だらだら日記goo編

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ダヴィンチの見た夢

2005-09-30 23:08:13 | アート・文化
空を飛ぶことを夢見た男、人体の解剖をした男、あの偉大な「最後の晩餐」を描いた男ー。
レオナルド・ダヴィンチといえばこんなイメージだろうか。
しかしながら彼の絵画は作品は10点あまり、手稿は8000点あまりと訊けば、一体何をたくらんだ人物なのか気にはなる。
その手稿のひとつ「レスター手稿」が日本初公開というので新聞屋の招待券で森アーツギャラリーまで足を運ぶ。
で、会場に足を踏み入れるといきなり丸い球が天井からぶらさがっている。
なんだこりゃと思うと月の模型だそうでダヴィンチが月の満ち欠けのしくみを説明しようとしたのを模型にしたものだそうだ。
ダヴィンチが産まれたのはローマ帝国滅亡の前年だが、すでに彼は地球が丸くて月と太陽の位置関係をも図で示したというのだ。
続いて「水流実験」やら「水圧実験」やら模型がやたらとおかれる。
ダヴィンチは地球の内部が水で満たされていたと考えていたようで、河川の制御やら洪水防止など実用的なことをいろいろ考えていたらしい。
しかし会場でおばさんが「実際に実験しても解説のようにならない」と文句を言い、会場係が「模型は小さいのでー」などと説明するのでいやな予感がする。
続いては貝殻化石。
山の上の貝殻は決して「ノアの大洪水」で運ばれたものではなく、以前そこは海だったことをダヴィンチは論証したのだ。
宗教的世界観からの脱却だ、ちょうどその頃宗教改革が行われており興味深い。
さていよいよ「レスター手稿」とのご対面。
この手稿は「鏡面文字」で書かれている、つまり鏡に映った状態なのだとか、筆跡が変化するのでダヴィンチの生涯は五期に分類できるとか前書きが続く。
でその「レスター手稿」だが18枚の紙表と裏に書かれており、さらに真ん中で折り曲げるから全部で72ページとどうもややこしい。
で、いよいよ「レスター手稿」とご対面ー会場が真っ暗だ!
いやな予感は的中した、紙の保護のために光は一定時間しか当てられないというのだ。
18枚の紙に一定時間交互に光が当たるーどれにあたるかはクイズのようなものでこちらにはわからない。
そもそもが境面文字で字が読めないのは仕方ないが、暗くてイラストも、何が描いてあるかの解説も読めないときた。
あらかじめほかの方のブログで会場出口にパソコンがあり調べられると知っていたので直筆ノートはさっさとパス。
暗い中うろうろしても仕方ない、しかしダヴィンチの字は小さい。
最後のコーナーはレオナルドの年譜、絵画作品と絡めていろいろかいてある。
さてパソコンに向う。
パソコンの前には「パリ手稿」「マドリッド手稿」などダヴィンチの手稿のファクシミリが勢ぞろい。
パソコンで調べると幽霊の手のようなスケッチが描かれており、これはダヴィンチ派の絵画によく出るものとか、水を重視したダヴィンチは「水の書」を計画したり、潜水技術やらワインの容器を使った実験やらいろいろ面白い。
結局ダヴィンチという人は一切智を夢見たんだと思う。
会場解説では彼の絵画論をあげて絵画こそ彼にとって最高の芸術という解説があったが、おそらく絵画も自然探求もダヴィンチの中で一つなのだろうと思う。
しかし真っ暗の中での手稿対面には驚いた、まことに疲れる展覧会、毎日新聞の展覧会はろくなものがない。


リンク設定

2005-09-28 23:21:04 | ブログ
新しくなずなさんのLife is beatiful をリンク追加しました。
若々しいママさんです、絵日記が好きです、お子さんと美術館に行かれたり楽しんでおられる様子です。
又、滝野さんのブログは美術と関係ないのでリンクを削除いたしました。


大地になされる彫刻

2005-09-27 23:10:44 | アート・文化
先週の「週刊新潮」にイサム・ノグチの展覧会のことが出ている。
彼の最高傑作ともいわれる「エナジー・ヴォイド」がはじめて東京にやってくるが、重さ十七トンもの作品を設置できる箇所は現代美術館では高さ19メートルのアトリウムしかなかったという趣旨だ。
Juneさんから招待券をいただいているのでどんなものか観にいってみる。
しかしながら中心部が空で禅とのかかわりを指摘されるこの作品も、屋内の人工空間に置かれてもただ空疎に響いた。
札幌では美術館の池の水面上に置かれたというがまだそのほうが納得いく。
そもそもイサムの彫刻はその大地性と切り離しては論じられないと思う。
初期の彼はブラクシーンの元で、抽象彫刻をつくっていた。
真鍮を使ったその彫刻は金色に今でも光っていた。
しかし彼は抽象をやるには若すぎたと感じたという。
1945ごろは「彫刻のワークシート」を作った。一枚の紙からきりえのようにいろいろちぎっては立体化したという。
そして彼は日本庭園を見出す。石の根は大地に合一しており、これからの彫刻は大地になされるべきと考えたのだ。
しかし「一枚の紙」から作品を作るなどその大地性は早くから彼の根底にあったのだろう。
その集大成が札幌にこの間オープンしたモレエ沼公園だ。
しかしその萌芽はすでに1933「プレイマウンテンの模型」や1943「この責め苦しめられた地球」にあったという。
大地への彫刻という発想は彼の原点なのだろう。
そもそもこの展覧会は札幌のモレエ沼公園開館を記念した展覧会だ。
何でそれが東京で開催されるのかよくわからない、彼の作品は大地の上に置かれるべきでコンクリートの上に置かれるべきではなかろう。
というわけであまり歓心した展覧会とはいえない、Juneさんごめんなさい。
現代美術館館長は日本テレビの議長だ、テレビの力を利用して入場者を増やそうとするだろうがこれまた歓心したことではない。



