光年・千年

纏わりつくが、纏まらないおはなし、日記ふう。

ベニシジミチョウ

2008-09-13 18:51:39 | 散策
  さっさと日が沈んでしまって、寂しさにも似たものがある。いくら暑いといってもそのときの時間は短い。こうでないといけなく、こんどは涼しいが、寒いくらいだね、などに変わるわけだが、まだその体験はないといっていい。山はまだ見えない。東に北アルプス、3000m級の高峰が見えるところであるが、その山々が、あるいは峰峰が見えるという時期には、なかなかならなくて、8月の感じを引きずっている。紅葉の声もまだ聞かない。TVでも、ラジオでもまだ紅葉の話題はさすがにないようだ。秋分ももう近いといっていいくらいだが。

  いったいいつごろから、ときにではあるが、北アルプス、剱岳、立山連峰は見えるのか。見え始めるのか、見えやすくなるのか、これもなかなかむつかしい問題で、簡単にゆうと近寄れば近いほどよく見えるはずで、神通川、それから常願寺川を越した辺りからだと、かなりその見えやすさは違うはず。ぐっとよく見えるはずであって、その麓だと山が高過ぎて見えないということになるかも、という可能性もある。

  富士山などもう頂上辺りは、冬山の状態にあるのではないかと思う。この山は、かなり遠くからでもよく見えて、例えば東海地方からでも、関東圏からも、特に冬の空気の澄んでいるときには、はっきりと上の方、頂上が見えた。これは、しかし太平洋側の条件であって、

  日本海側だと、冬に雪が降るのが普通で、こうなると、たまの晴れ間に、それこそ冬の富士のように峰峰の雪がかなり神々しく光り輝くのである。この光景にもいくらかの差があって、いつが一番か、悩ましい。しかしそうゆう日はやはり少ない。ただ、この時期だと寒さに震えるときではあるが、開き直っているから、この神々しい景色を見て、特に感傷的になることはないのである。寒い、あー今日は山がきれいだ、この先春が訪れるのはまだまだ先だ。この寒さに耐えなければいけない。ある種の「明るさ」があるように思えてくる。
  寒いときと暑いときには、なんだか涙も乾いてしまうものだが、秋にはこれまた不思議なもので、物寂しさや、表現できない悲しみみたいなものが、もっというと気色の悪さもあって、秋の過ごし方も、人それぞれである。今思うのは、過ごしやすさではなくて、変化の激しさが、人をある場合は楽天家に、ある場合は悲観主義者にしてしまう。この間を揺れているともいえそうな気がする。

  さっさと、ベニシジミチョウのほうへいかないといけない。
  夏でも秋でも、小さいからか、シジミチョウはいる。このチョウもかなりせわしなく飛んでいる。でも、そのチョウも疲れるときやお腹をすかせているときがある。シジミチョウが、今考えると一番接しやすいチョウかも知れない。
  チョウは舞うが、花に止まってクルクル回ることもある。




  小さなチョウには、小さな花がちゃんとある。そこに止まって蜜を探している。翅の状態から老化の始まったチョウであることが予想される。




  よくある、花の上での回転が始まった。うまく蜜を探せないだろうか。




  翅の表側、裏側の色具合と状態に注目している。うまく回ってくれるが、なかなか翅を開いてくれない。




  ほぼ一回転して、こんにちはである。ストローは丸くなったまま。

  一回、他に移動して




  飛び上がった。さすがにこのタイミングは読めない。でも、こうゆうファイルは初めてのような気がして、なんだかありがたい気持ちも倍増した。

花で秋の気配少々

2008-09-13 16:18:42 | 植物・花(秋)
  午後はもう少し強い雨になる。そうゆう予報だけど
  全然降っていない。真夏の暑さに近い、乾いた暑い空気。
  台風13号も関係しているのか。

  コスモスの畑が道からチラッと見える。まだ緑で、ところどころ
  赤や桃色が見えそうで、数はどうみても少ない。
  しかし行ってみることに、何でもそこまで行ってみて
  確かめないと。

