ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

自民党は、本当に保守政党なのか - 3 ( 東京裁判史観克服 ? )

2020-10-18 17:33:17 | 徒然の記

 今私の頭に浮かぶのは、2年前の平成30年に読んだ、富田健治氏の著書です。昭和37年に古今書院が出版した本で、『敗戦日本の内側』というタイトルでした。

 著者の富田氏は、明治30年に生まれ、東大卒業後に内務官僚となり、警察畑を歩いた人物です。第二次、第三次近衛内閣で、内閣書記官長を務め、戦後は、自民党の衆議院議員として活動しています。

 氏は近衛内閣の書記官長でしたから、GHQによって「右翼・軍国主義者」として政界から追放されます。本の内容は、近衛内閣の発足から、消滅し、公が自決するまでの出来事が、詳細に述べられています。

 今回引用しようとしているのは、本の最後の部分です。GHQの「右翼・軍国者追放」により、日本が左翼主義者の天下になり、その有様を見ながら、氏が語る言葉です。私はこれが、保守政治家の変節の始まりではないか、と思います。

 「急に平和論者ぶって、総司令部に入り浸っていると伝えられる、人たちの名前を、」「よく聞いたものである。」「そうかと思えば、日本人の悪口を告げるため、」「司令部に日参している者もあるという始末で、」「無条件降伏したと同時に、恥さらしの日本となった時代でもあった。」
 
 個人名は書かれていませんが、当時の日本を知る貴重な叙述です。
 
 「私は、日本の政治家、軍人、言論人と言われる人たちにして、」「敗戦にあたり、周章狼狽するばかりでなく、」「わが日本を売り、わが同胞を裏切ることによって、」「生活の道を得んとする、卑劣な根性の者が、」「いかに多かったかを知り、慨嘆に耐えないものがあった。」
 
 氏が語る裏切り者の一部が、私がブログの中で述べている、「反日・左翼学者たち」です。彼らの大量発生は、ここから始まっています。
 
 「民主主義は、よろしかろう。」「しかしながら、人を陥れ、人を裏切り、」「これにより自らの利益を得るというのは、」「民主主義以前の、不道徳ではなかろうか。」
 
 著書全体は、抑制の効いた文章で書かれていますが、この部分では、怒りがそのまま言葉に出ています。
 
 「かかる輩が、戦後すでに14年を過ぎて、」「なおかつ各界に、口をぬぐって、」「しかものさばっているとすれば、」「そんな日本の社会が、立派な成長を、なし得ようはずがないのである。」「今後の日本の正しく行く道は、」「終戦直後の破廉恥の是正から、」「再出発すべきものではなかろうか。」
 
 つまり日本は、というより私たちは、「終戦直後の破廉恥の是正」を今もってしていないのです。「彼らが口を拭い、各界に君臨した結果」の一つが、「日本学術会議」問題ではないのでしょうか。
  
 氏の本を読んだ後で、私は「変節した学者たち」というタイトルで、ブログをまとめました。戦前は明らかに軍国主義者だったのに、敗戦後に平和主義者に変節し、GHQに媚を売った学者たちを、「学界に巣食う、獅子身中の虫」として列記しました。各氏の名前を、もう一度転記します。
 
 《 中野好夫  宇都宮徳馬  我妻栄  戒能通孝  家永三郎 
   宮沢俊義  横田喜三郎  末川博、
 
 ( 注  )変節せず、根っからの反日・左翼学者は、久野収、大内兵衛の2氏です。 》
 
 平成24年に、前代未聞の出来事がありました。安全保障法関連法案の国会審議に際し、安倍政権への反対意見を、ハト派と呼ばれる自民党の幹部が、共産党の機関紙「赤旗」に寄稿しました。加藤紘一、野中広務、古賀誠の3氏です。何を血迷ったのか、彼らが宿敵である共産党にすり寄ったのを見て、「自民党は、どうなっているのか」と、その時以来、消えない疑問となりました。
 
 3氏は共に、自民党内にいて中国を賛美し、韓国を弁護し、北朝鮮を大事にした、正真正銘の「獅子身中の虫」でした。3氏とも、自民党幹事長経験者で、彼らと共産党をつなぐ糸が、「東京裁判史観」です。
 
 自民党の幹事長といえば、議員の公認、選挙資金、選挙支援について、大きな力を持つポストです。「代議士は選挙に落ちれば、ただの人」ですから、生殺与奪の権を握る幹事長には逆らえません。こんな重要ポストに、加藤、野中、古賀、二階と、媚中派の議員がつくところに、自民党が自民党で無くなっている事実を、見ることができます。
 
 「東京裁判史観」を克服できない議員が実権を持つ自民党で、「憲法改正」や「皇室護持」が果たしてできるのか、失望に近い怒りを覚えます。3氏の党内系譜を敗戦時まで辿れば、富田氏が怒りをあらわにした、「かかる輩」に辿り着くのですが、そこまでする元気が本日はありません。

 次回は、大阪と沖縄の市議会の、自民党議員の迷走ぶりから観察できる、自民党本体の信念と矜持の無さをご報告します。

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自民党は、本当に保守政党なのか - 2 ( 満鉄調査部 )

2020-10-18 00:42:42 | 徒然の記
  「学術会議会員の任命権は、果たして総理にあるのか、ないのか。」と、相も変わらぬ共同通信社の記事を、千葉日報が毎日届けてくれます。
 
