ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

『日中戦争』 - 5 ( 日本の文化と他国の文化 )

2018-04-23 20:02:01 | 徒然の記

 アジア侵略をする、欧米列強の餌食になるまいと、懸命に文明開化をし、富国強兵の道をひた走った日本が、 アジアの一等国となります。

 得意の絶頂に我を忘れますが、その喜びは短期間で終わり、世界の強国から寄ってたかって打ちのめされます。

 戦前の日本史を復習していますと、なぜか平家物語の一節が頭に浮かんできます。

  「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり、」

  「沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理(ことわり)をあらはす。」

  「驕れる者は久しからず、ただ春の夜の夢の如し。」

  「猛き人もつひには滅びぬ、ひとへに風前の塵に同じ。 」

 「驕れる者は久からず。」・・、まさに戦前の日本は、そうだったとうなづかされます。

 アジアの片隅の小国が、あっという間に近代化を達成し、清国を破りロシアを負かし、世界の国々が目を見張りました。敗戦後の日本がまた性懲りも無く、同じ奇跡を世界に見せました。

 焦土と化した国を、瞬く間に世界第二の経済大国として甦らせ、他国が驚嘆し、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」なとど、持て囃されました。しかし、これもまた、つかの間の有頂天で、再び日本は世界の国々から打ちのめされます。

 なぜ日本という国は、成功をおさめると諸外国から叩かれるのか。日本人はなぜ、いつも国を挙げ、他国の言動に一喜一憂するのか。どうして他国と、普通の関係が維持できないのか。

 最近、どうやら答えは日本の中にあり、日本人の思考法の中にあるのでないかと思えてきました。

 徳川時代の三百年の鎖国を含め、二千年余の歴史の中で、私たち日本人は、日本でしか通用しない精神文化を、完成させていたのではないのでしょうか。ぼんやりとした予測でしかありませんが、弱肉強食の国際社会にありながら、日本は、他国と違う独自の文化を形成してしまったのでないか。

 武士道や、大和心や、侘び・寂び、あるいは「おもてなし」や「忖度」など、世界に似たものはありますが、それらはすべて「似て非なるもの」でないのか。しかも私を含め、日本人のほとんどがそれに気づいていない。

 私たちの言葉や気持は、日本人同士だけで通用し、他国には誤解されるものでしかない。そうと考えなければ、戦前・戦後の日本の置かれた状況に、説明がつきません。

 自分たちの覚醒がなければ、国際社会での孤立感や疎外感は克服できません。日本人と同じ人間同士という感覚で、他国と条約を結ぶから間違いが生まれるわけで、初めから「違う人間の国」と認識していれば、失望も怒りも生じません。

 韓国が売春婦問題について、「未来永劫、不可逆的に解決する。」と約束しても、韓国との取り決めだから当てにならないと、対抗策を準備しておけば良いのです。適度につき合うと言う姿勢も、対抗策の一つです。

 「尖閣も、沖縄も、自国のものだ。」と、中国が言ってもカッカとせず、「侵犯したらやり返す」と、相手を睨み返せばいいのです。

 そうなると、夢見る宰相だった幣原氏が自慢する憲法を、国際社会のレベルに合わせ改正しなくてなりません。

 いつものことですが、テーマを外れ脱線したように見えますが、「ねこ庭」の中では繋がっています。「謝る」という行為が中国や韓国・北朝鮮での常識としてどうなっているかを知れば、話がつながります。

 「自分の非を認め、率直に謝ること」は、日本人同士なら立派な行為として褒められるが、隣の国や他のアジア諸国、あるいは欧米諸国ではどうなのか。」

 「非を認めて謝ると、その人間は身ぐるみ剥がされて、奴隷にされる。あるいは、即座に、殺されかねない。」

 生活習慣も風俗も宗教も言葉も違う他民族が、隣り合わせに混在して生きる大陸では、人情や情状酌量など、そんなことを重要視していたら命を失います。日本と、他国では「謝罪」の意味からして違います。

 日々が命がけの戦いですから、彼らは決して謝りません。これを文化というのか、生活習慣と言うのか、正確な言葉を知りませんがこれが現実です。

 彼らのために弁護すれば、それだけ厳しい世界で生きているということでしょう。会社勤めをしていた時、東南アジアの現地法人に出向していた社員が、こんな話をしてくれました。

 「車のタイヤを交換しようと、事務所の前に、新品のタイヤを置いていた。」

 「そのタイヤを、抱えて持って行こうとする奴がいたんで、追いかけて行って、返せと言ったら、そいつがなんといったと思う。」

 「大切なタイヤなら、人通りの多い道路に置くはずがない。」

 「道路にあるというのは、落ちていたのだから、拾った自分のものだ。」

 謝れば許そうと思っていたのですが、本気で怒ったそうです。社員は体が大きく格闘技もやっていたため、最後には男がタイヤを返しましたが、

「落ちていた物を拾ったのに泥棒扱いとは、日本人はひどい奴だ。」

 捨て台詞を残して去ったと言います。この男が特別珍しいのでなく、現地ではこのようなトラブルが幾らでもあると聞きました。ですからこれはもう、文化の違いとしか言いようがありません。

 南米やアジア諸国で数々の悪業を重ねた列強が、一度でも相手国に謝罪したことがあったでしょうか。「謝罪」すれば法外な代償を要求されるだけでなく、白人社会の劣等生として叩かれます。彼らは誰も、謝罪など考えません。

 ところが、国際常識に欠けたお人好しの日本政府と「お花畑の住民」が、平身低頭しますから、未来永劫叩かれ続けることになります。

 中国での侵略を個人として反省することと、政府が国際社会で「謝る」ことは区別しなければなりません。「ねこ庭」は知らない事実を教えてもらいましたが、他国の常識を説明しなかった氏にあまり感謝しません。

  「驕れる者は久しからず、ただ春の夜の夢の如し。 

 今後私たち日本人は成功しても、有頂天になったり奢ったりしないことです。他国とつき合うときは国際常識で接し、日本的反省は通用する日本人の間でやれば良いのです。

 今回のブログも、息子たちに贈る言葉です。まだ紹介しない事実が残っていますが、目的を達したので本日で最終回と致します。

コメント (2)
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