仏教の教えだったか、あるいは古代インドからの思想なのか、「因果応報」という言葉があります。子供の頃に聞いたのは「親の因果は子にめぐる」で、意味は親が悪いことをすると子に報いが来る、というものでした。
金王朝の本を読んでいますと、その言葉が思い出されます。金○成は、大国に翻弄される朝鮮を見て、自立した強い国家を作ろうとしました。動機は素晴らしかったのですが、彼はそのために米中ロの大国だけでなく、自国内の政敵とも容赦なく戦い、多くの人間を粛清しました。
李氏の著書によりますと、妻以外の女性に子供を産ませるという奔放な生き方が、そのまま息子の金○日に受け継がれました。彼には妻以外の愛人が、5人いたと言われています。チュチェ思想では、後継者は長男の男子となっているとのことで、後継者が曖昧です。長男とは正妻の子なのか、愛人の子なのかということになり、争いが生まれます。
絶大な権力を持つ独裁者の後継者ともなれば、それぞれの長男とおぼしき男子に、忠臣たちがそれぞれに支援者となってつき、激しい権力争いとなります。血に塗れた手で作った政権は、どこまでも流血がついて回ることになるようです。
李氏の著作を離れますが、金○日の亡くなった時の状況がネットにありましたので、紹介します。真偽は確認できませんので、参考情報として読んでください。
「金○日は2008 ( 平成20 )年8月に、一度脳卒中で倒れたとされている。その後も数度にわたって、中国やロシアを訪れるなど外交活動に臨み、国内では現地指導を重ねていた。」
「しかし2011年 ( 平成23 ) 12月17日8時30分、心筋梗塞のために死亡したとされる。」「享年70。」「2日後の12月19日正午、朝鮮中央テレビが特別放送を行い、死亡が発表された。」
「朝鮮中央通信は金○日が、〈地方視察及び指導に向かう列車の中で、12月17日午前8時半、過労により息を引き取った〉と伝えた。」
北朝鮮の独裁者について関心がなかったので、よく覚えていませんが、朝鮮中央通信と朝鮮日報が伝えた報道によると、次のような内容だったそうです。
・金○日は、心臓や脳血管の病気で長期にわたり治療しており、そうした中で現地指導を続けていた。
・積もりに積もった精神的・肉体的過労により心筋梗塞が起き、心臓性ショックを併発した。
・2012 ( 平成24 ) 年12月25日、金○日の急死は、北朝鮮北部に建設中の煕川水力発電所ダムで漏水事故が起きていることを聞き、現場へ向かう途中だったと伝えた。
・これ以前より、強盛国家建設のため注力していた石炭を使った新技術による繊維製造業と製鉄業が、実際は業績が上がっていないにもかかわらず順調との虚偽報告だったと知り、強度のストレスを受けていたらしい。
心筋梗塞、心臓性ショックという死因も父親と似ていますし、次の話も似ていて、「因果応報」を感じさせられます。龍谷大学教授・李相哲氏の談話です。
「韓国に脱北した複数の元高官の証言や、金○日の死亡に触れた中韓の政府文書をを検証すると、彼は、実際には前日の12月16日の午後8時頃、訪れていた次女の金雪松宅の寝室で倒れ、搬送先の32号招待所内の医療施設で午後11時に死亡が確認されたという。」
遺体にメスを入れられませんでしたが、亡くなった場所も、日時も、公式発表が曖昧にしているところに、独裁国家特有の謎を感じさせられます。
序列から言えば、三男だった金○恩が、最高権力者になっていますが、これも調べてみますと「因果応報」でないかと思います。何番目の愛人か分かりませんが、もと女優の成恵琳との間に生まれたのが、長男の○男でした。
次に金○日が愛したのは、大阪出身の在日朝鮮人だった高英姫だったと言います。二男一女をもうけ、兄が金○哲、弟が金○恩、妹が与正 ( よじょん ) です。
つまり金○恩の上には、兄正哲の他に異母兄の長男○男がいました。○哲は女性的な優男で、政治に無関心でギタリストとして生きようとしていたため、早くから後継者として金○日に認められていなかったとのことです。
中国在住の○男と三男の○恩が、最後まで後継争いをし、強く○男を支援していたのが金○日の妹の金○姫とその夫張成沢だったそうです。
金○恩が最高権力者になった時最初に実行したのが、張成沢と金○男の粛清 ( 殺害 ) でした。センセーショナルな事件だったため、日本のマスコミが大きく取り上げましたので、これについては覚えています。中国が金○男を自国に住まわせ保護していた理由は、次の二つだと言われています。
・中国の意に反いて核大国になろうとする北朝鮮を、中国政府は快く思っていなかった。
・後継者として正統性のある金○男を自国内で保護することにより、いつでも朝鮮の後継者として利用できる。
同じ全体主義国でありながら、中国と北朝鮮は対立したり協力したりで、側から見ていると実態がよく分かりません。正統性を疑問視されながら、金○日の三男で最高権力者になった金○恩の粛清 ( 殺人 ) の残忍さについては、スペースの都合で次回に紹介します。