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田舎住まい

吸血鬼テーマーの怪奇伝記小説を書いています。

よみがえった精神感応力 第二稿  麻屋与志夫

2019-11-03 23:02:04 | 超短編小説
よみがえった精神感応力  第二稿

 平穏な初夏の一日が始まろうとしていた。六月の終わりの日曜日、ぼくはテレビを妻と見ていた。WOWOWシネマで「ベンジャミン・バトンの数奇な運命」――そう、あの80歳の老人で生まれて、しだいに若くなって赤ちゃんになって死んでいくストーリー。ブラット・ピット主演。ちょうど赤ちゃんになって、エンドマークが出る寸前だった。ぼくは突然、飲んでいたお茶をガバット吐き出してしまった。なにが起きたのか瞬時には理解できなかった。
「どうしたの。どうしたの」
 妻がカン高声できいている。
 ぼくは喉がマヒしたような感じで声が出ない。目の前にあるメモ帳に声が出ない。脳梗塞だ。と、書いた。手は動く。ズボンにはき替えていると妻が救急車を呼んでいる切迫した声がキッチンのほうでしている。

「くるからね。救急車がすぐくるから」

 妻のあわてふためく姿を遠いところから見ている感じだ。
 そのあとのことは、記憶がとぎれとぎれになっていた。意識がもうろうとしてしまったのだろう。上都賀病院の緊急病棟がひどく寒かった。

 入院初日。
 そこから壬生の独協医大に搬送されたのを覚えている。独協でどんな処置をしてもらったのかは記憶にない。
 車椅子から病室のベッドに横になったところから記憶がつながる。
 病名は「アテローム血栓性脳梗塞」だという。

「どこにいるかわかる」
 妻が聞いている。
「独協医大」
 声ががさがさしている。正常な発音ではない。朦朧とした意識の視野に東京在住の三人、二人の娘と息子が枕元に浮かんでいる。ひどくアンリアルだ。実在感が希薄だ。視像はあやふやで、動き、口元が笑みを浮かべてわたしに声をかけている。唇の動きからしばらくして声が聞こえてくる。そのずれはわたしの脳が正常には機能していないからだ。
午後になっているのだろう。時間の経緯がまったくわからない。
「心配いらないから」意識はなんとかつながっている。
 でも、瞬間的に襲ってきた病魔、脳梗塞にぼくはふるえあがっていた。
 記憶も大丈夫だ。声が出ない。口は動いているだけだ。声がでない。意識はしっかりしている。喉の奥でガサガサした音がしているだけだ。なにを言っているのか、意味をなさない声だけが虚しく喉元でしている。
 ふいに尿意、前立腺肥大で頻尿なのにいままでオシッコをしなかったなんて信じられない。
 尿瓶が用意されていた。
 ぼくはふいに何の前触れもなく襲ってきた病魔に怒りと恐怖を感じていた。
 怒り心頭に発し、怒髪天を衝く、としいつても天に向かって起立するほど髪はないのだが、ともかく恐怖よりも怒りのほうが勝っていた。
 ところが、ところがチンボコがない。親の怒りに同調してムスコモ天をつくように勃起しているかとおもいきや、あらあら衆人環視のなかで恐れ入谷の鬼子母神……縮こまっている。

「おとうさんのあれ、どうしちゃったの」
 娘が訊いている。
「あんなに小さかった? いつもあんななの?」
 
 なにいっている。おまえらは臨戦態勢にある亭主のモノきりみたことがないからだ。
 恐怖でチンボコが、縮んでいるのだ。
「そんなこひとはないわよ」と弁護してくれるはずの妻が……いった。
 つまんで尿瓶の口にもっていこうとしても、そのつまむべきものがないのだから、なにもいえない。
 いおうとしても、言葉がでない。
 ぼくチンとしては、ことここに至っては、ただただ、うなだれているわけにはいかなくなった。
 意志はしっかりとして来ていた。
 いかに粗チンといえども沈没したままではいられない。
 海面にでる潜望鏡のように、ニョッキと起立させなければ――。
 衆人環視のなかで恐れ入って平服しているわけにはいかない。

「あら、ないところから……現れた。まるでマジックみたい」

 なにいっている。
 これは魔羅だ。マジックではない。
 全身全霊をかけてHなことをイメージした結果の快挙だ。
 まてよ。
 これをネタにマジッシャンになれるかもしれない。
 ハンカでオオっておいた、消えてしまっていた股間の逸物をふたたび、ニョッキと勃起させたらどうだろうか。
 ……などと小人閑居して不善なことをかんがえている。
 能天気なことばかり考えるから。
 だから脳梗塞になるのだ。
 はいこのへんで、よろしいようでと……尿のさいごの一滴をポンポンと尿瓶の口たたいてから、退場ならぬ退縮させて腹の中に納めた。
 
 コレぞほんものの隠し芸だぞ!
 チン芸!! だぞ!!!

 二日目。 
 MRの狭いトンネルのなかにはいっていった。
 ヘッドホーンを装着。工事現場のような音がしますから、とレントゲン技師が説明する。周囲が乳白色のプラスチック製? のようだ。あまり白くて目がちかちかする。
 MRが起動した。
 ぼくはの視野に風景が現れた。
 とつぜんだった。おどろいた。脳の検査のMRをぼくはとってもらっている。

 アテローム血栓性脳梗塞で倒れたのは昨日の朝九時頃だった。

 ヘットギャーとよぶのだろうか。わからない。おおきなフルフェイスのヘルメットをかぶったようなものだ。さらに、音がうるさいからというので防音のためにヘッドホーンのようなもので両耳をおおった。
ガガガというひびき。ガシャという脳にしょうげきがはしる。脳がゆさぶられている。バケツの水のなかの豆腐がゆれている。あまりうまい比喩ではないが。
 
 電磁気が反響している。その瞬間だった。目前に、モノクロムの風景が映った。
 
 脳の奥にひそんでいたイメージがよみがえったのか。
 
 現実よりも鮮やかなイメージ。白く光るファンデイションホワイトの地に黒の線だけで描かれている。墨絵のようだ。それなのに彩色がほどこされているように鮮やかで感動的だ。唐草模様のようだ。油を含んだ水面のギトギトした模様に変わる。油が薄墨色にゆがんでは浮かんでは消える。
 
 流動的で模様は右から左にパンしていく。
 とらえどころがなく、絶えず変化しつづける数本のロープがダイナミックに波動する。
 模様となった。さらにロープは硬度をおびパイプとなる。屈鉄線のようなパイプが複雑に重なり、屈折してTV『工場萌え』でみた川崎工場地帯の夜景のようだ。
 黒一色だけのモダンアートを見ているようだ。横に動いてた線が縦に立ちあがった。広漠としたトウモロコシ畑のようだ。女流書家篠田桃紅の書のような細い柳葉のような黒い線だけがつらなっていく。ぼくは安堵の吐息をもらしていた。鉄の硬度ではなく柔らかな線の質感がすばらしい。
そしてお花畑が見えた。色彩はなかった。
 でもおかしい。
 見えるというのはおかしい。
 これは視覚でとらえている風景ではない。

 ぼくは目を閉じている。
 目を閉じているのに見えるというのはおかしい。
 脳の片隅にあったイメージが見えているのだ。視覚をとおさずに脳だけで見ている。
 幽明境だ。夢にちかい。幻覚にちがいない。
 
