だらだら日記goo編

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うつあれこれ

2012-04-27 22:55:19 | インポート
前から書いているが、うつを患っている。
医者も診断書に、うつ病は決して軽いものではない、と書くように、まあ本格的なうつだ。
医者とはもう長い付き合いになるから、僕のことはよく知っている。
僕のうつは波がある。調子の良いときと悪いときを繰り返す。
今は調子の悪い時で、食欲もない。美術館にはたまに行くがはっきりいって、楽しくない。
展示が多すぎると、はやく終わってくれという気持ちになる。
好きなことだけは、楽しむ、いわゆる、新型うつとはまったく違う。
こちらも今がどん底でこれから登り調子になるとまあ解るから、なんとか耐えられるのだ。
うつは心の風邪というが、自殺につながる病気だ。軽々しく風邪とか言わないでほしい。
僕が精神科医にかかった頃は、精神科とは気違いの病気だと思われていた時代だ。
精神科にかかりたくなくて、心療内科にかかる人もいたが、心療内科は内科だ。内科の症状が出ない人を扱う訳にはいかない。
しかし精神科もポピュラーになったものだ。
僕がかかりだした高校時代は医者はわざわざ担任を呼んで説明してくれたが、今は待ち時間が一時間とかする。学生さんの患者でも担任を呼ぶ等ということはもうできない。
T大学は、入学前から精神的なことにうるさく、健康診断でも精神的なことを根掘り訊かれる。
僕が精神科医にかかっていると言ったら、名前を聞いて、ああITの先生ね、と大学の人が言ったのを覚えている。
僕の主治医は当時から、テクノストレスの時代が来ると予言していたのだ。
一昔前は良かったというと語弊があるが、医者の診療を受けずに薬だけポンポン貰うこともできた。
地震が起きたら診療もなくなるから、薬は多めに貰うのがよい。
しかし、精神科がポピュラーになり、薬を大量にもらって、ネットに流したりする馬鹿が出てきたおかげで、薬だけでも医者の問診、薬は月6週間までとなった。これからもっと厳しくなるかもしれない。
前にも書いたがその主治医、墨岡さんは詩人でもあり、医療法人名、風鳴会というのは、中原中也からとったそうだ。
しかし、墨岡さんが詩人であることを知る患者も少ないだろう。
さて、ゴールデンウィーク、僕はうつうつとしながら、できる限り美術館巡りをするしかない。



ゴールデンウィークも美術館

2012-04-21 22:37:06 | インポート
体調が思わしくないが、招待券はいろいろあるので、行かなくてはいけない美術館を列挙してみます。

東京都現代美術館
靉嘔展、やっと図録が出来たようだ。かなり大規模な展示のようだ。

東京都写真美術館
ここは三つ展覧会やっているが、ベアトの東洋、の招待券が入った。
1つだけみるのもなんなので、もう1つ、お金払って観ます。

埼玉県立近代美術館
草間彌生だ。無休ということで、混雑を避けて行きたい。埼玉は館長が変わったからか、面白い展覧会をやる。

千葉市美術館
蕭白だ。遠いが何としても。

神奈川県立近代美術館葉山
須田国太郎、これも遠いが是非とも。

あとは会期があるから、まあ良いだろう。
昨日、夜間開館を利用して、科学博物館、インカ帝国に行ってきた。
五体のミイラが印象的。マチュピチュは高山に造られたが、インカの人の太陽信仰で、太陽に近くと高いところに行ってれたような解釈だった。
夜間開館だから空いていたが、昼間はかなり混雑しているらしい。
明日は会田誠展のプレイベントに。無料だが、森美術館のイブル展の招待券もついてくる。
イベントが終わったら、森美術館に行っても良いが、たぶん疲れ果てているだろう。


美術館めぐりもー

2012-04-11 22:24:08 | インポート
歯医者に通っている。
ともかく昔ながらの歯医者で、4時半を過ぎるとお手伝いの人が帰ってしまう。
すると、歯医者のおじいさん1人で受付から、会計から、みなやる。
最近は夜の9時までやっている歯医者も珍しくないが、おじいさん、最近は6時には閉めてしまうと言う。
予約制だが、予約等あってなきがごときで、okiさん、いつ来ても良いよ等と言ってくれるのはありがたいが、このおじいさん、必ず、明日来れる?と聞くのだからたまらない。
普通の人は毎日、時間をつくれない。
予約変更も自在で、4時に予約していたのに、2時にしてくれと電話で頼むと良いよとなる。
腕が悪いヤブ医者ではないみたいで、何しろ世田谷区の介護認定の仕事もされている。
と言うわけで、このおじいさんにみて貰うようになるとしょっちゅう行くことになる。
従って、遠い美術館にはなかなか行けないことになる。
横須賀美術館、神奈川県立近代美術館葉山、千葉市美術館、東京富士美術館等招待券があるが、夜間開館のないところもある。さてどれだけ行けるやら。
美術館より歯の痛みのほうが大切なのは言うまでもない。
遠い美術館の招待券が入りやすいのはまあわかるが、面白いことに、六本木、つまり、新美術館、サントリー美術館、森美術館の招待券は入らず、上野ばかり入るのも面白い。
もう行ったが、トーハク、ボストン美術館展、西洋美術館、芸大美術館、高橋由一、新装オープンする東京都美術館のマウリッツハイス美術館展、後の二つはまだ始まってないが、これは、招待券入る。
まあゆっくり観ます。


