「中国側が戦後発表した資料によると、数十万もの市民が殺されたことになっているが、」と、氏が説明しています。これは東京裁判で使われた、資料を指しています。米国と英国により作られたものです。
東京裁判については、現在その実態が明らかになっていますが、南京事件については、まだ世間では事実が知られていません。南京で大量虐殺があったという学者の説は、ほとんどが東京裁判での資料をもとにしています。
まず氏の著書に従い、南京事件に関する判決文の内容を、紹介します。
「南京が占領された後、最初の二、三日の間に、」「少なくとも、一万二千人の、」「非戦闘員である中国人男女子供が、無差別に殺害され、」「占領の一ヶ月の間に、」「約二万の強姦事件が、発生した。」
「また一般人になりすましている、中国兵を掃討すると称して、」「兵役年齢にあった、中国人男子二万人が、集団的に殺害され、」「さらに捕虜三万人以上が、武器を捨て、降伏してから、」「72時間のうちに、虐殺された。」
「なお、南京から避難していた市民のうち、」「5万7千人が、日本軍に追いつかれて、収容され、」「彼らは飢餓と、拷問に会い、」「ついに多数の者が死亡し、」「生き残った者の内の多くは、」「機関銃と銃剣で殺された。」
田中氏は松井大将と、攻略直後の南京に入っていますので、世間に溢れる学者たちの推測記事が、許せなかったのではないでしょうか。
「鎌倉市より狭い南京城内に、日本の新聞記者やカメラマンが、」「約120人も、占領と同時に入城し、」「取材に当たっているのである。」「朝日、毎日、読売、日経など全国紙の支局や、」「地方紙や通信社も、南京に特派員を派遣している。」「朝日新聞の取材班は、約80名、毎日新聞は、約70名だった。」
この説明を読み、私は驚きました。鎌倉に何度か行っていますが、南京がそれより狭い土地とは意外でした。その狭い場所に、占領と同時に120人の日本の記者やカメラマンが入っています。その後は、朝日と毎日だけでも、150名の取材陣です。それだけでなく、アメリカやイギリスなど外国の記者たちもいたのだと知りますと、意外感に打たれるばかりでした。
東京裁判の判決の不当性を証明するのは、簡単な話で、報道記者たちの証言を集めれば良いのです。田中氏は、訪ねた彼らの証言を本の中で紹介しています。
1. 原四郎 読売新聞上海特派員
「私が、南京で大虐殺があったらしいとの情報を得たのは、」「南京が陥落して、三ヶ月後のこと。」「当時、軍による箝口令が、敷かれていたわけではない。」「なぜ今頃、こんなニュースがと、」「各支局に確認をとったが、ハッキリしたことは、つかめなかった。」「また中国軍の宣伝工作だろう、というのが、」「大方の意見だった。」
2. 五島広作 東京日日新聞特派員
「自分が南京戦取材を終えて、上海に帰り、」「しばらくすると、南京で大虐殺があったらしいという、噂を耳にした。」「驚いて、上海に支局を持つ、朝日や読売や同盟など、」「各社に電話を入れてみた。」「どの社も、全然知らぬ、聞いたことも見たこともないという。」「おそらく敵さんの、例の宣伝工作だろうというのが、」「オチだった。」
3. 橋本登美三郎 朝日新聞上海支局次長 (元自民党幹事長)
「南京事件ねえ。」「全然聞いていない。」「もしあれば、記者の間で、話に出るはずだ。」「記者は、少しでも記事になりそうなことは、」「互いに話するし・・」「それが、仕事だからね。」「朝日新聞では、現地記者ばかり集めて、」「座談会もやったが、あったのなら、」「そんな話がでるはずだ。」
4. 足立和夫 朝日新聞南京特派員
「私は、南京大虐殺なんて、見ていません。」「 (そして氏は、虐殺の目撃者として名乗り出ていた、同社の今井正剛記者については、こう語った。)」
「あれは、自分で見て、記事を書く人でなかった。」「人から聞いたことを、脚色するのがうまかった。」
5. 森山喬 朝日新聞南京特派員 今井正剛記者と南京で共に取材していた。
「そんな話は、ついぞ聞いたことがない。」
6. 佐藤振寿 東京日日新聞カメラマン
「虐殺は、見ていません。」「虐殺があったと言われますが、」「16、7日頃になると、小さい通りだけでなく、」「大通りにも店が出ました。」「また、多くの中国人が、日の丸の腕章をつけて、」「日本兵の所に集まっていましたから、」「とても残虐な殺しがあったとは、信じられません。」
「南京事件について聞いたのは、戦後です。」「アメリカ軍が来てからですが、」「昭和21年か、22年頃だったと思います。」「NHKに、真相箱という番組があって、」「それで、南京事件があったと知りました。」「その放送を聞いた時が、初めてだったと思います。」
記者たちの証言は、まだ続きますが、省略します。120名以上南京にいたのですから、彼らの話が、一番の証言となるはずですが、田中氏の説明によりますと、東京裁判で、ウエッブ裁判長とキーナン首席検事は、彼らの証言を受けつけなかったそうです。
マッカーサーがマスコミの統制をしていましたので、新聞もラジオも、彼らの証言を報道することは許されませんでした。そうしてみますと、今井氏の話はすっかり逆になります。
「日本が情報統制をしていたため、国民が知らなかった。」というのでなく、マッカーサーが記者たちの証言を許可しなかったのです。
南京を訪れていたのは、報道陣だけでなく、大宅壮一、木村毅、杉山平助、野依秀一、西条八十、草野心平、林芙美子、石川達三といった、著名な評論家、詩人、作家がいました。GHQという権力の前で口をつぐんだのは、無理もないと思いますが、日本が独立して以後も黙っているのが残念です。
こういうところから、戦後日本の歪みが生まれているのだと思います。彼らが事実を語らないから、その後学者たちが次のように対立し、「南京事件」を国民の間に広がらせています。参考までに、転記しておきます。
1. 大虐殺派・虐殺肯定派
家永三郎 井上久士 小野賢二 江口圭一 笠原十九司
高崎隆治 姫田光義 藤原彰 洞富雄 本多勝一
吉田裕 渡辺春巳
2. まぼろし派・虐殺否定派
松尾一郎 阿羅健一 藤岡寛次 黄文雄 鈴木明
石平 田中正明 富澤繁信 東中野修道 藤岡信勝
水間政憲 山本七平 渡部昇一 百田尚樹
3. 中間派
私はこのブログを、GHQやアメリカへの非難として書いているのではありません。日本の中にいて、日本を貶めている反日・左翼の人間たちへの批判です。いわば、彼らは戦後利得者であり、自分たちの利益団体を守るため活動しています。私たちがやるべきことは、3つです。
1. 反日・左翼の政治家を落選させること。自民党内の自称リベラルも同様。
2. 反日・左翼マスコミ新聞を買わないこと。テレビを見ないこと。
3. スポンサー企業の製品を、買わないこと。
これだけでも、日本は変わります。