ないと納得もする。またこれに単順に反発もしたくなるが、体がゆうことをきかないという事実は厳然としてあるので、なんだか寂しい。こうゆう前触れというものはある。
3月だから、もういいかと思うと、雪が降っている。もう少し前だと多少は余裕があって、雪というと、お酒など思ったが、今はそんなことはない。そうゆうことを思うことも出来なくなった。ただ、この時期になってひどい雪は現実味がないので、暢気なことも書いていられる。雪もまたいい。もっとも、この雪は太平洋側の方でも降るようで、そちらのほうが主となるとこれは少し困ることになる。
そうゆう経験もあって、例えば雪は降らないと考えられているあるところで、雪が10cm降ったということで、電車が止まったというのが記憶にあるが、このときも雪は8年ぶりであった、という。たしか、東海道本線で、しかしあまりに古い話しだ。色々、順風にいかないことは多い。景気というのもそうゆうものであるらしい。
PCが、壊れたというのも自分としては、納得がいかないものだ。時代の先端をゆくものが、簡単に壊れる。直らない。これを活かすことが出来ない悲しさがある。ポイ捨て状態である。もう少しなんとか役立つだろう、新しいPCは買ったが、残りはちゃんととってある。いつでもこれのあるものは、使える。そうゆう場所もギリギリだがある。
また「ルーリン彗星(C/2007 N3)」というと、星空はそれだけではない、と言われそうで、そういえば、美しい月と金星の接近というものもあった。ただ、これを見て、ルーリン彗星を思い出すというのも、事実である。さらに、実際のところ、これがその写真かという疑問は残るものの、それを撮ってみて、これが一応本物であるとして、そのものを見極めるむつかしさというのも実感する。
たとえば、一昨年の、ホームズ彗星の場合だと、それは肉眼でもはっきりとわかるものであった。だから、それの写真というのも、迷うことなく、これがそうだということが出来た。これはおまけのようで、肉眼で見える彗星ということが大事なことだった。なぜそんなことが起こるのか、こうゆう疑問を持った人は少なからずいると思うが、そのことをもっと知りたいと思われた方も多いだろう。なかなか地味な感じのする星空だが、大体すべての出来事は星空が実験場であり、研究の源のような気もするから、不思議でもある。生き物も、宇宙からやって来たというから、これもなかなか地味だでは済ませられない。
このところ、慣れないことばかりが続いて、これがいいのか悪いのか、よくはわからないが、それで、結構どうしていいかわからない、という、周章狼狽気味でもあって、きょうの雪がこれらの出来事の一応のおしまいであって欲しいとも思うのである。
梅。枝垂れ梅。この花の多いこと。目が回りそう。
梅がこんなに、たくさんの花を付けると、春は本物と考えたくなる。この梅に今も雪がチラチラしているのだろうか。
フキノトウ。これもこうなると、どこにいったと探す必要はない。
もっと大きなものも、見つけた。このときは少し目を大きく広げた。ここまでくると、もう完全な春と言えそうだが、だから、季節外れの雪が降るのも、考えてみると、当然かも知れない。