ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

『太平洋戦争 - 上 』 - 11 ( 反日学者の視点 )

2021-12-04 14:17:23 | 徒然の記

 100の事実を調べ、中から都合の良い事実だけを10取り上げて詳述し、他の90を軽視するとしたら、その論文は正しいと言えるのでしょうか。大畑氏の著作を読みながら、私はそんなことを考えていました。

 事実を書いているのですから、「うそ」の著作ではありません。しかし90%の事実の説明を省略しているとしたら、それは「捏造」の範疇ではないでしょうか。251ページの「陸海軍の対立」の章を読み、その感を深くしました。

 「昭和17年に入ると、〈大本営陸軍部発表〉と〈大本営海軍部発表〉と分けていたものを、」「〈大本営発表〉と、一つにまとめた。」「戦果がどちらの功名になるのかということで、陸海軍が争うのを防ぐためだった。」

 知らないことを教えてくれる人は、みんな私の師と言いましたが、大畑氏は例外です。教えられても、敬意を払う気になりません。

 「陸海軍の対立は伝統的なものだったが、戦時中になされる争いは、」「そのまま作戦の、成功不成功に響くものであった。」
 
 「たとえば飛行機についても、戦闘機、爆撃機、輸送機、練習機の全てを合わせても、」「僅かの種類しかないにもかかわらず、」「陸海軍は、別々の製造工場を持っていた。」「しかも一方が立派な工場を立てれば、他方も負けずに新しい工場を立てる。」「競争というより、仇同士のような有様であった。」
 
 確かめる方法がないので、そういうことがあったのかと、思うしかありません。
 
 「海軍は飛行機に関しては、陸軍の追随を許さない優秀性を誇り、」「陸軍に対して、その技術を秘密にしていた。」
 
 「1月8日の会議でも、争いが起こった。」「海軍が、ポルトガル領チモールに航空基地を作るため、」「上陸作戦の必要があると、主張した。」「これに対し東條首相と東郷外相は、〈ポルトガルは戦争相手国ではない〉と、上陸作戦に反対した。」
 
 「永野海軍軍令部長は、色をなして怒り激論が始まった。」「両者はなかなか譲らず、結局はポルトガルが、」「陸軍部隊の平和進駐を認めるということで、ケリがついたが、」「それからというもの、永野軍令部長は、「陸軍出身の東條首相と、口をきかないようになった。」
 
 陸海軍が、真剣な議論をしていたという印でないかと、私には思えますが、氏にはそうでないようです。
 
 「また、占領地の軍政を陸軍所管とするか、海軍とするかでも常にもめた。」「マニラ陥落寸前に、高等弁務官官邸を、」「陸軍が使うか海軍が使うかといった、つまらないことで、」「三日間も、議論し続けたことがある。」
 
 このような些事を取り上げる方が、余程つまらないことでないかと思えますが、しかし次の事実が本当なら、国を危める話になります。
 
 「パレンバンは、有名な落下傘部隊の活躍で、陸軍の手に落ちていた。」「ここにあった採油施設も、当然陸軍の手中に入った。」「開戦時の予想では、せいぜい5万トンぐらいと考えられていたが、」「実際には150万トンだった。」
 
 「ところが陸軍には、油を運ぶ船がなかった。」「一方海軍の押さえていたボルネオでは、油が少ししか取れず、船は余っていた。」
 
 「常識で考えれば、海軍の船で陸軍の油を運べば解決するが、」「海軍は、陸軍になんと言われても船を貸さない。」「パレンバンの製油所の運営を、海陸合同でやるのなら貸そうといってきた。」「無論陸軍は承知しない。」「そんなことで、多量の油は、なんの役にも立たずパレンバンに眠っていたのである。」
 
 その頃国内では、至る所の壁に「ガソリンは血の一滴」というポスターが貼られていました。石油なしでは自動車も走らず、やむなく木炭自動車が、薪を積んで走っていました。陸海軍の対立については知りませんが、木炭車が走っていた風景は、教科書で教えられました。
 
 陸軍と海軍の対立の激しさについて、何も知らないわけではありません。東京裁判の法廷で、対英米作戦計画について尋問された東條元首相が、次のように答えています。
 
  「海軍統帥部が、この間何を為したるかは、承知致しません。」

 当時の日本では、陸海軍がそれぞれに作戦を立て、実行し、相互の連携が図られていませんでした。真珠湾の奇襲攻撃に至っては、首相であった氏にさえ、海軍は詳細を知らせていません。

  これには渡部昇一氏も驚き、「首相がこのように言っているとは、信じられない思いですが、嘘ではないでしょう。」と述べていました。国務と軍事の管轄が完全に分かれ、陸・海軍の意思の疎通も図られていなかったというのが、当時の実態だったようです。

 大畑氏も、単なる陸海軍の対立を批判する意見にとどめず、東京裁判の判決の虚構を覆せば良かったのです。キーナン検事長とウエッブ裁判長が、28人の被告を有罪にした法理論は、「全面的共同謀議」でした。

 昭和3年から敗戦の20年までの17年間、政府と軍は「全面的共同謀議」により、侵略戦争を計画し、準備し、実施したという理論です。ヒトラーのドイツを裁いた法理ですから、この理論がなければ、裁判自体が成立しませんでした。対立していた陸軍と海軍が、「全面的共同謀議」をするはずかないと説明するのなら、偏らない教授の意見です。

 反日学者の視点が的を外れている例として、報告しました。次回も同じスタンスに立ち、「的外れ」な氏の主張を紹介いたします。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
«  『太平洋戦争 - 上』 - 10 (... | トップ |  『太平洋戦争 - 下 』 ( ... »

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

徒然の記」カテゴリの最新記事