だらだら日記goo編

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知らないから観ない?

2007-01-28 21:33:46 | アート・文化

なんと昭和七年以来の回顧展ということだ。

ほとんどの人は名前すら知らないだろう、都路華香、つじかこうー京都の人であるからなおさらだ。

その回顧展チケットが生活ガイド社から送られてきたので早速近代美術館へ赴く。

普通知らない画家といったら興味がわいてじゃどんな人か知りたいと思うはずだが、この国は知らないからみるまでもないという風潮が漂っているように思う、日曜の午後というのにがらがらだ!

自ら禅の修行をした人で寒山拾得やら、十牛図は繰り返し表す。

後者は悟りの境地にいたるまでをあらわしたものだが、カラー版で彩色を施し念を入れる。

波の表現にもこだわった人のようで、展示34「緑波」は平原を表したようでよく観ると水面をあらわした絵だ、この人は水の中の魚とか奇妙なものにこだわる。

朝鮮に旅行しいろいろ描くが、翌年依頼画は描かないと宣言するなどまあ風変わりな人物でこれまで埋もれていたのも仕方がないという感じだ。

さて展示を一応観てどうも物足りない、展示数が少なすぎるのだ!

カタログ二千円に収まる出品数なのに前期後期と展示替えをして、東京不出品の作品もかなりある。

美術館の思惑は明らかだ。

企画展示のスペースの一部に横山大観の「生々流転」を一挙展示することによって人を呼び込もうというのだ。

実際工芸館の松田権六をチケットを買って鑑賞した人は本館の常設展示を無料で観られるという仕組みがある。

松田権六はだいぶ繁盛しているようでカタログを抱えたお客さんが常設展示会場にかなりいた。

運営面を考えればやむをえないかもしれないが、それが美術界のためになるかは疑問だ。

帰りに神保町で「アエラ」を求める、皇太子夫婦の本当の仲とかこの新聞社は好きだねえ。

それなら都路華香の展覧会をピックアップしてもバチは当たるまい。

新聞の美術面でこの展覧会は取り上げられるのであろうかー。


いつもと違う週末

2007-01-27 20:37:05 | アート・文化

母の特養ホームがノロウィルスで一月いっぱい面会謝絶なのでーちなみに母は罹患していませんが全員面会謝絶ーちょっといつもと違う週末を過ごしている。

昨日は新国立美術館の夜間開館へ行った、乃木坂駅直結なのでもう美術館!という感覚だが企画展示「20世紀美術探検」は行けどもいけども展示が終わらず、そのくせトイレは展示室にないという不便な代物だった。

柳の民藝をアヴァンギャルドに位置づけたり、機械で演奏する音楽には度肝を抜かれたが、まああちこちの美術館で僕らが見知っている展示物がほとんど、新鮮味はない。

新サントリーが開館し六本木トライアングルが形成されるころどう変わっているのか。

今日は特養ホームと正反対の方角に千葉市美術館を訪ねる、こんなときしかたずねられない。

企画展示は竹久夢二、いまさら夢二でもなかろうー狙いはいづつやさんお気に入りの浦上玉堂とJuneさんお気に入りのミラノ展のカタログにあった。

しかしどちらも売り切れ!十階にある図書室で見て終わりとなる。

僕としてはもうひとつの展示、「幕末に活躍した郷土の画家」、鈴木ガ湖ーガは「我に鳥」-の富士昇龍図にうなった!こんな画家もいたんだ!

帰りは疲れたので特急に、カタログを読んでいるうちに新宿へつく。

明日はこれまた方角がぜんぜん異なる日本科学未来館「65億人のサバイバル」にでも行こうかと考えていたところまたまたインターネットミュージアムさんから川崎市民ミュージアム「みんなのドラえもん」のチケットが届く。