 ただあまりにリアルだ。それをみているぼくの意識はさめている。美しい。まるで臨死体験で花園を見ているようだ。ただ極彩色ではない。
 
 ぼくはMR操作していた技師にいま見た風景について訊いてみた。

「なにが、風景が見えたのですが」
 
 沈黙。無視。
 技師はふりかえりもしなかった。ぼくのいうことなんか、とりあってもらえなかった。
 この奇異な体験はぼくだけのものだと悟った。

 しょんぼりと車椅子にもどった。一日で口のマヒがとれた。舌もよく動く。ぼくを無視した技師への腹癒せに――「京の狂言師が京から今日きて狂言今日して京の故郷に今日帰った。生麦生米生卵」どうだ。早口言葉を言えるのだ。ぼくはボケていない。脳梗塞を起こしたからといって、痴呆症の予備患者ではない。舌が回るのがうれしくて小声でつぶやいていた。まだまだ言える。――「おみみ、おめめ、おでこ。ニャンコ、子ニャンコ、孫ニャンコ。マンゴ、子マンゴ、孫マンゴ、オマンコ」とくらぁ。どうだ。まだまだ、このおん歳にして色気があるんだぞ。
 若い時のぼくだったらいまみた風景について車椅子を後ろから押してくれている美人の看護婦んに話していたろう。
 あまりおかしな体験についてはひとに話さないほうがいいくらいの世間知は身についている。――「よぼよぼ病、予防病院、予防病室、よぼよぼ病予防法」ぼくは早口言葉を呪文のように唱えながら六人の大部屋に帰りついた。――「桜咲く桜の山の桜花咲く桜あり散る桜あり」……こんな境遇でぼくチン散りたくない、死にたくないモン。まずは、おとなしく沈思黙考。ベッドに横になった。手帳に東日本震災の遺構についてのショートショートを書き出した。
 隣のベッドからの声。
 ピンクのカーテンで仕切られているだけだからとなりの部屋の声がよく聞こえる。
 たった二メートルくらいしかはなれていないのだろう。看護婦さんやつき添っている患者の男の妻があわただしく動くたびにカーテンがゆれた。
「かあさん。かあさん」
 と男は呼びかけていた。妻に呼びかけている。
 その赤ちゃんがえりしたような声に応えている妻の声は慈愛にみちている。
 看護婦さんにねがえりさせるときの介護の仕方を教えてもらっている。
 床ずれができていて痛いらしい。
 苦しむ声はいろいろなべものを要求している。
「お餅はだめなの。のどにツカエルと困るから。お医者さんに止められてる」
「ソンジヤネ。アレタベタイ」
「ナニカシラ」
「ラーメン」
「カップラーメンデイイノ」
「ソレカラ……」
「なぁに」
「あれ。あれだよ」
「なあに。なにたべたいの」
 たべもののことしかはなさない。
 家からもってきたものをいろいろ食べている。
 翌朝。
 ささやき声がしいてた。となりのベットかだった。
「地震のゆめみたよ」
「どうして地震の夢なんか見たの」
「きょう、地震の夢みたので気持ちがいいんだよ」
「どうして、地震の夢みたの。怖かったでしょう」
「あのね。ちがうんだよ。気持ちがいいんだよ。静かな気持ちになったよ」
「よかったね。よかったね」
 どんな人なのだろう。話し声の調子からなんとなくお笑い芸人でマラソンランナーの猫ひろしを思い浮かべた。
 おそるおそる。ぼくは渡辺さんのベットのほうに寝返りをした。カーテン越しにハシタナイトおもったが聞き耳をたてた。
 ぼくは鼓動が高まっていた。ひょっとすると、これは……。こんなことが、起きるのは、何年ぶりだろうか。これは、わたしの脳波、かんがえていることが、となりのベッドの彼に転移したのかもしれない。
 ぼくはリハビリをかねて昨夜から小説をかきだしていた。
 東日本震災で被害を受けた小学校の遺構でながくおもい合っていた二人が結ばれるといったハッピーエンドの話だ。漢字も書ける。手もふるえることはない。
 文章もいままでのように浮かんでくる。
 いや発病する前よりもすらすらかける。ぼくはうれしくなった。ふいに喉が詰まり、声帯がマヒして声がでなくなったときは、恐怖に慄いた。もうだめだ。これまでだ。作家として、カムバックするなど夢のまた夢だ。
 だからたった一日で回復したこと感謝した。すごくハッピーな気持ちになっていた。こんなことが起きるのはひさしぶりだ。
 地震。ハッピーな静かな気持ち。
 ぼくの思いが隣のベッドの男に転移した。
 
 若い時には、こうしたたあいもない、偶然の一致がしばしば起きた。
 
 ある朝。明けがた。近所の八百屋さんが死ぬ夢をみた。確かめに行った妻が青い顔で帰ってきた。死神を身近に感じることがある。黒い羽根の羽音を感じる。こうしたオカルトじみた経験などひとに誇れるものではない。
 
 そのさらに翌朝。
「あのね。パソコンがほしい」
「おとうさん、とつぜんなにいうの。パソコン使ったことないでしょう」
「パソコンがほしい」
 男は玩具を欲しがる子供のように、妻にあまえている。
「パソコンがほしい」
 間違いなく、ぼくの行動につられての発言だ。
 昨夜はよくねむれなかった。夜起き上がってひそかにパソコンを使った。うるさかったのだろうか。いや、パソコンを打つ音はほとんどひびかない。静にキーボドに触れた。
 せっかく、静かな気持ちなれたのに、ぼくが邪魔をしてしまったとしたら、もうしわけのないことをした。

「昨夜はよく眠れたでしょう」
 
 ふいに右となりのカーテン越しに話しかけられた。
 さいしょは何を問いかけられているのか、わからなかった。
「となりの渡辺さんが運び出されたのしらなかったのですか」
「何時ごろですか」
「十時ごろかな」
「部屋をうつったのですか」
「わかりません。看護師さんは口がかたいから、おしえてくれません」

 カーテンが微動だにしない。
 たしかに左隣の渡辺さんはいない。
 あまりの静かさに寂しさを感じた。
 少し早いがぼくは、洗面所で顔を洗いたくなった。部屋をでた。まだ六時の起床時間前なので廊下は静まり返っていた。洗面所にはだれもいなかった。
 
 ちいさな窓の外はまだ明けきらない空。
 そして梅雨らしい小糠雨。
 病院は雨の下でまだ眠っていた…。


注。突然ですが七月三十日に載せた「よみがえった精神感応」の第二稿です。明日からはまた「下痢」が続きます。


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呪いは彼岸からも現世にとどく  麻屋与志夫

2019-09-23 16:02:03 | 超短編小説
9月23日 月曜日
呪いは彼岸からも現世にとどく

彼岸休みで元塾生が訪ねてきてくれた。

いまや老教師となったわたしはしわがれた声で話し出した。
「両親の病気で、東京からUターンして塾を始めた。敵国の言葉を教えていると村八分にあった」
「だって前の東京オリンピックの後ですよね」
「田舎町のひとたちは、鬼畜米英ということを忘れていない。夫や息子兄弟に戦死されたひとがまだあのころは大勢生きていた」
「だってそれは先生とは関係ないでしょう」
「東京生まれの妻に嫉妬した老婆もいた」
「美智子先生きれいでしたものね。ぼくらはファンでした」

妻はは寂しさを紛らわすために猫を飼った。
すると野良猫の死骸を塀越しになげこまれた。

わたしはなんの弁明も抵抗もしなかった。
妻は毎晩、東京に戻りたいと泣いていた。
こちらが沈黙していれば、いつかイジメの火も消える。
投げこまれ猫はそのつど庭に穴を掘って埋葬した。
妻は毎晩泣きつづけた。ひざのうえにミューがいつものっていた。
わたしはなんの報復もしなかった。
ひとつ抵抗すれば倍になって戻ってくる。因果応報。黙っているに限る。
老婆たちは次々と交通事故。病死。ついには、じぶんたちの家から火をだして、裏長屋は全焼した。
「ぼくがお世話になったのはそのころでしたね」
いまは焼け跡はひろびろとした駐車場になっている。
こちらにヘッドライトをむけて停めてある車。何百台という車に睨まれているように感じる。老婆たちの顔に見えてくる。
女の人の嫉妬心て怖いよな。
 

