太陽があっさりと西の県境辺りの山に沈んで、この後どのくらい明るさが残るか興味のあるところ。
秋だから食欲となるわけだが、かなりはっきり夏ぶとりの結果が残ったようで、うれしくはない。いつからこんなになったのだろう。結構な物価の値上がりで、同じものを買っても値段は上がっているし、しかも同じものでも、袋の中の量が減っていたりで、それなら多少はやせてもいいはずだがそうでもない。食っちゃ寝ということが、原因だろう。
あまり元気でもないのだが、食べ物を並べるときもかなりポカンとしているが、食べていると、これが増食効果を生み出すようで、パン一つ食べると普通はお腹は少しは膨らむはずだが、食欲は落ちない。まだ食べたい。もう一つくらいは、大丈夫だと思って、それでも、そんなにめちゃくちゃな食べ方はしなかったはずだが、太ったのは事実のようだ。これはいいのか悪いのか。
運動というか、そうゆうたぐいのものもやらなくなった、これも大きな原因だろう。体を動かしても大して熱量を使わないというのが定説であるが、それは正しいようだ。多少の運動は、食欲増進効果こそあるけれど、エネルギを大量に消費することにつながるかというと、そうでもない。例えば、30分くらい歩いたところで、ご飯一杯分のカロリを消費するかというと、どうだろうか。たぶん、ご飯半分くらいではないか。それでいい気になって、たしかにそうだ、この暑いのに今日は予定通り歩くことが出来た。これは目出度い。さっさと汗を流して、それで3時のお茶にかなりこってり甘い、そしてみた目にも涼しげな和菓子など食べようものなら、先ほどの使った熱量は帳消しどころか、こんどは摂り過ぎになる。こうなると、
体はハッスルする。もともと、エネルギを溜めるように人の体は調節されているいう。それまでの長い間の飢えとのたたかいにおいて、体は余分なものは蓄えるという戦略を獲得した。だから血中のグルコースの濃度が高まると、他の果糖でも、ショ糖でも同じようだが、これを貯蓄形態としての、糖のポリマに変える、変えようとする。このときにはもちろんエネルギがいる。それを使ってもまだあまりあるエネルギがあると見なされるし、実際にある。それでブドウ糖はグリコーゲンになり、あるものは、一旦は分解され、こんどは脂質となってこれまた組織に蓄えられる。
この脂質になると、こんどはなかなかこれが分解されにくく、多少の空腹では、グリコーゲンはブドウ糖になるが、脂質はどうもそうではなさそうで、それは本当かどうか疑うところもあるけれど、自分のお腹を見るとかなりふっくらしていて、やはり脂質はなかなか分解はされず、しかし一定以上糖の濃度が増えると、この脂質にすぐに変えられてしまって、またまたお腹を抱えないといけない状態になる。こうゆうことを、この夏に経験して、やっぱりお腹はまた少し大きく膨らみ、触ってみると、その厚さに驚くのである。
秋に鳴く虫の話しが、なぜこういったお腹の出っ張りの話しになるかというと、これにはあまり説得力はないが、秋は、まずはおいしいものがたくさん出る。さらに秋の虫の鳴き声は、なぜか切なく寂しげで、目を下に向けることは多い。そうすると、お腹が出ているのがわかる。秋鳴く虫は、お腹の出っ張りを教えてくれるのである。この虫の音色がどうだろうか。虫の鳴き声、さらにダンゴのような月、さらにはユラユラ揺れる、月の影になる、ススキを見ると、お腹がなく。すると、ある人はそれを愛でて一杯やることになる。
私は、遠の昔に決められたとき以外は飲まないことに決め、さらに宴会には出ないことも決めている。そんなことはどうでもいいが、秋の虫の鳴き声でダンゴもおいしかろうと思う。また収穫の秋にダンゴをお供えすると、夢にそれが出そうで、翌日また朝を迎える、朝はさほど食欲はない。それでも、太るのは間違いがない。終止が付かなくなった。
秋の草、秋の虫。
田んぼにもイネと混じってこのような草が生えていそうな気がする。なかなかいい色具合である。
ハムシといわれる昆虫がいるが、これは「甲虫」という仲間に属するもので、現実味はしかしないように思う。
暑いからか、直射日光を避けて、クロウリハムシがいる。この虫が食べているのは、たぶんキカラスウリの葉っぱである。
少し調節してわかりやすくしてみた。新鮮そのもののキカラスウリの葉を食べている。ちょっとだけだが、メタボが気になるそうゆう体型をしている。