川崎はこんなものばかりやっているからだめなのだと思いつつ、こういうものは応募者が少ないに決まっているからたいてい当選すると見越して応募する僕なのだ。

板橋区立美術館にも一度行かなくてはなるまい、まあ明日のことは明日になったら考えよう、来週はyumiさんとお会いする約束もある。


生と死の重みを胸に

2007-01-25 20:54:19 | アート・文化

カタログの副題が「北の大地に青春の残像を探し続けた生涯」となっている。

まあそういう動機もわからなくはない、しかしこの人の絵はやはり暗すぎる。

以前表参道で展覧会を観たときも何でこんなに暗い絵ばかり描くのかと書いた記憶がある。

画家の名前は相原求一朗、1918-99,NHKサービスセンターの招待券で日本橋高島屋で始まった回顧展を観に行く。

1950年代の日本絵画はアブストラクトばかりだった、相原も時代におもねる画風を試みたりもしたが、制作に行き詰って北海道へと出かけたという。

そして狩勝峠からの展望がこの人の転機となった。

小さいころに軍隊で連れて行かれた満州の風景にそっくりと気づき、北国の冬の風景のとりことなる。

「満州点描」も今回出品されていた、2005/2に復刻されたというが、そのスケッチは兵役で来たとはとても思えないのどかな農村風景にあふれている。

北海道に具象と抽象の止揚を見た相原は毎年のように冬の北海道へと足を運ぶとともにヨーロッパへも出かける。

この画家の特徴はヨーロッパに出かけても暗い風景ばかり描くことだ。

「ゴッホの家」1978などもそうで、本当のゴッホの家がこんなに暗いかどうか僕は知らない。

この画家の作品の基調は雪の白だ、それと対比させるためにキャンバスを黒塗りさせるというから暗さが目立つのも道理だ。

僕のみるところこの画家がもっとも成功しているのは「道ー広い道」1974だ、低い視線からのスケール感がすごい。

しかし絵画の本質はこの黒塗りを突き抜けたところにあると思うのも事実だ。

画家とほぼ同い年で戦後シベリアにとられた僕の父は人間は本質的に優しい存在だと繰り返し語っていた。

おそらく真っ暗闇の黒塗りを突き抜けたところに慈愛とか他者との共存とか明るい世界が開かれると僕は考える。

この画家は残念ながらそこまでいたらなかったというべきか、この画家特有の性格のためかは知らない。

この展覧会は東京のあと京都へと巡回します。


アラビアの息吹

2007-01-19 22:14:46 | アート・文化

エッシャーの発想法の原点がアラビアの正則分割にあったことはこの前のブンカムラの展覧会で知ったが、どうもこの人の器にもアラビアのにおいがするのである。

実際大学を卒業したあと、ロンドンに留学し、アラビア建築研究のためインドに赴いている。

そして実際彼は、回教寺院の唐草を配した装飾文字を見て以来、漢字を模様として自由に用いたいと著作にいっているという、アラビアの香りがするというのもうがちすぎとはいえまい。

富本憲吉、いわずと知れた陶芸の大家だ、僕らは国立近代美術館工芸館でも、松下電工NAISミュージアムでもその回顧展を観てきた。

特に後者はデザイナーとしての富本にテーマを絞った展覧会だったが、今世田谷美術館で開催され、全国巡回中の展覧会はまさに富本の全貌に迫る展覧会といってよい。

卒業制作の音楽家住宅設計建築から、リーチと出会い、大和に窯をかまえた作品、青から色絵へと展開した東京時代の作品、色絵金銀彩としだ模様が特徴の京都時代と作家の歴史を順を追って歩み、さらに富本の交友関係まで展開するこの回顧展はすばらしいの一言、朝日新聞と展覧会を構成した京都国立近代美術館の力量を余すところなく示す。

作家の信条は「模様より模様を作るべからず」、自然の草花やら実際の風景に取材しろということだ、「模様集」馬鹿でかい三冊やら、スケッチ素描もいろいろ展示される。

チラシにも載っている染付け「老樹」は作家の家の近くに生えていた栴檀でとてもお気に入りだったという。

また富本が写真好きということもはじめて知った、これは写真家野島康三と親しかったためという。

さてここ世田谷美術館では世田谷時代の富本に焦点を当てた展示も行っている。

野島と富本の書簡も展示されるがこれは松涛美術館のもの。

長男との合作や次女へ贈った珍しい抹茶茶碗とかほほえましい。

富本はお茶が好きで一日十回は玉露を飲んでいたという。

「墓不要、残された作品をわが墓と思え」といったそうだがかっこいい生き方がここにある。

個人的に気に入ったのは「武蔵野絵巻」、当時の世田谷を想像しつつ眺めていた。


おもてなしの心

2007-01-15 21:50:48 | アート・文化

どう見ても美術館とはいえない、ただの家だ。

後で訊いたら画家の曾孫の自宅を改修したのだという。

案内されて展示室に入る、真っ暗で明かりがついていない!

もちろん美術館の人が明かりをつけてくれたが、たったこれだけかという感じだ。

第二展示室というところに入る、何も展示されていない!

美術館の人がさあーっとカーテンを開ける、そこに展示品が!

保存のためということはわかるが初めてのものはとまどう。

さらにDVDを見ていけという、大して気乗りはしないが時間調節にいいやと見ていると、紅茶が運ばれてきてお飲みくださいという!

いやいや面白い一日だ、太田記念の浮世絵展に刺激を受けて、埼玉は西川口に河鍋暁斎記念美術館を訪ねたのだ。

最初から最後まで訪問者は僕一人きり、これで三百円の入館料だ。

改めて書くまでもなく暁斎は幕末から明治にかけて活躍した最後の浮世絵師、ギメとも建築家コンドルとも付き合いのあった人だ。

今回は干支に関する展覧会をやっており、七福神ならぬ八福神を暁斎が考えたとかいろいろ面白い。

これは後で知ったことだが、暁斎は40歳で投獄され、それを機会に「狂斎」改め「暁斎」と名乗ったという。

パソコン変換だと「ぎょうさい」となるが「きょうさい」が正しいそうだ。

さてこの美術館は研究に力を入れている、暁斎関係の資料やカタログを集めた資料室まで案内された。

暁斎はカエルが好きだったそうだ、そこでこの美術館もカエルの展覧会をやったりするという。

コンドルに暁斎が贈ったという「大和美人図屏風」というのを一度観てみたい。

かなり驚いたが帰りは上機嫌で西川口の駅まで徒歩で帰った。