だらだら日記goo編

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自己反省の庭へ

2005-12-28 22:55:24 | アート・文化

今年最後の展覧会はどこにしようか思い悩み、朝倉彫塑館にした、「ぐるっとパス」で無料で入れるからだ。

彫刻家朝倉文夫については今ではよく知られているので説明の必要も無いだろう、ただ驚くべきはこの彫刻家はフランスの洗礼を受けていないのだ、遊学もしないのだ、ロダンやなんかとはかかわり無く自己独自で彫刻をつくっていった。

彫塑館は朝倉の自邸だ、そこに朝倉の作品がいろいろ並べられている。

「アトリエ」には代表作が、「初期アトリエ」らしきところには猫にちなんだ作品が多数展示されている。

しかしこの館は建物自体が芸術ともいえる、台東区の谷中にあるが、その中央には自然の湧き水を利用した日本庭園がある。

朝倉はここを「五典の水庭」とよんでいたそうで、儒教の五常を象徴した五つの石が配され、自己反省の場としたという。

朝倉の家はこの中庭をぐるりと取り囲むように建てられ、又、ランの栽培にも夢中だったようで、まことに自然豊かなものになっている。

一つ一つの部屋をじっくり見たが、「書斎」には高村光太郎の「手」の彫刻が置かれ、「応接室」には川合玉堂からの手紙が置かれ、「寝室」には生前着用の和服が置かれといった具合だ。

「ルソンの茶壷」とか「南洋コレクション」とか何のことかと思いきや、カタログを見ると1911に南洋諸島を旅行したらしい。

猫の作品の部屋も良い、「愛猫やめり」なる作品は病気になった猫を心配してつくられたものだろうし、「たま」なる作品にはきちんと鈴までついている。

猫の部屋を通過して屋上へ、屋上庭園だ!

住宅地が迫り、墓地も近くにあるなか、ここは一つのオアシスだ。

屋上ではこの冬のさなかに赤い花とピンクの花がわずかに咲いていた。

それをじっと見つつ、年も暮れてゆくのを実感した。


生の根源へ

2005-12-24 22:42:07 | アート・文化

川崎市立岡本太郎美術館へは企画展のたびに行く。

元気をもらいたいとき岡本太郎に会いに行くのだ。

今度は東京都写真美術館で開館十周年の締めくくりに「写真展 岡本太郎の視線」が始まったので早速観に行く。

岡本がパリでシュールレアリズムの現場の只中に身を置いていたことをまざまざと知った。

岡本はマン・レイに写真を習い、ブラッサイとも交流し写真機を譲り受けていたのだ。

「私の絵が変わっているから写真は平凡なものでいいだろう」、そう岡本は言う。

シュールレアリズムの影響を受けた岡本の絵は確かに変わっている、しかし写真もまた「変わっている」というべきだろう。

岡本が縄文土器を「発見」したのは1951年だ、「非日本的とも思われる強烈な美学」に撃たれたのだ、そのことは今ではよくしられている。

したがって岡本の視線がその延長線上に「私の関心はむしろ古い失われたわれわれの文化の根源に向けられていた」というのは当然の道理だ。

岡本はかくして日本の各地へと走る「芸術風土記」の連載のため敏子さんと2人でレンズ片手に各地へ赴く、太郎が話す内容を敏子さんが聞き取る、文字通り二人三脚のたびだ。

展示はこの「芸術風土記」の内容が中心となる。

秋田ではなまはげに「どん底からの不気味な声」を聞き、長崎では「観光地として俗化される長崎の現状への憤り」を現地の人から聞き、岩手では馬に「芸術的に私に問題を突きつけてくる」もの「太古の昔からつながってきたその相互の密接な絡み合い」を感じる。