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よみがえった精神感応  第一稿

2019-07-30 06:47:33 | 超短編小説
15 よみがえった精神感応  第一稿

MRが起動した。

ぼくの視野に風景が現れた。
とつぜんだった。おどろいた。脳の検査のMRをぼくはとってもらっていた。

アテローム血栓性脳梗塞で倒れたのは昨日の朝九時頃だっ。

ヘットギャーとよぶのだろうか。わからない。おおきなフルフェイスのヘルメットをかぶったようなものだ。さらに、音がうるさいからというので防音のためにヘッドホーンのようなもので両耳をおおった。
ガガガというひびき。ガシャという脳にしょうげきがはしる。脳がゆさぶられている。
 
電磁気が脳に反響している。その瞬間だった。
目前に、モノクロムの風景が映った。
 
脳の奥にひそんでいたイメージがよみがえったのか。
 
現実よりも鮮やかなイメージ。白く光る地に黒の線だけで描かれている。墨絵のようだ。それなのに彩色がほどこされているように鮮やかで感動的だ。唐草模様のようだ。油を含んだ水面のギトギトした模様に変わる。油が薄墨色にゆがんでは浮かんでは消える。
流動的な模様は右から左にパンしていく。

とらえどころがなく、絶えず変化しつづける数本のロープがダイナミックに波動する。

模様となった。さらにロープは硬度をおびパイプとなる。
パイプが複雑に重なり、屈折してTV『工場萌え』でみた川崎工場地帯の夜景のようだ。

黒一色だけのモダンアートを見ているようだ。横にうごいてい線が縦に立ちあがった。広漠としたトウモロコシ畑のようだ。そしてお花畑が見えた。色彩はなかった。

でもおかしい。
見えるというのはおかしい。

これは視覚でとらえている風景ではない。

ぼくは目を閉じている。

目を閉じているのに見えるというのはおかしい。
脳の片隅にあったイメージが見えているのだ。視覚をとおさずに脳だけで見ている。

幽明境だ。夢にちかい。
 
ただあまりにリアルだ。それをみているぼくの意識はさめている。美しい。まるで臨死体験で花園を見ているようだ。ただ極彩色ではない。
 
ぼくはMR操作していた技師にいま見ていた風景について訊いてみた。

「なにが、風景が見えたのですが」
沈黙。。無視。
技師はふりかえりもしなかった。ぼくのいうことなんか、とりあってもらえなかった。

この奇異な体験はぼくだけのものだと悟った。

しょんぼりと車椅子にもどった。一日で口のマヒがとれた。舌もよく動く。ぼくを無視した技師への腹癒せに――京の狂言師が京から今日て狂言今日して京の故郷に今日帰った。生麦生米生卵。ぼくは舌が回るのがうれしくて小声でつぶやいていた。

若い時のぼくだったらいまみた風景について看護師さんにはなしていたろう。
あまりおかしな体験についてはひとに話さないほうがいいくらいの世間知は身についている。ぼくは早口言葉を呪文のように唱えながら六人の大部屋にかえりついた。
 
ピンクのカーテンで仕切られているだけだからとなりの部屋の声がよく聞こえる。
たった二メートルくらいしかはなれていないのだろう。看護師さんやつき添っている患者の男の妻があわただしく動くたびにカーテンがゆれた。

「かあさん。かあさん」
と男は呼びかけていた。妻に呼びかけている。

その赤ちゃんがえりしたような声に応えている妻の声は慈愛にみちている。

床ずれができていて、痛いらしい。
苦しむ声はいろいろなべものを要求している。
「お餅はだめなの。のどにツカエルと困るから。お医者さんに止められてる」
「ソンジヤネ。アレタベタイ」
「ナニカシラ」
「ラーメン」
「カップラーメンデイイノ」
「ソレカラ……」
「なぁに」
「あれ。あれだよ」
「なあに。なにたべたいの」
 たべもののことしかはなさない。
 家からもってきたものをいろいろ食べている。
 
 翌朝。
 ささやき声がしいてた。となりのベットかだった。
「地震のゆめみたよ」
「どうして地震の夢なんか見たの」
「きょう、地震の夢みたのできもちがいいんだよ」
「どうして、地震の夢みたの。怖かったでしょう」
「あのね。ちがうんだよ。気持ちがいいんだよ。静かな気持ちになったよ」
「よかったね。よかったね」

 おそるおそる。ぼくは渡辺さんのベットのほうに寝返りをした。カーテン越しにハシタナイトおもったが聞き耳をたてた。
 ぼくは鼓動が高まっていた。ひょっとすると、これは……。こんなことが、起きるのは、何年ぶりだろうか。これは、わたしの脳波、かんがえていることが、となりのベッドの彼に転移したのかもしれない。
 ぼくはリハビリをかねて昨夜から小説をかきだしていた。
 
 東日本震災で被害を受けた小学校の遺構でながくおもい合っていた二人が結ばれるといったハッピーエンドの話だ。漢字も書ける。手もふるえることはない。
 文章もいままでのように浮かんでくる。
 いや発病する前よりもすらすらかける。ぼくはうれしくなった。ふいに喉が詰まり、声帯がマヒして声がでなくなったときは、恐怖に慄いた。もうだめだ。これまでだ。カムバックするなど夢のまた夢だ。
 だからたった一日で回復したこと感謝した。すごくハッピーな気持ちになっていた。こんなことが起きるのはひさしぶりだ。

 地震。ハッピーな静かな気持ち。ぼくの思いが隣のベッドの男に転移した。
 
 若い時には、こうしたたあいもない、偶然の一致がしばしば起きた。
 ある朝。明けがた。近所の八百屋さんが死ぬ夢をみた。確かめに行った妻が青い顔で帰ってきた。死神を身近に感じることがある。黒い羽根の羽音を感じる。こうしたオカルトじみた経験などひとに誇れるものではない。



 その翌朝
「あのね。パソコンがほしい」
「おとうさん、とつぜんなにいうの。パソコン使ったことないでしょう」
「パソコンがほしい」

 男は玩具を欲しがる子供のように、妻にあまえている。
「パソコンがほしい」
 間違いなく、ぼくの行動につられての発言だ。

 昨夜はよくねむれなかった。夜起き上がってひそかにパソコンを使った。うるさかったのだろうか。いや、パソコンを打つ音はほとんどひびかない。静にキーボドに触れた。

 せっかく、静かな気持ちなれたのに、ぼくが邪魔をしてしまったとしたら、もうしわけのないことをした。

「昨夜はよく眠れたでしょう」
 
 ふいに右となりのカーテン越しに話しかけられた。
 さいしょは何を問いかけられているのか、わからなかった。
「となりの渡辺さんが運び出されたのしらなかったのですか」
「なんじごろですか」
「十時ごろかな」
「部屋をうつったのですか」
「わかりません。看護師さんは口がかたいから、おしえてくれません」

 カーテンが微動だにしない。
 たしかに左隣の渡辺さんはいない。
 あまりの静かさに寂しさを感じた。
 少し早いがぼくは、洗面所で顔を洗いたくなった。部屋をでた。まだ六時の起床時間前なので廊下は静まり返っていた。洗面所にはだれもいなかった。
 
 ちいさな窓の外はまだ明けきらない空。
 そして梅雨らしい小糠雨。
 病院は雨の下でまだ眠っていた…。


作者注。
下書きです。これから何度も推敲します。とりあえず、あまりうれしかったので、書く能力がもどったようで、下書きのままですが発表しておきます。小説を書くということは、感応能力にかかっていると思います。こちらの考えていることがあなたにとどくといいな。不備のてんをぜひコメントください。八十六歳になりました。



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14 ぼくには宝石、美穂ちゃんにはゴキブリ「玉虫」のプレゼント

2019-07-16 10:34:16 | 超短編小説
14 ぼくには宝石、美穂ちゃんにはゴキブリ「玉虫」のプレゼント

 ぼくの目の前にふいにどこからともなく虫が飛んできた。

 あちこちとびまわっていたが、パットぼくの手の甲に止まった。
 光を浴びて、金緑色の光をきらめかせていたのは「玉虫」だった。
 どこから飛んできたのか。
 なぜ、ぼくの手の甲に止まったのか。
 
