だらだら日記goo編

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

何もできない私だから

2016-05-30 21:20:00 | 日記
拘置所に一年4月もいると、あれこれ考える。
一体自分の人生何処から間違えたのだろうと?
どうも、博士課程を中退して、就職しようとしたけど、皆面接で断わられた。
ああ、こいつは使えない、とわかっていたのだろうな。
しかし、こっちは、東大出て、何でこんなことになるのか?という思いがあった。
でもって、この歳で自閉症スペクトラム障害などと診断された。
万引きを繰り返すなんて、誰でも不可解に思うだろう。
万引きは当然に犯罪である。百も承知だ。
でも何故かやめられない。
しかし、皆さんも考えてもらいたい。
貴方は、そんなに高潔で、崇高な人間ですか?
俺は犯罪はしない、開き直ってるあんたと違うよ、と返されそうだ。
しかし、それは、たまたま機がなかっただけではないですか?
人を殺しません、しかし、何かあったら、千人殺しているかもしれない。
犯罪者になるか、ならないかは紙一重のように思う。
自分はなんか一角の人間だと思っている人も多い。
他からしたら大したことないのに、自分を大きく見せようとしてる人の何と多いことよ。
結局、愚に還る、ということだと思う。
私は愚か、何も知らない。
宇宙は、ビッグバンから始まったという。
すると当然、その前に何があったかという話になる。
何もないところから何かが始まるという不思議。
キリスト教徒なら、神の一撃、というかもしれない。
しかし、カントがいみじくも見抜いたように、神そのものが自問する。
私は何処から来たのか?と。
ここで、万物は沈むと。
例え、神なるものがいるとしても、では、その神なるものと、宇宙の別のところに住んでいる知的生物が信じる神は同じものなのか?とか疑問はどんどん膨らむ。
つまり、私たちは、何故私がここに居て、死んだらどうなるかは分からない。分からないけど、とりあえず生きている。
分からないなら、わかったふりするんではなく、分からないというところから出発するしかないように思う。
悪いことしたら、地獄に落ちるよ、などという。
しかし、世の中、そう良い人もいないように思うから、地獄の閻魔さまは大忙しだろうと。
親鸞がいうように、弥陀の本願、ひとえに親鸞一人が為なり、という言葉が何となく分かる気がします。

条件反射制御法とは

2016-05-28 20:02:58 | 日記
昨日クリニックに行ってきた。
万引きを繰り返すのが病気、クレプトマニアと言うが、万引きは当然犯罪であり、病気なら、自称病人、の犯罪者で溢れかえることになる。
そもそも、ICDにおいても、DSMにおいても、クレプトマニアの診断基準には、個人的に用いる為ではない、というのがあり、ここが判断が分かれるところだと主治医は言う。
要は、個人的に用いる為なら、食料品を万引きする人はクレプトマニアには当てはまらない事になるからだ。
僕の場合は、本や雑誌しか万引きしない。例えば、CDなど絶対万引きしない。
鑑定医は、被告人の場合、自閉症スペクトラム障害の儀式化された行動の中で万引きがなされており、被告人がやめられないのは、万引き行動に限らず、この行動パターンの全体であり、本や雑誌しか盗まないのも、自閉スペクトラム症の特定の対象への執着として理解される、という妙な鑑定書を作られたのだが、それなら、つまり、本屋に寄らなければ盗まないという事になるのだが、本を読むに、内容もわからずに、インターネットなんかで注文して買わなければならないということになるのか?
まあとりあえず今のところは本屋へ行かないと。本以外の物は盗まないわけだからー。
で、条件反射制御法とは何かという話になるが、これは、治療が困難と言われる、薬物乱用、アルコール症、窃盗症、ギャンブル依存症などに対する治療法で新しい治療法だという。
パブロフの条件反射学説に基づいたもので、大脳辺縁系が関わる第一信号系と、人間のみが持つ言語に関わる第二信号系に人間の脳活動の中枢を分けて、薬物や窃盗もそうだけど、第二信号系では、やってはダメ、と分かっているけど、第一信号系に刷り込まれた、薬物や窃盗に対する快感の為に、第二信号系では抑えられない、制御できない、平井慎二という人の言葉を借りますと、例えば、999回覚醒剤を摂取した人は、1000回目の覚醒剤摂取に向かう第一信号系の反射連鎖を第二信号系が止めることができませんと。
ここでおそらく、第一信号系と第二信号系は、ヒュームの言うreason,とカントの言うVernunft,に対応している。
呆けたカントに理性はあるか?という、大井玄さんの本にも教えてもらいましたが、要は、我々がイメージする 理性という概念は、カントによるところが大きく、それに対し、人間でなくても理性を持っていると話したのがヒュームでして、例えば、昭和天皇が研究された菌類なんかにも、合理的な情動とめ呼べるものがあると。
ヒュームは、そんなところまで含んで、理性を定義付けたのであり、実際カントの理性概念は、宗教論において、根元悪、という概念を持ち出すことによって、破綻しているといえる。
つまり、カント的理性に於ける自由とは、あくまで、道徳法則の善を選び取る自由に他ならないのだけれど、どう考えても人間には、傾向性に由来する悪を選んでしまう事実があるのであり、それを自覚したカントは、根元悪の概念に行き着いた訳ですが、話が擦れてしまうので、続きは次に。