正常と異常のはざまーその二

2005-09-25 23:25:12 | アート・文化
きわめてモダンでハイカラな人なのだろう。
1923自画像を見るとまるで現代の青年のようだし、1921には「ライフマスク」を作らせ、1926にはテニス風景など描いている。
しかし総じて彼の絵は分厚いマチエールで荒々しいタッチ、まるで殴り書きしたようだ。
ユトリロに続いてパリつながりで佐伯祐三の展覧会を練馬区立美術館へ観に行く。
会場入ってすぐ佐伯の大きな旅行鞄にまず驚く。
初期の彼はまるでルノアールを思わせるタッチで女性などを描く、しかしそれがパリに行くと変わるのだ。
ユトリロと違って空は真っ暗だし、総じて風景は暗い。木も緑というより黒だ。
「ノートルダム」1925は重厚な感じを受けるが隣に展示されている「夜のノートルダム」は崩れた感じを受ける。
そもそもこの人は構図がしっかりしていないというか、「窓のある建物」やら「モラン風景」といった作品は何かたてものが斜めに傾いている印象だ。
それでいて「共同便所」などまるで立派な建物のように描くのはいかがなことか。
総じてこの人は人物表現には関心がないようで、人物を描いても表面的に止まる。
パンフレット表紙に描かれている「郵便配達夫」もいささか幾何学的だ。
それでいて1928「ロシアの少女」は背景も黄色で明るく目を引く。
その表情は物憂げだが、まるでこの少女は佐伯にとって天使であるかのようだ。
ともあれこのような絵ばかり描く人物が尋常のはずもない。
自殺未遂を図り精神病院に収容され三十歳でなくなったというのもうなづける。
駆け抜けるような青春だったのだろう。
佐伯の展覧会は首都圏ではかなり久しぶりということで、練馬区立美術館の意気込みも伝わる。
カタログは資料的要素も大いにかねる。
西武線中村橋とアクセスしにくい場所にあるが行く価値は充分ある。


正常と異常のはざま

2005-09-23 23:14:12 | インポート
正常と異常のはざまとはどこにあるのだろう。
かつて、デカルトのコギトは狂気を排除しているかについてフーコーとデリダが論戦したこともある、難しい課題だ。
画家の自画像を見ると帽子をかぶり、厚手のコートをきていかにも陰鬱そうだ。
画家が絵を描き出したのは精神病院を退院してから、しかもアルコール中毒のため外に出ることができないと訊けば、誰もが陰鬱な絵を描く人を想像するだろう、僕も以前はそう思っていた。
画家の名前はモーリス・ユトリロ、その回顧展を日本橋高島屋で観る。
「白の時代」ともいうが、白い壁を多く描いたところに閉じ込められたものの心理がうかがえなくもない。
しかし今回見直してみて意外とこの画家まともというか生気に満ちた絵を描く。
それは雪景色を描いた絵を例外とすれば、ほとんどの絵に緑の木々がいつも目立つことにある。
枯れた枝などほとんど見受けられないのだ。
「イヴリーの療養所の人々」1924などとても療養所を描いたとは思えない、生気にあふれている。
こんな絵が売れないわけがない、逆に言えば陰鬱な絵ならばこれほど売れただろうか。
しかしながらユトリロは絵が売れても金に無関心で、酒にありつけることがもっぱらの関心事だったという。
彼は外に出られないのでもっぱら絵葉書を見て描いたというがそうとは思えない臨場感だ。
それはユトリロが結婚するとますますだ。
1936「花瓶の花」は見事な色彩だし、同じ年の「アングレームの城壁」も幸福感あふれる。
しかしこの画家の絵は母親ヴァラドンが世を去ったことと関係するのか晩年になるほど生気が乏しくなる。
「生気のある通り」1950は人影もまばらで題名に反して生気はまったく感じられない。
どんどん色彩感にも乏しくなる、なかなか人間というのは面白い。
絵の解説は会場にまったくないが、代わりにいろいろなエピソードがパネル展示されるのが良い。
ユトリロは母親とジャンヌダルク以外の女性には興味なかったとか面白いものがある。
没後五十年を記念した展覧会はこのあと横浜、大阪、京都、名古屋と回ります、なかなかいい展覧会でした。