 一緒に砂遊びをしてた、教室では並んで座っているかわいい女の子、美穂ちゃんにこの美しい玉虫をプレゼントすることを思いついた。
 
 美穂ちゃん、目をつぶっていて……。とぼくはいった。

「これ、美穂ちゃんにあげる」

 ぼくはそっともっていた。両手をムギワラで編んだ蛍かごのように合わせていた。そのなかには、コガネムシを細くしたような玉虫がとらえられていた。

 きらきら光って美しかった。宝石のようだった。

「キャー」

 美穂ちゃんに、わあ、きれい。きれい。
 
 喜んでもらえるはずだった。
 
 美穂ちゃんは、ぼくのプレゼントを喜ぶどころか悲鳴をあげた。
 砂場で遊んでいたぼくらのところに栃沢先生が走ってきた。ぼくは美穂ちゃんをいじめたという罪をおってしまった。昇降口にある時刻をしらせる大太鼓の横に立たされてしまった。そのうえ、栃沢先生はぼくを立たせたことを忘れて帰ってしまった。

「もう帰ったら。栃沢先生は帰っちゃったよ」
 小使さんがいってくれた。
 ぼくは立ち続けていた。
 母がむえに来てくれなかったら、そのまま夜半まで立ち続けていたろう。

 その一途な性格が、就職した商社の上役に好かれて三十まえに課長という役職につけた。
 
 小学校を卒業して十八年目。
 三十歳の齢なので同窓会をやることになった。
 いままでも同窓会はなんどかあった。
 ぼくはいやな思いでしかない母校にはいきたくはなかった。

 でもこんどこそ美穂ちゃんに会ってみたかった。
 あったところで、すきです、といえるわけでない。
 あれからどんな人生をおくていたかきいてみたかった。
 もう結婚しているだろう。
 
 木造校舎はブルーシートや白い工事用の網でおおわれていた。倒壊してしまったかわいそうな校舎をみなくてすむのはありがたかった。

 ぼくは荒涼とした遺構にひとりで立ちつくしていた。

 ぼくは過去をなつかしがっていた。木造校舎としては日本で古いので有名になっていた。
 なつかしさが匂い立つような校舎。小泉今日子のコマシャール撮影で有名になった。
 日本の古き良き時代の面影を残していた。東日本震災で被災した。
 日本一長い廊下、直線で百メートルもあった。
 藤棚は潮水をかぶって枯れてしまっていた。
 藤棚をのみこむほどの高い波を想像しようとしてもできなかった。
 
 ブロック塀は波に押し流されたままだった。
 塀の根底には泥や瓦礫が堆積していた。
 どこにもブロックは見あたらない。
 どこまで流されていったのだろう。

 あの思いでの砂場は――ぼくが美穂ちゃんに玉虫をわたした砂場はなくなっていた。
 一枚岩のように固まっていた。
 大量の海の水が流れこみしばらく溜まってたのだろう。
 
 校舎がないので校庭に三々五々と集合してきた同級生は顔をみても思いだせないものもいた。
 全員そろったところで高台にある仮設公民館に移る予定だ。
 
 ぼくは砂場に立ってみた。
 
 砂場の砂は海水が溜まっているあいだに岩石のようになっていた。
 みんなの話し合う場にはいつていけい。男もかつての美少女たちも老いていた。みんな結婚しているのだろう。子づれのものもおおかった。にぎやかだった。
 
 二宮金次郎の銅像はコンクリートで直してあった。
 銅像といわれていたがほかのこわやすい素材でつくられていたのだろう。
 首のまわりを白いコンクリートで補強されている。
 包帯をしているようでいたいたしかった。
 
 新学期のはじまる季節だ。校庭の周囲では生き残った桜が満開だった。
 その桜で、ぼくが校門をくぐったときウグイスが鳴いていた。
 花影をこちらに真っすぐ歩いてくる女性がいた。
 美穂ちゃんだった。
 一目でわかった。

「ごめんね。正ちゃん」
「なんだろう。ぼくがなにか……」
「プレゼント」
「すごく。きれい。きれいよ」
 
 喜んでもらえるはずだった。

「ごめんね。いまなら正ちゃんの気持ちよくわかる。あれはわたしへのプレゼントだった」
 
 ぼくは、美穂ちゃんをよろこばせたかった。美穂ちゃんがよろこんでくれると思っていた。

 あの時の、砂場にふたりは立っている。

 彼女はたったひとり。シャイなぼくが、声をかけた少女だった。
 彼女とのことがあり、ぼくは順送りで「怪しい行動をする生徒。問題行動をする生徒」とされてしまった。ぼくは担任の先生にマークされた。
 
 その根性を叩き直してやるという名目でいじめられた。
 
 鉄棒にぶらさがったまま懸垂が一回もできなかった。
「魚屋の店先にぶらさがっているマグロみたいだ」
 先生に侮蔑の言葉を浴びせられた。
「まぐろ」というアダナがついた。それからはぼくの名前をよぶものはいなくなった。その体操の先生はもちろん、友だちからも迫害を受けつづけた。

 合唱のときも、クラスのみんなは、舞台に上がって歌っているのに、ぼくだけは上がれなかった。
「マグロが歌うとみんなの調子がみだれる。おまえは音痴なのだ」
 ぼくはひとりとりのこされていた。
 そんなぼくを「音痴のマグロ。マグロ」みんながからかった。
 
 その小学校でのイジメの原点となった砂場に美穂ちゃんと立っていた。
 
 ぼくはこの両手で「玉虫」きみにわたしたかった。
 彼女の手に玉虫をわたしたときのドキドキした瞬間がよみがえる。
 ぼくの運命をかえた光景が浮かんできた。

「ごめんね、正ちゃん。もっと早くあやまりたかった」
 
 ぼくは美穂ちゃんを抱きしめていた。
 強くハグしていた。
 美穂ちゃんはぼくの胸にほほをよせている。




注 学校の描写は作者の母校、鹿沼北小学校によるものです。もちろん内陸県にあるので津波の被害にはあいませんでした



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13 赤い糸の少女

2019-06-03 07:29:50 | 超短編小説
13 赤い糸の少女

 老婆がこちらに向かって近寄ってくる。
 
 ほほえみをうかべた顔色は枯れ葉色にくすみ腰こそ曲がっていないがかなりの高齢者だ。
 さらにそばまできた。
 胸元に右手を上げ、かわいらしく手をふっている。
 
 あれっ、誰なのだろう。
 
 知っているひとなのだろう。
 うれしそうに手をふっている。
 すれちがった。
 すごくなつかしい香りがした。
 さわやかなバラの芳香。

「どなたですか」と訊いてみればよかった。
 最近、とみに物忘れがひどくなった。
 見栄をはらずに、立ち止まり声をかけるべきだった。
 
 いまからだって間に合う。振り返って追いかけるのだ。

「知らないおばあちゃんに挨拶された」
 連休も明日でおわりだ。あわただしく、帰り支度をしている娘家族。
「どなたですかって訊いてみればよかったのに」
「やだよ。痴呆老人みたいではずかしいよ」
「ねえ、おじいちゃん。痴呆……ってなんのこと」
「地方に住む老人のことさ」
 孫娘は納得したのだろうか。だまって母親を見上げている。
 母親のかげから、恥ずかしそうに手をふって東京にもどっていった。
 
 またひとりぼっちの夜がやってきた。娘家族四人がかえっていった。家の中ががらんとして急に部屋が広くなったようだ。網戸になっているので、風が吹き込んできた。純白のカーテンが揺れてふくらんだ。カーテンは風を抱き込むように、赤子をあやすように揺らいでいた。

