日々 是 変化ナリ ~ DAYS OF STRUGGLE ~
このプラットフォーム上で思いついた企画を実行、仮説・検証を行う場。基本ロジック=整理・ソートすることで面白さが増大・拡大
 



 

 

 

「EDWARD HOPPER’S NY」~ その(17)~ です。

 

 

 

 

写真は、やはり彼の住居(ワシントンスクエア)から近くにあった場所。

 

・SHERIDAN THEATRE   1937

 

こちらは彼がよく通った 映画館。

 

住所 = 200-202 W. 12th Street, NY

 

 

 

こちらも、当時のNYではよくみるような光景ではあるが、 消えゆく運命にある光景。

映画館の美しいバルコニーが印象的。

 

 

その後mこの映画館は1969年に取り壊され、現在は三角形の公園に。

 

とはいえこの絵により、ある意味名前とともに永遠に残ることになった訳!

 

 

 

〜この企画の今後について〜

次に彼のハイライトの一つとも言える絵画を「深掘り」予定。

その後、彼の画風に変化が...

一方で明日は別ラインの企画予定のため、明日は一旦お休みとなります。

ご了承ください。

(本来は今日で終了の予定が、紹介したくなった絵が次々と... 笑)

 

 

 

~ その(18)~ に続く

 

~ その(1)~ からスタート



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「EDWARD HOPPER’S NY」~ その(16)~ です。

 

 

 

 

写真は、自らの住居(ワシントンスクエア)から描いた作品だが、こちらはモノクロ。

 

・TOWN SQARE(Washington Square and Judson Tower)   1932

 

 

前の絵では右半分をビルが占める構造だったが、こちらは...

 

NYCののトップフロアで撮影した写真に似ているなと感じたので捜索中(ではある)

 

 

 

~ その(17)~ に続く

 

~ その(1)~ からスタート



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「EDWARD HOPPER’S NY」~ その(15)~ です。

 

 

 

 

写真は、自らの住居(ワシントンスクエア)から描いた唯一の油絵、と言われる作品。

 

・CITY ROOFS   1932

 

 

前の絵ではブルックリン・ブリッジを消し去っていたが、こちらは右半分をビルが占める構造。

このビルは 1926-1927年に建てられたらしく、ホッパーの興味を引いたのだろうか。

 

煙突や屋根の形状が興味深い一枚。

 

 

 

 

~ その(16)~ に続く

 

~ その(1)~ からスタート



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「EDWARD HOPPER’S NY」~ その(14)~ です。

 

 

 

 

こちらは、先のフラットから一転して画角がまず目を引く一枚。

 

・ROOM IN BROOKLYN   1932

 

 

マンション高層階の2つの窓から見下ろすブルックリン。

 

 

 

先の建物のみの絵画じゃないが、こちらも無駄を削ぎ落とす中で省略されている重要な光景が。

 

・EARLY SUNDAY MORNING  1930 → 描き初めのラフ段階では存在した「歩行者」をカット

 

・ROOM IN BROOKLYN          1932 → 描き初めのラフ段階では存在した「ブルックリンブリッジ」をカット

 

 

 

 

 

 

~ その(15)~ に続く

 

~ その(1)~ からスタート



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「EDWARD HOPPER’S NY」~ その(13)~ です。

 

 

 

 

写真は、最高傑作の一つとも言われる作品。

 

・EARLY SUNDAY MORNING  1930

 

 

 

こちらも、当時のNYではお馴染みの光景ではあるが、 以前の作品同様消えゆく運命にある街の光景。

 

7th Avenue の店舗街を「超フラット」に表現している!

 

 

建物のみの構図。

この絵の描き初めのラフ段階では歩行者もいたそうだが、無駄を削ぎ落とす中で省略された。

 

 

 

 

 

この作品を描く数ヶ月前に観た ブロードウェイ・ミュージカル「ストリート・シーン」by エルマー・ライス も影響を与えていたとされる。

 

 

~ その(14)~ に続く

 

~ その(1)~ からスタート



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「EDWARD HOPPER’S NY」~ その(12)~ です。

 

 

 

 

写真は、先の Automat の数ヶ月後の作品。

 

・DRUG STORE  1927

 

 

こちらも、当時のNYではお馴染みの光景ではあるが、 Automat 同様消えゆく運命にある街の光景。

Automat はその後全滅、こうした DRUG STORE もチェーン店に入れ替わっていく…

 

無駄を削ぎ落とし省略する手法 がこの 郷愁 とシンクロ。

当時の評論家もこのテーマ選択に、”vanishing local scene” と評している。

 

 

 

~ その(13)~ に続く

 

~ その(1)~ からスタート



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「EDWARD HOPPER’S NY」~ その(11)~ です。

 

 

 

2度目のホイットニースタジオクラブ(のちのホイットニー美術館)での個展が成功し、彼の活動が軌道に乗り始める。

 

先の、その時点で最高の価格で売れた作品 = Two of the Aisle 1927 だけでなく、この年は充実の年。

 

写真は、Automat  1927

 

 

Automat は当時のNYで30店以上以上あった「自動販売機」を並べ、それをイートインする飲食店。

 

よく見られる景色

 

 

つまりこれも、先の「劇場モチーフ」のように、ホッパー自身が惹かれるNYの景色を描いたもの。

当時の評論家もこのテーマ選択に彼のオリジナリティを見出し、”much more modern” と評している。

 

 

 

~ その(12)~ に続く

 

~ その(1)~ からスタート



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「EDWARD HOPPER’S NY」~ その(10)~ です。

 

 

 

