だらだら日記goo編

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漢字くらい間違わないでくれ

2010-06-26 00:10:32 | インポート
最近、芸術広場さんが美術館招待券プレゼントやらないと思っていたら、久しぶりにメルマガ会員限定プレゼントをやった。
しかし河口湖美術館と書くどころを川口湖美術館などと書いている。
応募フォームにコメントを書く欄がないのでここで指摘しておく。
読売ファミリーサークルの美術館招待券もケチくさくなったものだ。
今月の招待券は、相田みつを美術館に永青文庫に平塚市美術館の絵本展ときた。
先月ははるか宇都宮美術館だ。僕は二ヶ月応募を見送り、会員更新はどうしようか迷っている。
記録を調べると、以前は森美術館のチャローインディアなど招待券をくれたのだから本当にケチくさくなった。
しかし持っているところは持っているもので、雑誌のサライなど実に気前よい。
実はハンスコパーの招待券はサライで当たった。
しかし一回当たればまぁ当分あたらないとみてよい。
ぴあの発行する雑誌も色々招待券がついてくる。
しかしぴあは実に色々な雑誌を発売する。
春ぴあだ、夏ぴあだ、動物園ぴあだ、アートカルチャーぴあだ、今度は東京歴史さんぽ、なるMOOKを出した。
でそこにも歴史を学ぶ博物館美術館があり、招待券プレゼントがある。
しかしぴあはまだ良い方でプレゼントはあるが応募はWebからとする雑誌が増えたのは嘆かわしい。
今日発売のクーリエジャポンなど良い例だ。
あと招待券は先着というのもあまり好ましくない。
要は手にいれさえすれば、ロクに読まなくても当たることになる。
美術雑誌の老舗、美術手帖が前はそうだった。
しかし今月の美術手帖はなかなかよい。
北野武やら田原総一郎やらが出てくる。
やはり招待券はきちんと読んでまじめな感想を書く人に送られるべきだ。
雑誌にはまだまだこだわりたい。


ショートショート

2010-06-19 23:41:45 | インポート
久しぶりに行った世田谷文学館が大きく変わっていたので驚いた。
以前は一階が企画展示で二階が常設展示だったのが逆になっていた。
企画展示は星新一、いわゆるショートショートを作った作家だ。
世田谷文学館単独の企画だが膨大な量だ。
まず父親だ。
クスリはホシといわれ、明治時代にアメリカンに留学して一代で製薬会社を築いた人だ。
モットーは親切第一、星新一は本名を星親一というがそこから来ているという。
さらに父親は国会議員を17年勤めたという。
新一はそんな父親を、仕事そのものが生きがいだった。私の父に限らず男とはそういうものだろう、と語っている。
そんな父親の会社を東大農学部大学院在学中に父親の急死で引き継いだ新一青年、しかし悪化した経営で手放す、1950頃だ、本人は忙しくて朝鮮半島での戦乱も記憶にないという。
で、手放してどういう訳か、日本空飛ぶ円盤研究会に参加。
そこに高見順がいて、作家という職業に歓心を持ったようだ。
で、SF同人誌宇宙塵創刊に参加して、セキストラという作品が江戸川乱歩の目に止まったという。
それから先は端折るが、僕は星新一というのは最相葉月さんの本くらいでしか知らなかったのだが意外な背景があるものだ。
またショートショートは昭和40~50に多数発行されていた企業PR誌にうってつけだったとか、いまでいえばiPhoneやiPadで読むのに実に適していると思う。
今日は映画上映会もあったようで沢山の人が上映を待っていたし、1200円のコンパクトな図録を持って会場をあとにする人の姿も多くみられた。星新一人気衰えず。
僕は新宿に出て、チケット屋であさってまでの展覧会、山本丘人のチケットをわずか90円で購入。家に帰れば、ハンスコパーの招待券が届いてなんか良い一日だった。


