だらだら日記goo編

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絆ということ

2005-06-30 23:23:50 | アート・文化
今デパートは中元商戦のさなかだ。
だが、催し物場で展覧会を開催しているデパートがある、銀座松坂屋「加藤登紀子」展だ、ちょっと行ってみる。
「私の人生の原点はゼロ」、そう加藤は言う、ハルビンで生まれ、すぐ終戦を迎えたのだ。
そんな彼女が今の彼女になるまでをおった展覧会だ。
今は亡き藤本氏との獄中書簡の遣り取り、そこから墨への関心も生まれたという。
その遣り取りで藤本は「開発というものの罪」を語っている。
加藤が大学紛争、安保闘争といった政治参加から今の環境問題への取り組みにつながる原点がおそらくここにある。
「絆」それは、夫藤本氏との「絆」でもあり、子どもを産み「小さな火山を抱きしめて母はいつしか大きな火山になる」と語ったように子どもとの「絆」でもある。
寺山修治との「婦人公論」のインタビューで加藤は無人島にもっていく一冊は太宰の「晩年」であると語り、又20を過ぎて童貞であるとは信じられないとも語った。
それらの見解は子どもを育て、又世界に羽ばたくうちにどう変わって言ったろうか。
1972年に加藤は「色即是空」なるアルバムを発表している。
その頃の彼女はおそらく日本的無常観に支配されていたのだろう。
展示されている「炎」という書では
炎はひとり
炎はあるがまま
炎はたちどまれない
炎は空に消える
と書かれている、この人生観はどう変わったろうか。
世界に羽ばたく加藤はUNEPの親善大使となった。
「地球の上に土下座してゼロからやり直す」と加藤は言う、大地との「絆」、母なる地球との「絆」がここにはある。
そしてわれわれはこの地球を未来に残していかなければならない。
寺山のインタビューに「神様はあってほしい」と答えた加藤の心のうちはどう変わったろうか。
いろんな「絆」を携えて、今の加藤があることを認識する。
1200円で図録まで作られていた、その中で加藤は「時代の転換を要求する宇宙的直感をしっかりと受け止めた若い人々」に未来を託そうとしているかに見える。
今の加藤には無常観より希望があるように思える。
人間はとてつもなくおろかで又とてつもなく賢い、そんなことを感じた。


もののあはれを知る

2005-06-29 23:15:38 | アート・文化
日本を代表する文学の一つに「源氏物語」がある。
源氏に魅せられた人は多い。
ちょうど今週の「アエラ」の表紙は瀬戸内寂聴現代語訳の「源氏物語」朗読をライフワークとする白石加代子さんだ。
源氏も五十四帖ある、全部の名前を言える人がどれだけいることか、僕にとっては高校古典以来なじみの薄い存在だ。
さてこんな書き出しにしたのは、近代における源氏の現代語訳者である与謝野晶子の回顧展を大倉集古館に観にいってきたからだ。
何でも「日本の女流書展」第30回の記念の展示のようだが、千円とは高い。
しかし「ぐるっトパス」でただで入れるので行ってみたのだ。
残念ながら与謝野晶子の全貌を知るとはほど遠い展示だ。
展示されているのは遺墨類がほとんどで、短歌を揮毫したものばかりだ。
晶子の線の細い文字が読み取れず、解説もないので読める人には面白いだろうが読めない僕にはつまらない。
何でも晶子の参加した「明星」は西洋美術の紹介にも務め、凝った装飾の表紙が多いと会場にはあったが、では晶子が魅せられた西洋美術とか、「明星」仲間での書簡の遣り取りとか知りたくなるが、そんな贅沢な展示は一切ない。
「凝った装飾」はかろうじてわかるが、梅原龍三郎とか藤島武二とかが絵を描いているのが面白い。
晶子が源氏に向ったのは「明星」が廃刊して時間ができて夫と自宅で文藝講演会をやった頃からだというが、歌帖「源氏物語礼賛」など分厚いことこの上ない。紫式部は「私の十二歳のときからの恩師」と晶子はいう。
源氏に魅せられた生き方がここにもある。
会場には「源氏物語図屏風」も展示されている、ここの美術館の所蔵品だ。
写真を見ると晶子は選挙運動もしたとか、ヨーロッパに行ったとかそのあたりのことも知りたいが、展示にはまったく反映されない。
これで千円とは泥棒とも思うが、「ぐるっとパス」無料でカタログ千円なのでちょうどとんとん。
展示のほとんどは堺市の博物館からの借り物のようであった。


