冗談のような話しだが、私にも本屋さんを色々と巡るころがあった。
東京駅の八重洲口に大きな本屋さんが出来た。そうゆう時期があったが、そのときがいつのことか忘れた。それから、その本屋さんに帰省の帰りにいったとか、わざわざその本屋さんに行くために高速バスに揺られたというようなことも聞いたことがあった。そのときに住んでいたところだと、高速バスで、3時間か、新幹線はもうあって、それだと1時間半くらいで行けたようだ。
新幹線は、あるところからだと、東京駅に向かうときにゆっくりになるときがあって、これでは新幹線ではないなど思うこともあったが、今考えるとそれくらいが一番よく、目にも止まらぬ最新型の車両だと、たぶん乗ろうという気にならないかも知れない。それに乗るには、ある決まった駅にゆかないといけないようだが、乗ったと思って、それで少し昼寝でもと考えるともう降りる駅というわけで、落ち着かないと思う。また、あまりに高速な場合だと、遠くの景色の眺望にはよさそうだが、近いと早すぎる気がする。昔の、ゆっくりめの「こだま」の走りが懐かしい。
それで、その後特に新幹線に乗らなくても、八重洲口の本屋さんとか、その他、御茶ノ水界隈、神田神保町辺りにもゆくことが出来るようになった。その当時あまり本には感心はなかったはずである。しかし、まずは三省堂に向かった。そのはずで、しかし、御茶ノ水駅からその三省堂までの道は意外と長くさらに力はあまり入らなかった。なぜこうゆうことになるか、どうも寝すぎて、それから出かけたものだからそうなったようだ。
本屋さんに入ると、いつのまにか眩暈のような、あるいは威圧感を感じるようになって、あまりいい感じがしなくなったが、その当時はまだそこまではいってなかった。それよりも問題なのは、まずは大きな本屋さんに行ってもそのありがたみが、まずはわからない。そうゆうところに見学に行く意味はある。あるかも知れない。しかしそこにはあまりに本の数が多すぎて、自分の興味のある範囲が少なすぎた。世間のことを知らないと本のことにも疎くなるようで、そもそも今思うとそんな大きな本屋さんにゆく必要はなかったようだ。ただ、本はたくさんあるもので、こん大きなビルでも、すべての本は置かれていないものだ、と思ったのは本当のようだった。
本が一気に値上がりした時期というのがある。オイルショックだの、空中外交だの、なんだかわけのわからない時期があった。名前が変わる国も現われたときでもある。この点、日本語は便利だと思った。今までは何個目の漢字を採用するが、この後はもう一つ後の文字を使う。そうゆう感じで、国の名前も変わったのである。
本の値段がどの程度であるといいかというのはむつかしい問題で、やっぱり出版社も採算がとれないといくらいい本だとわかっていても出す気にならないものである。他で儲けが出て、それではこれがあるから、この本を出してみようというのはわかりやすいが、そうもいかないのだろう。
それより、例えばこれまで全集で、一冊千円程度で出ていたものが、一気に二千円になり、それが三千円になるのは驚いた。例えば、一刷りのものは980円で出ていても、二刷りで2100円とかになって、これが同じところに並んでいる。ただし帯は、一刷りのものはもう擦り切れたりして、しかしやはり買うのは、安い方である。そのときは、今買っておいてよかったなど思うわけだが、結局は読まないままであったりする。その全集の続きというのが、出るわけだけど、かなり遅れて出たそのものは最初から三千円の値段が付いていて、いくらつんどくといっても、もう手の出ない値段であった。
これは本屋さん巡りと関係がなかった。本屋さん巡りは、半分は散歩であって本屋さん界隈の雰囲気を味わうものである。その後、もうそうゆうところとは縁がなくなったときに、こうゆう本を持っていれば、あるいはこうゆう本があったらということになる。これはうまいこと出来ているものだ。本が欲しいときに本屋さんはなく、本がたくさんある本屋さんに行けるときは、特にこれが欲しいというものはなかった。大体そうゆうもののようで、この辺は本屋さんも出版社も大変であろうなと思う。
本の値段もなかなかのものだが、実物を見ないでネット注文というのもこれもむつかしい感じがする、何度かやったが、これはよかったというものは、5回に1回くらいだろうか。この数は少ないが、こんどは本を置く場所がないという問題も必ずある。でも、それでもやはり本だ、最後の結論は決まっている。こうゆう振動はずっと続くだろう。
色々な色の花。
キバナコスモス。上手に咲く花も少なめである。
目立たないところ、に咲くもも色の花。雨に打たれてもよく、眠っていてもよさそう。
地味だけどチョウ。
セセリチョウの仲間。
きのうの、ツマグロヒョウモンのところで、チョウの翅の「表」か「裏」かというところで、勘違いをして、裏を表としてしまった。でも、結局このチョウがツマグロヒョウモンに一番近いというのは、翅の「表」側の様子によるようだ。また、翅の表側に黒い色が出るのは、オスではなくメスである。これも完全に間違えて表記してしまった。
秋の花の、フジバカマがもう咲いている。
これは蕾である。咲いているものの葉っぱが枯れていて、仕方なく蕾に。この花の長い時間が始まる。