 こんな些末な議論で国民をたぶらかす、マスコミや政治家を、私は軽蔑します。やはり今は、「温故知新」と謙虚になり、ご先祖様の足跡を辿るのが一番です。私が思い出しているのは、4年前の平成28年に読んだ、草柳大蔵氏の著書で、 昭和54年に、朝日新聞社が出版した『実録・満鉄調査部』( 上・下 ) です。
 
 草柳氏の経歴を、本の中身と共に紹介したいのですが、4年前のブログと重複しますので、必要な部分だけを転記します。
 
 「なにしろこの満鉄調査部は、日本人が作り得る、空前絶後の知識集団であって、ちっとやそっと " 現在の光 " を当てても、その全貌を捉えることは困難だと思われたのです。」
 
 本を書くにあたっての、氏の言葉です。準備して書き終えるまで、10年かかったそうですから、「日本学術会議」の比ではない複雑さだと思われます。当時の日本が生み出した、最高のシンクタンクであるとも言われている、満鉄調査部の概要だけを、箇条書きにします。
 
 1. 明治40年、満鉄総裁後藤新平が「調査部」(満鉄調査部の前身)を創立
 2. 昭和13年、満鉄総裁松岡洋右が「大調査部」へ改組
 3. 全スタッフ数、2,125名
 4. 年間予算は800万円 ( 本書出版時の貨幣価値に換算すると、約38億円 )
 
 令和2年の現在なら、もっと多額になるのでしょうが、計算が苦手な私には、大変な額だと思うだけで、詳細はわかりません。少なくとも、「日本学術会議の10億円」とは、大きな違いです。
 
 さらに氏の説明を箇条書きにしますと、「日本学術会議」との規模の違いが明確になります。
 
 1. 調査部は満鉄本社の大連にあっただけでなく、奉天、ハルピン、天津、上海、南京、ニューヨークやパリにも事務所・出張所を出していた。
 2. 部員たちは三井、三菱の幹部クラスを高給で引き抜き、大学の優秀な学生を入れた。
 3. 部員たちには、高価な書物を好きなだけ買わせ、希望する土地へ出張させた。
 4. 得意とする研究を許し、たっぷり時間を与えた。
 
 調査部の母体である「満鉄」からして、私の理解を超える大きさと複雑さで、話が少しそれますが、「満鉄」関する、氏の説明を転記します。
 
 「まさに満鉄は、国家そのものであった。」「日露戦争後のポーツマス条約により、ロシアが建設した、東清鉄道の路線を引き継ぎ、」「撫順、煙台などの、炭鉱の経営権も持っていた。」「この満鉄の頭脳に相当するのが、調査部である。」
 
 満鉄の初代総裁は後藤新平で、彼の就任には、政府と軍部と明治の元勲が関与しています。児玉源太郎、山形有朋、原敬、西園寺公望等々、綺羅星のようなご先祖が登場し、まさに日本の歴史です。
 
 組織というものは、一般的には、同じ思想や意見で内部を固め、発展・拡大を目指すものですが、「満鉄調査部」は、混沌の集合体でした。最も驚かされたのが、次の叙述です。
 
 「中西功という、戦後の日本共産党のスターが、」「満鉄調査部で活躍したことに、奇異の感を抱かれるであろう。」「しかし中西ばかりでなく、満鉄調査部には、左翼からの転向組が、ズラリと机を並べていたのは事実である。」
 
 「現在でも耳新しい人名を挙げてみると、堀江邑一、石堂青倫、伊藤好道、山口正吾、藤原定、細川嘉六、伊藤律、尾崎秀実・・・・」「ご覧のように、戦後の社会党もしくは共産党に、何らかの形で参加した人ばかりである、と言っていい。」
 
 トップに立つ人間が、信念のある人物であれば、組織内にどのような者が混じっていても、問題はない・・・私の考えは、ここから生まれています。現在の「日本学術会議」と「東京大学社会科学研究所」は、トップに立つ人間が、GHQに膝を屈した学者ですから、歪な集団になって不思議はありません。
 
 今の考えで行くと、「満鉄調査部」は自民党の政策調査部会の中に、共産党や社会党の議員が、机を並べているようなものではないでしょうか。当時の日本人は豪気だったのか、楽天家だったのか。私の理解を超えます。
 
 わざわざ「満鉄調査部」の話を報告したのは、息子や「ねこ庭」を訪問される方々に、「日本学術会議」との比較で、現在の問題を考えて欲しいからです。私が伝えたいと思うのは、次の4点です。
 
 1. 国の安全保障のためには、国の機関として「学問研究」の組織が必要である。
 2. 「学問研究」の組織への投資を、惜しんではならない。
 3. 組織には干渉せず、自由な研究をさせるべきである。
 4. 組織が、国の期待する方向へ進まず、偏った研究に堕するのは、管轄する国の信念の欠如である。
 
 前回から、同じ意見を繰り返していますが、「獅子身中の虫 ( トロイの木馬)」に食い荒らされた組織は、一旦リセットし、新しい組織を創設すべきです。
 
 「満鉄調査部」について紹介したため、メインのテーマから外れました。次回は、こうした事実を踏まえ、「自民党は、本当に保守政党なのか」と、検討していきます。
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