ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

『満州事変への道』 - 2 ( 46年前だから出版できた、偏見図書 )

2018-04-10 05:37:25 | 徒然の記

 馬場中也氏が「まえがき」で、著書の目的を述べていますので紹介します。

 ・日中国交回復の悲願が実現せんとする今日、日本が中国へ、全面的侵略を開始した満州事変への道をあとづけすることは、日本人の犯した過ちを反省する意味でも、また、将来の日中関係を展望する意味においても、重要なことであると思う。

 ・小著はそうした観点から、1920年代後半における、日中関係を分析すると同時に、幣原外交と田中外交が、日本外交史上いかなる意義を持ったかを、合わせて考察したいと思う。

 氏は、田中元首相と幣原元首相を対比する形で話を進めます。田中氏は軍人として幣原氏は外務官僚として活躍し、最後は首相となり昭和史に名を残しています。

 氏は東京裁判史観を正しいものとして著書を書いていますが、昭和47年当時の学者や文化人はほとんどが

 「日本軍は無謀な戦争をし、多大な犠牲を中国に強いた。」という、日本国悪人説でした。

 年配者であるほど中国への贖罪意識を持ち、その思いを捨てられない人物が沢山います。必要以上の自国卑下思考を、自虐史観という人もいますが、「ねこ庭」は「敗戦思考」と呼びたいと思います。

 敗戦前後の政府のスローガンを並べますと、世相の変化が見えます。「一億玉砕」から「一億総懺悔」へと、政府が手のひらを返したのですから、学者や政治家、文化人、朝日新聞やNHKの変節を責めるのは、酷な気がしないでもありません。

 しかし戦後73年が経過しても「敗戦思考」に縛られ、自分の国を客観的に見ないと言うのもおかしな話です。報道も出版も変わらないと言うのでは、国民が騙されたままになります。

 スターリンが何を画策したか、ルーズベルトが日本に何をしたのか。毛沢東や蒋介石が、どんな手段で日本を欺いたか。

 大東亜戦争に関わった他国の事情が明らかになり、日本だけが間違っていたと言うより、手玉に取られ、欺かれていた事実が出てきています。それでも「敗戦思考」を持ち続ける人間を、放置しておいて良いのか。過去を正しい位置に戻さなければ、子や孫をダメにすると考えなくて良いのか。問題はここにあります。

 私や著者のような年寄りは、順番に死んでいきますから、「自虐史観」でも「敗戦思考」でも、好きなだけ抱いておれば良いと思います。

 しかし子や孫やひ孫たちを「敗戦思考」のまま放置するのは、親として祖父として忍びないものがあります。世間に溢れる「敗戦思考」を放任してはいけないと考えるのは自然の流れです。馬場氏の批判も、そのためにします。

 田中義一氏に関する、氏の説明を紹介します。

 ・日本には昔から、一か八かやってみるとか、当たって砕けろ、といった慣用句がある。

 ・ということは、そうした直接行動的な行動をする人々が、かなりいることを物語っている。田中の日露開戦への奔走には、この傾向が如実に見られた。

 ・理性的に考えれば、兵数においても武器においても、領土においても、実際の輸送力においても、日本よりはるかに勝るロシアのような強大国と、一線を交えることは、無謀に等しかった。

 ・それよりは外交交渉により戦争を回避し、日露協商を結んだ方が無難であった。

 やはり氏は、息子たちを惑わせる「敗戦思考」の迷惑老人です。つまらないことを、喋ります。

 ・しかし田中は、譲歩したり、妥協したりするよりは、一か八かやってみよう、やってみなければ分からないという、一種の直接行動的な、ギャンブル気質があった。

 ・彼は幣原外交にみられた合理性や緻密な論理よりも、常に情念に基づく、直接行動に訴えようとした。

 氏の説明によると、日露戦争を開戦へと導いたのは参謀本部にいた田中氏です。

 ・田中には元勲伊藤博文に背いても、あるいは氏と仰ぐ山縣や大山を偽っても、自己の信念を貫徹する信念があった。

 切腹を覚悟でロシアの輸送力を偽り、御前会議で説明したと話します。次に氏は、幣原氏の外交姿勢を語ります。

 ・彼の外交の一つの特色は、特に経済問題を重視したことである。

 ・ために幣原外交は、経済外交であるともよく言われる。

 ・新しい外交は、領土の拡大とか他国民を征服しようというのでなく、国家の経済利権の増進を図り、もって国民生活の安定を期するにあるとの信念があったからである。

 ・彼は常に、国益は平和的手段によって、あくまでも国際協調の下に追求されなくてならないと信じていた。

 ・この信念を実現するため、彼は三つのスローガンを用いている。すなわち、世界人類と共に戦争なき世界の創造、平和共存、正義の支配するところには武器の必要がない、この三つである。

 どれが3つのスローガンなのかよく分かりませんので、項目に分けてみます。

    1.   世界人類と共に戦争なき世界の創造

             2.   平和共存

             3.   正義の支配するところには、武器の必要がない

 現在の私たちは、中国の地域侵略や、ロシアのウクライナ侵略を目の前にしていますから、平和外交の無力さを知っています。

 「敗戦思考」の迷惑老人の話に戻ります。

  ・田中と幣原の青少年期を比較して、いまひとつ注目すべき点がある。

 ・幣原が人格形成の最も重要な時期を、両親から独立し、日本の三大都市、大阪、京都、東京で、過ごしたのに対して、

 ・田中は、因襲的風土色の強い萩、対馬、松山といった田舎で、生育したことである。

 ・幣原が洗練された都会的、近代的センスを身につけていたのに比べて、田中には常に、泥臭く、古風な雰囲気が漂っていたのも、両者のこうした生活環境、体験の相違に起因した。

 驚くべき偏見ですが、萩、対馬、松山の人たちは黙っていたのでしょうか。46年前には、こんな地方蔑視の本が世に出ていたかと思うと、時代の変化を教えられます。

 中央公論社も、今ならこのような本を出版しないでしょう。氏の本も別の意味で有名になったのではないでしょうか。

 「若者に読ませてはならない、有害図書」

コメント
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