  それで、暑いから、傘も差し、水も衣服に含ませて
  まったくの真夏の格好で出かける。
  コスモスは花はまだまだ少ないが、秋らしい花、植物がある。




  先にハナトラノオをあげないといけない。この花は初夏から咲いていて、
  これくらい、たくさんの虫を呼び寄せる花もないと思う。他にもいくつか
  チョウなどの好きそうな花があるが、それが少ない。
  ハナトラノオは、最近の新聞にも見ごろとして、出ていた。
  ずいぶんと長く咲いている花。




  最初考えていたところではないが、少しだけ風に揺れるコスモスの花が
  咲いていた。他にもケイトウやら、その他の草が咲いていて賑やか。

  少し歩いた。ケイトウの咲いている道。




  この菊の花の色と形を見て、一遍に秋だと思った。
  コスモスやら、ケイトウやらよりも、この花は秋を強く意識させる。
  イネの刈り入れも、始まっていた。

出来事のいろいろ

2008-09-13 06:58:40 | 散策
  朝のお天気とタイトルに書いて、これもありと思うが毎日朝のお天気になってしまう。そのお天気が晴れではなく、小雨。雨を降らす雲ではなさそうだが、小雨がときにポツリ。風はない。アメダスの6時の気温、22.0℃、気圧は1013.2hPa。室温24℃、ほどほど。

  いやなというか、感じ悪い夢を見ていて、目覚ましで起きた。最近の方は、なんだか山小屋にいて、しかし立派な建物だが自分だけご飯がやって来ないというもの。少し遡ると、絵の具のようなものを食べている、これは気色よくないものである。絵の具を食べているような夢というのも、想像できないが、中身はほぼ平坦でしかし観賞の後の感想はというと、絵の具を食べさせられたいやな感じである。
  目覚ましのピピピピという音で目が覚め、夢も終わった。今日になって、まだ暗いがそういえば、目覚ましの針が、反対に遅い時刻に合わせてあってこれはまずいと気が付いた。それを希望時間に合わせなおし、さらによく見るとこれでは電子音がしないこともわかった。ただの時計。スイッチを入れた。これをやってよかったが、スイッチを忘れるとはどうしたこと。

  ヨダレではなく、のどの下の辺りに少し汗をかきながら、はっと目が覚めた。またうたた寝をしていた。昼寝の30分はいいだろうが、夜のうたた寝はいただけない。何が何やら一瞬わからないし、起きるとクラクラもする。そんなに疲れている気もしないが、そうなのだろう。

  なかなか人と人の意思は通じないものである。大切だなと思われる手紙や書類が来る。自分のところに来るものにはどってことの無いものが多い。いらないというものある。偽の情報が載ったあるものを買えというそうゆう葉書きも来る。そんな信ぴょう性のないものを載せているものを誰が買うか、憤るが、世の中はこんなものだ。
  それで、大切な書類の方だが、使われることのない食器の置いてあるその棚に入れているが、それがどんどん横に伸びる。これも残さないとというものが、私以外に多いのである。それで、その棚の扉は、棚の面に平行に動くタイプで、ガラスで出来ていて、閉まっていると開ける。それは出来るが、しかしガラス戸を閉じるということをよく忘れる。そこの中で探し物という時間も多い。
  これを見つけて、「何で開けてある。誰が開けたのか、ちゃんと閉めなさい、」ごもっともな指摘が宙を舞う。もうこうゆう注意は何度受けたか、閉まっているところは閉めておけ、大きなドアを閉めるとき、立て付けが悪くときに金属音がするが、自分では不思議と何とも思わないが、かなり遠いところから「どこにそんな力があり余っているのだろうね」と来る。さすがにこれはしばらくするとおさまるが、棚の扉についてはかなりしつこい。人によってそれぞれだから仕方ないが。

  今日もぼやきの一日、しかし雨だから少しはシンミリしてもいいのかも。