光年・千年

纏わりつくが、纏まらないおはなし、日記ふう。

水ボトルの容量

2008-09-29 18:44:47 | 散策
  9月も終わりで、10月がそこに来ている。郵便配達の方のやって来る気配があって、そのことは忘れた。テーブルの上に、購入しているPR誌二誌が、置いてあってこれは早いと思った。もう年末モードに入っているかのようで、私は慌ててはいけない、と思う。逃げることもなく、逃げられることでもない。構えていればいい、そう思うが小心ゆえどうもビビッている。ビリビリ揺れることもある。
  地震かと思うような揺れを自分だけが感じる。これは今に始まったことではなく、もっというと昔のときのほうがひどかったかも知れない。それくらい何かがあると、ビリビリ、あるいはユラユラしていた。今は、その頻度がまた少し増している。

  バッグに水というのは、もう夏だけではなく年がら年中で、それでもあまり気にしなかった。でも、水もいざ水があればというときにないものである。そうゆうものはたくさんありそうだが、今は水が気にかかる。水の値段もピンからキリまであって、水道だと、ピンと間違えそうだが、キリのようだ。これを間違えて使いそうになる。しかし何が一番いいか、やっぱりいざというときは、水道水あるいは水であって、お茶でもないし、また電解質、イオン、無機質、無機塩類、言いかたは色々だが、そうゆうものが入っているものが売られているが、さほど安いとはいえず、やはり水が一番のようである。
  水はかなりたくさん飲むほうで、またときにラジオを聴いていると、ペットボトル1リットルを一日に飲んでいる、とかいわれたアナウンサがいたと思うが、これはかなり職業的な事柄もあってさすがに、1リットルの水を、水道水を入れた、もとは商品だった、その入れ物を持ち歩く気はないし、また必要性もないと思う。

  今は350mlのものを使っている。緊張するときがある。こうゆうときはのどが乾く。あーここに水があれば、と思う。さっと取り出して、ごくりと飲む水、これはおいしいし、緊張感も和らぐ。やけにのどが渇くもう一つの理由は暑さだが、自然の暑さというものは、彼岸を境にはっきりするようで、たしかに彼岸を過ぎて、暑いという感じはない。多少はあっても、汗は蒸発している。それでも、
  のどは乾く。緊張すると、トイレにもいきたくなるが、また水も飲みたくなるもので、これは年がら年中付きまとうものに思えて来る。それでも、まだ、350mlの水入りのボトルが空になったということはないが、帰って来て一気に飲み干すことがあって、これは350mlでは少なくないか、とも思えて来た。500mlのものがいりそうだ。

  新幹線が、何と都の真ん中で止まった。かなりたってこのニュースを知ったが、最初はちょっとしたことと思われていた人も、待つ時間が刻々長くなると、イライラもし、また緊張もし、そしてトイレに、これはもういいか。このニュースを聴いて見て、新幹線なら、知っているところで、東京・名古屋間は2時間で行ってしまう。その時間を止まっている新幹線の中で待っていた方にとって、それはその2倍とか3倍くらいの長さに思われたのではないか。自分がそうゆうところにいたとしたら、どんな思いをしたことか、小さな不満がかなり大きくなっていたに違いない。

  それで、これはそのケースに当てはまるかどうかわからないが、水の一杯も飲みたいと思って、しかしそれがないとイライラ、不満もさらに増幅したに違いない。持っているだけで安心という場合もあるが、こうゆうときは、水も飲んで、また本でも読めるくらいの余裕があればなー、なかなかそうゆうことに遭遇しない私は思う。たかが水だけど。

  それで、今は350mlだが、さて500mlにするかどうか、空きのペットボトルがあるかどうか、やはり出かけるときのバッグの中は500mlの水があると安心。350mlだと少し心細い。
  朝からどれだけ水を飲んだか考えてみる。考えるというより思い出してみる。1リットルは軽い、朝だけでそのくらい飲むかも、一日だと、2.5リットルくらいかな。一々、メスシリンダで測るわけにもいかない。しかしそのくらいの水は飲んでいそうだ。水は大切で、まだ大事に扱わないといけなく、またこれほどありがたいものはなく、粗末に出来ない。自分によく言い聞かせないと!!!。


