だんだん、秋分の日に近付いている。秋分の日いうと、太陽の位置が、黄経180度に達するときと決められていて、このときは太陽は赤経180度ともなるときで、地球の赤道に位置するところでは、太陽は真東から昇って、ちょうど天頂を通ることになる。だから、ほぼ12時頃に、その赤道直下にいると、人の影は一番小さくなる。棒のようだと仮定すると、それは小さな円か点になって見えるはずである。そうゆう経験は、いまだかってない。見えるはずだと書いたが、真上に太陽があってはたして自分の影が見えるかどうか、疑問に思えて来た。そうゆう状態で、自分の影を見るというのもむつかしいようだ。
今日も先ほど、太陽は地平の向こうに沈んだはずで、また明日の朝には、太陽は登ってくる。言い方を変えると、地球は回転していて、その回転している軸の方向はというと、それは夜でも昼でも同じで、しかし夜の方がわかりやすく、その近くに北半球の場合は、北極星が見える。これが、赤道に位置するところだと、ちょうど真北の地平線辺りに見えて、見えるというよりあるはずで、普通だとなかなか見えないだろう。この方向は、1年くらいの時間では、ほとんど変わらないといってよく、また10年くらいたっても、100年くらいたっても、さほど変化はないはずで、よほど精密に、北極星の辺りの星夜写真を撮っていても、回転して見える星星の軌跡の中心をそれから正確に読み取っても変化はゴクゴク小さなものであって、しかし、それは移動していることになっている。
それで、100年の100倍である、10000年くらいたったら、どうであろうか。そんなことは、想像することもむつかしいが、もはや今のこぐま座のα星である北極星は、円弧を描いて回転していることがものすごくはっきりわかるだろう。今でも、北極星は十分な時間星の動きを追うと円弧を描いているが、これは地球の自転軸の方向が北極星からわずかにずれているからで、こうゆう写真を見ると、その行為に専念された方に大いに感謝したくもなる。
長い時間、26000年くらいらしい、たつと、地球の自転軸は、回転してもとに戻ることになっている。26000年である。今は西暦の2008年であって、西暦が始まってから地球の自転軸は、まだ30度は回転していないことになる。こんなこと、いったい誰が発見したのか、心底驚いてしまうが、今の時代に生きていても、地球の自転の方向は、一定であって、そこからずれるということはないと考えていてもおかしくはなく、地球は、いつもある決まった方向を向きながら、太陽を回転している、としておかしくはない。そうゆうことになっていて、話題にもならない。地球の自転軸と、太陽と地球が作る公転面とは、これまた誰でも知っていることだが、23.5度くらい傾いているから、四季があって、人は赤くなったり青くなったりする。
ここから、またややこしいことが始まる。地球と月は引っ張り合いをしているが、地球の陸地と海とは、つまり、ほぼ固体であるものと、それと液体とでは、この引力によって、引っ張られ方が違う。水である、液体である海はよりグッと引っ張られて、そこにあり続けようとする。こうして海が膨れるような感じになって、しかし陸はというと、固体でもあるから液体のような行動は取らず、地球の自転と同じ速度で、回転しようとする。海の水はそこに留まろうとし、陸地は回転する。すると、そこに摩擦のエネルギが生じて、どう考えても地球の回転速度にブレーキをかけるように、そのエネルギは使われる。そうゆうことになっていて、地球の一日というのは、少しずつだが遅くなっている、というのが定説のようである。
このまま地球の自転速度は遅くなるのか、そうなると少し弱る。だんだん一日が長くなる。どうしてくれる。しかし、これも気の長い話で、そう簡単にそれがすぐわかるようなことも起きなくて、先の先のことと考えていいみたいだ。この先せいぜい、一日が、1秒長くなったくらいで何かが変わるわけではない。それでも、変わるものがあれば、他に変わるものがあって、月と地球の距離がだんだんと長くなるともいわれている。これには理由がある。それから、地球の自転軸の回転というのも、月の引力が原因しているという。もっとも、最初から地球の自転軸が黄道面から傾いていたからそうなったわけで、黄道面と赤道面が一致していたら、こうゆうことはない、ということになりそうである。
