田舎住まい

吸血鬼テーマーの怪奇伝記小説を書いています。

鹿沼の松下村塾にしてください。  麻屋与志夫

2015-01-04 07:11:15 | ブログ
1月4日 日曜日
鹿沼の松下村塾にしてください。

●いまから40年ほどむかし、

当時は末広町に在った〈三島食堂〉の二階。

小学校の恩師。

先輩、国民学校、中学、高校の同級生が集まった。

「アサヤ塾」の開塾を祝ってくれた。

その席で「鹿沼に松下村塾のような天下を憂える人材を育成してください」

と励まされた。

わたしはそれ以前の10年ほど前から塾の教壇には立っていた。

いまでも忘れない。

長女が生まれた。

オリンピックでは県の通訳をした。

「抒情文芸」に読切り短編を連載していた。

わたしが一番輝いていた時期だった。

●塾の教室は家の中に作った。

材木店〈渡幸〉さんでヒノキの床板を安い値段で提供してくれた。

子どもさんをふたり入塾させてくれた。ありがたかった。

教室を作るにあたっては下日向の文具店〈3S堂〉の。

大門さんとその息子さんの手を煩わした。

娘さんが教え子になった。

成人式のときに挨拶に来てくれた。

着物姿きれいだったね。

深岩の秀夫さん。げんきかな。

息子さんはゴルフアになりましたか。

大野さんには黒板を作ってもらった。

娘さんがふたり来てくれた。

数え上げればきりがない。

その時どきのおもいでのひとたちが蘇って胸が熱くなる。

すでに、鬼籍のひとたちがおおい。

●生き残って、

いまだに「アサヤ塾」主宰して、

毎晩教壇にたっているが。

浅学非才の身。

とても、とても、松下村塾の足元にもおよばない。

なにかあの頃、励ましてくださった皆さんに申し訳ない。

恩に報いることが出来ないでいる。

●そして、わたし個人としては、

人生の軌道が大きく変わってしまった。

あのまま東京で生活して、

小説を書き続けていれば……。

ほんとうに、私的なことだが、

「塾」始めていなかったなら、

どんな人生を歩んだことだろう。

●人生には「もし」としいうことはない。

と言われているが、

もしあの時――というのは過ぎてしまってからではもう遅い。

初心を全うして生きて行く、と決意を新たにしている。

●もうあと何年、

塾の教壇に立てるだろうか。

後継者を考える歳になっている。



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