その延長線上に岡本の有名な「沖縄文化論」はある。

「しかしここではことさらに生命のリズムを感じる」と岡本は言う。

「岡本太郎が日本を歩いてくれてよかった、見ておいてくれてよかった」と生前の敏子さんは語ったという。

伝統とは何か、岡本は言う「己の外にあるものではなく、自己×過去だ」「主体的にあるもの」だと。

僕も岡本太郎に同意する。

こんな岡本太郎の写真が「再発見」されたのは96年、ついこの間のことだ。

これからも岡本太郎はいろいろと語られていくだろう。

いのちを燃やした芸術家に今日も満足したー今年の展覧会めぐりはこれで終わりにしようかとも思うくらいだ。


カウンセラーとしての仏像

2005-12-22 22:59:24 | アート・文化
「かなしみとうれいを秘めてあそぶひと」
相田みつをの言葉だ、みつをのアトリエには仏像の写真が飾ってあったという。
みつをにとって仏像とは今で言うカウンセラーの役割を果たしたのではないか、相田みつを美術館「かんのん讃歌」の展覧会を観てそう思った。
「正法現蔵」を座右の書として、仏教にも関心の深かったみつをだ、「禅の友」という雑誌に書いたエッセーが展示されていた。
それを読むとみつをが仏像を人間の悲しみの極限を表現したものととらえていることがよくわかる。
「本当に深い悲しみは言葉に出せませんー人の世のさまざまな苦しみ、あらゆる悲しみを体験し、それに耐えた人、それが観音さまだと思います」とみつをはいう。
しかしみつをは「悟り」というようなところから最も遠いところにいる。
迷いのキモノも悟りのキモノもだめ、というわけだ。
でもって「四苦八苦の絶えないトンネルの中こそ人間の生きる場」であるからこそ「トンネルを出なくてもそのままでいのちの安らぎ」を与えてくれなければならない。
そうであれば「あの世」とか「極楽地獄」とか五十六億七千万年後に降臨する弥勒菩薩など無意味だ。
結局みつをは悲しみのどん底の自分をそのまま受け入れ、聞いてくれるものとして観音を把握していたのではないか。
それは現代でいうカウンセラーと非常に似通ってくる。
あるいは「Mit-leiden」「共苦」の思想が現代倫理学で注目されているがそれに非常に近いところにいる。
みつをは又面白いこともいう。
当時「行革」が流行していたようだが、千手観音を「行革」すると十一面観音になるとか、自分のことを「物慾院色慾旺盛居士みつを」などと書いたりする、なかなかちゃめっけがある。
「父母の二滴」という作品がある、道元の「学道用心集」に出て来るそうだが自分の体は父親の精子と母親の卵子からできているということで、人間存在のむなしさを語ったものという。
なかなか面白い、みつををそして仏教を現代によみがえらせるのもなかなかに興味深い。
さて、通常はビデオを流しているみつを美術館の第二ホールは特別展「アインシュタイン日本見聞録」をやっている。
ついでなのでお金を払って入場すると、無料で音声ガイドを渡されたのは良いが、このガイド、一つ一つがいつ果てるともしらない長ったらしいもので、突っ立ったままいつまでもガイドを聞いていなければいけないという代物でどっと疲れた。
みつをの仏像の展覧会の印象が半減する。
みつを美術館は元旦も休まずやっています、美しい仏像写真も展示されていますので本展示のほうだけに行かれるのがよろしいかと、東京駅から歩いてすぐです。


