だらだら日記goo編

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ミレーコローの日に

2006-04-30 22:02:44 | アート・文化

いやいやクールベが「ボート遊び」なる作品を描いていたことを知らなかった。

ちょうど海水浴がブームだったというがクールベは山の人という印象が強い、この作品を観るためにわざわざ八王子の山奥に行く価値もある。

八王子は家具の村内、その中に村内美術館がある。

八王子駅から無料送迎バスは出ているし、毎月30日はミレーコローの日で入館料は半額だ、こういうことはネットであらかじめ調べられる、便利だ。

ミレーコローというだけあってバルビゾンの作品が充実している、その充実ぶりは国立西洋美術館の元館長がカタログに寄稿していることでも知られよう。

ミレーは「鏡の前のアントワネット・エベール」が素晴らしい、子どもの愛らしい姿を映したミレーの傑作だ。

クールベはクールベ美術館から寄贈されたクールベの手も展示されているし、コローは文化庁登録第六号の美術品もあり山奥に本当に充実した展示だ。

企画展示はビュッフェ、ブラジリエの展覧会、これらもこの美術館の所蔵というから幅が広い。

ビュッフェは「ローズ色の教会」が黒く激しく黒く厚塗りされこの人の内面を感じさせ、ブラジリエは東山魁夷と親交があるという、馬の絵をよく描く人だ。

村内が美術館を建設したのはモロー美術館を訪れたのがきっかけとなったという、確かに美しいインテリアを調度すれば美しい絵のひとつもかけたくなる。

交通は車なら中央高速八王子インターチェンジ第二出口のすぐそば。

なぜ今日がミレーコローの日なのかはホームページをどうぞ。

http://www.murauchi.net/museum/


自分の子どもを守るということ

2006-04-27 22:14:44 | アート・文化

「母が自分の子を守る」という小さなブロンズ作品がある、この人の言いたいことはそれに尽きていると思った。

第一次世界大戦で息子を、第二次世界大戦で孫を奪われた人だ、子どもをそっと抱く作品が実に多い。

名前はケーテ・コルヴィッツ、その回顧展を町田の版画美術館に観に行く。

基本的には版画家だが、晩年は彫刻に手を出した人だ。

版画技術もリトグラフから、いま藝大美術館で開催中のバルラバの木版画に影響を受けた人だ。

初期は象徴主義の色合いもあったという。

たとえば連作「職工の蜂起」ではオリジナルでは最後にキリスト的「犠牲の象徴」を付け加えようとしたが作品のリアリズムの趣旨に反して撤回したという。

初期の彫刻「恋人たち」ではロダン的象徴主義の趣もある。

しかし時代が戦争の波にもまれていくと反戦、プロパガンダ的作品が多くなり、作品もまことにリアリスティックになる。

「ドイツの子達はうえている!」「母はその余剰を与えよ!」

しかし冒頭に書いたように子どもを守るということが常にこの人の頭にはある。

ブロンズ「母親たちの塔」では子どもを守る強い母親たちの姿も描かれる。

しかし子どもを守りきれなかったとき、死んだ子どもを抱く母親の姿がこの人のモチーフとなり、「女と死んだ子ども」など何点も表される。

そういった意味でブロンズ「ピエタ」はカタログにもあるように、キリスト教的主題を人類普遍的な主題へと昇華した傑作ともいえる。

又1903の「女と死んだ子ども」の凝縮されたポーズは三十年後のこれまたブロンズの大作「母と二人の子」へとそのまま受け継がれる。

この作品はヒトラーにアカデミーを追われ、七十歳の記念展覧会も禁止されたケーテと運命をともにしてアトリエに置かれた作品という。

ケーテ・コルヴィッツ、子どもを失った母親の嘆きを見事に表した作家だ、静かに展覧会の余韻に浸りたい。


カラスと同居していた男

2006-04-19 22:20:34 | インポート

誰にも邪魔されず、一人のんびりとじっくりと作品と対話したい美術館が誰にでもあろう。

僕の場合は川崎の岡本太郎美術館だ、生田緑地の自然のなかいつも閑散として人が少ない、企画展示も岡本太郎と関係ない展示をやる、今回は「四次元との対話」と題する日本現代美術の国際巡回展で次回はウルトラマンだという。

企画展示もよろしいが今回は常設展示の岡本太郎の作品に触れたい。

行ってすぐビデオを観たが、岡本の作品は全国津々浦々に存在する、それは岡本の知名度のためではなく、芸術は太陽と同じく万人が享受すべきという岡本の信念からきているという。

