ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

害虫駆除 - 8 ( 日本学術会議・ホイットニー少将 )

2020-10-13 21:45:33 | 徒然の記

 元東大総長の南原繁氏は、GHQに協力し、「東京裁判史観」の集大成である「日本国憲法」成立に尽力した人物です。第3回目のブログで、私が整理した「年表」をもう一度転記します。

 ・昭和20年9月 ミズーリ号にて降伏文書調印 GHQの統治始まる

  ・昭和21      南原繁東大総長 「東京大学社会科学研究所」設立  ( 反日・左翼学者中心 )

  ・昭和21      南原繁東大総長 「憲法研究委員会」設立  ( 反日・左翼学者中心 )

  ・昭和21      「日本国憲法」公布  ( 東京裁判史観による憲法 )

  ・昭和23        「日本学術会議法」公布 (  注 :  日本学術会議設立には、GHQが関与し、物理学者仁科芳雄氏と共に、旧体制を刷新  )

  ・昭和24        「日本学術会議」設立   》

 南原氏は、GHQの統治が始まった翌年に、反日・左翼系の学者を集め、「東京大学社会科学研究所」と「憲法研究委員会」を立ち上げています。昭和26年に、岩波書店から出された、『憲法を生かすもの』( 憲法問題研究会編 ) を読みますと、当時の状況が詳しく書かれています。

 年表を見て、一番不思議に思ったのは、まるで氏が、GHQが作る憲法草案を待っていたかのように、学内の一流学者を集め、「日本国憲法草案」の検討を始めた、手際の良さでした。

 ルイス・ベネディクトの「菊と刀」を読んだ人には、分かると思いますが、米国は日本統治をする前から、日本社会を学者に研究させています。彼らが作る「日本国憲法草案」も、日本の学者の誰に検討させれば良いのか、すでに個人名で把握していたのではないかと、私は推察しています。

 先ほど偶然、面白い資料をネットで見つけました。国会図書館の電子資料で、『日本国憲法の誕生』と言うデータです。その一部を転記します。

 「昭和20年2月、」「ホイットニーGHQ民政局長は、マッカーサーに対して、」「極東委員会が、憲法改正の政策決定をする前ならば、」「憲法改正に関する、GHQの権限に制約がないと進言し、」「GHQによる、憲法草案の起草へと動き出した。」

 「2月3日、マッカーサーは、」「憲法改正の必須要件(マッカーサー三原則)を、ホイットニーに示した。」「翌4日、民政局(GS)内に作業班が設置され、」「GHQ草案(マッカーサー草案)の、起草作業が開始された。」

 極東委員会には、ソ連がいます。占領軍が占領した国の憲法を作り替えることは、もともと国際法違反でしたし、ソ連がこれを知れば、厄介なことになります。「日本国憲法」の作成については、極東委員会の干渉を排除するため、マッカーサー自身も急いでいました。

 ですから年表で見るとおり、こんな重要な「日本国憲法」が、昭和21年内に成立し、公布されています。こんなやっつけ仕事の、米国押し付けの憲法を、いまだに多くの国民が有難がっているというのが、私には不思議でなりません。

 不思議といえば、もう一つあります。いろいろなデータを検索する中で知ったのですが、南原繁という人物は、反日・左翼でなく、左翼にも右翼にも批判的な、中庸の人物です。武力放棄の憲法を作らせておきながら、「軍隊のない日本は、独立国でなくなるが、それでいいのか。」と、当時の吉田総理に問いかけています。

 この点を調べ出しますと、とんでもない横道へ入りますので、ここで止めます。私が引っかかるのは、果たして氏を「獅子身中の虫」、「トロイの木馬」と決めつけて良いのかという点です。どのようにしてGHQが、氏を屈服させたのか、もちろん私は知りません。当時のマッカーサーは、天皇陛下さえ呼びつけるような、絶対権力者でしたから、東大総長を従わせるなど、造作もなかったのでしょう。

 ホイットニー少将の率いる民政局は、共産党員のスタッフが集まっていましたから、嗅覚の鋭い南原氏は、彼らに合わせる形で、東大の反日・左翼教授たちを集めたのでしょうか。

 事情が色々あるにせよ、氏が、米国の作った「日本国憲法草案」を、国際法違反にならない形で成立させ、私たち国民を苦しめているという事実は、変わりません。氏もまた、敗戦後に「変節した学者」の一人であることを、私たちは知っておくべきです。

 私の予定では、今回で「日本学術会議」のブログを終わる予定でしたが、新しい資料の発見があり、そうなりませんでした。「東京大学社会科学研究所」と「日本学術会議」が、GHQ統治下に作られ、いずれの組織も、民政局にいた共産党員スタッフとつながりがあるのだと、それを説明する予定でした。

