この人が「エミューの女」という作品ではじめてのカンヴァス作品を作ったとき、人々は絶賛したという。
しかしそれを観る僕にはこの作品のどこがいいのかわからない。
わからなくて当たり前だ、この人の作品にはアボリジニの五万年の記憶が宿っているのだから!
この人のテーマは大地だ、アボリジニが住む大地だ、具体的には故郷である「アルハルクラ」の大地だ。
それは点描を用いた作品でも線を用いた作品でも変わりはしない。
もともとは年長者として儀式をつかさどっていたという、それが80近くなって絵筆をにぎったのだ。
エミリー・ウングワーレ、その回顧展を国立新美術館に観にゆく。
彼女の描くものは大きく二つある、一つはこれまたよくわからない概念だが「ドリーミング」という個々人が守り伝える伝統のようなもの、精霊みたいなものーエミリーにとってそれはヤムイモだ、であるから彼女の絵画には地中で育ち地面に蔓をはやすヤムイモの象徴の如くにょろにょろした線がいっぱい描かれる。
そしてもう一つは「アウェリェ」とよばれる女性の儀式にかかわるものだ。
会場には体に描かれたデザインが板やカンヴァスにいかに反映しているかを示すコーナーもあり。
エミリーの描くアボリジニの大地は「大地の創造」が象徴的なように、緑と生命力に満ち満ちている。
西洋からやってきてオーストラリアの砂漠を描く画家が荒涼とした大地を描くのとは対照的だ。
だがそこにいったい何が描かれているのかは抽象絵画にも似てはっきりしない。
しかしよそもので日本人の僕らがそんなことを詮索しても無駄なのだ、あるいはわかったつもりになるだけなのだ。
アボリジニの人々にとってはごく自明のことを彼女は描いているにすぎない、だから「エミューの女」が絶賛されたのだろう、しかし僕らにはわからない、文化の断絶とはそういうことだ。
エミリーは亡くなる二週間前のわずか三日間で24点の不思議な作品を残している。
今回のカタログ表紙にもなっている、色の面で覆われた作品だ。
いったいエミリーが最後に観た風景とはなんであったのか不思議でならない。