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「日本のゴッホ」のたどった道

2005-05-10 22:19:15 | アート・文化
「放浪の画家」「日本のゴッホ」といわれる人がいる。
いうまでもなく山下清だ。
この人の展覧会はなぜかデパートで開かれる、以前は大丸東京で開かれた。いつもすごい人気だという。
今度の展覧会は町田の東急だ、昨日ネットで見つけてあわてていく。
入場料五百円というから期待もしていなかったが、清の全貌が見渡せるすごい展示だ。
放浪時代の貼り絵はもとより、ヨーロッパ旅行の絵、皿絵や陶器、ゴッホの模写、遺作となった「東海道五十三次」などなど、作品には清の言葉も掲載されているから、見るのにたっぷり一時間はかかる。ビデオもやっているし、修復プロジェクトの紹介までまあ盛りだくさん。
で、感想を述べれば、初期の作品は面白いが、時代が経つにつれてつまらなくなる。
初期は貼り絵に切手を使って効果を出したり、戦争中の「軍艦」とか「鉄条網」などスケールが大きいことほれぼれする。
しかしながら、後年の絵はこじんまりとしており、目新しさも何もない。
おそらく山下清が画家として認められちやほやされたことと関係なくはない。
いろんな技法も習得したろうが、初心を忘れて「画家らしく」あろうとしたのではないか。
ヨーロッパの旅でパリに行った清はモンマルトルとかムーランルージュとかエッフェル塔とか、いかにも画家の好みそうな場所の絵ばかり描いている。
その、ムーランルージュの絵について清の説明はこうだ。
「どうして僕がこれをスケッチしたかというと、今までたくさんの絵描きがここを描いているので、僕も絵を描くのが仕事なので、たくさんの絵描きの真似をしたわけだ」
自分もいっぱしの絵描きと言うわけだ。初期の頃の好奇心とか冒険はもうそこにはない。
会場には「放浪日記」も展示されていたが、清は「人と話すときにはカッコも句点もない」とただ文字だけを書いている。
そういう発想の目新しさは「絵描き」として名を成したあとは消えてこじんまりとまとまる。
それが清にとって良いことか悪いことか僕にはわからない。
ただゴッホが晩年精神に変調をきたして、あの独特なアンバランスな絵を描くようになったのと、清の生涯は対照的というしかない。
時あたかも近代美術館では大規模なゴッホ展がひらかれている。
1000いくらとるのか知らないが「日本のゴッホ」の展覧会も捨てがたい。
しかしこの展覧会は明日午後五時にて閉場となる。どこに巡回するかも図録に書いてないのでわからない。