内観療法の勧め

2016-05-24 21:52:12 | 日記
世の中狭いもので、フェイスブックで、自分の弁護士を見つけてしまった。私撰なのに動かないことおびただしい弁護士なのだが、裁判官さんもおっしゃるように、これ、法律家の手に負えないと。
だいたい、主治医からは、内観療法を勧められていた。
内観とは、浄土真宗の僧侶、吉本伊信が開発した治療法で、一週間、障子に三方を囲まれた狭いスペースに閉じこもって、お母さんにしてもらった事、お母さんにお返しできたこと、そして、お母さんに迷惑かけたことは何かを小さい時から、年齢を区切って想起していく治療法で、それを、定期的に訪問するスタッフに伝えていくというだけの話で、まあ大抵の人は、3歳で、お母さんにしてもらったこと、お返しできたことなんて思い出せなくて、1日2日は、なんでこんなところに来たんだ、えらい目にあったと後悔するそうだが、だんだん変わっていくというのだ。
お母さんにしてもらったことは実は一般ある、迷惑かけたことも沢山ある、しかし、お返しなんて一つもできなかった、ということに気づくという。
そして、それを広げていく。
今度は相手は、お父さん、その次は、事件のこと、この三つを振りかえって、一週間経つと、人は変わるという。
実は、お母さんには迷惑ばかりかけた、しかし、何もお返し出来ていない。
少し前に、人を殺してみたかった、何故人を殺すのは、いけないのか?という議論が流行ったことがあるが、おそらく、こういう問いを発する人は、お母さんの愛情を受けていないか、受けても気づかないだけなのだろう。
僕は、内観をやった訳ではないので、偉そうに言えないが、拘置所の狭い部屋にただ閉じ込められているといろいろ考えが変わってくるのは確かなのだ。
如何に自分が自己中心的な生活を送っていたかが分かるのだ。
それは、親鸞的に言えば、愚に還る、ということだろう。
浄土真宗では、施餓鬼は行わない。全てが救われている、という解釈に立つからだ。
しかし、その解釈は、例えば、柳宗悦が、阿弥陀の本願は、阿弥陀仏が、法蔵菩薩時代に立てた願で、これら48願が成就しなければ、私は仏にならないと言っている訳で、ところが、法蔵は阿弥陀仏になったから、もう全ての本願は成就した、つまり全て人は救われている、というような解釈に基づくのだろうが、そこには無理がある。
それならば、既に救われているなら、人は何も努力しなくて良い、ということになってしまう。
そこにはどうにも無理がある。
親鸞には、三願転入、という思想がある。第十九願から、ニ十願へ、そして、十八願へと移行するという思想だが、佐藤正英も述べているように、それは、親鸞自身の思想の軌跡と見るべきであり、つまり、親鸞は一気に、他力の信者になったはずがなく、その前は、自力の念仏者であった訳で、更にその前は、聖道門の修行者であったはずであり、聖道門の修行者であったのは、おそらく、比叡山で修行していた時であり、自力の念仏者であったのは、おそらく、法然門下に居た時のことで、それでも救われない。
親鸞が、いずれの行も及びがたき身なればーというのは、そういう意味だろうし、愚に還るとは、要は、何も出来きない自分、ということだろう。
話は逸れたが、内観から、今度は、主治医のところで、条件反射制御法、という治療法はどうかと言われた。
一回に全て説明している時間はないからこの次と言われたが、ICDだ、DSMから、どんどん深みにはまっていくー。終わりなき自分探し。


