さっさと日が沈んでしまって、寂しさにも似たものがある。いくら暑いといってもそのときの時間は短い。こうでないといけなく、こんどは涼しいが、寒いくらいだね、などに変わるわけだが、まだその体験はないといっていい。山はまだ見えない。東に北アルプス、3000m級の高峰が見えるところであるが、その山々が、あるいは峰峰が見えるという時期には、なかなかならなくて、8月の感じを引きずっている。紅葉の声もまだ聞かない。TVでも、ラジオでもまだ紅葉の話題はさすがにないようだ。秋分ももう近いといっていいくらいだが。
いったいいつごろから、ときにではあるが、北アルプス、剱岳、立山連峰は見えるのか。見え始めるのか、見えやすくなるのか、これもなかなかむつかしい問題で、簡単にゆうと近寄れば近いほどよく見えるはずで、神通川、それから常願寺川を越した辺りからだと、かなりその見えやすさは違うはず。ぐっとよく見えるはずであって、その麓だと山が高過ぎて見えないということになるかも、という可能性もある。
富士山などもう頂上辺りは、冬山の状態にあるのではないかと思う。この山は、かなり遠くからでもよく見えて、例えば東海地方からでも、関東圏からも、特に冬の空気の澄んでいるときには、はっきりと上の方、頂上が見えた。これは、しかし太平洋側の条件であって、
日本海側だと、冬に雪が降るのが普通で、こうなると、たまの晴れ間に、それこそ冬の富士のように峰峰の雪がかなり神々しく光り輝くのである。この光景にもいくらかの差があって、いつが一番か、悩ましい。しかしそうゆう日はやはり少ない。ただ、この時期だと寒さに震えるときではあるが、開き直っているから、この神々しい景色を見て、特に感傷的になることはないのである。寒い、あー今日は山がきれいだ、この先春が訪れるのはまだまだ先だ。この寒さに耐えなければいけない。ある種の「明るさ」があるように思えてくる。
寒いときと暑いときには、なんだか涙も乾いてしまうものだが、秋にはこれまた不思議なもので、物寂しさや、表現できない悲しみみたいなものが、もっというと気色の悪さもあって、秋の過ごし方も、人それぞれである。今思うのは、過ごしやすさではなくて、変化の激しさが、人をある場合は楽天家に、ある場合は悲観主義者にしてしまう。この間を揺れているともいえそうな気がする。
さっさと、ベニシジミチョウのほうへいかないといけない。
夏でも秋でも、小さいからか、シジミチョウはいる。このチョウもかなりせわしなく飛んでいる。でも、そのチョウも疲れるときやお腹をすかせているときがある。シジミチョウが、今考えると一番接しやすいチョウかも知れない。
チョウは舞うが、花に止まってクルクル回ることもある。
小さなチョウには、小さな花がちゃんとある。そこに止まって蜜を探している。翅の状態から老化の始まったチョウであることが予想される。
よくある、花の上での回転が始まった。うまく蜜を探せないだろうか。
翅の表側、裏側の色具合と状態に注目している。うまく回ってくれるが、なかなか翅を開いてくれない。
ほぼ一回転して、こんにちはである。ストローは丸くなったまま。
一回、他に移動して
飛び上がった。さすがにこのタイミングは読めない。でも、こうゆうファイルは初めてのような気がして、なんだかありがたい気持ちも倍増した。
いったいいつごろから、ときにではあるが、北アルプス、剱岳、立山連峰は見えるのか。見え始めるのか、見えやすくなるのか、これもなかなかむつかしい問題で、簡単にゆうと近寄れば近いほどよく見えるはずで、神通川、それから常願寺川を越した辺りからだと、かなりその見えやすさは違うはず。ぐっとよく見えるはずであって、その麓だと山が高過ぎて見えないということになるかも、という可能性もある。
富士山などもう頂上辺りは、冬山の状態にあるのではないかと思う。この山は、かなり遠くからでもよく見えて、例えば東海地方からでも、関東圏からも、特に冬の空気の澄んでいるときには、はっきりと上の方、頂上が見えた。これは、しかし太平洋側の条件であって、
日本海側だと、冬に雪が降るのが普通で、こうなると、たまの晴れ間に、それこそ冬の富士のように峰峰の雪がかなり神々しく光り輝くのである。この光景にもいくらかの差があって、いつが一番か、悩ましい。しかしそうゆう日はやはり少ない。ただ、この時期だと寒さに震えるときではあるが、開き直っているから、この神々しい景色を見て、特に感傷的になることはないのである。寒い、あー今日は山がきれいだ、この先春が訪れるのはまだまだ先だ。この寒さに耐えなければいけない。ある種の「明るさ」があるように思えてくる。
寒いときと暑いときには、なんだか涙も乾いてしまうものだが、秋にはこれまた不思議なもので、物寂しさや、表現できない悲しみみたいなものが、もっというと気色の悪さもあって、秋の過ごし方も、人それぞれである。今思うのは、過ごしやすさではなくて、変化の激しさが、人をある場合は楽天家に、ある場合は悲観主義者にしてしまう。この間を揺れているともいえそうな気がする。
さっさと、ベニシジミチョウのほうへいかないといけない。
夏でも秋でも、小さいからか、シジミチョウはいる。このチョウもかなりせわしなく飛んでいる。でも、そのチョウも疲れるときやお腹をすかせているときがある。シジミチョウが、今考えると一番接しやすいチョウかも知れない。
チョウは舞うが、花に止まってクルクル回ることもある。
小さなチョウには、小さな花がちゃんとある。そこに止まって蜜を探している。翅の状態から老化の始まったチョウであることが予想される。
よくある、花の上での回転が始まった。うまく蜜を探せないだろうか。
翅の表側、裏側の色具合と状態に注目している。うまく回ってくれるが、なかなか翅を開いてくれない。
ほぼ一回転して、こんにちはである。ストローは丸くなったまま。
一回、他に移動して
飛び上がった。さすがにこのタイミングは読めない。でも、こうゆうファイルは初めてのような気がして、なんだかありがたい気持ちも倍増した。