光年・千年

纏わりつくが、纏まらないおはなし、日記ふう。

上弦の月と

2008-09-08 18:52:46 | 散策
  日の入りまぢかの太陽が少し膨らんで見えている。下の方が少し膨らんで、達磨さんみたいである。それで、今日は午後からは間違いなく青空で、月が南の低い位置に見えていて、色は白い。風が少しあって、その風はまだぬるい。
 
  一週間ぶりに父の顔を見にゆく。この行事ももう慣れたが、しかし何かよくなるものはもうない。何度もお別れもして、もう彼は私の頭のある部分では過去の人になっている。一方もう一人の父は、ずっと若かったり、あるいはほどほどの年齢であったりして、その間はかなり長い。その中に大体の父がいて、それはたぶん父の命と関係なく、存在する。人の頭の中で、大体の人は生きていて、父にしろその体を触ったりということは、まずはない。最近になって、肩がこっているだろう、血の巡りも悪かろうと、背中をたたいた。それで、痛いという言葉に対して、こうやって肩たたいてくれる人は他にはいないだろ、など言いながら、それでもまた肩をたたいた。また痛いという。こうゆう繰り返しがある。

  病院にいっても特にやることはない。ときどき病室が変わる。今は少し広いところ。ここに真っ直ぐにゆく。入る前に、殺菌作用のある液体を手のひらに塗る。母にもその液体を、シャンプと同じように頭を押して、手のひらの上に乗せる。それをモジャモジャしていると、そのうちに液体は飛んでゆく。これは特に看護師さんには強制はされない。看護師さんがそれをされているのも見て、真似た。病室を出たり入ったりする。そのたびに、その殺菌消毒のための液体を塗る。この匂いが、この病院の匂いのようである。

  滅多なことで、父の寝巻き姿、病室衣姿を見ることはない。わかってはいるが、もうかなりやせているはずで、それは入院後、もう一ヶ月がたった時点でわかった。点滴、輸液の量は見ているとわかる。それからどのくらいの量が体内に入っているか、これも機械でコントロールしている。だから、ぶら下がっている輸液全体の量と、時間当りの量がわかれば、24時間でどのくらいのエネルギが供給されているか、わかってしまう。
  しかし、こうゆうものをどのようにコントロールするか、それはお医者さんの仕事である。
  
  部屋に入る。父は眠っている思ったが、眼を開けていたようだ。少し熱がある。手で分かる。それから、首筋に手を当てて、脈を探し、時計を見つつ脈拍数を測ってみた。大体80ぐらい。少し多い。呼吸はさほど苦しそうではない。
  今日は、珍しく、もう帰るというときであったが、看護師の方が、かけているタオルケットをすべてはずして、それから体温や、血圧を測るという場面になった。大体が、タオルケットは上半分は折りたたんでという場合が多いようだ。下側は見えないようにしている。もっというとこうゆうときに、自分がそばにいることもなかなかないものである。それで、この目で、まずは父の膝から下、膝の部分も含めた下側を見たが予想以上にやせているようで、見ようによっては骨と皮と、少しの脂肪があるだけで、まったくにやせ細っていた。想像通りのものがあって、でも今になって特に何かがあるかというと、ないのである。「月夜のカニ」。
  さらにこんどは血圧を測るというとき、手のひじから下は何度も見ていた。しわのよった細い腕があって、これでは点滴用の針もその細い血管には入りそうになかった。血圧測定には、ひじより上のところに、圧測定装置を付ける。そのひじから上も、細々としていて、測定用の布地も余りがあるような感じだった。それでも、彼は生きていて、それから熱があった。37℃。平熱は、35℃台の後半か36℃。しかしこれも特に問題にはならない。

  一週間前にいったときは、目の回りがしわだらけだった。それがなくなっていた。それだけでもまーよかったと思う。もう帰る、というとき、特に何も思わなかった。消毒用の液体を自分の手のひらに、母の手のひらにかけ、モミモミして、ナースステーションで挨拶をした。

  赤いサボテンの花が夕日で咲いていて、そこにいったら予想をすることも出来なかったが、いやというほと蚊に、たぶん藪蚊だ、刺された。この痒いこと。まったくこの蚊だけは許せない。