 老婆の右手が胸のあたりで揺らいでいた。なにかすごくなつかしいきもちになってきた。振られている右手の小さな動きは少女の顔を思いださせた。前の東京オリンピックの開催がきまったころだ。神宮の森ではオリンピックに向けて各所で突貫工事がはじまっていた。東京タワーの基礎工事が終了してこれから空高く構築されるだろう鉄骨が運び込まれていた。
 麻布霞町にあった『シナリオ研究所』のフロントで二階に同居していた『劇団ひまわり』の少女が「シナリオのおにいちゃん、これあげる」といってハーシーのチョコレートをわたしてよこした。なんのためらいもなく、お礼をいっていただいた。
 少女は恥じらいながら胸のあたりで手を振って遠ざかっていった。

 原宿の雑踏をかきわけるようにして彼女が近寄ってきた。あれから十年近くたっていた。シナリオではものにならず官能小説を書いて口を糊していた。糊するとは、粥をすすることというが、八枚切りの食パン一枚を牛乳一合で『パンの牛乳かゆ』をつくっていた。たまには、栄養をかんがえて卵を一個おとすこともあった。黄な粉をスプーン一杯加えることもあった。そんなある日、彼女に再会したのだった。
「シナリオのお兄ちゃんのほうが、世に出る、ブレイクする可能性があるわ」
 彼女はその日のうちに決断した。ほんの端役しか恵んでくれない所属事務所を辞めた。同棲し、結婚した。娘が生まれた。あいかわらず生活はボンビーノ。耐え切れず田舎にもどった。家賃がかからなくなったので、いくらか楽になった。

 さらに十年が過ぎた。両親が病気になった。高齢者老人保健がまだなかった。医者の支払いのため困窮をきわめた。
 
 さらに十年。村八分にあった。その理不尽な仕打ちに耐え切れず妻は二人の子供をつれて東京にもどってしまった。少女にははじめからこうなる運命が見えていたのかもしれない。それでもわたしにあの時、チョコレートを渡さなくてはいられなかった。ありがとう。
 ひととひとを結びつける赤い糸があの手のひらひらから放射されていた。せっかくつながったのに、それが道半ばで切れてしまったのだ。
 すっかり疲弊していたわたしは、なにか妻にひどい言葉をあびせた。狷介な態度をあらためなかった。パーフェクトラブを思い描いていた妻にはショックだった。献身的につくしてくれた妻。たった一言の暴力的な言葉も、彼女にはゆるしがたいことだったのだろう。

「さようなら。もう二度と会うことはないわ」
 
 あの老婆は妻だった。どうして、あの時、瞬時にきづかなかったのだ。
 声をかければ、また赤い糸がつながったのに。

 別れ際の妻の嘆きの身ぶり。彼女は胸元でつつしみぶかく手を振っていた。どうしてだ。なぜだ。あのとき引き留めていたら――。離別しないで生きてこられたのに。毎日、妻の笑顔を見られたのに。
 
 わたしは、娘に電話した。孫娘がでた。
「おじいちやん。やっぱ地方の老人なのね。オバアチャンはもう亡くなっているのよ」

 わたしの人生が、わずか数枚の梗概にまとまってしまうのが、悲しかった。
 
 もう手をふって近寄ってくる人はいない。老いさらばえた路傍の石のような老人だ。



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12 あなたはだぁれ

2019-05-14 05:45:04 | 超短編小説
12 あなたはだぁれ

駅前の駐輪場は斜めにウネトタンの屋根がついていた。

スキがないほどビッシリと自転車が止めてある。
そのほとんどが、宇都宮の高校に通う学生のものだ。
歯の痛みに耐えきれずぼくは鹿沼駅の近くのT歯科に通いだしていた。
駐輪場と駐輪場の間の細い路地を毎日歩くことになった。
書斎にこもっているよりこのほうが健康にはいい。
街のようすを眺められる。
この歳になっても、杖もつかずに歩ける。
ありがたいことだ。

毎朝診療時間よりかなり早く家をでた。
駐輪場の屋根を支える鉄骨の柱。
裸のままというか、塗装の施していない。
錆止めだけが茶色にぬられた柱に――。

女子学生がよりかかっていた。

柱に軽く背をあずけた姿勢には匂うような若さがあった。
色白でいまどきめずらしくマルポチャではない。
面長な愁いを秘めた顔をしていた。

文庫本を読んでいた。
本ではなく携帯でlineでもやって、親指をピコピコ動かしていたら……。

興味をもたなかったろう。

いまどき本を読んでいるなんて珍しい。
その次の日も同じ時刻に彼女はそこにいた。

同じ柱にもたれていた。
不審におもった。
だって宇都宮行きの電車はもうすぐ到着する。
同じ学生たちといっしょになるのがいやで――。
ここにいるにしても――。

乗り遅れたら学校には遅刻してしまう。

「早く構内にはいったほうがいいよ」

と声をかけてやりたかった。

こんなジジイだから、まさかストーカーとは思われないだろう。
小さな田舎町だが、通勤通学の時刻なので駅はかなり混雑していた。
その人たちにパンフレットを渡そうと新興宗教の人が駅前にたっていた。
ただ立っているだけだ。
よくわからないが、法律で街行く人に声をかけることは禁じられているのだろう。
女子学生に話しかけると、この人の視線をあびることになる。

やっぱり、やーめた。
どうみたってジィジィが美少女に声をかけるのは、怪しく思われる。

やめた。やめた。

その次の日。
おやっと……気づいた。
彼女は本を読んではいない。
本の上を見ている。
その視線の先は――駅のプラットホーム。
おおぜいの学生たちが群れている。
おしあいへしあいしながら、騒いでいる。
男子はお互いに大声で話したり。
つつきあったり。
学生帽をとりあっている。
元気がよく、ハシャイデいるのは私立の学生だろう。
彼女の視線はまっすぐにそれらの学生のラッシュを見ていた。
というより、睨んでいた。
その視線には異様な熱気がこめられていた。

いや、熱気というより怨みの激しさが込められていた。
怨み。
呪怨。
怨念。
呪い殺そうという狂気がするどくホームの学生の群れにそそがれている。
そう、見てとったとき、思わずみぶるいしてまった。
恐怖に顔から血の気がうせた。
体のふるえは恐怖のためだ。
まるで呪い殺されるような眼差しだ。
彼女の目前を、彼女と視線が合わないように――。
彼女を無視して足早に通過した。

背後でホームに入ってきた電車が急停車する。
異様な摩擦音を立てるのをきいた。

次の日。彼女はそこにいなかった。
パンフレットをもって立っている男にきいてみた。

「いつも、あそこに立っていた女子学生、知りませんか」
「えっ。わたしは誰も見ていませんよ」

やはり、推察があたっていた。

「事故だってよ」
待合室に入ってきた老婆が誰にいうともなく、かなりおおきな声でいった。

「昨日のあれ、学生がホームから落ちた、アレ――」
「死んだんけ」

隣の老婆が呼応する。

「わかんねえな。でも先月の女ッ子は死んだものな」

診療室からはギイギイという歯を削る音がひびいていた。

待合室にいるのに診療椅子に座っている。
治療をうけている。
歯を削られている。
痛みに耐えきれずふるえだした。
恐怖もあるが、激痛が頭に直接ひびいてくる。

「ダイジョウブケ???」

ふたりの老婆が同時に声をかけてくれた。

そうだ。

あの時「大丈夫ですか」と彼女に声をかけてやればよかったのだ。

ディーン・クーンツのオッドのように霊がみえるようになった。
こんどは彼や彼女たちが成仏できるように説得することにしょう。

歳老いて、死を身近に感じるようになった。

さまよう霊魂がみえる。

「ホームから落ちた男の子はボーイフレンドだったの? 
あの視線のトゲトゲシサハ、ちがうよね。
きみは故意に押しとばされて死んだのだろう。
もう死んでいるのだよ。
でも、人を怨んでは、きみが成仏できないよ」

