だらだら日記goo編

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本はどうなる

2012-05-25 23:40:08 | インポート
以前、週刊金曜日という雑誌を定期購読していた。
そんなに色々読めないので解約して何年もたつが、まだ、再度の定期購読のおねがいがくる。
今や、本や雑誌は余程苦しいのだろう。
今日、文教堂書店で雑誌を買ったら新しいサービスの案内が入っていた。
丸善、ジュンク堂、bk1と組んで、ハイブリッド書店サービスhontoなるものをはじめるという。
こうなると街中の昔ながらの書店はどうしようもない。
どんどん潰れるということになる。
本の街と言えば神保町だが、神保町もすっかり変わってしまった。
飲食店ばかりが増えているのだ。
神保町で昔からある大型書店は三省堂書店、東京堂書店、書泉グランデだが、もはやまともなのは、三省堂書店だけだ。
東京堂書店はついこの間改装して、ネットも使える喫茶コーナーを作ったがおかげで置いてある本の数が著しく減った。
書泉グランデはもはやマニアの書店だ。思想書や芸術書など扱わない。
そもそも大型書店では、思想書や芸術書は階の上の方にある。
池袋のジュンク堂でも、新宿の紀伊国屋でも、六階とか八階にある。
エレベーターは来ないし、エスカレーターで上の階までとなるとめんどうなので、ついネットで注文となる。
書店はこれからどうなっていくのか?
ハイブリッド書店サービスのように、ネットと既存の本屋を融合させるしかないのか?
出版元は頭が痛いだろう。書店に置いてくれない。置いてくれるとしても、六階とか八階とか、本当に欲しい人しかいかないところに置かれるから売れない、返品が増える。
であるから、雑誌なら、定期購読をお願いするということになる。
しかし、読者としては、面白い、興味のわく号だけ読めばよろしいので、興味のない号まで送られてくる定期購読はおカネの無駄とも言える。
今月はどんな内容か、本屋に行って確かめるのも愛好家の必ずやるところだ。
しかし今はネットで発売前に内容を知ることができる。本屋に行く必要性もなくなった。
どうしたら良いか?
美術の雑誌なら招待券とか読者サービスを充実させることくらいしか思いつかない。
思想書なら著者講演会、サイン会をやるとかー。
まあ本屋がこれからもどんどん潰れていくのは事実だろうし、廃刊を余儀なくされる雑誌が増えるのも致し方ないというしかない。


ノストラダムスは何処へ

2012-05-20 21:53:13 | インポート
1999年7の月、空から恐怖の大王が降ってくる。
この予言に日本人は夢中になった。
五島勉という人が火をつけたが瞬く間に、ノストラダムスは日本語で解釈できるだの、ノストラダムスの霊が自分に教えてくれるだの、妙な人が次々現れた。
しかし、1999年に何も起こらなかった。
ノストラダムスの四行の詩は韻を踏んでいる。
恐怖の大王の恐怖と四行目の幸福が韻を踏んでいるのだ。
竹下節子さんが的確に指摘したように、何だかわからないが大王がよみがえったり、幸福が統治すると言っているのだから、別に悪いことを述べた詩ではないのだろう。
しかし当時は恐怖の大王だけが一人歩きした。
そして今や、ノストラダムスの名前も挙がらない。
しかし世紀末的な現象が起こるのは今だ。
311の大震災やそれに続く世界各地の大震災、タイの大洪水、日本の台風直撃だの、竜巻だの雹が降ってきたりだの、枚挙に暇がない。
ノストラダムス解釈者たちはどうしたのだろう?
誰かノストラダムスがこの事態を予言していたと述べる人はいないのか?
マヤの暦は今年で終わるという。
世界滅亡だと一部オカルト雑誌が言っているが、まあマヤの暦が一巡したということだろう。
天国のノストラダムスは1999の狂騒と、今の不安な世の中をどう見つめているだろうか。


鮭の人

2012-05-09 22:13:20 | インポート
鮭の人をみに、芸大美術館へ。
鮭の人とは、もちろん高橋由一、教科書でもお馴染み。
この人はなかなかモダンだったようだ。
ひたすら、油絵の力を広めようとした。広めようと、画塾をつくり、展覧会を開き、美術館の構想までした。
油絵というが、由一の時代は江戸から明治にかけてだ、由一自身武家の子として生まれたが、体が弱く、絵の道にすすむ。
江戸時代だから、幕府の画学局だ。
しかし、画材の不足、指導者の力量等問題点も多かった。
そんなこんなで明治に。
ワーグマンと出会う。ワーグマンへの入門が39だから遅い。
人物画、肖像画をまずやる。
油絵が写真より、優れていると考えた由一、重要文化財になっている、花魁を描く。
花魁の最高の位の人がモデルになってくれたが、浮世絵みたく理想化せずに、ありのままを描くから、モデルが泣いて怒ったという。
明治6年にウィーン万国博覧会に出品を依頼され、東海道を上って、名所絵も描く。
江ノ島等お気に入りだったようで、四点知られているとか。
同じ明治6年に画塾、天絵社というのをつくる。これを美術学校に発展させるのだが、由一、金刀比羅からの資金援助を期待して、作品群を金刀比羅に納めるなどをやる。今回の展覧会でも金刀比羅さんから出品があったがそういった事情か。
で、静物画も描く。鮭は三点出ていたが、本人が何点描いたかわからないし、弟子も描くのでどれが由一のかわからないという。今回は由一のものと確証されているのが並ぶ。
ここまで相当数の展示だが、まだ、終わらない。
由一と東北地方というテーマがある。
東北の近代化を進めた大久保利通の懐刀、三島通庸というのがいた。
山形県、福島県、栃木県の県令を歴任、なかば強引に道路を作って回った。
由一はその道路改修記念画帳を手がけ、東北の道を廻ることになる。
もう晩年だ、今と違い鉄道もないところ、東北の奥地の道路を廻るのはさぞ大変だろうに見事128図を完成させる。由一恐るべし。
見所たっぷりの展覧会、芸大美術館に是非。