だらだら日記goo編

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

画狂人の世界へ

2005-11-25 23:02:03 | アート・文化
ともかくすごい話題なのである。
どのくらいすごいかというと、中央線で分厚いカタログを抱えた人を二回見たし、「自由な言論」を売りにするメールマガジンPublicityの執筆者までもこの展覧会の混雑を話題にする。
というわけでどんなものか行ってみる、比較的すいているという夜間開館を利用して国立博物館「北斎」の展覧会。
夕刻五時に会場に着く、会場から出てくる人続々と。
入場制限もなくそのまま入る、しかし同じ考えの人は多いようで、会場はごった返している。
若い女性が「すごい人、これじゃ観れない」なんて叫んでいたが、こんなものしかし、先日のゴッホに比べれば物の数ではない、順路どおり見る必要なんてないのであいているところからさっさと観る、すると面白いものでごった返していたところがすくので戻ってみる、こんなことを繰り返す、これまた一興。
さて展示最初は「自画像」である、しかも八十三歳の自画像で、四十歳ごろの作品への質問に答えるという形式、この人なかなか茶目っ気があるとみた。
初期の北斎は西洋の影響もあり、木版なのに「銅板」と偽って作品をつくったりする、「宗理美人」という型にはまったような美人像も描く。
しかしそれが段々肉感的になってくるのが面白い、写真登場の影響もあるのだろうかとふと考える。
いわゆる北斎漫画はさほど展示されない、「富嶽三十六景」ではさすが世界中から集めただけあって、すりによる違いを観る事ができる、国立博物館所蔵とケルン東洋美術館とギメ美術館の三種類。
世界から集めたといってもフリーア美術館というところの肉筆画はアメリカの展覧会のため借りることができなかったという、まさに世界に誇れる北斎だ。
晩年の北斎は「画狂老人卍」などと名乗るが、別にかれたりすることはない、勢力旺盛だ。
琉球に旅していないのにイメージだけで琉球を描く、南国のイメージがまったくないのがもの悲しい。
絶筆に近いという作品は富士山を背景に龍が昇天するという絵だが、これは出世を意味するという。
八十を超えても「出世」の作品を描くとは只者ではない、いつまで生き続けるつもりだったか。
それにしても「本邦初公開」というカラスを描いた作品やら、1901の展覧会のカタログに載っていたが所在不明だった作品はあるはまあ北斎研究も忙しいと見える。
さてさて七時に観終えて、最初のほうを又見ようとするが、会社帰りかまだ入場者でごった返すのには驚いた。
でもって常設展示へ。
いつ行ってもここの常設展示は日本の第一級の作品を惜しみもなく見せてくれるのがありがたい。
今回はアイヌ衣装やら、鏡やら特集展示がいろいろあった。充実した国立博物館三時間だった。


皇族という責務

2005-11-24 23:00:58 | アート・文化
紀宮さんがご成婚された、雅子さんの具合はどうなのだろう、夜の食事会を欠席されたときく。
皇族というのは優秀な外交官だった人が精神を病むほど過酷なのだ、その過酷な責務を勤めた波乱万丈の生涯を送られた方がいる、梨本宮家伊都子さんだ、その生涯をたばこと塩の博物館「梨本宮家と渋谷」の展覧会に昨日観にいった。
伊都子さんについてはこのブログで以前逓信総合博物館のフランス絵はがきの展覧会のことを書いたときにも書いた、ローマに産まれたからこの名前がついたのだ。
フランスに行ったのはロシアとの戦争を控えてフランス陸軍の研究のためだったという。
さてこの展覧会は入館料百円がもったいないほど充実している。
渋谷とのかかわりでいえば松涛という地名が渋谷にあるがそれは茶の湯のたぎる音に由来し、鍋島家がここに茶園を開き、渋谷茶は宇治茶が入ってくるまで名物だったとはじめて知った。
宮下という地名も渋谷にある、これは梨本宮邸の「青山御殿」二万坪!のしたの地域に属していたからという。
しかしそれをのぞいては渋谷とこの展覧会は関係ない。
鍋島家佐賀藩の圧倒されるアームストロング砲の近代軍備から説き起こし、鹿鳴館ビゴーの「鹿鳴館の月曜日」、ダンスの特訓が行われていたそうな。そこで着用された衣装も展示。
さて伊都子は1900年ちょうどに結婚する、それと合わせてこの人はずっと日記を記す、明治大正昭和とー。
結婚も見事だったようだ、内閣総理の年俸が9600円なのに宝冠一つでも二万数千円の宝石が注文される。
でもって欧州へ旅行してアールヌーボーに出会う。
そんなこんなで時代は大正へ、大正天皇の即位式に着用した衣装も展示。
子どももできるが、長女はなんと朝鮮の皇太子と結婚させられる、政略結婚だ、ここいらへんから歯車が狂いだす。
初孫は「牛乳」で死んだことになっている、しかし伊都子は「毒殺」だと疑う。
初孫が死んだ翌年は関東大震災だ、伊都子は松ノ木につかまった絵をあらわす。
時代は確実に戦争へ、伊都子も満州軍慰問の作詞をさせられる、山田耕作作曲だ。
梨本宮家は空襲で全焼だ、日記には「あの大なる家はあとかたなく」「情けないやらなんとも言いようのない」と記す。
で敗戦、夫だけなぜか巣鴨プリズンに入れられる、昭和22年には「臣籍降下」で皇族の地位を失ってしまう。
別荘も手放し、民間人となった伊都子、時代に翻弄された皇族がここにはいる。
この頃盗難にあったりしたようで、あとはひっそりと暮らしたようだ。
昭和35には帝劇「源氏物語」で長谷川一夫の挨拶を受けたり、昭和40には昭和天皇に挨拶する機会もあったようだ。
地元の渋谷小学校にはピアノやら大きなタラバガニやらをプレゼントしたらしい。
でもって1976この人は他界した、まことに波乱万丈というしかない。
展示は今回の紀宮結婚でも話題になったボンボニエールとか宮中の衣装とかいろいろ展示され、皇室のことを知るいい機会ともなった、ぜひ若い人にも観てほしいとも思う。
昭和は遠くなりにけりーでも皇室の伝統は受け継がれる、立川の国営記念公園に昭和天皇ゆかりの品の記念館がオープンしたらしい、今度見てこよう。


