だらだら日記goo編

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歓びの歌

2005-05-27 23:22:49 | アート・文化
鑿の跡すらまざまざと判る木彫りの仏たちー。
一体何を考えて作者はこの仏たちを作っていたのだろうかー展覧会場でずっと抱いていた疑問である。
手のひらに乗るような小ぶりな仏像から等身大の大型の仏像まであれこれあれこれ。
作者の名前は円空、今いってきた横浜はそごう美術館の展覧会だ。
帰ってきて、梅原猛さんがカタログに寄せている解説を読んでなるほどと思った。
「円空は山のいたるところに神を見て仏を見ていたのである。そして彼の見た神や仏を型にして掘り出す」
なるほど、会場には実にいろいろな神や仏がいた。
不動明王やら観音菩薩はもとより、阿弥陀仏、春日大明神から住吉大明神ーなんか目に付くものすべてを彫り上げたといった感がある。
円空が常に神や仏と対話していたと考えれば納得がいく。
梅原さんの言葉の続き。
「彼は一生乞食をして、ボロの袈裟を着て、人里はなれた洞窟にすみ、食にさえ不自由する日が多かった。それなのに彼の人生は実に楽しいのである。それは法悦の喜び、創造の喜びといってよいであろう」
そうなのか、そうであればあの、鑿のあとは歓びの歌でもあったのか。
そういう意味で円空の創造は、みづからを版画でなく板画と呼んだ棟方志功のそれに似てくる。
会場には円空が挿絵を描いた「大般若経」も展示されていたが、その挿絵が棟方のそれと似ているのは偶然ではない。
それにしても生涯に十二万もの神仏の像を創った円空、ただものではない。
それには神や仏が人間のすぐそばにいたという彼の生きた時代もあるのであろう。
今年は彼の没後310年、没後300年には大規模な展覧会も開かれたろうが記憶にはない。
ともあれ一見の価値ある展覧会だ。
横浜はルーブルの宣伝がすごかったが帰りがけにぜひこちらも。