2度目のホイットニースタジオクラブ(のちのホイットニー美術館)での個展が成功。

ついに経済的にも成功を収めたホッパー → 結婚

 

写真は、その時点で最高の価格で売れた作品 = Two of the Aisle 1927

これから始まるショーへの期待と劇場の空間を感じさせる一枚。

 

 

ホッパー自身が惹かれるNYの景色、例えばこのような「劇場モチーフ」は生涯続くテーマとなる。

( 展示に、彼のチケット半券コレクションも )

 

~ その(11)~ に続く



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「EDWARD HOPPER’S NY」~ その(9)~ です。

 

 

 

2度目のホイットニースタジオクラブ(のちのホイットニー美術館)での個展が成功。

ついに経済的にも成功を収めたホッパー。

 

 

 

 

先のアップは本人の自画像だったが、続いて奥さんを描いた作品。

(制作年は後年だが、ここは夫婦優先で)

 

つまり、経済的な成功でホッパーは結婚したのだ!

 

 

 

この彼女をモデルにホッパーは絵に人を取り込んだ作風が強化されていったよう。

のちに登場する「彼の代表作」の一つからも、彼女がモデルになっていた事実がハッキリわかる!

 

 

 

 

~ その(10)~ に続く



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「EDWARD HOPPER’S NY」~ その(8)~ です。

 

 

先の絵の1922年頃、ホッパーは2度目のホイットニースタジオクラブ(のちのホイットニー美術館)での個展が成功。

ついに経済的にも成功を収める。

 

 

 

 

写真は、 ホッパーの方向性が固まり、充実した時期に差し掛かった本人の自画像。

書かれたのは = 1925年

 

 

~ その(9)~ に続く



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「EDWARD HOPPER’S NY」~ その(7)~ です。

 

 

写真は、 ホッパーの才能の花が咲き始めた頃の一枚。

 

 

 

 

・NEW YORK RESTAURANT  1922

 

 

先の生計を立てるために書いていた商業写真とテーマは似ているものの、ビジュアルが全く違う!

 

最も印象の残る「白」も含め、カラフルな彩り、賑やかな光景 etc…

よう

 

 

本人はこの絵について、その後こう語っていたそう。

 

「 an attempt to make visual the crowded glamour of a New York restaurant during the noon hour 」

 

「ランチアワーのNYレストランの煌びやかさを表現しようと試みたんだ」

 

 

 

ただし、その後にこういうコメントも追加している。

 

「 I am hoping that ideas less easy to define have, perhaps, crept in also 」

 

「 それだけじゃなく、何とも表現できないアイデアも入ってると思う 」

 

(両方とも当ブログ意訳)

 

 

~ その(8)~ に続く



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「EDWARD HOPPER’S NY」~ その(6)~ です。

 

 

写真は、 ホッパーが生計を立てるために書いていた商業写真の一つ。

 

 

・IN A RESTAURANT  1916 ~ 1925

 

 

彼の画才を十二分に感じられる一点、ではある。

こうした 広告・業界誌のカバーデザインを40歳くらいまでは続けていたよう。

 

いよいよ彼の才能の花が開き出すのは、1922頃。

 

 

 

 

~ その(7)~ に続く



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「EDWARD HOPPER’S NY」~ その(5)~ です。

 

 

写真は、若い感性を心踊らせたパリ滞在時代を描写した1作

(今作は通常展に展示の作品)

 

・Soir Bleu 1914

 

全ての人物に、パリの雰囲気が滲み出ている!

まだ初期だけに、彼の基本的要素(人物不在、抽象化、光陰の強調)とは違う構成で興味深い!

 

 

 

 

 

1906年に New York School of Art を卒業後、何度か経験した国際都市パリに魅せられ、生涯その影響は残る。

日本画・印象派・ポスト印象派 などの影響下の延長がここに現れている。

 

 

 

~ その(6)~ に続く



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「EDWARD HOPPER’S NY」~ その(4)~ です。

 

 

写真は 今展示会の ポスター写真 にもなっている、タイトルの EDWARD HOPPER’S NY を象徴するような一作品。

 

・QUEENSBOROUGH BRIDGE 1913

 

 

 

 

ホッパーは実は NY子(ナイアック、1882年生)で当時 東95丁目に住んでいた。

4年前に近所に出来た、列車・トロリー・車・歩行者までをも飲み込む巨大な橋 = クイーンズボロ橋 を作品に。

 

 

右に見える土地は、現在では公園で年に何回かコンサートも実施されるルーズベルト島。

 

 

これも実に、人物不在、抽象化、光陰の強調 など 彼の作品の基本的要素に近い構成。

 

 

 

 

~ その(5)~ に続く



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さて「EDWARD HOPPER’S NY」

 

 

エドワード・ホッパーは実は、NY子。

 

NY州 ナイアック、1882年生まれ

 

 

 

彼の本格的なキャリアは 1920年以降とされるが、初期のトライヤル作品ですら「ある意味」完成されていた。

 

 

写真は複数の展示から選出したため、作品名がやや怪しいので記述しないが 1900~1910 の間の作品のよう。

 

 

人物不在、抽象化、光陰の強調 など彼の基本的要素に近い構成。

 

 

 

モノクロのタッチが強く印象に残った。

 

 

 

 

 

Whitney美術館との関係の始まりは実に早く、1920年に彼が初のソロ個展を Whitney Studio Club で実施したことから。

 

後で登場する、彼の代表作の一つ、Early Sunday Morning 1930 も当然Whitney所有でコレクションの重要アイテム!

 

 

 

~ その(4)~ に続く



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