 息子や孫たちのためには、やはりそこまで書き残しておかなければと、そんな気がしています。「ねこ庭」を訪れる方々も、よろしければ、次回に足をお運びください。

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害虫駆除 - 7 ( 予定外・日本学術会議 )

2020-10-13 14:03:00 | 徒然の記

 10月10日の千葉日報を手にし、新たに登場した「獅子身中の虫」、「トロイの木馬」の仲間を、息子たちと「ねこ庭」を訪問される方々へ、紹介せずにおれなくなりました。

 1. 共産党委員長 志位和夫氏

 2. 元・日本学術会議会長 山極寿一氏 ( 前京都大学学長 )

 3. 元・日本学術会議会長 大西隆氏 ( 豊橋技術科学大学学長、東京大学名誉教授  )

 4. 立憲民主党・代表代行 平野博文氏

 5. 千葉大学・行政学教授 進藤宗幸氏

 せっかく静かな環境で、「日本学術会議」の歴史を勉強している時に、千葉日報新聞が、世間の動きを騒々しく伝えてくれます。こういうマスコミの報道は、私の「学問の自由」を邪魔している・・・ということにはならないのでしょうか。

 コメントを抜きにして、まず日本の「害虫」諸氏の意見を、紹介いたします。

 1. 共産党委員長 志位和夫氏  (  JR津田沼駅前での演説  )

 ・「戦後の歴史で、初めてのこと。学問の自由が脅かされている。」

 ・「菅政権の進める新自由主義が駄目だと、ハッキリした。総選挙で決着をつけよう。」

 ・「総理が口にする、" 自助  " という言葉は、政治家が言うべき言葉ではない。」

 2. 元・日本学術会議会長 山極寿一氏 ( 前京都大学学長 ) 

 ・「理由の説明を求めたが、言う必要はないと拒否された。」

 ・「説明しようと、事務局長を通じて、再三にわたり要請した面会も断られた。」 

 ・( 前任の大西会長の時は、105人の定員を上回る候補者リストを、提出しているが、今回そうした対応をしなかった理由について、) 「官邸から、文書で正式な要求がなかった。当たり前の対応だ。」

 3. 元・日本学術会議会長 大西隆氏 ( 豊橋技術科学大学学長、東京大学名誉教授  ) 

 ・「以前にも、学術会議の在り方に関する、議論はあった。」

 ・「任命拒否の理由を追及させないため、本来は次元の違う話であるはずなのに、」「組織の見直しを、以前の議論を踏まえずに持ち出すのだとすれば、」「不適切だ。」

 4. 立憲民主党・代表代行 平野博文氏 

 ・「学術会議の、本来のあり方を抑制することにつながる。」 

 ・「自由度を奪いかねない。」

 5. 千葉大学・行政学教授 進藤宗幸氏 

 ・「異論を封じ込め、学術会議を廃止しようと言う、本音があるのではないか。」 

 ・「任命を拒否することで、あえて国民の耳目を向けさせ、」「批判的な世論を醸成する、政治戦略を取っている。」 

 ・「多様な意見を尊重する、民主主義のあり方を否定し、」「強権的で、極めて問題だ。」

 ・「政権批判に目くじらを立てるのは、政府が、政策に自信のないことの裏返しだろう。」

 私から見れば、彼らは全員「獅子身中の虫」です。すでに破綻した、国民弾圧のマルキシズムを信奉し、日本を愛することのない彼らは、国に害をなす「害虫」です。日本ではすでに、少数者になっている反日・左翼でも、こうしてマスコミが大きく取り上げると、国民が惑わされます。

 私は息子たちのため、「生きた歴史の勉強」として、10月10日の報道をブログに残すことにしました。この害虫諸氏へ私が送る言葉は、簡単明快です。

 「政府の作った組織の中にいるから、政府の干渉を受けるのであり、自由な学問や研究が続けたければ、外に出てやれば良いと、福沢諭吉は公言実行しています。」

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害虫駆除 - 6 ( 日本学術会議・その特権 )

2020-10-13 07:55:27 | 徒然の記

 「日本学術会議」の展示資料で、同会議の源流が3つあると教えられました。

 1. 東京学士会院 (明治12年設立)  2.  学術研究会議 (大正 9年設立)

 3. 日本学術振興会  (昭和 7年設立)

 この中で一番古い「東京学士会院」について、ネットで調べた情報を紹介します。

 「日本にかつて存在した、政府機関である。」「改組後は帝国学士院を経て、現在の日本学士院となっている。」」「文部卿の西郷従道の発案に基づき、設置された。」「その設置目的は、研究者による議論や評論を通じ、」「学術の発展を図ることと、されていた。」

