だらだら日記goo編

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生きる力

2005-04-30 19:34:24 | 日記・エッセイ・コラム
世田谷文学館に「宇野千代」の展覧会をみにゆく。
一階の企画展示の場所だけではスペースが足りないので、二階の常設展示の一部も使った展示だ。
僕は宇野さんについて何も知らないが、感じたのはこの人が実にポジティブな思考をする人だということだ。
画家の東郷青児、評論家の小林秀雄、石原慎太郎、果てはアランまで交友関係も幅広い。
それでいてキモノの研究所まで作る。
会場には宇野がいろいろな人にしたためた手紙も数多く展示されていたが、細かい字で延々と続く長い手紙が多い。
どこからこんなエネルギーがと思うが、生きる力があふれていたのだろう、どんどん行動してポジティブに生きたから百歳近くまで生きられたのだろう。
宇野の言葉だ、「生きていくことが上手な人は、何よりも快活な人である。生きていくことが上手で、それで陰気な人、というのを私は見たことがない」「人はどうか知らないが、私はこの年齢になっても、好奇心がとても旺盛である。まるで子どもと同じである」
僕のようなうつの人とは違って、意欲の元となる神経伝達物質セロトニンがこの人の脳から常に出ていたのだろう。
羨ましさの限りだ。
この人にはおおよそ老いというような言葉は似合わない。
昨日紹介した79歳でブログをつくっている人と共通したところがある。
反対にいえば世の中にはこういう人と正反対の若者も多い。
引きこもりだ、ニートだなんだと言うが、たとえばネットの2チャンネルなどで時間をつぶすもの、まるで世の中を悟りきった風情をしているもの、金がすべてだというホリエモンなどなと゜。
僕も含めて宇野さんに学ぶべきことは多い。
帰ってアエラで紹介されていたセブンイレブンの野菜のサンドイッチを食べてみた。
レタスの歯ごたえがなんともいえない。
明日もまたがんばろうという気力が出てきた、幸福なんてこんなものかもしれない。


元気はつらつ

2005-04-29 23:07:17 | ブログ
今日は小田急百貨店の美術展へ、「ぞうのババールの世界展」。小田急カードを持っているのでただではいれる。
父から息子へと描き続けられた絵本だ。
もともと子どもを眠りにつかせるために考えられた絵本だという。
作曲家のプーランクもババールの音楽を作っている。
美術展だから「ババールの美術館」を紹介したコーナーが一番長く面白い。
絵画の有名作品の中の人間を象に置き換えて絵を作っている、ピカソだのダリだの。
できれば写真でも良いから元の絵画作品のコピーを参考までに掲げてくれるともっと面白かったろう。
図録がないので以前小田急で催された「絵本の100年展」の図録を参考までに買う。
まあゴールデンウィークにはちょうどいい展覧会である。
会場出口でおばあさんが「とっても面白かったわ」と係員に頭を下げる姿が印象的だった。
いつまでも子どもの心を失わないおばあさんである。
で、本題だが79歳のおばあさんのブログの紹介だ。
「元気はつらつ」は日本ハムの新庄さんではなく、そのおばあさんのブログの名称だ。
老いても心は子どものように若い、素晴らしい、ぜひのぞいてほしい。

http://blog.so-net.ne.jp/takinogawa/


お誕生日おめでとう

2005-04-29 16:57:03 | 芸能ネタ
久しぶりに芸能ネタ。
昨日は女優の生稲さんのお誕生日だ。
僕よりひとつ下だが、僕が11月生まれなので僕の誕生日までは同い年ということになる。
僕が生稲さんを知ったのはかなり遅い、おニャン子時代のことはほとんど知らない。
印象的なのが1991年にモーツァルト没後二百年を記念してテレビ朝日でやった番組だ。
モーツァルトの遺産を生稲さんがヨーロッパ中を訪ね歩き、最後はラテン語で「アヴェ・ヴェルム・コルプス」を歌って締めくくった。決してうまい歌ではなかったが今でも印象に残っている。
芸能界にデビューした当時の彼女はグループの中でも真ん中に立つことはなく、常に端っこのほうで微笑んでいる女性だったという。
母親が転落死したという事件もあった。
いろんなことが重なり事務所をやめフリーで芸能界で生き残っていくことを選んだ。
最近ではお昼の連続ドラマ「キッズ・ウォー」で「ざけんなよ」というせりふを覚えている人も多いだろう。
しかしながらその「キッズ・ウォー」すらも最新作では「両親死亡」という設定になって、生稲さんは出演したいのにできないという事態になった。
そうなってくると、生稲さんといえば古典芸能というイメージが定着する。
NHK教育の「芸能花舞台」で長年司会を務めている事や、キモノメーカーのイメージに選ばれていることもあり、生稲さんといえば和服、元おニャン子が清楚なたたずまいと評判にはなる。
しかしもう少し何かインパクトがほしい。
生稲さんの長所は真面目さだ。
古典に通じているせいもあるが日本語も美しい、「ら」抜き言葉など決して発しない。
その美しさをもっと生かしてほしい、確かに「ざけんなよ」とその美しさの対照は面白いものがあった。
しかし僕は生稲さんが「ざけんなよ」と叫ぶ姿はあまり好きではない。
「美しい日本の私」とは言うが、世間からその美しさが消えつつある今、美しさの規範として生稲さんにはあってほしい。
何はともあれ誕生日おめでとう。


