ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

『金○日の核と軍隊』 - 10 ( 日本を狙ったミサイル基地 )

2022-07-18 16:31:39 | 徒然の記

 1993 ( 平成5 ) 年、金○日が総参謀部の軍官たちの前でした演説を、李氏が紹介しています。

 「北朝鮮は戦争を望んでいないが、戦争を怖がらないし、アメリカや国際社会が攻撃をしてきて、韓半島で戦争が起きた場合は、今まで隠しておいた核兵器を使ってでも地球を壊す。」

 その後、チョンジュ・ミサイル基地、テッポ洞ミサイル基地で発射実験が行われた時、分析所の朴星哲特務士が述べた言葉も紹介しています。

 「北道明川郡と和台郡にあるミサイル基地は、日本の沖縄とグアムを狙っており、中江には、中国を狙ったミサイル基地を建設中である。」

 自衛隊はこうした情報を把握しているのだと思いますが、私が注目したのは次の叙述でした。

 「北朝鮮が韓国だけでなく、日本を狙ったミサイル基地を設置しているのには、理由がある。万一、韓半島で戦争が起きた場合、36年間もの間いじめ抜いた日本を攻撃しようというのである。」「実際北朝鮮にとって日本は、韓国よりももっと憎い相手だと人民に認識されている。」

 日帝36年間の植民地支配と、韓国政府が激しい批判をしますが、北朝鮮もこれについては同じで、両国ともに反日教育に力を入れています。「情報閉鎖社会の若者」の中に分類しているのは、次の氏の意見のためです。

 「日帝支配の36年間、朝鮮人民に大きな被害を与え、20余万名の女性たちを従軍慰安婦として連行し、彼女たちの青春と人生まで奪い、日本軍の性の捌け口とされたことを、北朝鮮のテレビやラジオ放送は、口を合わせてその事実を非難してきた。」

 「当時も、連行された老婆がテレビに出て、自分の青春と人生を保障せよと、泣き叫んでいた。それを見た北朝鮮の人民は、ともに涙を流していた。」

 吉田清治の大ウソを、朝日新聞が取り上げて大々的に報道し、植村隆が深い考えもなく「従軍慰安婦」という言葉を使って記事を拡散し、彼らの捏造報道がどれだけ日本国民の心を傷つけ、日本の国益を台無しにしたのか、昨日のことのように思い出します。

 1982 ( 昭和57 ) 年にペテン師吉田の記事を発信して以来、32年間も朝日新聞は慰安婦問題を特ダネとして扱ってきました。2014 ( 平成26  ) 年の8月に、吉田清治の一連の記事が間違いであったと取り消し、社長が辞任しました。

 日本国内向けには謝罪と取消しをしましたが、国際社会に対しては、記事の取消しもお詫びもしていません。その結果が李氏の著作の言葉となり、北朝鮮人の日本憎悪を掻き立てています。氏の著作の出版は平成6年で、朝日のお詫び会見はその20年後の話ですから、「情報閉鎖社会の若者」の分類に入れるのは正しくありませんが、「日帝36年間の植民地支配」という思考は該当します。

 「日帝36年間の植民地支配」と「慰安婦問題」は、捏造された情報であるにもかかわらず、日本国内の反日左翼たちの支援を受け、今も多くの韓国・北朝鮮の国民に信じられています。だから李氏はためらうことなく、日本向けの核ミサイル基地の説明をします。

 「金○成自身も、親兄弟や親戚などその多くが、日帝36年間の間に亡くなってしまった。反日感情が誰よりも強かったのだ。」

 「射程距離を日本まで入れたミサイル基地は、東海岸 ( 日本海  ) に1ヶ所でなく、2ヶ所も建設している。」

 軍の高官でない氏の意見ですから、どこまで信憑性があるのか分かりませんが、核開発の基地で勤務する一兵士の知見だと、無下に否定できない内容です。

 「おそらく北朝鮮は有事の際、韓国を支援しているアメリカの隣接軍事施設を、攻撃できる能力が必要だと感じている。」

 「その場合攻撃対象には、過去の朝鮮戦争の時、仁川上陸作戦基地となっていた日本の佐世保港をはじめ、在日米軍施設を集中的に攻撃することになるだろう。このため北朝鮮は、射程距離千キロを超える労働ミサイルの開発に必死になっているのである。」