そういってやればよかった。

死んでからも、地縛霊としてのこり、怨念で敵を呪い殺す。
やはりどう思っても怖い話だ。

老婆たちの世間話しはまだつづいている。


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超短編小説 60年後の街角で  麻屋与志夫

2018-02-10 08:36:06 | 超短編小説
2月10日 Sat.
60年後の街角で

●チサンホテルのレストラン「だいだい」で和食をたべた。ひさしぶりの外食なのでふたりともなんとなくギコチナイ。
「初めてあったとき、こうして向い合って話すの……恥ずかしかった」
「映画の話をした」
「そうよ。相似形モンタージュで画面を繋ぐ技法について語っていたわね」
「麻布霞町にあった「シナリオ研究所」に通っていたから」
 映画の話となるとふたりとも饒舌になる。気がつくと食事はすんでいた。
 レストランの入り口から街にでる。彼女と熱く語りあった映画の一こまのような風景、知らない街にいるような錯覚にとらわれた。
「パパ」
 ふいにだいぶ離れたところから呼びかけられた。パパはないだろう、こんなオイボレGGにパパ――。
 ホテルの正面入り口で妻が手をふっている。ドキッとした。
「レジがフロントのほうだったの」
 ドギマギしているわたしに妻がいう。
 若い彼女に呼びかけられたような、驚き顔のわたしに妻がケゲンナ顔でいう。
なに考えていたのかしら。
顔を傾げる彼女のしぐさはあの頃とすこしも変わっていない。
なにを考えていたの。


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10 尺八の音に誘われて  麻屋与志夫

2018-01-04 01:49:02 | 超短編小説
10 尺八の音に誘われて
 
佐伯啓介が妻とよく散策した黒川の河川敷――。
鹿沼にもどったときに訪れる風景の中の点景人物に啓介はいまもなっている。
どうにか二足歩行は可能のようだ。変形性膝関節症の啓介には辛いことだが――。
この黒川は日光山系から小来川に流れ、途中で行川(なめがわ)と合流して鹿沼まで到達する清流である。
「こんなにキレイな流れなのに、どうして黒い川というの」
「それは……」といったところで言葉をのみこんだ。
妻が最初の子どもをミゴモッテいた。そのころは、元気だった両親に孫が生まれると報告がてら舞い戻った故郷――はじめての黒川河畔の遊歩道でのことだった。
日光男体山開山にあたり、勝道上人が土着の北方民族との戦いに明け暮れ、その流した血は夜になると生臭く黒い流れとなった。と古文書が伝えている。赤い血の色が月明かりでは、黒く見えたのだろう。
そうしたなまなましい血の歴史を語ることは、妊婦にはふさわしくない。――そうした配慮から言葉を紡ぐことを中断したのだった。
あれから幾たび、この河畔の遊歩道を啓介は妻と散策したことだろう。
遊歩道は流れぎりぎりのところに敷かれている。
旧帝国繊維の工場群の辺りからはじまり貝島橋の辺りで途絶える。遊歩道の行く手が、バジッと切断されたように途切れてしまうのが、いかにもこの街の土木工事らしかった。ここまで歩いて来て人は、振りかえって真逆のほうこうに戻ってください、といわれているようだ。前に進むことはできない道なのだ。
元来た方にもどらなければならない。せめて、土手に登る道でも作っておけばいいモノを――。また来た道を戻るということは、たまらない。閉塞感にさいなまれる。
「アラツ。尺八の音色よ」
啓介のかたわらを歩いていた妻がつぶやいた。低い妻の声よりも、なお、かすかな尺八の音色が嫋々と河川敷に流れていた。いままで、その音に気づかなかったのは、わたしがもの想いにふけっていたからだろう……。
川面には夕霧がながれていた。
渇水期とあって流れはゆるやかだ。
尺八のかすかな音色は川面にすいこまれていく。
川音と尺八の音が融け合い幽玄な調べとなってきこえてくる。枯れ芒があるかなしかの風にゆらいでいる。
遊歩道の縁が防波堤のように普通の縁よりも高くなっている。ちょうど、腰をおろすのにいい高さだ。そこに虚無僧が尺八を作法通りにかまえて吹き鳴らしていた。足を「く」の字に曲げた蹲踞の姿勢から女性と知れた。かたわらに、白い杖がこれもコンクリートの縁にたてかけてあった。
「いまどき、本当に珍しいわね」
妻は未来のじぶんに声をかけていた。
「あなたが、さきに死んだら、四国巡礼の旅にでるわ。旅の途中で、行き倒れて死ぬのがわたしの美学よ」
不吉なことをいうなとは啓介はいえなかった。
「それとも、虚無僧になって奥の細道の旅に出ようかしら」
啓介はなんとも返事ができなかった。
 
妻の想いとは逆に、啓介がとりのこされている。
傍らにいたはずの妻がいない。
たしかに、いままで妻の声がきこえていたのに。
妻がいない。
人は誰かの「支え」がないと生きていけない。「支え」を「愛」という言葉に置き換えてもいい。愛する者の励まし、愛する者のために作品を書きつづける意欲が継続する。愛する者に、認めてもらいたくて、それが愛の確証であると信じて精進する。その愛の支えを失ったのが、哀れな男がこのわたしだ。
「才能がなかったのよ」
そうかも知れない。
「もうやめたら」
妻からの残酷な言葉。
啓介はなにも言葉をかえすことができなかった。

もう、もとにはもどれない。
もとの生活にはもどれない。
 
誰かを愛しつづけるということは、誠実に愛しつづけるということは、むずかしいことなのかもしれなし。愛がこわれる。そんなことは、いままで、考えたこともなかった。

「もうやめたら」
「才能がなかったのよ」
啓介は壁に花瓶をたたきつけた。花瓶は砕け散った。

物カキとしての意識ばかりが肥大していた。
その意識は、なんの変哲もない日常のくりかえしといった現実に収まらなくなっていた。現実は卑小して、文章を書きつらねる執念だけが肥大していた。普通の生活をするのは苦痛だった。
罅がはいった。愛していた妻に裏切られた。亀裂がはしった。裂けた。ふたりの結び目が裂けた。その瞬間――。
「バカ」
花瓶を投げた。二つ目の花瓶は妻にむかって投げつけた。