デンマークの英雄へ

2005-11-22 22:59:23 | アート・文化
デンマークといっても北欧に位置しているという認識しかなかった。
よくよく地図を見るとドイツの北の半島と島嶼からなる国だ、首都コペンハーゲンはシェラン島にある。
そんな北の国が生んだ英雄がアンデルセンだ、「人魚姫」「みにくいあひるのこ」など少ししか彼の作品は知られていないが、デンマーク国家の英雄だ、彼の葬儀には国王も参列したという。
そんなアンデルセンの世界を紹介する「アンデルセンの世界とその作品」の展覧会を逓信総合博物館に観に行く。
まず持って、アンデルセンは文学好きの父とアルコール中毒の洗濯女の母の間に産まれたという、波乱がないわけもない予感がするが的中。
十四歳でコペンハーゲンに出て、十七歳でラテン語の学校に入れられるが、これが元で精神に変調をきたしたという。
どうも北国の人は精神を病む人が多いが、どうにか立ち直ったようだ。
あちこちを旅行して旅行記を発表したり、そのときの経験が後の童話につながったという。
童話というと僕らはグリムを思い浮かべるが、グリム童話は昔話を編集したのに対し、アンデルセン童話は彼の実体験がもとになっている。
たとえば「ナイチンゲール」は、チボリ公園にある中国をイメージした塔を観て思いついたというが、同時にスウェーデンの歌手との恋愛が反映されているという。
あちこち旅したから、旅のスケッチも残すがはっきり行って下手である。
切り絵が趣味で「踊るピエロ」などあらわすが、マティスみたいにはいかない。
この展覧会は世界初公開の「母への手紙」がうたい文句だが、それより、ディケンズへの手紙のほうが面白い。
「ロンドンが好きではない」とか「私は神経質だ」とかあからさまに書いている。
まあ神経質なのは確かで、泥棒を恐れて用心のためロープを持って旅行したというから尋常ではない。
彼の作品では「木の精ドリアーデ」というのが面白いようだ。
何でも1867パリ万博に行って着想を得たようで現代の環境問題にも通ずると解説がある。
デンマークは冬が長い、屋内で生活することが多いから自然と手仕事の文化がうまれる。
ヘデボー刺繍といわれるものもその一つだ。おそらくアンデルセンの母親もそんな文化の中で育ったのだろう。
もうすぐクリスマスーデンマーク的な屋内のクリスマスもいいかもしれない、知られざるアンデルセンの童話を読みながらー。
図録にはデンマーク料理のレシピもある、アンデルセンも食べたのであろうか。
ここがお薦めだそうだ、デンマーク料理。