東京駅の八重洲口に大きな本屋さんが出来た。そうゆう時期があったが、そのときがいつのことか忘れた。それから、その本屋さんに帰省の帰りにいったとか、わざわざその本屋さんに行くために高速バスに揺られたというようなことも聞いたことがあった。そのときに住んでいたところだと、高速バスで、3時間か、新幹線はもうあって、それだと1時間半くらいで行けたようだ。
新幹線は、あるところからだと、東京駅に向かうときにゆっくりになるときがあって、これでは新幹線ではないなど思うこともあったが、今考えるとそれくらいが一番よく、目にも止まらぬ最新型の車両だと、たぶん乗ろうという気にならないかも知れない。それに乗るには、ある決まった駅にゆかないといけないようだが、乗ったと思って、それで少し昼寝でもと考えるともう降りる駅というわけで、落ち着かないと思う。また、あまりに高速な場合だと、遠くの景色の眺望にはよさそうだが、近いと早すぎる気がする。昔の、ゆっくりめの「こだま」の走りが懐かしい。
それで、その後特に新幹線に乗らなくても、八重洲口の本屋さんとか、その他、御茶ノ水界隈、神田神保町辺りにもゆくことが出来るようになった。その当時あまり本には感心はなかったはずである。しかし、まずは三省堂に向かった。そのはずで、しかし、御茶ノ水駅からその三省堂までの道は意外と長くさらに力はあまり入らなかった。なぜこうゆうことになるか、どうも寝すぎて、それから出かけたものだからそうなったようだ。
本屋さんに入ると、いつのまにか眩暈のような、あるいは威圧感を感じるようになって、あまりいい感じがしなくなったが、その当時はまだそこまではいってなかった。それよりも問題なのは、まずは大きな本屋さんに行ってもそのありがたみが、まずはわからない。そうゆうところに見学に行く意味はある。あるかも知れない。しかしそこにはあまりに本の数が多すぎて、自分の興味のある範囲が少なすぎた。世間のことを知らないと本のことにも疎くなるようで、そもそも今思うとそんな大きな本屋さんにゆく必要はなかったようだ。ただ、本はたくさんあるもので、こん大きなビルでも、すべての本は置かれていないものだ、と思ったのは本当のようだった。
本が一気に値上がりした時期というのがある。オイルショックだの、空中外交だの、なんだかわけのわからない時期があった。名前が変わる国も現われたときでもある。この点、日本語は便利だと思った。今までは何個目の漢字を採用するが、この後はもう一つ後の文字を使う。そうゆう感じで、国の名前も変わったのである。
本の値段がどの程度であるといいかというのはむつかしい問題で、やっぱり出版社も採算がとれないといくらいい本だとわかっていても出す気にならないものである。他で儲けが出て、それではこれがあるから、この本を出してみようというのはわかりやすいが、そうもいかないのだろう。
それより、例えばこれまで全集で、一冊千円程度で出ていたものが、一気に二千円になり、それが三千円になるのは驚いた。例えば、一刷りのものは980円で出ていても、二刷りで2100円とかになって、これが同じところに並んでいる。ただし帯は、一刷りのものはもう擦り切れたりして、しかしやはり買うのは、安い方である。そのときは、今買っておいてよかったなど思うわけだが、結局は読まないままであったりする。その全集の続きというのが、出るわけだけど、かなり遅れて出たそのものは最初から三千円の値段が付いていて、いくらつんどくといっても、もう手の出ない値段であった。
これは本屋さん巡りと関係がなかった。本屋さん巡りは、半分は散歩であって本屋さん界隈の雰囲気を味わうものである。その後、もうそうゆうところとは縁がなくなったときに、こうゆう本を持っていれば、あるいはこうゆう本があったらということになる。これはうまいこと出来ているものだ。本が欲しいときに本屋さんはなく、本がたくさんある本屋さんに行けるときは、特にこれが欲しいというものはなかった。大体そうゆうもののようで、この辺は本屋さんも出版社も大変であろうなと思う。
本の値段もなかなかのものだが、実物を見ないでネット注文というのもこれもむつかしい感じがする、何度かやったが、これはよかったというものは、5回に1回くらいだろうか。この数は少ないが、こんどは本を置く場所がないという問題も必ずある。でも、それでもやはり本だ、最後の結論は決まっている。こうゆう振動はずっと続くだろう。
色々な色の花。
キバナコスモス。上手に咲く花も少なめである。
目立たないところ、に咲くもも色の花。雨に打たれてもよく、眠っていてもよさそう。
地味だけどチョウ。
セセリチョウの仲間。
きのうの、ツマグロヒョウモンのところで、チョウの翅の「表」か「裏」かというところで、勘違いをして、裏を表としてしまった。でも、結局このチョウがツマグロヒョウモンに一番近いというのは、翅の「表」側の様子によるようだ。また、翅の表側に黒い色が出るのは、オスではなくメスである。これも完全に間違えて表記してしまった。
秋の花の、フジバカマがもう咲いている。
これは蕾である。咲いているものの葉っぱが枯れていて、仕方なく蕾に。この花の長い時間が始まる。