1. 宮沢官房長官談話 昭和57 ( 1982 ) 年8月26日 ・・鈴木内閣時代
2. 日韓首脳会談での謝罪 平成 4 ( 1992 ) 年1月17日 ・・宮沢内閣時代
3. 河野官房長官談話 平成 5 ( 1992 ) 年8月 4日 ・・宮沢内閣時代
国辱の「談話」と言えば「河野官房長官談話」、いわゆる「河野談話」ということになっていますが、最初の「国辱談話」は 「宮沢官房長官談話」でした。
国益を損ねたばかりでなく、多くの国民を塗炭の苦しみに追いやった「河野談話」ですが、それ以前に宮沢氏の「国辱談話」がありました。当時の状況を説明するネットの情報を、紹介します。
・事の始まりは、昭和57 ( 1982 )年6月だった。
・朝日、毎日、読売、産経等大手メディア各社が、高校歴史教科書検定で文部省が「 (中国)華北への侵略 」という記述を、「 (中国)華北への進出 」に書き改めさせたという記事を一斉に報じた。
・実はこれは、共同取材に当たったテレビ局の記者の勘違いに端を発した誤報だったが、中国、韓国、北朝鮮が激しく反発し、外交問題化した。
別途昭和57年の出来事を調べると、関係する事実の記録がありました。
・昭和57年 7月 中国政府、日本の教科書の中国への「侵略」を「進出」とする記述を非難
8月 韓国政府 日本植民地支配の記述に抗議、是正を要請
8月26日 「宮沢官房長官談話」発表
9月26日 鈴本首相謝罪のため訪中
書き換えの事実はなく誤報だったと分かり、中国、韓国などの批判と攻撃はおさまりましたが、不思議だったのは大手メディアの対応でした。各社は訂正記事を出しましたが、「今回は無かったが、過去にはあった。」と朝日新聞は誤報を認めなかったそうです。
誤報の原因の記事を各社に回した者については、日本テレビの記者という話や産経グループの記者という意見があったりで、結局うやむやの内に終わっています。
「宮沢官房長官談話」の内容は教科書問題、「河野談話」は慰安婦問題と中身が違います。しかし片方は記者の誤報、もう一方は吉田清治の大嘘をもとにした「国辱談話」という点で共通しています。説明は後にすることとし、先ず外務省のホームページから宮沢氏の談話を紹介します。
〈 宮沢内閣官房長官談話(昭和57年8月26日)〉
一、 日本政府及び日本国民は、過去において、我が国の行為が韓国・中国を含むアジアの国々の国民に多大の苦痛と損害を与えたことを深く自覚し、このようなことを二度と繰り返してはならないとの反省と決意の上に立って平和国家としての道を歩んできた。
我が国は、韓国については、昭和四十年の日韓共同コミニュニケの中において「過去の関係は遺憾であって深く反省している」との認識を、中国については日中共同声明において「過去において日本国が戦争を通じて中国国民に重大な損害を与えたことの責任を痛感し、深く反省する」との認識を述べたが、これも前述の我が国の反省と決意を確認したものであり、現在においてもこの認識にはいささかの変化もない。
二、 このような日韓共同コミュニケ、日中共同声明の精神は我が国の学校教育、教科書の検定にあたっても、当然、尊重されるべきものであるが、今日、韓国、中国等より、こうした点に関する我が国教科書の記述について批判が寄せられている。我が国としては、アジアの近隣諸国との友好、親善を進める上でこれらの批判に十分に耳を傾け、政府の責任において是正する。
三、 このため、今後の教科書検定に際しては、教科用図書検定調査審議会の議を経て検定基準を改め、前記の趣旨が十分実現するよう配慮する。すでに検定の行われたものについては、今後すみやかに同様の趣旨が実現されるよう措置するが、それ迄の間の措置として文部大臣が所見を明らかにして、前記二の趣旨を教育の場において十分反映せしめるものとする。
四、 我が国としては、今後とも、近隣国民との相互理解の促進と友好協力の発展に努め、アジアひいては世界の平和と安定に寄与していく考えである。
(出所・外務省ホームページ)
息子たちと「ねこ庭」を訪問された方々は気づかれると思いますが、談話の根底に流れているのはアメリカが喜ぶ「東京裁判史観」です。どうしてそんなにアメリカが喜ぶのかについては、次回に説明いたします。