間が開きますと、読書の計画を忘れてしまいます。
1. 『日清戦争』 工学院大学教授 松下芳雄
2. 『日露戦争』 東京大学教授 下村冨士夫
3. 『第一次世界大戦』 早稲田大学教授 洞富雄
4. 『満州事変』 武蔵大学教授 島田俊彦
5. 『中国との戦い』 評論家 今井武夫
6. 『太平洋戦争(上)』 早稲田大学助教授 大畑篤四郎
7. 『太平洋戦争(下) 』 早稲田大学助教授 大畑篤四郎
現在は、今井武夫氏著『中国との戦い』の310ページです。著者の今井氏は、変わった経歴の持ち主なので、巻末の略歴を興味深く読みました。
「明治31年、長野県生まれ。」「陸軍大学校卒、参謀本部課長、」「歩兵第141連隊長、大東亜省参事官、」「中国在勤大使館付武官、支那派遣軍総参謀副長」
氏は学者でなく、参謀本部の軍人として中国戦線で戦った当事者でした。日中戦争を終わらせるため、蒋介石や汪兆銘と、直接交渉に当たっています。おかげて今まで不明だったことが、なんとなく分かってきました。
島田教授の著作を読み、大正14(1925)年に孫文が亡くなった後、国民政府には後継者が4人いたと報告しました。
1. 蒋介石 ・・ 国民政府・軍官学校校長 反共主義者
2. 胡漢民 ( こかんみん ) ・・ 暗殺される
3. 廖仲愷 ( りょうちゅうがい ) ・・胡漢民の暗殺が、廖の弟だったため、後継者から外された
4. 汪兆銘 ( おうちょうめい ) ・・ソ連親派の革命家 左派
国民政府は蒋介石と汪兆銘の二人が率いることとなり、左右両派の対立が同居したままになったと、書きましたが、今井氏の説明によりますと、汪兆銘はソ連親派の革命家(左派)ではありませんでした。
むしろ親日の中国人で、国民政府を離れ、臨時政府を作り、関東軍に協力しながら、日中戦争の終結に力を貸しています。同じ人物でも、著者が違うと、描かれ方も異なってくるのかと信じられない思いがしています。なによりも有り難かったのは、入り組んだ戦争の整理が、できたことです。
1. 日中戦争 2. 太平洋戦争 3. 大東亜戦争
今後の日本を考えるためにも、大切なことだと思いますので、以下のように整理しました。
1. 日中戦争 日本と中国の戦争
2. 太平洋戦争 日本と米英ソとの戦争
3. 大東亜戦争 1.と2.を合わせた戦争のことで、日本だけで使われていた。
日中戦争は、蒋介石の国民政府との戦いであるだけでなく、地方を支配している軍閥との戦いでもあります。蒋介石と同じ敵と戦っていた時もありますし、反共主義者の蒋介石は国民政府の中にいる共産党勢力とも戦っていました。謀略と背信が常に生じると言う状況での戦争ですから、複雑な戦争です。
しかもこの戦争は、日中双方が「宣戦布告」をしていません。反日の学者の中には、日本軍が中国を軽く考え、すぐにも破ると奢っていたため、と説明する人物がいます。実際はそうでなく、「戦争の当事国」には輸出をしないと言う、アメリカの方針があったからです。
日中双方に、武器弾薬、石油、食料等々、戦争遂行のためには、輸入を止められては困ると言う事情がありました。「戦争」と言う言葉を使わず、「支那事変」と言ったり「日中紛争」と言ったりするのは、そのためです。
太平洋戦争とは、日中戦争のことでなく、米英との戦争だと、参謀本部は区別していました。実際には、「日中戦争」が並行して行われていますから、私たち庶民には、「太平洋戦争」の意味がわかりません。戦争の末期になりますと、同盟国だったソ連までが、敵方となり攻撃してきますから、一層こんがらがります。
「大東亜戦争」と言う言葉を使ったのが、軍人だったのか、学者だったのか知りませんが、複雑怪奇な戦争をひっくるめて表現したのではないでしょうか。蒋介石も日本も、振り上げた拳のおろし場所とタイミングが掴めないまま、とてつもない戦争へ進んでしまいました。
「無謀な戦争」「勝ち目のない愚かな戦争」と、後世の学者たちが批評しますが、当時としては、行き着くところまで行くしかなかった戦争ではないかと、思えてなりません。「愚かな戦争」を繰り返さないためにも、過去の事実を知る読書は大事です。
しかしこれは、反日左翼の人々が言う、「平和憲法を守れ ! 」という主張が、正しいことには繋がりません。次回から、氏の著作でそれを教えてもらいたいと思います。