いつのまにか、透明に近い空があって、白い雲が長く尾を引いているようで、面積のあるものは、勝って気ままなようで規則性のある曲面を描く。これなど人が真似をして出来るものではない。雲一つ見て、あまり気にもならないが、魅力的なものも数あるようだ。こんなものが出来るのが自然の不思議で、とてもじゃないが頭には浮ばない。
敬老の日と関係ないようだが、塗り絵の本がある。その前に、割と大きめの色鉛筆のセットがデーブルの上に置いてあった。これを見るだけでうれしくなる。文房具か、芸術かという二つのことがこんがらがるが、文房具を眺めているだけでいい気持ちにもなれる。一番いいのは使わないで、そのまま丁寧に袋にしまって、それで飾っておくことだが、大体が何かの下に隠れる。それで、見えなくなって、そのうち忘れ去られる。
水彩絵の具にもなる色鉛筆というのが、どうゆうわけか昔あった。それを全部使ってもうなくなったという気もしない。自分の持ち物でもなく、妙なものがある、妙であって、なるほどと感心もさせられた。それのこともずっと長い間忘れていたが、つい最近現われた、36色の色鉛筆を見て、このことを思い出した。
夕日ではないような、まぶしい夕日が西の空に傾く。透明な空があって、その色はかなり青く、望ましい色。白い、これも透明に近い雲が広くあって、筋のものも現われて、こうゆう空は久しぶりで滅多にないな、など思う。一方で、
色鉛筆のこともあって、それからなかなか面白そうな、あるいは美しい「塗り絵」というもの、本である、もあって、それを開いた。左が写真、右側に塗り絵の見本。唸ること久しぶり、どっちが本物かわからない。これは見当はずれで、写真は絵本で、絵本は写真に見えた。色鉛筆は12色のものを大事に持っている。わざわざ買ったのである。こんなものを買わないといけないことがあったが、12色で足りてよかった。今、36色の色鉛筆を見ると、色鉛筆の怖さというものはしない。しかし、12色のものを見るとちょっと怖い気もする。
それで塗り絵はもういいから、色鉛筆を出してみた。ビニルの袋に入っているが、もう誰かが使ったはず。気になる色を取り出して、その辺にある紙に色鉛筆で、線を引いた。色を変えて、丸にしたり、それからぐしゃぐしゃ塗ったりしたが、出来上がりはというと、やっぱり大したことはなく、これでは塗り絵をやらないといけない気がした。今月の23日は旗日だが、「勤労感謝の日だ」と大きな声でいったことが、思い出されて、今も恥ずかしく思われる。
秋のチョウというと、ツマグロヒョウモンだろう。このチョウはたくさんいる。それから同じタテハチョウの仲間である、アカタテハ、ヒメアカタテハがいるが、どうもツマグロヒョウモンこそ見るが、後者はなかなか見かけないし、結局はここにも登場しなくて、もう今年はダメかななど思ってもいた。
でも、やはりいるところにはいるもので、人の目のあまり届かないところに、そのチョウはいた。秋の色のチョウだが、光の加減もあって、少し明暗が変である。
二度も登場した、もっとかも、白い花に止まっていた。花は群生している。ここにチョウは止まらないと書いたようだが、それを取り消さないといけない。やはりこの白い花に、ヒメアカタテハ、たぶん、はいた。2、3の個体が止まっている。ときに、飛び上がる。
むつかしい位置にいて、一方で何かが気になるらしく落ち着いて蜜も吸えない。悪いことをしたものである。
比較のために、シジミチョウを入れてみる。このチョウはかなり小さかった。それから見たとおり、くたびれてもいるようである。
思うような方向に向いてくれない。これだけ見せてくれれば十分だが、この後も、かなりの数、ボタンを押した。かなり執拗にである。なんだか、何かに取り付かれているのかな。憑依。
敬老の日と関係ないようだが、塗り絵の本がある。その前に、割と大きめの色鉛筆のセットがデーブルの上に置いてあった。これを見るだけでうれしくなる。文房具か、芸術かという二つのことがこんがらがるが、文房具を眺めているだけでいい気持ちにもなれる。一番いいのは使わないで、そのまま丁寧に袋にしまって、それで飾っておくことだが、大体が何かの下に隠れる。それで、見えなくなって、そのうち忘れ去られる。
水彩絵の具にもなる色鉛筆というのが、どうゆうわけか昔あった。それを全部使ってもうなくなったという気もしない。自分の持ち物でもなく、妙なものがある、妙であって、なるほどと感心もさせられた。それのこともずっと長い間忘れていたが、つい最近現われた、36色の色鉛筆を見て、このことを思い出した。
夕日ではないような、まぶしい夕日が西の空に傾く。透明な空があって、その色はかなり青く、望ましい色。白い、これも透明に近い雲が広くあって、筋のものも現われて、こうゆう空は久しぶりで滅多にないな、など思う。一方で、
色鉛筆のこともあって、それからなかなか面白そうな、あるいは美しい「塗り絵」というもの、本である、もあって、それを開いた。左が写真、右側に塗り絵の見本。唸ること久しぶり、どっちが本物かわからない。これは見当はずれで、写真は絵本で、絵本は写真に見えた。色鉛筆は12色のものを大事に持っている。わざわざ買ったのである。こんなものを買わないといけないことがあったが、12色で足りてよかった。今、36色の色鉛筆を見ると、色鉛筆の怖さというものはしない。しかし、12色のものを見るとちょっと怖い気もする。
それで塗り絵はもういいから、色鉛筆を出してみた。ビニルの袋に入っているが、もう誰かが使ったはず。気になる色を取り出して、その辺にある紙に色鉛筆で、線を引いた。色を変えて、丸にしたり、それからぐしゃぐしゃ塗ったりしたが、出来上がりはというと、やっぱり大したことはなく、これでは塗り絵をやらないといけない気がした。今月の23日は旗日だが、「勤労感謝の日だ」と大きな声でいったことが、思い出されて、今も恥ずかしく思われる。
秋のチョウというと、ツマグロヒョウモンだろう。このチョウはたくさんいる。それから同じタテハチョウの仲間である、アカタテハ、ヒメアカタテハがいるが、どうもツマグロヒョウモンこそ見るが、後者はなかなか見かけないし、結局はここにも登場しなくて、もう今年はダメかななど思ってもいた。
でも、やはりいるところにはいるもので、人の目のあまり届かないところに、そのチョウはいた。秋の色のチョウだが、光の加減もあって、少し明暗が変である。
二度も登場した、もっとかも、白い花に止まっていた。花は群生している。ここにチョウは止まらないと書いたようだが、それを取り消さないといけない。やはりこの白い花に、ヒメアカタテハ、たぶん、はいた。2、3の個体が止まっている。ときに、飛び上がる。
むつかしい位置にいて、一方で何かが気になるらしく落ち着いて蜜も吸えない。悪いことをしたものである。
比較のために、シジミチョウを入れてみる。このチョウはかなり小さかった。それから見たとおり、くたびれてもいるようである。
思うような方向に向いてくれない。これだけ見せてくれれば十分だが、この後も、かなりの数、ボタンを押した。かなり執拗にである。なんだか、何かに取り付かれているのかな。憑依。