 なぜ北朝鮮は危険な核兵器の開発を止めないのかと、この回答を見つけるのが読書計画の目的でした。『金○成』の中には叙述がありませんでしたが、『金○日の核と軍隊』には、その答えがありました。

 「1993 (  平成5 ) 年5月、新型ミサイル労働一号の試験発射が、東海で行われた。」「北朝鮮にとって東海は、自国の水域であるが、日本にすれば日本海と呼んでいるように、東海は重要水域である。」

 「労働一号の試験発射は、日本人にとって、大きなミサイル恐怖心を起こしたことだろう。」

 残念ながら、氏の思惑と現実は違いました。国民は大きな恐怖心に駆られることもなく、「北朝鮮は何をやっているのだろう」と、首を傾げた程度でした。政府が深刻な受け止めをせず、マスコミも騒がなかったからです。

 「これを利用しながら北朝鮮は、日朝間の外交交渉をできるだけ早く進めていきたいのだ。」

 ここでやっと独裁者金○日が、核開発を続ける目的が見えてきました。

  1.  アメリカや国際社会が朝鮮を攻撃をしてきたら、核兵器を使ってでも地球を壊す。

  2.  その時は同時に、憎い日本を攻撃する。

  3.  ミサイル発射実験で、日本国民に恐怖感を与える。

  4.  核の脅しを利用しながら、金○成以来の日朝国交回復を遂げる。

 日本国民の中に、日朝国交回復を望んでいる人間が何人いるのか知りませんが、少なくとも「ねこ庭」を訪問される方々は、李氏の意見に眉を顰めるのではないでしょうか。

 しかし政治家たちは、「日朝国交正常化推進議員連盟」を作り、自民党議員を含め30名が所属していますし、今は無くなったとはいえ、令和2年6月まで存在していた「日朝友好議員連盟」には、159名の議員が名を連ねていました。これらの人々の中に、李氏の著書を読んでいる議員が何人いるのでしょうか。

 韓国、北朝鮮と中国は、単なる日本の隣国ではありません。大東亜戦争を契機として、日本を敵として憎み、攻撃し全滅させて当然と考えている国々です。

 「同じ人間同士だから、話せば分かり合える。」「平和外交でいけば、必ず道が開ける。」と、果たしてそんな単純な想いが通じる国なのでしょうか。

 次回は、北朝鮮と韓国の対立の中身について、氏の著書から私たちの知らなかった事実を紹介します。

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『金○日の核と軍隊』 - 9 ( 金丸訪朝団のこと )

2022-07-18 05:24:18 | 徒然の記

 今回も、情報閉鎖社会での氏の意見を紹介します。氏が大学を退学させられた後、人民軍へ入隊し新兵訓練を受けている時の話です。実技訓練とともに、座学では政治学を教えられます。

 「私が新兵訓練を受けたこの年1990 (  平成2 ) 年は、日朝国交正常化とソ連の裏切り韓ソ修交で、外交情勢が複雑な展開を見せた時期であった。ともに、九月のことだった。」

 氏の説明によりますと、講義の内容は次のようなものでした。

  ・日本の陰の実力者である金丸氏が、北朝鮮を訪問した。

  ・金丸氏は金○成の前で、涙を流しながら次のように誓った。

  ・日本が行った36年間の植民地統治と、戦後45年間朝鮮人民に対して行った罪を、日本人民の名前で謝罪し、日朝国交正常化のため自分の生命を捧げる。

  ・今回朝鮮労働党と、日本の自由民主党と社会党の3党による共同宣言は、すなわち首領様の偉大さに対する良い実例だ。

  ・宣言の発表は、親愛なる首領同志様の賢明な処置であった。

 座学では、同時に人民軍最高裁判所判事の意見が紹介されています。

  ・世界で一番民主的で、党と首領様と人民が一つに団結したわれわれと修交がない限り、日本は一歩も進展できないし、その上少数の日本統治者たちを除いて、ほとんどの日本国民は、われわれとの修交を希望しているのだ。

  ・われわれが日本との国交正常化のため、三党共同宣言を発表したが、親愛なる指導者同志様は、「絶対にここで幻想や期待をせず、さらに革命の銃を強く握りしめて、前進せよ」とおっしゃった。

  ・われわれは、日朝国交正常化が前進すればするほど、党から受けた革命を最後まで達成しなければならない。

 金丸氏が涙を流して誓ったとは、日本人なら信じる人間はいませんが、軍の座学で教えられるのですから、兵士たちは信じたのだと思います。最高裁判所の判事の意見は、私たちには恐ろしい話です。国交正常化したら、日本での革命を銃を握りしめても遂行するという意味にも取れますから、とんでもない話です。