観念のオバケだ。コノわたしは――と啓介は思う。
アタマデッカチだ。妻がいたから、辛うじてリアルな世界とツナガッテいたのだ。

「白骨を見ちまった。細い腕の骨だ。指はしっかりと枯れ芒の根をつかんでいた」
河川敷に住むホームレスの男が仲間と大声で話していた。

彼女は死んでいなかった。川に投げこまれ――あまりの冷たさに意識がもどった。死に物狂いで岸にはいあがろうとした。芒の根元をつかんだ。ああ、わたしはなんてことをしてしまつたのだ。
遠くにいってしまったのに、いまはきみをいつにもまして、身近に感じる。
妻を感じることは――できる。
リアルに感じる。
尺八の調べに誘われて、いまふり返ったなら、わたしはなにを見るだろうか。
虚無僧の姿は消えて、白い杖だけがポッンと石畳の上に冬の斜陽をあびている。
ふいに、川の表層がもりあがる。波となって寄せてくる。
波の牙が襲ってくる。「もういい。もういいからやめたら。小説をかくことなんか、やめたら」波が吠えている。
波はわたしをのみこもうとする。波頭がもりあがっておしよせてくる。
濃密な生きものの気配が、波に潜んでいた。
波が吠えた。ズブヌレになって、波の牙に追われて、啓介はただひたすら逃げた。
膝の痛みがあるのでギクシャクとした走行だ。波がなぜ怒りくるっているのか。
わかり過ぎるほどよくわかる。波を避けて走りつづけた。
まだ、死ぬには、早過ぎる。
まだ、傑作と広言できるようなものは書いていない。
もっと、ましな、小説を書きたい。
いままで書いてきた小説はどれも気にいらない。
「もういいわよ。もう諦めて、書くの、やめたら」
妻に宣告されたのはいつの日のことだったろうか。
「わたし待ちくたびれた」
妻が嘆声をもらしたのはいつだったろう。
「才能がなかったのよ」
妻のステ台詞。
そんなことは、じぶんがいちばんよくしっている。悲しいことだが――。
でも始めたことはやめられない。やめることはできない。
書きつづけることで、わたしは生きている。
書かなくなるといことは、死を意味する。書くことが命なのだ。
川辺からは遠ざかったつもりだった。まだ遊歩道でもたついていた。
背後から襲いかかる波は、蘇芳色をしていた。
血の色だ。
牙を剥いて襲いかかる波。
大波。小波。
波に翻弄される。
波頭が砕ける。
白いはずの波。牙まで血の色をしている。弧を描きながら襲いかかってくる。
波頭から飛び散る波しぶき。生臭い血の臭いまでする。
まだ、まだ――、だ。
まだ、もっとましな小説が書ける。
まだ、生きぬいて、いい小説が書きたい。
いい小説とは、どんな小説なのだ。
川の霊体よ、わたしの脳の動きを読みとっているのなら、教えてくれ。
怒涛となって、わたしをのみこむ前に教えてくれ。
膝が痛む。もう先には進めない。教えてくれよ。
わたしと妻の会話を読みとっている川よ。
教えてくれ。
見せてくれ。
妻の姿を――。
わたしの手に杖が現れた。
いや、これは骨だ。
わたしは妻の骨を突いて、川の堤をのぼりだした。
いまになって、わたしは妻のあのときの言葉にちがった解釈をあたえている。あれは慈悲だった。あの言葉は、妻だからこそできるたったひとつのわたしへの贈り物だった。妻の愛情から紡ぎだされた慈悲の言葉だった――。カムバックを果たせないまま毎日苦吟するわたしをみかねての言葉だった。アセリと苦悩に苛まれて老いていくわたしに、平穏な日々をすごしてもらいたいと願う妻のこころからでた言葉だったのだ。わたしに、創作から離れて、なにも悩むことなぞない、日々を過ごさせたかった。二人で静かに老境を遊びたいという願いからの発声だった。
「才能がないのよ」あの言葉を、あのとき瞬時に軽蔑の言葉と思いこみ、あのたった一言で、半世紀以上になる二人の信頼関係、助けあって生きてきた愛情に満ちた生活を破壊してしまったのだ。
たった一言で――わたしはブチ切れていた。
暮れなずんでいた冬の日がようやく夜をむかえようとしている。
わたしは杖をついた。杖ではない。これは妻の骨だ。
どうやら、二足歩行はムリらしい。じぶんの足だけで歩くのは困難だ。
膝はさらに痛む。
妻が河川敷を見はるかすベンチに座っている。
ベンチに座った妻のワイドパンツの裾が風になびいている。
わたしを励ますように手をふっている。
妻までの距離が遠い。
わたしはついに堤の斜面を這い登りはじめた。
妻の骨を杖として、妻に助けられながら、土手を這い登る。
波を逃れて土手を上る。
這いずりながら妻の手招きに、妻の期待に添うべく土手を這い進んだ。
尺八の音はいつのまにか途絶えていた。

第三稿


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10 尺八の音に誘われて  麻屋与志夫

2017-12-28 21:34:26 | 超短編小説
10 尺八の音に誘われて
 
妻とよく散策した黒川の河川敷、郷里鹿沼にもどったときには必ず訪れる風景のなかの点景人物にわたしはいまもなっている。
どうやらまだピテカントロプスエレクトス(直立猿人)として二足歩行は可能のようだ。変形性膝関節症のわたしには辛いことだが――。
この黒川は日光山系から小来川に流れ、途中で行川(なめがわ)と合流して鹿沼まで到達する清流である。
南朝の藤原藤房公が小来川に来た時、薬師堂の丘から眺めた景観を見て「湧き出でし 水上清き小来川 真砂も瑠璃の光をぞ添う」という和歌を詠まれました。この「小来川」の文字が地名の由来となっていう。そうした地名の由来をヤフーの検索で知ったのはいつのことだったろう。
「だからこの黒川の上流――を土地の人は、オコロガワ、と呼んでいる」
「こんなにキレイな流れなのに、どうして黒い川というの」
「それは……」といったところでわたしは言葉をのみこんだ。
妻が最初の子どもをミゴモッテいた。まだ元気だった両親にその報告がてら舞い戻った故郷――はじめての黒川河畔の遊歩道でのことだった。
日光男体山開山にあたり、勝道上人が土着の北方民族との戦いに明け暮れ、その流した血は夜になると生臭く黒い流れとなった。と古文書が伝えている。赤い血の色が月明かりでは、黒く見えたのだろう。
そうしたなまなましい血の歴史を語ることは、妊婦にはふさわしくない。――そうした配慮から言葉を紡ぐことを中断したのだった。
あれから幾たび、この河畔の遊歩道を妻と散策したことだろう。
遊歩道は流れぎりぎりのところに敷かれている。
旧帝国繊維の工場群の辺りからはじまり貝島橋の辺りで途絶える。遊歩道の行く手が、バジッと切断されたように途切れてしまうのが、いかにもこの街の土木工事らしかった。ここまで歩いて来て人は、振りかえって真逆のほうこうに戻ってください、といわれているようだ。前に進むことはできない道なのだ。
元来た方にもどらなければならない。せめて、土手に登る道でも作っておけばいいモノを――。また来た道を戻るということは、たまらない。閉塞感にさいなまれる。
「アラツ。尺八の音色よ」
わたしのかたわらを歩いていた妻がつぶやいた。低い妻の声よりも、なお、かすかな尺八の音色が嫋々と河川敷に流れていた。いままで、その音に気づかなかったのは、わたしがもの想いにふけっていたからだろう……。
川面には夕霧がながれていた。
渇水期とあって流れはゆるやかだ。
尺八のかすかな音色は川面にすいこまれていく。
川音と尺八の音が融け合い幽玄な調べとなってきこえてくる。枯れ芒があるかなしかの風にゆらいでいる。
遊歩道の縁が防波堤のように普通の縁よりも高くなっている。ちょうど、腰をおろすのにいい高さだ。そこに虚無僧が尺八を作法通りにかまえて吹き鳴らしていた。足を「く」の字に曲げた蹲踞の姿勢から女性と知れた。かたわらに、白い杖がこれもコンクートの縁にたてかけてあった。
「いまどき、本当に珍しいわね」
妻は未来のじぶんに声をかけている。
「あなたが、さきに死んだら、四国巡礼の旅にでるわ。旅の途中で、行き倒れて死ぬのがわたしの美学よ」
不吉なことをいうなとはわたしはいえなかった。
「それとも、虚無僧になって奥の細道の旅に出ようかしら」
わたしはなんとも返事ができなかった。
妻の想いとは逆に、わたしがとりのこされている。
傍らにいたはずの妻がいない。
たしかに、いままで妻の声がきこえていたのに。
妻がいない。
遠くにいってしまったのに、いまはきみをいつにもまして、身近に感じる。
妻を感じることは――できる。
リアルに感じる。
尺八の調べに誘われて、いまふり返ったなら、わたしはなにを見るだろうか。
虚無僧の姿は消えて、白い杖だけがポッンと石畳上に冬の斜陽をあびて在るだろう。
ふいに、川の表層がもりあがる。波となって寄せてくる。
波はわたしをのみこもうとする。波頭がもりあがっておしよせてくる。
濃密な生きもモノの気配が、波には潜んでいた。
波が吠えた。ズブヌレになって、波の牙に追われて、わたしはただひたすら逃げた。
膝の痛みがあるのでギクシャクとした走行だ。波がなぜ怒りくるっているのか。
わからない。波を避けて走りつづけた。
まだ、死ぬには、早過ぎる。
まだ、傑作と広言できるようなものは書いていない。
もつと、ましな、小説を書きたい。
いままで書いてきた小説はどれも気にいらない。
「もういいわよ。もう諦めて、書くのやめたら」
妻に宣告されたのはいつの日のことだったろうか。
「わたし待ちくたびれた」
妻が嘆声をもらしたのはいつだったろう。
「才能がなかったのよ」
妻のステ台詞。
そんなことは、じぶんがいちばんよくしつている。悲しいことだが――。
でも始めたことはやめられない。やめることはできない。
書きつづけることで、わたしは生きている。
書かなくなるといことは、死を意味する。書くことが命なのだ。
川辺からは遠ざかったつもりだった。まだ遊歩道でもたついていた。
背後から襲いかかる波は、蘇芳色をしていた。
血の色だ。
牙を剥いて襲いかかる波。
大波。小波。
波に翻弄される。
波頭が砕ける。
白いはずの波。牙まで血の色をしている。弧を描きながら襲いかかってくる。
波頭から飛び散る波しぶき。生臭い血の臭いまでする。
まだ、まだ――、だ。
まだ、もっとましな小説が書ける。
まだ、生きぬいて、いい小説が書きたい。
いい小説とは、どんな小説なのだ。
川の霊体よ、はわたしの脳の動きを読みとっているのなら、教えてくれ。
怒涛となって、わたしをのみこむ前に教えてくれ。
膝が痛む。もう先には進めない。教えてくれよ。
わたしと妻の会話を読みとっている川よ。
教えてくれ。
見せてくれ。
妻の姿を――。
わたしの手に杖が現れた。
いや、これは骨だ。
わたしは妻の骨を突いて、川の堤をのぼりだした。
暮れなずんでいた冬の日がようやく夜をむかえようとしている。
わたしは杖をついた。三足歩行となった。
膝はさらに痛む。
妻が河川敷を見はるかすベンチに座っている。
ベンチに座ったが妻のワイドパンツの片裾が風になびいている。
わたしを励ますように手をふっている。
妻までの距離が遠い。
わたしはついに堤の斜面を這い登りはじめた。
妻の骨を杖として、妻に助けられながら、土手を這い登る。波を逃れて土手を上る。
這いずりながら妻の手招きに、妻の期待に添うべく土手を這い進んだ。
尺八の音はいつのまにか途絶えていた。