画家は成長する

2005-06-26 22:18:23 | アート・文化
気になっていた画家の一人だ、近代美術館の常設展示でよく見かける。
ストライプ模様で知られる山田正亮、その回顧展が府中市美術館で開かれているのでいく。
つくづく感じる、画家というものは変化し成長するものだと。
初期のこの画家は静物画を描いていた、しかしその静物画はどれも良く似ている。
瓶やら水差しやらに果物が置かれているという構図だ、ほとんどの絵がそうだ。
それがだんだん抽象的になり、輪郭がはっきりしなくなる、ぐにゃぐにゃの絵になる、
でそこから今度は直線が出てくる、長方形が出てくる。
ここまでがWorkBという作品群だ、でおなじみストライプ模様が現れる、WorkC.1960ごろだ。
B,CがあるのだからAとかEもあるのだろう、練馬区立美術館にはWorkEがあるようだが、今回の展示はB.Cだけ。
で1960年代から出品作品は一挙に飛ぶ、1997からのColorになる。
その間のこの画家について知りたいが、研究文献など出ているのだろうか。
でColorは一面が色一色で塗られた作品だ。
ここで注目すべきはこれらの作品が未完成ということだ。
つまり作品には「1997-」とか「1998-」とか書かれている、作成中なのだ。
誤解なきようこの画家はまだ生きており製作を続けている。今日も画家の講演会があったようだ。
ということはこれから老齢に差し掛かったこの画家に又心境の変化がおきて、色一色のこの画面に何かを付け加えないとも限らない、僕たちは注目してみてゆく必要があろう。
常設展示では先週ベルギー美術展を観たが、それを思い出す「ベルギー風景」という作品や、小山田二郎の「娘」なる作品もあり興味深い。
しかしいつも感じるがこの美術館はアクセスが不便極まりない。
府中駅からの市内循環バスは30分に一本しかでない。
でタクシーを使ったが、美術展観に行くのにわざわざタクシーを使うというのも贅沢すぎる。
バスの便を考えてもらいたいと思う、ただおかげでいつ行ってもこの美術館はすいているのはありがたい。


ミュージーアムショップにて困惑

2005-06-23 23:23:51 | アート・文化
今日は時間もなかったので、通りすがりに伊勢丹吉祥寺にある武蔵野市立吉祥寺美術館にいってみる。
入館料百円ということで期待もせずいく。
所蔵作品から商工会議所の会報に登場した作品20点あまり。
一つ一つゆっくり見ていく。
時代順にいえば良寛さんの「みやまおろしの」という作品とか織田一磨の「井の頭池」とか野田九浦の司馬江漢を描いた絵とか、岡田紅陽の富士山写真とか、高田博厚の「ロマン・ロラン」のブロンズとか変化に富んでいる。
で、この20点だけでなく、浜口陽三記念室と荻原英雄記念室にそれぞれ20の作品もあるので思ったより時間がかかる。
で、見終わってミュージーアムショップに行く。必ずなんか買うが今回は困った。
いわゆるカタログだが、過去に武蔵野市民文化会館というところで開催された展示カタログがいっぱいおいてあるのだ。
岡田紅陽の写真集もほしいし、野田九浦の図録もほしいし高田の彫刻作品集も、要するにみんなほしくなるのだ。
一冊で全部収まっていればよいが、ここはそうではなく、作家ごとにカタログがある。
結局悩みに悩んで堀田清治の図録を買う。
はじめは社会派の絵を描いていたが晩年は仏像を描いたというこの画家に興味がわいたのだ。
図録も大変丁寧なのが気に入る、高田の図録もほしいがいささか解説が少ないのであきらめる。
ミュージーアムショップというのは美術好きには魔の場所だ。
たいていは開催中の展覧会図録を求めるが、過去の記念展の図録、ポストカード、関連書籍選んでいけば金がいくらあっても足りない。
最近は開催中の展覧会図録一冊で我慢する、そんなに金が使えるわけではないし部屋もない。
しかし今日は参った、画家ごとに一冊ずつまとめられているとはー。
ここの美術館たびたび行って集めていくことにしよう。




あなたには夢がありますか

2005-06-21 23:26:11 | アート・文化
母を特養ホームに見舞うついでに八王子市夢美術館に「小島善太郎」の展覧会を観に行く。
実に独特な画家だ、絵を見出されたのはロシア戦争との関係で中村覚という大将の元であった。
これがこの画家の原点となる。
パリ留学中に中村が死ぬと、帰国後七年もかけて「中村覚肖像」の大作を完成させる。
そして「閣下なくして余の今日は絶対に存在すべからず、余は日本一の画家になる」と決意する。
そのパリ留学中はもっぱら古典になじむ。ピカソは冷たい、フジタはばかばかしいと感じてティントレット「スザンナの水浴」をルーブルで模写するのだ。
そういう意味でこの人の絵は古典的だ、「静物」なる作品がたくさんあるがセザンヌ風だ。
帰国してからも風変わりだ、都会のデカダンがいやで中央を離れるのは不利との周りの説得にも応ぜず、「人の心を打つものは素朴な純情であり正直であり知恵と深さである」とさっさと八王子に移る。
八王子ゆかりの画家といえるが、中村覚の元で壮大な夢を抱いたこの画家の展示が、ちょうど「夢」を美術館の名前に持つこの美術館で開催されるのはちょうどいい。
展示解説も丁寧至極でたとえば「四谷見附」を描いた絵では、ちょうど中央線の写真で現在のトンネルと比較したり、佐伯祐三との交流では、モデルに用いた佐伯の奥さん所蔵の人形も展示される。
これで三百円、「ぐるっとパス」なら無料は安い。
しかし晩年になるとこの画家は淡い色調で風景を描くようになる。
八ヶ岳とか、その近くの清春芸術村を良く描いたという。
しかしその絵には「素朴な純情」は認められても「知恵」や「深さ」は認められない。
日本一の画家になるという決意は良いが、それが達成されないのも無理からぬところがある。
この画家の個人美術館の開館目前に91歳でこの画家は死亡した。
中村覚のもとで「日本一の画家になる」と決意したこの画家の夢はどこまで達成されたろうか。
絵を観ながら「あなたには夢がありますか」と問いかけられているような感覚がした。
特養ホームの印象については明日にでももう一つのブログにかきます。
東京富士美術館とか府中市美術館とか郊外の美術館めぐりも又楽しいものがある。