馬場氏は、もはや「敗戦思考」の迷惑老人としか呼べなくなりました。
・田中に内在した国際関係のイメージは、日本の封建時代のそれに等しかった。
・列強はすべて封建諸侯のように、限りない権力と領土拡大を目指す、飢えた狼のようなものであり、ロシアもその例外ではない。
・近い将来、ロシアが氷結しない港を求めて、満蒙の地へ朝鮮へと、南下してくることは必然である。この体勢を見れば、満韓交換を意図した日露協商などは、無意味である。
・ロシアが一段と強大になり、南下してきた暁には、日本は、アメリカやイギリスに仲介を乞うという、恥をさらさねばならないであろう。
・シベリア鉄道がまだ単線で、それも全部完工されていない今、ロシアに一大打撃を与えねば、手遅れになってしまう。というのが、田中の主張であった。
氏は、田中氏の外交感覚が時代遅れのものであると酷評します。
・危険を犯し体を張り、死神の口に飛び込んでいくのは、ヤクザが単身敵の中に切り込み、果てはさあ、殺せと、地面に大の字に転がるのに等しい。
・潔く見えても、武勇のはき違えであり本来の武士道ではない。それはドン・キホーテ的行動であり、田舎侍のそれであって、洗練された武士のとる行動でなかった。
氏の肩書は津田塾大学の助教授で、本を出版した当時は30代の若者です。
・この田中の行動と合わせて、われわれが想起したいことは、昭和の軍国主義者たちもまた、理性を超越した日本の精神主義を信じ、太平洋戦争に猛進して行ったことである。
列強がアジアを侵略していた当時、田中氏の思想は果たして時代遅れだったのでしょうか。断言するほどの知識を氏は持っていたのだろうかと、そんな疑問が生まれます。
戦後に再評価された幣原氏を誉め、軍の指導者を酷評すれば、人道的平和主義の学者に認められる・・それだけの著書ではなかったのかと思えたりします。米国を後ろ盾に、流行の「東京裁判史観」で田中氏を切り捨てるのですから楽な話です。
ロシアの南下に危機感を覚え、日本はどうすれば良いかと知恵を絞った田中氏に、「ねこ庭」はむしろ共感を覚えています。
無謀な戦争ではなく、当時の指導者たちは常に終戦工作を忘れず、米国との外交交渉に努力をしていました。辛くも得た勝利だったとしても、日本に負けたロシアは東アジアでの南下政策を諦めています。
日露戦争の敗北で、ロシアが矛先を バルカン半島へと向け、これがやがてオーストリアやドイツとの紛争を引き起こし、第一次世界大戦になります。
田中氏の外交を「単身ヤクザの切り込み」と、学問の名に相応しくない下品な説明の方に、田舎侍の卑しさを見る思いがします。氏がしているのは、大東亜戦争に負けた日本の指導者たちを愚者扱いし、卑屈な「敗戦思考」を国内に広める行為です。
田中氏について述べた後で、幣原氏外交の説明に入ります。大正13年に、幣原氏が外相に就任した時の演説を紹介しています。
・日本と列国は、互いにその正当な権利を尊重し、もって、世界全般の平和維持を計ることを、外交方針の根本主義とする。
・いわゆる侵略主義、領土拡張政策は、不可能な迷想である。
・およそ国際間の不和は、一国が他国の当然なる立場をも無視し、偏狭なる利己的見地に執着することによって発生するものである。
・これに反し、われわれの主張するところは、共存共栄の主義であります。
・いまや世界の人心は、この方向に向かい、覚醒せんとしております。国際連盟のごとき制度も、この人心の覚醒に根底を置いております。
幣原外相の演説を好意的に解説するので、解説がそのまま田中氏への批判となります。
・幣原は、偏狭な、排他的な国益を考えたり、他国と無協調に独善的に、国益を追求しようとは思わなかった。
・彼には国益優先論はなかったが、もちろん、国益を増進しようとしなかったのではない。
・国益は、列国との協調を乱さない限りにおいて追求されるべきであり、個別の国益を超越し、世界の平和を維持すべき義務が、国際社会の一員として、それぞれの国にあることを彼は強調するのである。
・このことが幣原外交の、国際主義、協調主義と言われるゆえんである。
評価できる部分があるとすれば、氏が最後に「両論併記」をしている箇所です。田中氏と幣原氏を並べて語っています。
・幣原も田中と同様、日本を愛したことに変わりはなかった。
・その愛する日本を、世界史の上でいかに位置づけていくかという点で、彼らは大いに異なっていた。
・幣原は、国内的には民主国家としての日本が、経済的に発達し、近代国家として成長していくことを望んだ。
・国際的には列国と協調し国際法を誠実に守り、平和国家としてのイメージを築いていくこと、これこそが国家百年の大計であると考えていた。
・田中は、日本を世界に位置づけていくためには、日本固有の文化と伝統を守り抜くことであると考えた。
・日本が西欧と同じになったり、物まねをしていたのでは、日本が無くなるのみならず、世界史の中に埋没してしまうと考えていた。
・日本の国体こそは世界に冠たるものと、信じて疑わなかった。
二人の元首相が意見を異にしていても、共に国を愛する指導者であったと言っています。微かながら、氏が単なる反日左翼教授でなく、愛国の学者の一面もあるという説明です。
氏の著書で語られる政界は、自民党以外に国を愛する党がいない現在の日本と違っています。維新の党を除けば反日左翼の野党ばかりですから、国の危機もそっちのけで、実りのない政争を国会で繰り広げています。
スペースがなくなりそうなので、本日はこれで終わりたいと思います。次回は、著者が賞賛してやまない、幣原外交の欠点について「ねこ庭」の考えを紹介します。
訪問された方がおられましたら、この退屈なこの「ねこ庭」を読んでいただき感謝いたします