秋だから食欲となるわけだが、かなりはっきり夏ぶとりの結果が残ったようで、うれしくはない。いつからこんなになったのだろう。結構な物価の値上がりで、同じものを買っても値段は上がっているし、しかも同じものでも、袋の中の量が減っていたりで、それなら多少はやせてもいいはずだがそうでもない。食っちゃ寝ということが、原因だろう。
あまり元気でもないのだが、食べ物を並べるときもかなりポカンとしているが、食べていると、これが増食効果を生み出すようで、パン一つ食べると普通はお腹は少しは膨らむはずだが、食欲は落ちない。まだ食べたい。もう一つくらいは、大丈夫だと思って、それでも、そんなにめちゃくちゃな食べ方はしなかったはずだが、太ったのは事実のようだ。これはいいのか悪いのか。
運動というか、そうゆうたぐいのものもやらなくなった、これも大きな原因だろう。体を動かしても大して熱量を使わないというのが定説であるが、それは正しいようだ。多少の運動は、食欲増進効果こそあるけれど、エネルギを大量に消費することにつながるかというと、そうでもない。例えば、30分くらい歩いたところで、ご飯一杯分のカロリを消費するかというと、どうだろうか。たぶん、ご飯半分くらいではないか。それでいい気になって、たしかにそうだ、この暑いのに今日は予定通り歩くことが出来た。これは目出度い。さっさと汗を流して、それで3時のお茶にかなりこってり甘い、そしてみた目にも涼しげな和菓子など食べようものなら、先ほどの使った熱量は帳消しどころか、こんどは摂り過ぎになる。こうなると、
体はハッスルする。もともと、エネルギを溜めるように人の体は調節されているいう。それまでの長い間の飢えとのたたかいにおいて、体は余分なものは蓄えるという戦略を獲得した。だから血中のグルコースの濃度が高まると、他の果糖でも、ショ糖でも同じようだが、これを貯蓄形態としての、糖のポリマに変える、変えようとする。このときにはもちろんエネルギがいる。それを使ってもまだあまりあるエネルギがあると見なされるし、実際にある。それでブドウ糖はグリコーゲンになり、あるものは、一旦は分解され、こんどは脂質となってこれまた組織に蓄えられる。
この脂質になると、こんどはなかなかこれが分解されにくく、多少の空腹では、グリコーゲンはブドウ糖になるが、脂質はどうもそうではなさそうで、それは本当かどうか疑うところもあるけれど、自分のお腹を見るとかなりふっくらしていて、やはり脂質はなかなか分解はされず、しかし一定以上糖の濃度が増えると、この脂質にすぐに変えられてしまって、またまたお腹を抱えないといけない状態になる。こうゆうことを、この夏に経験して、やっぱりお腹はまた少し大きく膨らみ、触ってみると、その厚さに驚くのである。
秋に鳴く虫の話しが、なぜこういったお腹の出っ張りの話しになるかというと、これにはあまり説得力はないが、秋は、まずはおいしいものがたくさん出る。さらに秋の虫の鳴き声は、なぜか切なく寂しげで、目を下に向けることは多い。そうすると、お腹が出ているのがわかる。秋鳴く虫は、お腹の出っ張りを教えてくれるのである。この虫の音色がどうだろうか。虫の鳴き声、さらにダンゴのような月、さらにはユラユラ揺れる、月の影になる、ススキを見ると、お腹がなく。すると、ある人はそれを愛でて一杯やることになる。
私は、遠の昔に決められたとき以外は飲まないことに決め、さらに宴会には出ないことも決めている。そんなことはどうでもいいが、秋の虫の鳴き声でダンゴもおいしかろうと思う。また収穫の秋にダンゴをお供えすると、夢にそれが出そうで、翌日また朝を迎える、朝はさほど食欲はない。それでも、太るのは間違いがない。終止が付かなくなった。
秋の草、秋の虫。
田んぼにもイネと混じってこのような草が生えていそうな気がする。なかなかいい色具合である。
ハムシといわれる昆虫がいるが、これは「甲虫」という仲間に属するもので、現実味はしかしないように思う。
暑いからか、直射日光を避けて、クロウリハムシがいる。この虫が食べているのは、たぶんキカラスウリの葉っぱである。
少し調節してわかりやすくしてみた。新鮮そのもののキカラスウリの葉を食べている。ちょっとだけだが、メタボが気になるそうゆう体型をしている。