 欧米列強に追いつくため、富国強兵と殖産興業を掲げていた明治のご先祖たちは、学問の発展を重要視し、東京学士会院を設立しました。初代会長であった福澤諭吉は、官民調和を基本方針にしていましたが、内部は常に政府と意見が対立し、本来の目的から外れました。

 学士会院が、文部省や明治政府に寄りかかりながら、不毛の対立を繰り返すのを嫌い、福沢は明治13年に脱会届を提出しました。その後有志と共に、民間の学者団体である「交詢社」を、結成しています。交詢社の名称は、「知識ヲ交換シ世務ヲ諮詢スル」に由来しています。諮詢とは、「問い尋ねる」「意見を聞く」という意味です。

 明治時代の東京学士会院が、現在の「日本学術会議」のように、反日・左翼の学者で占められていたとは、考えられません。政府も学者も、国を愛する方策を互いに主張し、激論していたのだろうと思います。それでも会長だった福沢は、政府に支援を受けながら、実りのない議論を繰り返す学者たちに愛想を尽かし、脱会します。自分の意見を通そうというのなら、政府の金に頼らず、自分たちで組織を作れば良いと、福沢は実行しました。

 「日本学術会議」で政府を批判し、攻撃している反日・左翼学者が見習うべき手本が、福沢諭吉の姿だと、私は考えます。

 1. 政府に金を出させ、支援されているのなら、反対ばかり主張するのはおかしいでないか。

 2. 自分の主張が通したければ、有志を集め、別の民間組織を作れば良い。

 3. 政府に頼っているから、干渉をされる。学者は、誰からも、余計な干渉は受けないものだ。

 福沢諭吉の言葉ではありません。過去に読んだ「学問のすすめ」や「文明論の概略」、「福翁自伝」などを思い出し、氏であればこう言うだろうと、私が想像したものです。

 「学問の自由への大きな侵害だ」とか、「今後の学問に、大きな歪みをもたらす」などと、氏は一言も言っていません。政府の作った組織の中にいるから、政府の干渉を受けるのであり、自由な学問や研究が続けたければ、外に出てやれば良いと、福沢は公言実行しています。現在新聞やテレビで、政府を批判攻撃している学者たちを、私が軽蔑する理由がここにあります。

 政府が作った学術組織は、世界にいくらでもありますが、その組織が、政府攻撃をするばかりでなく、国そのものを否定するとしたら、一体どこの国が、そんなバカな組織を存続させるというのでしょう。これは、学者の高邁な理屈でなく、庶民の常識です。

 ではなぜ、反日・左翼の学者たちは、福沢のように組織を脱会しないのでしょう。「日本学術会議」にある特権とは、何なのでしょう。いよいよこの点を説明する時が来ました。息子たちと「ねこ庭」を訪問される方々に言います。以下の説明は、これまでに得た資料やデータから推測した、私の独断です。自分は、確信しておりますが、無視されても構いません。

 「日本学術会議」の特権は、テレビ・新聞業界が得ているような、巨額の金銭的利益ではありません。それは、南原元総長が学内に作った、「東京大学社会科学研究所」の特権と同じです。何度もブログで取り上げていますが、もう一度おさらいをします。
 
 1. 各種政府委員への推薦がしてもらえる
 2. 政府関係機関への世話がしてもらえる
 3. 在籍していると学内での昇進が早まる
 4. 他大学への就職の斡旋がしてもらえる
 5. マスコミ関係の各種研究会へ参加できる
 6. 「言論の自由」のための論陣に参加できる
   ( マスコミを政府権力から守る使命を行使できる。)
 
 これらの一つ一つは、大きな金銭的利益はありません。誰かが反論していたように、報酬そのものは安く、ボランティアに参加しているようなものです。しかし、日本に87万人の学者いますが、誰もがこのような処遇を受けられるのではありません。当会議所属の210名の会員と、「東京大学社会科学研究所」に所属する何名かの学者にしか、与えられない処遇です。
 
 同会に所属しているという事実が、世間では「一流の学者」としてのステイタスとなり、名誉と地位が保障されます。金銭に換算できない名誉・・・これが彼らの特権なのです。福沢のように潔く、世俗の栄誉から離れられない、俗物学者たちなのだろうと、私は推察します。
 
 それでも、大きな金銭的利益より、名誉の方を選んでいるのですから、反日・左翼とはいえ、こういうところは、やはり日本の学者だと思える部分でしょうか。
 
 次回は、最終とする予定です。
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