1月4日 日曜日
鹿沼の松下村塾にしてください。
●いまから40年ほどむかし、
当時は末広町に在った〈三島食堂〉の二階。
小学校の恩師。
先輩、国民学校、中学、高校の同級生が集まった。
「アサヤ塾」の開塾を祝ってくれた。
その席で「鹿沼に松下村塾のような天下を憂える人材を育成してください」
と励まされた。
わたしはそれ以前の10年ほど前から塾の教壇には立っていた。
いまでも忘れない。
長女が生まれた。
オリンピックでは県の通訳をした。
「抒情文芸」に読切り短編を連載していた。
わたしが一番輝いていた時期だった。
●塾の教室は家の中に作った。
材木店〈渡幸〉さんでヒノキの床板を安い値段で提供してくれた。
子どもさんをふたり入塾させてくれた。ありがたかった。
教室を作るにあたっては下日向の文具店〈3S堂〉の。
大門さんとその息子さんの手を煩わした。
娘さんが教え子になった。
成人式のときに挨拶に来てくれた。
着物姿きれいだったね。
深岩の秀夫さん。げんきかな。
息子さんはゴルフアになりましたか。
大野さんには黒板を作ってもらった。
娘さんがふたり来てくれた。
数え上げればきりがない。
その時どきのおもいでのひとたちが蘇って胸が熱くなる。
すでに、鬼籍のひとたちがおおい。
●生き残って、
いまだに「アサヤ塾」主宰して、
毎晩教壇にたっているが。
浅学非才の身。
とても、とても、松下村塾の足元にもおよばない。
なにかあの頃、励ましてくださった皆さんに申し訳ない。
恩に報いることが出来ないでいる。
●そして、わたし個人としては、
人生の軌道が大きく変わってしまった。
あのまま東京で生活して、
小説を書き続けていれば……。
ほんとうに、私的なことだが、
「塾」始めていなかったなら、
どんな人生を歩んだことだろう。
●人生には「もし」としいうことはない。
と言われているが、
もしあの時――というのは過ぎてしまってからではもう遅い。
初心を全うして生きて行く、と決意を新たにしている。
●もうあと何年、
塾の教壇に立てるだろうか。
後継者を考える歳になっている。
今日も遊びに来てくれてありがとうございます。
お帰りに下のバナーを押してくださると…活力になります。
皆さんの応援でがんばっています。
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●いまから40年ほどむかし、
当時は末広町に在った〈三島食堂〉の二階。
小学校の恩師。
先輩、国民学校、中学、高校の同級生が集まった。
「アサヤ塾」の開塾を祝ってくれた。
その席で「鹿沼に松下村塾のような天下を憂える人材を育成してください」
と励まされた。
わたしはそれ以前の10年ほど前から塾の教壇には立っていた。
いまでも忘れない。
長女が生まれた。
オリンピックでは県の通訳をした。
「抒情文芸」に読切り短編を連載していた。
わたしが一番輝いていた時期だった。
●塾の教室は家の中に作った。
材木店〈渡幸〉さんでヒノキの床板を安い値段で提供してくれた。
子どもさんをふたり入塾させてくれた。ありがたかった。
教室を作るにあたっては下日向の文具店〈3S堂〉の。
大門さんとその息子さんの手を煩わした。
娘さんが教え子になった。
成人式のときに挨拶に来てくれた。
着物姿きれいだったね。
深岩の秀夫さん。げんきかな。
息子さんはゴルフアになりましたか。
大野さんには黒板を作ってもらった。
娘さんがふたり来てくれた。
数え上げればきりがない。
その時どきのおもいでのひとたちが蘇って胸が熱くなる。
すでに、鬼籍のひとたちがおおい。
●生き残って、
いまだに「アサヤ塾」主宰して、
毎晩教壇にたっているが。
浅学非才の身。
とても、とても、松下村塾の足元にもおよばない。
なにかあの頃、励ましてくださった皆さんに申し訳ない。
恩に報いることが出来ないでいる。
●そして、わたし個人としては、
人生の軌道が大きく変わってしまった。
あのまま東京で生活して、
小説を書き続けていれば……。
ほんとうに、私的なことだが、
「塾」始めていなかったなら、
どんな人生を歩んだことだろう。
●人生には「もし」としいうことはない。
と言われているが、
もしあの時――というのは過ぎてしまってからではもう遅い。
初心を全うして生きて行く、と決意を新たにしている。
●もうあと何年、
塾の教壇に立てるだろうか。
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