「陸海軍の対立は伝統的なものだったが、戦時中になされる争いは、」「そのまま作戦の、成功不成功に響くものであった。」
「たとえば飛行機についても、戦闘機、爆撃機、輸送機、練習機の全てを合わせても、」「僅かの種類しかないにもかかわらず、」「陸海軍は、別々の製造工場を持っていた。」「しかも一方が立派な工場を立てれば、他方も負けずに新しい工場を立てる。」「競争というより、仇同士のような有様であった。」
確かめる方法がないので、そういうことがあったのかと、思うしかありません。
「海軍は飛行機に関しては、陸軍の追随を許さない優秀性を誇り、」「陸軍に対して、その技術を秘密にしていた。」
「1月8日の会議でも、争いが起こった。」「海軍が、ポルトガル領チモールに航空基地を作るため、」「上陸作戦の必要があると、主張した。」「これに対し東條首相と東郷外相は、〈ポルトガルは戦争相手国ではない〉と、上陸作戦に反対した。」
「永野海軍軍令部長は、色をなして怒り激論が始まった。」「両者はなかなか譲らず、結局はポルトガルが、」「陸軍部隊の平和進駐を認めるということで、ケリがついたが、」「それからというもの、永野軍令部長は、「陸軍出身の東條首相と、口をきかないようになった。」
陸海軍が、真剣な議論をしていたという印でないかと、私には思えますが、氏にはそうでないようです。
「また、占領地の軍政を陸軍所管とするか、海軍とするかでも常にもめた。」「マニラ陥落寸前に、高等弁務官官邸を、」「陸軍が使うか海軍が使うかといった、つまらないことで、」「三日間も、議論し続けたことがある。」
このような些事を取り上げる方が、余程つまらないことでないかと思えますが、しかし次の事実が本当なら、国を危める話になります。
「パレンバンは、有名な落下傘部隊の活躍で、陸軍の手に落ちていた。」「ここにあった採油施設も、当然陸軍の手中に入った。」「開戦時の予想では、せいぜい5万トンぐらいと考えられていたが、」「実際には150万トンだった。」
「ところが陸軍には、油を運ぶ船がなかった。」「一方海軍の押さえていたボルネオでは、油が少ししか取れず、船は余っていた。」
「常識で考えれば、海軍の船で陸軍の油を運べば解決するが、」「海軍は、陸軍になんと言われても船を貸さない。」「パレンバンの製油所の運営を、海陸合同でやるのなら貸そうといってきた。」「無論陸軍は承知しない。」「そんなことで、多量の油は、なんの役にも立たずパレンバンに眠っていたのである。」
その頃国内では、至る所の壁に「ガソリンは血の一滴」というポスターが貼られていました。石油なしでは自動車も走らず、やむなく木炭自動車が、薪を積んで走っていました。陸海軍の対立については知りませんが、木炭車が走っていた風景は、教科書で教えられました。
陸軍と海軍の対立の激しさについて、何も知らないわけではありません。東京裁判の法廷で、対英米作戦計画について尋問された東條元首相が、次のように答えています。
「海軍統帥部が、この間何を為したるかは、承知致しません。」
当時の日本では、陸海軍がそれぞれに作戦を立て、実行し、相互の連携が図られていませんでした。真珠湾の奇襲攻撃に至っては、首相であった氏にさえ、海軍は詳細を知らせていません。
これには渡部昇一氏も驚き、「首相がこのように言っているとは、信じられない思いですが、嘘ではないでしょう。」と述べていました。国務と軍事の管轄が完全に分かれ、陸・海軍の意思の疎通も図られていなかったというのが、当時の実態だったようです。
大畑氏も、単なる陸海軍の対立を批判する意見にとどめず、東京裁判の判決の虚構を覆せば良かったのです。キーナン検事長とウエッブ裁判長が、28人の被告を有罪にした法理論は、「全面的共同謀議」でした。
昭和3年から敗戦の20年までの17年間、政府と軍は「全面的共同謀議」により、侵略戦争を計画し、準備し、実施したという理論です。ヒトラーのドイツを裁いた法理ですから、この理論がなければ、裁判自体が成立しませんでした。対立していた陸軍と海軍が、「全面的共同謀議」をするはずかないと説明するのなら、偏らない教授の意見です。
反日学者の視点が的を外れている例として、報告しました。次回も同じスタンスに立ち、「的外れ」な氏の主張を紹介いたします。