光年・千年

纏わりつくが、纏まらないおはなし、日記ふう。

夕暮れとヒメアカタテハ

2008-09-16 18:52:45 | 散策
  いつのまにか、透明に近い空があって、白い雲が長く尾を引いているようで、面積のあるものは、勝って気ままなようで規則性のある曲面を描く。これなど人が真似をして出来るものではない。雲一つ見て、あまり気にもならないが、魅力的なものも数あるようだ。こんなものが出来るのが自然の不思議で、とてもじゃないが頭には浮ばない。

  敬老の日と関係ないようだが、塗り絵の本がある。その前に、割と大きめの色鉛筆のセットがデーブルの上に置いてあった。これを見るだけでうれしくなる。文房具か、芸術かという二つのことがこんがらがるが、文房具を眺めているだけでいい気持ちにもなれる。一番いいのは使わないで、そのまま丁寧に袋にしまって、それで飾っておくことだが、大体が何かの下に隠れる。それで、見えなくなって、そのうち忘れ去られる。
  水彩絵の具にもなる色鉛筆というのが、どうゆうわけか昔あった。それを全部使ってもうなくなったという気もしない。自分の持ち物でもなく、妙なものがある、妙であって、なるほどと感心もさせられた。それのこともずっと長い間忘れていたが、つい最近現われた、36色の色鉛筆を見て、このことを思い出した。

  夕日ではないような、まぶしい夕日が西の空に傾く。透明な空があって、その色はかなり青く、望ましい色。白い、これも透明に近い雲が広くあって、筋のものも現われて、こうゆう空は久しぶりで滅多にないな、など思う。一方で、
  色鉛筆のこともあって、それからなかなか面白そうな、あるいは美しい「塗り絵」というもの、本である、もあって、それを開いた。左が写真、右側に塗り絵の見本。唸ること久しぶり、どっちが本物かわからない。これは見当はずれで、写真は絵本で、絵本は写真に見えた。色鉛筆は12色のものを大事に持っている。わざわざ買ったのである。こんなものを買わないといけないことがあったが、12色で足りてよかった。今、36色の色鉛筆を見ると、色鉛筆の怖さというものはしない。しかし、12色のものを見るとちょっと怖い気もする。

  それで塗り絵はもういいから、色鉛筆を出してみた。ビニルの袋に入っているが、もう誰かが使ったはず。気になる色を取り出して、その辺にある紙に色鉛筆で、線を引いた。色を変えて、丸にしたり、それからぐしゃぐしゃ塗ったりしたが、出来上がりはというと、やっぱり大したことはなく、これでは塗り絵をやらないといけない気がした。今月の23日は旗日だが、「勤労感謝の日だ」と大きな声でいったことが、思い出されて、今も恥ずかしく思われる。

  秋のチョウというと、ツマグロヒョウモンだろう。このチョウはたくさんいる。それから同じタテハチョウの仲間である、アカタテハ、ヒメアカタテハがいるが、どうもツマグロヒョウモンこそ見るが、後者はなかなか見かけないし、結局はここにも登場しなくて、もう今年はダメかななど思ってもいた。
  でも、やはりいるところにはいるもので、人の目のあまり届かないところに、そのチョウはいた。秋の色のチョウだが、光の加減もあって、少し明暗が変である。




  二度も登場した、もっとかも、白い花に止まっていた。花は群生している。ここにチョウは止まらないと書いたようだが、それを取り消さないといけない。やはりこの白い花に、ヒメアカタテハ、たぶん、はいた。2、3の個体が止まっている。ときに、飛び上がる。




  むつかしい位置にいて、一方で何かが気になるらしく落ち着いて蜜も吸えない。悪いことをしたものである。




  比較のために、シジミチョウを入れてみる。このチョウはかなり小さかった。それから見たとおり、くたびれてもいるようである。




  思うような方向に向いてくれない。これだけ見せてくれれば十分だが、この後も、かなりの数、ボタンを押した。かなり執拗にである。なんだか、何かに取り付かれているのかな。憑依。

コスモス畑のその後

2008-09-16 16:14:10 | 植物・花(秋)
  あるところのコスモスはかなりたくさん咲いている。
  そのそばを通り抜けるのは、心地いいものだが
  残念でもある。ただ、観賞するだけという気持ちだが
  なんだかジリジリする。お尻に火が付く感じ。

  今日は暑いというラジオのアナウンサさんの声、それから読まれる
  お便りも、今日は暑いですね、というのがあった。
  そのとおり、暑い。
  その暑いところ、ここに少し出かけて、暑さにも負けないように。
  今頃頑張っても遅いか。

  コスモス畑、濃い方と、ゆったりした方、の両方で
  コスモスはちらほら咲いている。




  チラホラよりは多いかな。風がすごく、当然に花は揺れる。





  逆光で、浮かび上がるように輝く、花の美しさ。
  右上はいらなかった。





  こちらは、茎というか葉の数から、コスモス畑。本格的である。
  ここで満開になったらさぞかし壮大な光景が広がるだろう。
  青い空に、少しの花だけど、秋の爽やかさがある。

朝はやっぱり晴れ

2008-09-16 06:52:34 | 散策
  朝のお天気、これはどうしたことかの晴れ。朝日がちょうど間横にあって、かなりまぶしい。雲も多いが、太陽の出る隙間がれば、その輝きは数段違う。風は今はない。アメダスの6時の気温、21.7℃、気圧は1010.5hPa。室温23℃、ほどほど。

  満月は見えなかったが、秋は本番で、稲刈りが始まって、一斉に始まるから、かなりうるさいときがある。それでも、その音は遠くに聞こえるようになる。歩いていて、稲刈りの後を見るが切り刻まれたイネの茎などはまだ青いところがある。籾は、なかなか目に入るわけではないが、それでもカラスが一羽降りて、このイネのタネを探していた。たぶん飲っこむだけで、味わうことはないのだろう。
  カラスが、ナシをついばむという話しが新聞に出て、それから耳で聞くこともあった。この場合カラスは、ナシの味がわかるのか。

  ヒガンバナというと、ここの新聞にもその写真が載るだろうけど、大体河の土手辺り、そこに群生しているものが出て、迫力がある。また田んぼの畝道にこれまた規則正しく並んで、道の片側に一斉に花を咲かせるようで、この迫力はなかなかのもの。小石川の植物園でも、今も同じようにヒガンバナは咲いているのだろう。入り口から少し坂道があるが、その左側の斜面に少し木の影にもなるが、そこにたくさんのヒガンバナが咲いていて、同時に大量の藪蚊もいたらしく、刺されて、なんだかヒバンバナを見に行ったのか、蚊に刺されにいったのかわからない、という思い出がある。
  秋の、奥武蔵、あるいはその東に位置する丘陵なり、それから田園地帯も歩いた記憶があるが、なかなかヒガンバナに会うこともなかったのが不思議といえば不思議だ。やはり、ヒガンバナのスポットがあって、彼岸前後にそこにいかなかったことが原因だろう。

  秋が加速しているようだが、書いているように今日も、朝は晴れ。暑くなりそう。蚊がいる。それから、ショウジョウバエもいる。こっちのハエは何もしないから、たたく必要はない。でも反射的にやってしまう。蚊の方はというと、圧倒的に刺されている方が多い。