ねこ庭の独り言

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文明の衝突 - 7 ( 西欧文明が支配した世界 )

2019-10-14 17:31:07 | 徒然の記
 時事問題を離れたからでしょうか、訪問される方が少なくなりました。しかし私は自分のペースで、「温故知新」の旅を続けます。
 
 日本を取り巻く国際情勢は、歴史を背負う国々との対立ですから、そのまま「文明の対立」、あるいは「文明の衝突」に他なりません。自分の現在を理解するには、現存する文明について知っておく必要があります。
 
 学生の時怠けていた世界史の勉強を、必要に迫られ、七十の手習を始めたと思えば、読書もまた楽しです。 ( 余計なことを述べているのは、息子たちのためでなく、怠惰な自分への励ましです。)
 
 「様々な文明が、断続的あるいは限定的に、」「他方面で、遭遇したのは確かだが、」「西欧文明が、他の全ての文明に与えたインパクトほど、持続的で圧倒的、かつ多面的なものはなかった。」
 
 「15世紀末、西欧はイベリア半島を再征服し、」「ムーア人から取り戻し、ポルトガル人がアジアに、」「スペイン人が、南北アメリカに進出し始めた。」「その後200年の間、西半球全域と、」「アジアのかなりの部分を、ヨーロッパが支配、」「もしくは統治した。」
 
 要するにこれがキリスト教国による、異教徒・非文明国の殺戮と支配です。
 
 「18世紀末には、ヨーロッパ人が、合衆国への直接的支配から手を引いたことに始まり、」「ハイチやラテンアメリカのほとんどが、」「ヨーロッパの支配に反旗を翻し、独立を遂げた。」
 
 「しかし19世紀後半には、西欧に帝国主義がよみがえり、」「アフリカのほぼ全土を、支配下に置くとともに、」「インド亜大陸、及アジア各地で、」「西欧による支配を強化した上、20世紀の初めには、」「トルコを除く中東のほぼ全域を、直接あるいは間接に、」「支配するようになっていた。」
 
 私たちに馴染みの深い言葉で言えば、「西欧列強による有色人種国の植民地化」ですが、アメリカ政治学会の会長でハーバード大学教授ですから、氏はそのような説明はしません。
 
 時代が幕末・明治に近づいてきますと、次第に興味が湧き、遠い昔のように思ってい日本の過去が、つい先日の話になります。
 
 「ヨーロッパが拡大する間に、アンデス文明と中米文明は滅ぼされて、」「インド文明とイスラム文明は、アフリカ文明とともに隷属させられ、」「中国は侵略されて、西欧の影響下に置かれた。」
 
 「ロシアと日本とエチオピアだけは、」「いずれも高度に中央集権化した、帝国政府に統治されており、」「西欧の攻勢にもよく耐え、意味のある独立を貫くことができた。」
 
 「400年の間、文明同士の関係は、」「西欧文明に、他の社会が服従するという形で、続いたのである。」
 
 ロシアやエチオピアが、どうであったのか詳しく知りませんが、日本については知っています。ペリーの軍艦に脅され、イギリスの艦隊に打ち負かされ、江戸の武士たちが、懸命に国を守ろうと頑張ったのが、この時代です。
 
 「西欧の攻勢にもよく耐え、」「意味のある独立を貫くことができた。」と、氏は簡単に述べていますが、ご先祖たちが、どれほどの勇気と忍耐で頑張ってきたかを、私は心に刻んでいます。
 
 そうなるとやはり中国や韓国に対し、攻撃する相手が間違っていると、言いたくなります。彼らは日本のように独立を守れず、列強の力に屈したのですから、むしろ自らの非力を反省することが先でしょう。
 
 自分の教えた生徒が、師を超えたからと言って、八つ当たりする中国は情けない師です。列強に国土を切り取られた、自らの不甲斐なさを恥じるのが、先ででしょう。まして韓国は、日本に屈し、自ら進んで併合されたのですから、今になって何を言っているのか、恥ずかしい国です。
 
 だが私は、中国や韓国の政府と違いますから、相手ばかりを非難しません。むしろ現在の日本政府と、日本人を恥じています。血と涙の努力で、ご先祖様が守った国だというのに、国民の多くは歴史を忘れ、恩を忘れ、大切な誇りを失っています。
 
 西欧に屈した隣国から、言いたい放題を言われ、反論もしない現在の政府と日本人は、ご先祖様に対し、恥じなければなりません。彼らの理不尽な言いがかりに耐えることを、「大人の対応」などとごまかしている、戦後日本人は、中国人や朝鮮人と同じレベルにまで落ちたと、そう思います。
 
 「当時文明といえば、西欧文明のことだった。」「国際法といえば、西欧の国際法のことだった。」「国際的な体制といえば、西欧諸国と、それらが支配する植民地との関係を指していた。」
 
 忌々しい思いに駆られますが、氏は自慢しているのでなく、歴史の事実を語っています。ここは謙虚に耳を傾けます。
 
 「西欧社会は、西欧同士で、より対等な関係で、相互に作用し合っていた。」「ヨーロッパの人々は、共通の文化を持ち、」「活発な交易のネットワーク、人間の絶え間ない移動、」「支配階級の名門同士の、見事なほどの連帯などを通して、」「広範囲に接触し合っていた。」
 
 「彼らは、ほとんど休みなく戦っていた。」「ヨーロッパ諸国の間では、平和は例外であって、」「常態ではなかったのだ。」「西欧文明の内部では、宗教の分裂と宗教戦争、」「王位継承戦争があり、君主、皇帝、絶対君主、立憲君主の国々が、争っていた。」「フランス革命以降、国王たちの戦争が終わり、」「国民と王との戦い、国民同士の戦いが始まった。」
 
 長いので、乱暴に割愛し、好き勝手に引用していますが、それでも、ヨーロッパについて大雑把に分かります。江戸時代に、300年間の太平の世を作った日本は、後進国ではなく、大した国だったと、教えられます。
 
 まだやっと70ベージですから、前途遼遠です。気の短い人は、暫く「ねこ庭」への訪問を控えてください。( ただ息子たちは、そうしてはいけません。)
 
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