第二稿




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超短編小説「老いの窓から」10 尺八の音に誘われて。 麻屋与志夫

2017-12-27 06:18:32 | 超短編小説
10 尺八の音に誘われて
 
妻とよく散策した黒川の河川敷、郷里鹿沼にもどったときには必ず訪れる風景のなかの点景人物にわたしはいまもなっている。
どうやらまだピテカントロプスエレクトス(直立猿人)として二足歩行は可能のようだ。
変形性膝関節症のわたしには辛いことだが――。
この黒川は日光山系から小来川に流れ、途中で行川(なめがわ)と合流して鹿沼まで到達する清流である。
南朝の藤原藤房公が小来川に来た時、薬師堂の丘から眺めた景観を見て「湧き出でし 水上清き小来川 真砂も瑠璃の光をぞ添う」という和歌を詠まれました。この「小来川」の文字が地名の由来となっている。そうした地名の由来をヤフーの検索で知ったのはいつのことだったろう。
「だからこの黒川の上流――を土地の人は、オコロガワ、と呼んでいる」
「こんなにキレイな流れなのに、どうして黒い川というの」
「それは……」といったところでわたしは言葉をのみこんだ。
妻が最初の子どもをミゴモッテいた。まだ元気だった両親にその報告がてら舞い戻った故郷――はじめての黒川河畔の遊歩道でのことだった。
日光男体山開山にあたり、勝道上人が土着の北方民族との戦いに明け暮れ、その流した血は夜になると生臭く黒い流れとなった。と古文書が伝えている。赤い血の色が月明かりでは、黒く見えたのだろう。
 そうしたなまなましい血の歴史を語ることは、妊婦にはふさわしくない。――そうした配慮から言葉を紡ぐことを中断したのだった。
あれから幾たび、この河畔の遊歩道を妻と散策したことだろう。
遊歩道は流れぎりぎりのところに敷かれている。
旧帝国繊維の工場群の辺りからはじまり貝島橋の辺りで途絶える。遊歩道の行く手が、バジッと切断されたように途切れてしまうのが、いかにもこの街の土木工事らしかった。ここまで歩いて来て人は、振りかえって真逆のほうこうに戻ってください、といわれているようだ。前に進むことはできない道なのだ。
元来た方にもどらなければならない。せめて、土手に登る道でも作っておけばいいモノを――。また来た道を戻るということは、たまらない。閉塞感にさいなまれる。
「アラツ。尺八の音色よ」
 わたしのかたわらを歩いていた妻がつぶやいた。低い妻の声よりも、なお、かすかな尺八の音色が嫋々と河川敷に流れていた。いままで、その音に気づかなかったのは、わたしがもの想いにふけっていたからだろう……。
川面には夕霧がながれていた。
渇水期とあって流れはゆるやかだ。
尺八のかすかな音色は川面にすいこまれていく。
川音と尺八の音が融け合い幽玄な調べとなってきこえてくる。枯れ芒があるかなしかの風にゆらいでいる。
遊歩道の縁が防波堤のように普通の縁よりも高くなっている。ちょうど、腰をおろすのにいい高さだ。そこに虚 無僧が尺八を作法通りにかまえて吹き鳴らしていた。足を「く」の字に曲げた蹲踞の姿勢から女性と知れた。かたわらに、白い杖がこれもコンクートの縁にたてかけてあった。
「いまどき、本当に珍しいわね」
 妻は未来のじぶんに声をかけている。
「あなたが、さきに死んだら、四国巡礼の旅にでるわ。旅の途中で、行き倒れて死ぬのがわたしの美学よ」
 不吉なことをいうなとはわたしはいえなかった。
「それとも、虚無僧になって奥の細道の旅に出ようかしら」
 わたしはなんとも返事ができなかった。
 妻の想いとは逆に、わたしがとりのこされている。
 傍らにいたはずの妻がいない。
たしかに、いままで妻の声がきこえていたのに。
妻がいない。
遠くにいってしまったのに、いまはきみをいつにもまして、身近に感じる。
妻を感じることは――できる。
リアルに感じる。
尺八の調べに誘われて、いまふり返ったなら、わたしはなにを見るだろうか。
虚無僧の姿は消えて、白い杖だけがポッンと石畳上に冬の斜陽をあびて在るだろう。
ふいに、川の表層がもりあがる。
波となって寄せてくる。
波はわたしをのみこもうとする。
襲いかかる波は、蘇芳色をしていた。
血の色だ。
牙を剥いて襲いかかる波。
大波。小波。
波に翻弄される。
波頭が砕ける。
白い牙となって、弧を描きながら襲いかかってくる。
波頭から飛び散る波しぶき。
まだ、まだ――、だ。
まだ、もっとましな小説が書ける。
まだ、生きぬいて、いい小説が書きたい。
いい小説とは、どんな小説なのだ。
川の霊体よ、はわたしの脳の動きを読みとっているのなら、教えてくれ。
怒涛となって、わたしをのみこむ前に教えてくれ。
膝が痛む。もう先には進めない。教えてくれよ。
わたしと妻の会話を読みとっている川よ。
教えてくれ。
見せてくれ。
妻の姿を――。
わたしの手に杖が現れた。
いや、これは骨だ。
わたしは妻の骨を突いて、川の堤をのぼりだした。
わたしは杖をついた三足歩行すらあきらめなければならなかった。
膝はさらに痛む。
妻が河川敷を見はるかすベンチに座っている。
ベンチに座ったが妻のパンタロンの片裾が風になびいている。
わたしを励ますように手をふっている。
妻までの距離が遠い。
わたしはついに堤の斜面を這い登りはじめた。
四足歩行だ。
這いずりながら妻の手招きに、妻の期待に添うべく土手を這い進んだ。

尺八の音はいつのまにか途絶えていた。


第一稿





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