  咲く花。




  何度も咲く花の代表の、ノウゼンカズラ。ゆらゆら風に揺れる。




  サルスベリ。実に複雑な花。漢字といい、カタカナといい、あまり関係ないイメージがある。この花も、そこにもあればここにもある、そうゆう風なものに思える。




  百日紅だと、なるほど最後の紅の文字から、関連がありそうだ。今気が付いた。

白花とイネ

2008-09-08 16:24:37 | 植物・花(秋)
  今日が初冬くらいだったら、このお天気は歓迎された。
  秋晴れ、風もあってほどほどに涼しいが
  これは室内でじっとしているときの話し。

  かなり青い空。白い薄い雲がカーテンのようにサーと流れている。
  日が当たるとこれが暑いの一言。
  外に出ればまったくの夏。重い荷物をふうふう言いながら持つ。
  何度も右と左を持ち変える。
  このところ、右手の筋が少し痛い。ちょっと重いものを持つと翌日
  腱鞘炎のようになる。左の方は直ったがこんどは右手。たかが
  食料品で、こんなになるかな。


  一回出ました、白い花。



  何箇所かで、この花は咲いている。するとまたあるところで、
  この花が白い花を付ける。非常に目立つ。だからよくわかる。
  またあった。そんな感じだ。




  もっとまわりをぼかせばよかったかも知れない。でも、なかなか勇気がいる。
  慣れないことが多い。


  イネの実、お米。これを食べるスズメの軍団があるところにいて
  よくはないのだろうが、スズメが現われることが珍しく思える。




  玄米か、それ以前の籾を取らない状態でか忘れたが、どちらかで保存して、
  食べるときに精米してもらう、そうゆう話しを聞いた。
  でも、私は、もう古米かも知れない今のお米でも十分においしいと感じる。
  食べすぎの方が問題になる。 

生ぬるい風

2008-09-08 06:42:59 | 散策
  朝のお天気、曇りから晴れに。雲っていたのか、そんなに気温は下がっていない。雨はなく、曇り空。外に出ると生ぬるい風がある。アメダスの6時の気温23.6℃、気圧は1014.0hPa。室温24℃、ほどほどである。
  アメダスの気温を見ていると、2時に24.3℃とあってそれから少しずつ気温は下がっている。お天気情報、TVの、を見ていた。大陸の高気圧の接近があって、これは乾いた涼しい高気圧のようで、よかった。日が出ると、気温も上がる。北風か、太陽か、という話し。

  朝の風は生ぬるい。さほど気色の悪いものではない。ないよりはあった方がよく今はその風で、笹が揺れている。セミの鳴き声は、そういえば気にもならなかったが、しないか少なめである。
  一時、アカトンボの数も増えた。お天気がよく、かつ暑いとアカトンボは増えるようである。このトンボは、なにかとんがっているようなものが好きのようで、杭の先とかに止まる写真を見る。上昇気流があると、どこまでも上に飛んでいきそうだが、限度があるだろう。どこから来て、どこにゆくのか、これも興味のあるもので、マーカでも付けてその移動を調べる人もいるのだろう。
  オニヤンマ、ギンヤンマはかなり上のほうを飛ぶ。つい最近その様子を見たばかりで、低いところを飛ぶのは餌を探すときくらいなのか。このトンボに小型のTVカメラを取り付けて、そこから見える地上というか風景というものも見てみたい。誰か、やってくれないかなー。人がトンボになる。

  アカトンボは、これはオレンジ色でさらにくすんでいて、それが一匹いて飛んでいたが、ついにはイネの下の方にわからないように止まった。書いていることに矛盾は付きものだが、イネの下側が好きなアカトンボもいる。さらに、同じように、雑草の下側に止まるものをそういえば見ていた。
  イネの方に戻ると、珍しくミニを持っていたから、そっと近付いた。それで、早めにボタンを押して、ゆっくり合焦し一回だけそのものの映像が残った。もう少し、近付くともういなかった。一瞬の出来事でおしまい。トンボの気持ちをよめなかった。

  ムシムシしている。早く乾いた、少し冷たい空気がやって来ないか。タイトルは、アカトンボはどこから来るか、ぐらいがよかったようだ。