 今はこうして、国交正常化交渉に関する北朝鮮側の情報が分かりますが、当時の日本人は知っていたのでしょうか。訪朝したのは、副総理の金丸信氏と社会党委員長だった田辺誠氏で、随行したのは外務省の川島参事官でした。

 安倍氏が強硬に国交正常化に反対したため、彼らには目の敵にされましたが、正しい判断でした。「ねこ庭」のブログでは両論併記をしたいので、当時のことを説明した情報をネットで探しました。大嘘の北朝鮮の講義に比べれば、日本のネットの方がまだ客観的なはずですから、そのまま紹介します。

 「1990 (  平成2 ) 年8月、金丸は中華人民共和国を訪問して、北朝鮮訪問に向けた協力を要請した。」

 「同年9月には、日本社会党の田辺誠らと訪朝団を、団長として編成した(金丸訪朝団)。」

 「金丸と金○成は、日本語を用いて差しで対談を行った。しかしやり取りが文書として残っていないため、一体何を話したのかが謎となっている。」

 「この空白の数時間の間に取り決められたといわれる約束が、日朝の交渉においてしばしば、〈金丸さんが金○成主席と約束した〉という形で、北朝鮮側から持ち出されることがある。」

 「このとき金丸は、自民党の代表として国交正常化や統治時代の補償とともに、『南北朝鮮分断後45年間についての補償』という約束を、自民党、社会党、朝鮮労働党の3党で交した。この約束は帰国後〈土下座外交〉と批判を浴びた。」

 総理大臣を飛び越え、金丸氏は非公式な交渉をし、「二重外交」という言葉でも攻撃されたと記憶しています。マスコミの意見も称賛と批判とに分かれ、大騒ぎでしたが結局うやむやに終わりました。

 

 息子たちと「ねこ庭」を訪問される方々に、つい今しがた見つけた情報を紹介します。朝日新聞のネット情報GLOBEの記事です。今年の4月にした金丸信氏の子息、金丸信吾へのインタビュー記事です。氏は第1回の金丸訪朝団に同行しただけでなく、副総理だった父の意を汲み、22回にわたり訪朝している人物です。

 なぜ今頃朝日がこんな記事を発信するのか、事情を知りませんが、タイミングの良い内容なので、割愛しつつ紹介します。

 「1990年9月氏は、金丸元副総理らに同行した。この訪朝で、早期の国交正常化などをうたった、日朝3党共同宣言がまとまった。」

 「金○成主席が景勝地の妙香山で、これで私と金丸先生は同じ船に乗った。しかし、泥舟になるかもしれない。私と金丸先生とで力を合わせ、泥舟になっても国交正常化という目的地に向かってこいで行きましょう、と語りかける様子を目撃した。」

 「脱北した朝鮮労働党の元幹部は、(北朝鮮にとっての)金丸信は、中国にとっての田中角栄のような人物。その息子だから大切にした、と語る。」

 「2000 ( 平成12  ) 年に来日した鄭泰和・朝日交渉担当大使が、金丸元副総理の墓参りを希望したこともあった。」

 「2012 ( 平成24  ) 年に訪朝した際、北朝鮮側が金丸信吾さんに、平壌市内の劇場で、金○成生誕100年を記念して思い出について語ってほしい、と依頼した。」

 「北朝鮮が事前に渡した原稿には、〈金○成主席が金丸信元副総理を接見した〉など、上下関係をつけた表現になっていた。」 

 「金丸さんは、〈これは自分が書いた原稿ではない。上下関係をつけるのはおかしい。拉致や核ミサイル問題にも触れていない〉と抗議した。」「金丸さんは、〈自分で原稿を書けないなら、語らない〉と突っ張り、最後は北朝鮮も認めた。」

 この記事で私に分かったことは、李氏の新兵訓練時の講義が大ウソだったことです。金○成氏と金丸信氏に上下関係がある表現はおかしいと、子息の信吾氏に苦情を言われ訂正しています。

 「金丸氏は金○成の前で、涙を流しながら次のように誓った。」・・こんなことは、有り得ない作りごとになります。本日はここまでとし、次回は、背筋の凍るような「情報閉鎖社会での氏の意見」を紹介します。

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