芸術は身近であるべきだ。

2005-12-19 22:38:19 | アート・文化
いやいやなんともユーモラスな展覧会だ、観ている間頬がゆるみっぱなしだ。
武蔵野市吉祥寺美術館「市民のお宝美術品」の展覧会だ、無休でやっているのがよい。
この展覧会は市民や市内の企業が愛蔵する美術品を展示しているのだが、「出品作品の真偽鑑定は行っていません」、所有者が「お宝」と思うものがそのまま展示されるのだ。
展示内容は多岐に渡る、先祖代々受け継がれてきたもの、骨董やにつかまされたもの、果てはネットオークションで手に入れたものまでー面白いこと限りない。
まあ横河電機の所有するデュフィの「電気の精」などは本物だろう。
1937パリ万博でピカソの「ゲルニカ」より人気があったと解説にある。
今井俊満の絵も成蹊学園史料館所蔵だ、まあ間違いない。
しかしなかには怪しいものもある。
唐招提寺の古瓦と称するものは所有者は1654に作られたと主張しているが、あまりにぴかぴかしすぎている!
ネットオークションで落札したというものは佐伯祐三の絵、日本に一時帰国していたときの絵としょうするが、佐伯らしくない。一体いくらで落札したのか知りたい!
横山大観の絵と称するものもなんだかという感じだ。
所有者は大観が一連の作品をシリーズで描き、その一枚が松岡美術館にあると主張する。
その経緯をご存知の方、学芸員さんまで知らせてほしい、ハラハラドキドキワクワクすると言うが、こちらは偽物と鑑定されるのが心配だ。
徳川慶喜の使用した煙草盆を出品する人もいる。
なんでも敗戦で千駄ヶ谷の徳川家の明け渡しを求められ、一週間で明け渡さないといけないが、誰も手伝いする人がおらず、自分が手伝って記念にもらったという、ウソともまこととも知らぬいきさつを述べる。
フ山の書を出品した人はこの作品に自己評価で三千万円をつけるが、僕は十万でも買いたくない気分だ!
習字手本の版木を出品した人は作品の「鑑賞法」まで説明する、もはやいっぱしの専門家だ。
まあこんな感じで本物か偽者かよくわからん作品40あまり、けどそれでいいんだと思う。
芸術などピカソだゴッホだとみな騒ぐが、自分にとって大切なものこそ真の意味での芸術品なのだろう。
素人に何がわかるか、鑑賞させてやるといった感じの美術館は僕が一番嫌うところだ。
同時開催で浜口陽三と荻原英雄の、これは「本物」の鑑定済みの作品も観られますよ、時間のある方はぜひ。


苦悩の画家

2005-12-18 23:15:57 | アート・文化
「芸術家が自らの苦悩をキリストの受難と重ね合わせ、苦悩を礼賛するといういささかヒロイックな思念は、今日「ドロリスム」と呼ばれ、19世紀の芸術家たちの特質の一つに数えられる」
展示カタログからの引用だ、なるほどルオーとボードレールをこうやってつなげるのも面白い。
ルオーというのは前から気になる画家だ、分厚いマチエールで常に孤独な人物を描く。
松下電工NAISミュージーアムはルオーコレクションで知られるが「ルオーと音楽」の展覧会がはじまったのでいってみる。
しかしタイトルに期待するとガッカリするだろう、別にルオーと西洋音楽のかかわりを追求した展覧会ではないのだ。
展覧会は大きく三部に分かれる、第一部はルオーの描いた道化だ。
ルオーはサーカスをテーマによく取り上げた、しかしそれは、シャガールがそうであったように美しいものとしてのサーカスではない。
サーカスはルオーにとって流浪の民であり、道化を演じる人間の哀切さをみているのだ。
第二部の展示は「回想録」だ。
銅版画で親しかった人を描いている。
自画像はなかなかに立体的なかんじがする。
モロー教室の学生であったから、モローを二点描いている、貴族的な姿と陰鬱な姿だ。
「絶望者」で知られるレオン・ブロワも描く、ルオーの関心がどこにあったかがよくわかる。
そして「悪の華」のボードレールだ、ボードレールが展示第三部の主題になる。
「悪の華」ははじめ発表されたとき、発禁処分になり六篇の詩が削り取られたというが、ルオーはこのボードレールの詩の「音楽的特質」をモノクロ、カラーで二回絵にしているのだ、いかに関心があったかがわかる。
会場では同時に同じく内面をみつめた画家ルドンの「悪の華」の挿絵も展示される。
ロダンも「悪の華」を描いたというが、これは複製展示、彫刻家だけあってやはり立体的だ。
渋谷のBunkamuraのモローの展覧会でも世紀末芸術へのボードレールの影響の大きさを垣間見たが、今回も図らずもその影響を知ることになった。
会場最後はその「悪の華」の日本語訳が掲げられていたが、堀口大学のいかめしい文語訳はいただけない。
そもそもルオーと音楽という展覧会でありつつ、カタログ自体も「悪の華」と「回想録」しか収められていないのは納得できないし、カタログの「悪の華」の翻訳が鈴木信太郎の訳というのも展示にそぐわない。
展示には1956「マドレーヌ」も出品されていた、マグダラのマリアを描いたものかともいわれるそうだが、ルオーにしては明るい、というか晩年のルオーは透明感が出てくる。
「人間の苦悩」という主題を乗り越えたのだろうか、興味がある。