「乙女の像」というのは長野県に、「太陽の鐘」というのは伊豆に、「誇り」というのは川崎の二子神社に存在する。

日本履物博物館という聞いたこともないところにも岡本の作品は存在するという。

「男の足跡」「女の足跡」で、女の乳房からは噴水が湧き出る仕掛けになっているという、つまりは太陽の塔だけではないのだ、岡本作品の公共性は。

さて、常設展示にうつると今回は岡本の言葉が会場内にちりばめられている、まことに作品と対話するのに都合がいい。

それによると岡本はカラスを飼っていたというかカラスと同居していたようだ。

いつのまにか家に住み着き、えさは岡本が与えたらしい、岡本はカラスに「生き物の悲しさと力強さ」をみたという。

カラスは人間の死霊を負うという認識が岡本にあったようだ。

岡本にとって動物は「私が私となる以前の命の混沌」を映すものであり、したがって動物崇拝は「生命への恐れ」を抱かせるという。

「樹人」という1971年の造形作品も興味深い、ハンスアルプ的なモダンな造形だ。

常設展示だけでこれだけ楽しめる美術館だ、館内は僕と同じように一人でゆっくり作品を楽しんだり、ビデオに見入っている人が多いのはいつものことだ。

企画展示の現代美術家はトリン・ミンハという人のビデオが良い。ハノイの生まれだが日本をよく研究している。

道元の名前は何度も出てくるし、山形花笠祭りの映像とかぶさってジェンダーだの日常生活の役割を論じたりする。

心満たされた展覧会だ。


石橋財団の力

2006-04-14 22:25:08 | アート・文化

いままでこの美術館にいい印象はもっていなかった。

いつ行っても同じ絵ばかりかかっている、企画展示といっても10部屋もあるのに2部屋くらいしか使わずあとはいつもの絵がかかる、で制服姿の警備員ばかりが目立ち、カタログすらろくにつくらないー。

しかし、館長が変わったためか、財団が五十周年を迎えたためか今回の展示は本気だー石橋財団ブリヂストン美術館、東京の西洋画と久留米の東洋画をあわせた170点もの展示でこの財団の力をまざまざとみせつける。

いままでは西洋絵画と日本の洋画を別の部屋に展示していたが今回は同じ部屋に両方の絵を展示する手法が良い。

たとえばマティスの裸婦の絵画と梅原龍三郎の「脱衣婦」を並べて展示する、似ているその効果が確かめられる。

あるいは野見山暁治とザオ・ウーキーを並べて展示するのも悪くない手法だった。

やはり普段観ていない久留米の石橋美術館の作品も眼をひくことだいだ。

藤田嗣治は三点展示されてある、署名を見るとリオデジャネイロであるいはパリで創られた作品であることが判る、竹橋の回顧展を思い出す。

古賀春江も三点展示される、「鳥かご」というのは鳥かごの中に裸婦がいるという奇妙な絵だ。

展示最後の部屋は石橋美術館の古美術品だが、いろいろ眺めてくると円山応挙などまことに東洋的調和の美であることが歴然とする。

そのほか関根正二の子どもの絵はかわいらしくなくいささか夢想的だとかピカソの「女の顔」は彫刻的だとかいろいろ気づく、今回はピカソの彫刻も展示されているのが面白い。

今回は立派なカタログを作ったし、ホームページで割引券、ケイタイの割引クーポンを提示するなどお客様サービスも遅まきながら始めた。

これから新館長の下お客様をわくわくさせる展示を切に期待したい。


雨の美術館はお薦め

2006-04-10 22:29:26 | アート・文化

これだけブログが普及すると美術館もそれを活用するようになる。

美術展開催への道のりとかリアルタイムの情報を届けようとするのだ。

いい例がプラド美術展のブログだ。

http://event-yomiuri.cocolog-nifty.com/

やれ、カタログができた、講演会だ、もうすぐ十万人だといろいろある。

いまのところ入場待ちというのはないようだし、雨の日はお客も少なくていいという、明日は雨になるし招待券もある、いってみようかという気にもなる。

目黒区美術館も少し前までやっていた村田朋奏展のブログを創っていた、こちらは作品撤去とともに終了。

いまアスベスト問題で休館中のたばこと塩の博物館も次回展示のブログをやっている。

現存作家の展覧会なので本人の書き込みがあるのも良い。

これからネットはどんどん進化する、美術館もいろいろな対応が求められる時代ではある。