音声ガイドあります

2010-06-10 00:25:29 | インポート
この美術館というか美術ギャラリーとしては音声ガイドは初めての試みだという。
狭い展示場に所狭しと作品が並べられ、休むスペースもない。
三鷹市美術ギャラリーはミュシャの展覧会だ。
僕たちはミュシャはサラベルナールを描いたポスター画家として多くをイメージするが、この展覧会は、絵画から装飾から果ては彫刻まで、アールヌーヴォーの総合芸術家としてミュシャを捉えているようだ。
カメラのドイ創業者の土屋君雄さんの堺市所有のコレクションに海外の作品を加えた展示だ。
構成は、パリ時代、アメリカ時代、チェコ時代の三部だがアンバランスで、最初のパリ時代の作品が異様に多い。
まずは、絵画作品、ローマの火災を見つめるネロ、がおでむかえ。
フラデツクラーロヴエー美術館という聞いたこともない美術館の作品だが、圧巻だ!
オルセーからも着ている。1900パリ万博の壁画の下絵だが、ミュシャが幅広く仕事したことがわかる。
で、ポスター、ジスモンダで、一躍ポスター画家としての地位を確立したミュシャた。
ベルナールのためのポスターは全七点手がけたそうだ。
ルネサンス劇場というところでベルナールは仕事をしていたが、興行芳しくなく、サラベルナール劇場をつくってしまう、そのこけらおとしが、トスカだ。
さてさて人気者になったミュシャのもとには実に多くの仕事がくる、それにミュシャが一時期、あのゴーギャンとアトリエを共有していたとは!
この一つを取り上げてもミュシャが単なるポスター作家でないことがわかる。
で、あまりに忙しすぎるパリのグラフィックアートから解放されたいとアメリカに渡る。1904だ。
で、レスリーカーターというベルナール級の女優のポスターを制作したり、アメリカにあるドイツ劇場の装飾をしたりするが展示は少ない。
しかしアメリカに行った甲斐はあり、ボストン交響楽団の演奏で、スメタナの叙事詩わが祖国をきき、スラヴ叙事詩を
創作決意したという。
まぁスラヴ民族の血が沸騰したのだろう。
そもそもチェコスロバキア共和国は1918に誕生した、ハプスブルク帝国が支配していたのだ。
で、1910にプラハに戻る。ミュシャも時代の子だ。
1928にスラヴ叙事詩をプラハ市に寄贈してわざわざそのための展覧会を開く。
プラハに戻ってからはプラハ市民開館市長ホールの原画を描いたりするが、前衛芸術にはまっているプラハの若い画家たちには時代錯誤にうつったそうだ。今更ヤンフスなど持ち出されてもということか。
東京都美術館のミュシャ展のとき展示されたスラヴ叙事詩は今回は展示されませんし図録に載っている作品で展示されないものもかなりありますが、なかなか興味深かったです。


お殿様と印象派

2010-06-03 23:48:42 | インポート
今日はまず、日本橋三越の細川護煕展に、いつまでもなく元総理大臣だ。
何と音声ガイドまで用意されている、流石は元総理の展覧会!
いうまでもなく、細川家18代当主の伝統がある人だが、還暦を機に、晴耕雨読の生活に入られた。
実際畑仕事もされている映像が流れている。
でもって茶碗を作ったり、書をしたためたりされているらしい。
焼きものは、一 井戸 二 楽 三 唐津、というらしい。
井戸茶碗は高麗のものだが日本では格別なのだそうだ。
お殿様、細川護煕さんの目指すのは長次郎の楽茶碗だという。
まぁ茶碗だけでなく、書だけでもなく、仏様をきざんだり、花入を作ったり、優雅に暮らしておられるようだ。
細川さんの庵は不東庵といい、あの藤森照信さんの設計だ。
昔の文人が庵を構えたのとは正反対、豊かだから質素めいた生活に憧れて実践しておられるようだ。
従ってお殿様だからわざわざ今回の展覧会に当たって、細川さんがギャラリートークに来られることもない。
さすがパリ三越エトワールで展覧会をやったさいには細川さんのギャラリートークがあったようだが、日本では作品の展示のみ、晴耕雨読の生活を送っておられるなら顔見せてもよさそうだけど。
などと考えつつ、会場をあとにし、ブリヂストン美術館へ。
印象派はお好きですか?という展覧会をやっている。
日本人は本当に印象派が好きだ。
ブリヂストンの長々しい音声ガイドを借りている人が沢山いる。
しかし実質は印象派の展覧会ではなく、何時ものブリヂストンの常設展示だ、若干石橋美術館から借りているものの、19世紀以前の絵画から抽象絵画までずらりと並ぶ。
常設を大切にしているブリヂストンだからこれも良いのだ。
僕の目を引いたのは、シャガールのヴァンスの新月と、林倭衛という人の、サントヴィクトワール、後者は石橋美術館のもので、この画家はこれで、はやししずえと読むそうだ。
1895-1945、作品解説も展示図録もないので調べたら、1921-1925までフランスに滞在してセザンヌのアトリエを借りて仕事し、また1928にもフランスにわたったそうだ。
この作品には年期がないのでいつ制作されたかはわからないらしい。
セザンヌといえば、水浴群像、鉛筆水彩も出ていた。
ちょっとは印象派に重きを置いた展示になっているようだ。