こうゆうことをときどき思い出したように、書いている。
朝の光景。
日の出もゆっくりめになって、日が出て来るころに、植物の葉っぱが輝いたりする。
おやっという感じのものがある。そこまでは考えていないことも、ときに起こる。
晴れの朝で、冷却で露が朝日に輝く。休耕田も、そこに生えている雑草も輝くひとときである。
今日も先ほど、太陽は地平の向こうに沈んだはずで、また明日の朝には、太陽は登ってくる。言い方を変えると、地球は回転していて、その回転している軸の方向はというと、それは夜でも昼でも同じで、しかし夜の方がわかりやすく、その近くに北半球の場合は、北極星が見える。これが、赤道に位置するところだと、ちょうど真北の地平線辺りに見えて、見えるというよりあるはずで、普通だとなかなか見えないだろう。この方向は、1年くらいの時間では、ほとんど変わらないといってよく、また10年くらいたっても、100年くらいたっても、さほど変化はないはずで、よほど精密に、北極星の辺りの星夜写真を撮っていても、回転して見える星星の軌跡の中心をそれから正確に読み取っても変化はゴクゴク小さなものであって、しかし、それは移動していることになっている。
それで、100年の100倍である、10000年くらいたったら、どうであろうか。そんなことは、想像することもむつかしいが、もはや今のこぐま座のα星である北極星は、円弧を描いて回転していることがものすごくはっきりわかるだろう。今でも、北極星は十分な時間星の動きを追うと円弧を描いているが、これは地球の自転軸の方向が北極星からわずかにずれているからで、こうゆう写真を見ると、その行為に専念された方に大いに感謝したくもなる。
長い時間、26000年くらいらしい、たつと、地球の自転軸は、回転してもとに戻ることになっている。26000年である。今は西暦の2008年であって、西暦が始まってから地球の自転軸は、まだ30度は回転していないことになる。こんなこと、いったい誰が発見したのか、心底驚いてしまうが、今の時代に生きていても、地球の自転の方向は、一定であって、そこからずれるということはないと考えていてもおかしくはなく、地球は、いつもある決まった方向を向きながら、太陽を回転している、としておかしくはない。そうゆうことになっていて、話題にもならない。地球の自転軸と、太陽と地球が作る公転面とは、これまた誰でも知っていることだが、23.5度くらい傾いているから、四季があって、人は赤くなったり青くなったりする。
ここから、またややこしいことが始まる。地球と月は引っ張り合いをしているが、地球の陸地と海とは、つまり、ほぼ固体であるものと、それと液体とでは、この引力によって、引っ張られ方が違う。水である、液体である海はよりグッと引っ張られて、そこにあり続けようとする。こうして海が膨れるような感じになって、しかし陸はというと、固体でもあるから液体のような行動は取らず、地球の自転と同じ速度で、回転しようとする。海の水はそこに留まろうとし、陸地は回転する。すると、そこに摩擦のエネルギが生じて、どう考えても地球の回転速度にブレーキをかけるように、そのエネルギは使われる。そうゆうことになっていて、地球の一日というのは、少しずつだが遅くなっている、というのが定説のようである。
このまま地球の自転速度は遅くなるのか、そうなると少し弱る。だんだん一日が長くなる。どうしてくれる。しかし、これも気の長い話で、そう簡単にそれがすぐわかるようなことも起きなくて、先の先のことと考えていいみたいだ。この先せいぜい、一日が、1秒長くなったくらいで何かが変わるわけではない。それでも、変わるものがあれば、他に変わるものがあって、月と地球の距離がだんだんと長くなるともいわれている。これには理由がある。それから、地球の自転軸の回転というのも、月の引力が原因しているという。もっとも、最初から地球の自転軸が黄道面から傾いていたからそうなったわけで、黄道面と赤道面が一致していたら、こうゆうことはない、ということになりそうである。
こうゆうことをときどき思い出したように、書いている。
朝の光景。
日の出もゆっくりめになって、日が出て来るころに、植物の葉っぱが輝いたりする。
おやっという感じのものがある。そこまでは考えていないことも、ときに起こる。
晴れの朝で、冷却で露が朝日に輝く。休耕田も、そこに生えている雑草も輝くひとときである。