  色付きの秋。新鮮味はない。



  花に接近するアブ。まったくぴたりと空中停止。色がちょっと浅め。




  桃色、とモンシロチョウ。この花に蜜はなかったようだ。




  ツマグロヒョウモンは回数が増えた。秋の色の代表。決定打がない。




  ホタルガ。触角は、あるものは櫛のように分離して見えるが、これではそれがなかった?。

冠雪した、剱岳

2008-09-29 16:15:06 | 散策
  朝もさえない天気だが、今もどんよりしたお天気。

  途中少雨。台風の影響もあるのかな、など考える。
  しかしその雨も一旦上がった。
  田園地帯の田んぼも稲刈りを終えてひっそりしている。
  ナシの木を見ても、ある種のものは実もなくなって、あとは
  晩生のものが、しかしまだあるそうだ。
  そういえばまだ白い袋がかぶせてある、ナシ畑があった。
  ブドウではないはず。
  
  涼しいのと、雨もあるのか、
  きのうは飛んでいたチョウも今日は姿が見えない。
  ひっそり、どこかにいるのだろう。

  剱岳の初冠雪が観測された。
  いつもの、剱岳遠望。




  雲の上に出ている、剱岳。目で見ていると、あまり感激もないが、
  ファイルで見てみると、白い雲が剱岳を引き立てている。




  太陽が西の空に移動すると、剱岳の表面がわかるようになる。
  岩肌に雪。双眼鏡で見ると迫力がある。




  ガスか雲が、尾根辺りに巻き付いているようである。



  
  中央奥が、立山といわれる辺り。左が、奥大日岳、右が大日岳と思われる。

薄墨色

2008-09-29 06:51:03 | 散策
  朝のお天気、雨にはなっていない。曇りのまま。風はあまり感じないが、隣の街の工場の煙突、の白い煙は北に向かっている。アメダスの6時の気温、14.4℃、気圧は1020.2hPa。室温、18℃。着替えるときは寒い。

  曇り空で、まだ泣いてはいない。泣き出しそうな空があるが、遠く東に見える、北アルプス、剱岳、立山連峰は薄く黒く色付いて、その上のさらに薄い雲の色とは違う。こんな天気でも、高峰の山々が見える季節になった。空気がきれいと言いたいところ。
 
  いつものように、外に出る。しかしあまり上を眺めることはない。引っくり返りそうな気もするが、もともと体を伸ばして、という発想がない。かなり涼しいから猫背もさらにひどくなっている。しかし忘れたころに天上を見る。あー自分は小さいと思う。それから、ずいぶんとちっちゃな世界に閉じこもっていることもわかるような気がする。もっとも、その先に見えた白い、下弦を過ぎた月もかなり小さい。小さく見えて、これは遠いところにあるとは露考えない。

  地図を見る楽しみがあるが、せいぜい高校のときに使ったというものとあまり変わらないものを使っている。古びていて、国の名前も今は違ってという、そうゆうものである。これもいい、古地図ももっといいが、新しいものを購入した。これは、山だの川だのは書かれているが、その他、地面の高さなどは、標高線だった、まったく書かれていない、市内図、それから道路地図が大部分で、そういえば今頃このことに気が付いた。
  地図というのは、大体が、ここが知りたいと思うところがちょうど拡大版からずれていたりする。面白くない。事件が起こる、そこはどこだ、と地図を見る。これは、推理小説だが、地名は本物が登場する。そこはどこだというとき、地図はなかなか役に立たない。

  新しい地図で、最近通ったところを確認する。かなり大きな(小さいの間違いか)縮尺になると、実際の詳細度はそれに反比例するが、いろいろ情報が書いてある。ここから眺める山々は美しい。ここの産物はナーニナニ。なーるほどね。知らないね、知らないことが、実にたくさんある。なんだか物知りになった気がする。しかし、総じて地図から読み取れるものは薄墨色だな、とか、かってにくっ付けた。
  道は歩いて見ないといけない。そういえばこれを忘れた、つまり自分の住んでるところ、これに関しては、これまで購入した古い物よりもダメで、なんにもわからない。