http://www.cafedaisy.com


死後の世界を考える

2005-11-18 22:32:19 | アート・文化
犯罪が多発しているという町田だが、今日ばかりは町田市民が羨ましくなった。
全国巡回する展覧会、たとえばこの展覧会は細見美術館や岡山オリエント美術館に巡回し、当然入館料を求められるだろうが、そういう展覧会がここ町田では無料で見られるのだ。
町田市立博物館に「古代中国の暮らしと夢」の展覧会を観に行く、ここにははじめていく。
僕たちはいわゆる「傭」というものは知っている、なんか古代中国で墓に収められたものだということは。
しかしそれが「明器」というものの一種で、古代中国人は来世の生活を現世の延長線上に考えており、そのため来世で過不足なく暮らせるように収められたものだということはなかなか知らないのではないか、少なくとも僕はそうだ。
この展覧会は「俑」に限らず古代中国の死生観をまざまざとうきぼりにしてくれる展示だ。
無料だが展示品はみな素晴らしいもので、天理大学や国立博物館所蔵もある、解説もきちんとついておりカタログも作られる。
さてそんな展示内容でまず竃と井戸と厠は生活の基本ということでそういうものが展示される。
唐三彩でできた非常に珍しい明器の厠も展示されるが、注目すべきは日常生活の場面を忠実に再現しているから、古代中国の厠のあり方の研究材料になることだ。
そういう意味では副葬品を売る店「葬儀屋」までも作られるのは面白い。
住居は豪族の権力軍事力を反映して豪華絢爛になる。
「水しゃ」と呼ばれる池の中にたてものをつくり、池には水辺の生き物が楽しそうに泳ぐ。
そうかと思えば別のたてものは厠には穴が開いており、子どもがたたずむなど現実そっくりで驚く。
「臥仙」という寝転んだ仙人の姿は面白いし、踊る農民は九体でひとまとまり。
僕たちが兵馬俑なんかでイメージする軍人のイメージとは離れた生きる喜びがここにはある。
なんでも古代中国では人間の魂は墳墓に住まうという考えと、死後天に昇るという考えもあったようで、後者もちょこっと展示される。
「桃都樹」の考えがそれで中国の東南にある山に生えているとされる樹で神仙世界の象徴という。
本当に人間の魂は死んだらどこに行くのだろう、古代中国の世界観のように生き生きした喜びに満ちるのであろうか。
この博物館には販売カタログも置いてあるが、日本全国から集められたカタログの閲覧コーナーも見事だ。
帰りに近くで「大規模マンション反対」の垂れ幕がかかっていた、全国どこでも同じだ。
しかし、新しく移り住んだ人がこの博物館で有意義なときを過せればそれもまたいいと思った。


戦争の悲劇の中で

2005-11-13 23:19:56 | アート・文化
展示の最後に「信頼」という作品があった。
戦闘機に乗り込む人を描いた絵で何を「信頼」しているのかわからなかったが、カタログを読んでどうも空軍の能力を「信頼」して描かれたたものだとわかった、するとこの国の未来がどうなるのかはたと思い悩んだ。
戦争の悲劇を繰り返してた国である、第二次世界大戦、フランス独立戦争、国は南北に分裂、抗米戦争もあった。
国が統一してもボートピープル、インドシナ越境、中国との争い、戦争が絶えることのない国、ベトナムだ。
そのベトナムの近代絵画を展望する展覧会を東京ステーションギャラリーに観に行く。
もともとこの国はフランス植民地化にあったということで1925年、フランス式教育をする美術学校が組織された。
そういうわけで初期のこの国の絵画は意外とフランス美術との親近感を感じさせる。
「母と子」など、伝統的聖母子像そっくりだし、「読書する若い娘」などフランス人が描いたといってもいいくらいだ。
「アトリエ」では女性ヌードがあるし、タ・ティの「女」などピカソ風だ。
しかし戦争の泥沼に入り込むとナショナリズムと平和への想いが交錯する。
「ハノイの少女アメリカ軍戦闘機を撃墜」なる宣伝色強い絵は現れるは、偉大なる指導者ホーチミンを親しみを込めてVac Hoと呼ぶ絵は繰り返される。
一方チャン・チュン・ティンは貧しさの中から、新聞紙上に悲しげな少女の絵を描くことで戦争の悲劇を伝えようとする。
「協同組合の女性主任」なる絵はのどかな田舎で赤ん坊をいやす女性を描くが、傍らにはライフル銃が置かれ、そこは戦場であることを如実に物語る。
そんな中でも近代化は進む。
「ハイフォン湾」1963は工場からの煙と何の花か赤い花を咲かせる樹との対照が見事だし、「都市の建設」1979は題名のとおりだ。
展示は1980冒頭で書いた「信頼」と、老人と男女の国民の団結を強調した「人民よりいで来るもの」で終わる。
ドイモイ政策で一応安定したとはいえこの国がどこへむかうのかー。
フランス絵画との関連性が発見されたことは特筆すべきたが、「大東亜共栄圏」の日本との関連性はどうなのか、課題が残る展示だ。
複雑な思いで、中央特別快速に乗ると、隣に北斎展の分厚いカタログ抱えた男性が、向かい隣にはプーシキンの展覧会のポスター持ったカップルがーどれくらい宣伝しているのか話題の展覧会もいいが、地味な展覧会も観てほしいと思った。