狭いところには住めない

2012-04-09 23:39:23 | インポート
親戚が近くにこしてきた。
埼玉にいたが、老親を介護するために、家を改装して移り住んだのだ。
で、家が出来たということで、訪ねて、夕食もご馳走になったが、リビングの狭さは何だろう!
正直、僕には圧迫感がした。
僕の住んでる家は、先祖代々で、戦争中には親戚が疎開してきた。
寝ているところは、六畳か、戸を開けて、隣の部屋と続きにしているから、まあ広々している。
地震が起こっても、また揺れているなと言う感覚しかない。
311の震災の時も、二階は本棚が崩壊して、めちゃくちゃになったが、寝ている一階は異常なし。
これなのだろう。精神科医からマンションに住むと引きこもりになりやすいから、辞めておくように言われたが、
親戚の家で感じた圧迫感、それが精神的に悪いのだろう。
母が死んだ時は、みずほ銀行つながりで、みずほ信不動産というのが早速家をみて、独り暮らしの改築プランを立てたが、結局断った。
今、考えれば、正解だったようだ。
土地を売れば、相当のカネが入る。しかし圧迫感を感じるところに引っ越して、精神的に悪くなったら、お金には代えられない。
さて、母が生きているときは、忙しくて、二階の整理など出来なかったが、今倒れた本棚の間から、CD等を取り出してみると、実にいろいろなものがでてくる。
もともと、僕は二階が、自分の部屋だった。
父が一階に寝ていたが、父が死に、母が、一階のその部屋に寝るようになった。
それから、母がおかしくなり、特養ホームに入って、一階のその部屋が、僕の寝る場所になったのだ。
さて、出てくる二階のCD、今日は、メンゲルベルクの芸術、30000円なんてのが出てきた。
聴いてないものだ。大学院時代に悪友とあちこち行って、奨学金で買い漁ったものだ。
まことに贅沢三昧していたな、と思う。時代はちょうどバブルとその後だった。僕らの金銭感覚はそんなだった。
聴いたら処分する。二階を探さなければ、ないも同じのCDだ。
本はどうしよう、大量に処分してくれる古本屋はと。


雨ニモマケズの心

2012-04-01 22:47:37 | インポート
いま伝えたい思いがある。チラシにははっきり書かれている。
何のことか、わからなかったが、大震災後宮沢賢治が再評価されているのだという。
賢治は明治三陸大地震のときに生まれ、死ぬ年には昭和三陸大地震が起こっている。
そして相次ぐ飢饉や冷害を体験してきた、紛れもない東北は岩手の人だ。
その宮沢賢治展がNHKサービスセンターの主催でそごう美術館で行われているので行ってみる。
素晴らしい展覧会だ。
賢治の、雨ニモマケズの詩は実に小さな手帳に記されている。
1931/11/3に書かれた。その二年後に亡くなり、そしてそれから五ヶ月後の追悼の会で発見されたという。
岩手をイーハトーヴと呼び、それはドリームランドとしての日本岩手県だとはっきり記した賢治、童話作家、詩人、サイエンティスト、いろいろな顔を持っていたことがあらためて解る。
展示は賢治自筆の水彩画も展示されるが、中心は賢治作品に添えられた、挿絵原画だ。
いわさきちひろが、高松次郎が、リウーファンがと名だたる人が挿絵を描いたのを楽しむことができる。
ビデオコーナーもある。
そこでは陸前高田市生まれの俳優、村上弘明さんの、雨ニモマケズ朗読と村上さんのメッセージも流れる。
村上さんは、展覧会図録に附属するCDでも、雨ニモマケズ朗読を担当されている。
賢治の童話は実にいろいろあるなあと思う。
ツェねずみ、クンねずみ、等初めて知った。
また注目すべきは、グスコーブドリの伝記というもので、映画化されるらしい。
イーハトーヴの森で木こりの息子として生まれた主人公が、冷害の被害を救うため、火山を爆発させて、その二酸化炭素で気温をあげるという話だ。
そこには冷害に悩まされていた岩手の現実と、賢治が、科学者としてその解決法を模索していたことがはっきり伺える。
賢治はやはり東北の人なのだ。
賢治にとって転機になったのは、妹トシの死とアインシュタインの理論だ。
アインシュタインは1922に来日して仙台でも講演したというが、ちょうどトシの死と重なった賢治は講演は聞けなかったろうが、四次元芸術と名付け、アインシュタインの理論から学んだのだろう。
詩人よりもサイエンティストと呼ばれることを好み、高校教師を辞して、農民と共に生きる道を選んだ賢治だ。
その賢治は、死ぬ間際、秋祭りの神輿を見たいといい、実際神輿を見た後容態が急変して亡くなったという。
東北ー岩手、岩手山に登り、そこを吹き抜ける風から、風の又三郎等を着想したのだろう。
未曾有の大震災を乗り越えるために、東北を愛し一生を終えた宮沢賢治をあらためて見つめなおしたい。