絵から音へ、音から絵へ

2005-04-28 22:34:51 | アート・文化
「ぐるっとパス」を利用して国立近代美術館工芸館へ。
ほとんどがゴッホ展のついでに立ち寄ったお客さんで、ゴッホのカタログを持っている人もいた。
しかしながら僕の近くにいたお客さんも「なかなか良いねえ」といっていたようにこの伊砂利彦という人の染織の作品はなかなかよい。
具象から抽象への道を歩んだこの作家はクラシック音楽の印象を作品にするという道をたどる。
会場にはドビュッシーの作品を主題にした展示品が並ぶが、僕が注目したのは「展覧会の絵」のイメージを作品にしたものだ。
いうまでもなく「展覧会の絵」は作曲家ムソルグスキーが建築家で画家でもあるハルトマンの遺作点に出かけていって、目にした絵を音楽にしたものだ。
「リモージュの市場」とか「キエフの大門」とかいろいろあるが、伊砂利彦は絵から音へと移されたそのイメージをまた絵にして表現しようとしているのだ。
残念ながら絵は抽象的過ぎて、この作家がどんなイメージを持ったのかちょっとわかりにくい。
しかし「ポーランドの牛車」という作品は車の跡のようなものがよくわかる。
しかし牛車を意味するブイドロという言葉はポーランド語では「家畜」「けだもの」を意味する。
近年の研究では農民の悲惨な姿を牛車にたとえて描いたのだろうという意見が一般的だ。
伊砂がこのことを知って作品をつくったのか、まことにおもしろいところだ。
ともあれ福島県立美術館所蔵の「沖縄戦でいきし人々にささげる鎮魂歌」なる作品も近年作っている伊砂が、こんなしゃれたお遊びをしているとは面白いこと限りない。
会場を出て九段下に向う僕の頭には「展覧会の絵」のメロディがまだ鳴り響いていた。
さて連休中にゴッホ展へ行かれるかたがたへ。
どうせ混雑するのですから、この連休中はずっと夜間開館しているようですし、先に工芸館のこの展示を見てから、夜間にゴッホにいかれてはいかがでしょう、少しはすくかと。
明日29日は工芸館では伊砂氏ご本人によるトークも行われます、また水曜土曜はギャラリートークも2時からあります。
伊砂の作品だけではなく、芹沢ケイ介やその他の作品も展示されており工芸館も面白いですよ。


ゴールデンウィークはすいてる美術館

2005-04-27 17:02:08 | 日記・エッセイ・コラム
ゴールデンウィークの予定。混む美術館は避けて、郊外の美術館へ行こう、予定。

・世田谷美術館、世田谷文学館。
・府中市美術館
・川崎市民ミユージーアム
・川崎市岡本太郎美術館
・町田市国際版画美術館
・国立近代美術館工芸館

デパートの美術展もいろいろある。
松坂屋上野、空海と善通寺
高島屋日本橋、芹沢ケイ介

こんなとこを予定。
デパートは夜遅く行けばすいてるだろう。
「ぐるっとパス」の割引、毎日フレンドの会員割引も使いたい。
母の施設入所は六月なので一つ一つ準備している。
母が「現況届け」を出さなかったのでとまっている年金も5/13にまとめて振り込まれることを確認。
施設では利用料は年金でまかなうから大事だ。
案ずるより生むがやすしともいう、なるようになるとかまえていこう。