上田主席秘書官の談話です。
「その結果、大使館員とナチとの連絡も密接になったが、」「陸軍側とナチとの関係は、想像以上に深く、」「最後には、大島中将のような陸軍武官が出て、」「日本軍人かドイツ軍人か、全くわからぬ態度や行動をとった。」
大島浩武官の父親の大島中将まで登場し、初耳の話が、さらに続きます。
「この日独防共協定に対して、ヨーロッパ各国に駐在する、日本の外交官たちからは、」「ドイツはヨーロッパの嫌われ者で、そんなものと提携しては、」「日本はますます、国際間での孤立を深める、」「断じて不可 ! という反対意見の電報も、連日、」「広田弘毅首相や有田八郎外相の元に、寄せられていた。」
「西園寺公望公も、結局ドイツに利用されるばかりで、」「日本はむしろ、非常な損をしたように思われる。」「日本の地理的環境から言えば、英米と仲良くすることが最も良いのである、」「との態度をもらしていた。」
しかし昭和10年から11年にかけて、大島武官とドイツ側の交渉で条約案文が出来上がり、覆せませんでした。
「一度墨で書かれたものは消えないから、せめて濃い墨でなく、」「薄墨色程度の協定を結ぶ、」「と有田外相が語り、この協定はソ連を対象とするものではないという、声明を出した。」
しかしその秘密付属協定には、次の二項が含まれていました。
1. 日独両国の一方が、ソ連から攻撃または威嚇を受けた時は、他方は、ソ連の負担を軽くするような措置を取らない。
2. 両国はこの協定と両立しない、ソ連との政治的条約を結ばない。
戦後史を語る学者の意見で、近衛文麿首相は優柔不断で国の運命を誤らせたと教えられましたが、広田首相や有田外相も似ていたことが分かりました。
「昭和3年から、敗戦の20年までの17年間、」「内閣は、16回交代している。」「しかもその理由は、主として、閣内の意見不一致によるものである。」
渡部昇一氏の言葉を読めば、戦前のご先祖さまは、惑いつためらいつつ、その場その場を凌いできたのだと、分かります。緊張した国際情勢の中で、総理大臣の決断がいかに難しいのかという、証明でもあります。先日組閣したばかりの岸田総理についても、「優柔不断」というレッテルが貼られ、保守の評論家も批判していますが、もう少し様子を見てはどうかと言いたくなりました。
現在は岸田派と名前を変えていますが、元々リベラルと言われる宏池会は、左翼系親中派の議員が多い派閥です。憲法改正反対、再軍備反対、中国の反対する政策に反対という、いわば党内野党勢力です。派閥領袖の岸田氏が、外相に親中派の林芳正氏、幹事長に同じく親中派の茂木敏充氏を当てましたが、私は驚きません。
そんな岸田氏が、安倍内閣以来の日本学術会議委員の任命拒否を踏襲していることや、中国が嫌がるクアッドの、日本開催を進めていることの方に注目しています。
世界の大国アメリカも、不正選挙で当選した大統領が、反トランプ政策を標榜しながら、中国に妥協するようなしないような、不思議な舵取りをしています。一方の大国中国の習近平氏も、毛沢東を真似て「漢民族の帝国」を再興しようと頑張っていますが、頑張りすぎて、「世界の嫌われ者」になっています。
歴史を振り返りますと、岸田氏ばかりを責めるわけにはいきません。批判することは大事ですが、憎しみを先行させ、汚い言葉を浴びせるのだけはしたくないものです。衆議院の選挙で、国民の多くが岸田氏の自民党に票を入れたのですから、感情的な批判はやめようと思います。
話が脱線したと思われる方もいるのでしょうが、そうではありません。本を読んでいても、「憲法改正」と「皇室護持」の旗を忘れることはしません。
ここでもう一度、大畑氏の著書に戻ります。28ページです。
「防共協定を各国との間に広め、日本の国際的地位の向上に役立たせたいとした、」「広田首相の構想は、民主主義諸国との関係では、見事に失敗した。」
「こうして防共協定は、実際には、現世界秩序に叛逆しようとする、」「ファッシズム諸国との団結を、誇示する結果となった。」「このことはその後の日本の進路を制約し、新しい問題を今後に残すこととなった。」
やはり私は、氏の説明に違和感を感じます。「現世界秩序に叛逆」という言葉で、氏は何が言いたのでしょう。ドイツと日本を除く、当時の世界秩序は、欧米列強によるアジア諸国の植民地体制でしたが、それが正しい秩序だというのでしょうか。
氏の意見は、「現在から見た後づけの理屈」でしかありません。ドイツと日本が勝利していたら、その時はまた別の理屈で、敗戦国を語るのではないでしょうか。いずれにしても氏は、日本を愛する学者でなく、時流を上手に泳ぐ人物でないかと、そんな気がしてきました。