ハートとハート

2016-05-17 20:57:27 | 日記
立川拘置所は、日本で、東京拘置所、大阪拘置所についで3番目に大きい拘置所だそうだが、毎週木曜日第2、第四、は、矯正処遇日と言って、受刑している在所者が、教育的な活動をする日で、まぁ未決拘禁者は、関係ないので、普段通りに過ごしていりゃ良いんだが、第四木曜日は、全国の刑務所、拘置所では、唯一、ハートとハートという、受刑している人の生の声、今の気持ちを外部のFM立川、というところのアナウンサーが紹介するという放送が流れる。まぁ日本で唯一、とかは、僕は刑務所行ったことないので知らないが、保釈されて調べて知ったのだ。
初めのうちは、第四木曜日の午後6時半になると、いきなり、ピストン西沢の番組が中断されて、ハートとハートの時間です、なんて急に流れるので驚くのだが、一年もいると、ああ今日だなと分かる。
毎月、テーマを決めて、そのテーマについての、受刑者の声と、リクエスト音楽が流れる一時間。
けっこう、身に染みる。
中には、僕は、これで、人生5回目の受刑です、なんて、強者もいらっしゃるが、例えば、今年一年を、漢字一文字で表わすと、なんていうテーマに、それは、甦、です、甦るとは、更生する、という漢字で出来ているじゃないですか、なんて書かれる人がいるとなるほど上手いなぁと思う。
あるいは、貴方にとってのお節は、、なんていうテーマに、それはここ立川拘置所のお節です、今までで一番美味しいなん聞くと、そうなのかなあと思う。
貴方が感謝したい人は?なんていうテーマもあった。
僕だったら、それは、国民の皆さんだと言いたい。
確かに、毎日毎日同じような食事、パンやコーヒーはほとんど出ない。
それでも、栄養バランスを考えてきちんと作っていて、月末の土曜日には、メニュー表見る?って、部屋毎に配り歩いている。
で、衣食住医療皆国民の税金、僕たちは、自分が納めている税金が、悪い事した人たちの為に使われているという事をどれだけ知っているのだろうか?
それで本当に先の方のように甦り、更生されればいいが、多くの人はまた再犯するのだ。
2006年に、監獄法というのが変わって、刑事施設収容者法というのになったそうだ。
要は、受刑者にも権利がある、として、処遇を変えたのだ。
看守を、オヤジと呼ぶ人がいる。どんな刑務所生活になるかはオヤジ次第だ、なんて書いてある本もあるが、それは昔の話で、今はセンセイと呼ぶことになっている。
初めのうちは、医務の職員から、センセイに伝えておくからと言われて、お医者の先生かと思ったら、看守のセンセイだった。
僕がいた階を担当されていたのは、部長クラスの看守で、つまり、偉くて優しかった。
他の階は知らないし、A棟B棟C棟とかあって、どういう基準で人を入れているのか知らないが、部長クラスの看守の朝は早い。もう7時の起床過ぎには働き出して、今日の洗濯物はー、とか、裁判行く人の用意、執行猶予が出れば、部屋には戻ってこないから、その部屋の荷物整理、僕みたいに保釈が下りれば、その指揮書が来れば、またその部屋の荷物整理、新しく入ってくる人への説明、実刑が確定して、その指揮書が来れば、今度はその人を移動させなければならず、部屋の中で規律違反がないか看視もしないといけない。大変な仕事だし、Googleマップで見ると、看守や職員は同じ拘置所内の敷地に住んでいるようだ。
まぁ大変だ。
司法の人は、そんなことは全く考えずにどんどん刑務所送りにするから、そんなことを感じます

ICDとDSM

2016-05-15 15:21:11 | 日記
裁判官さんは、被告人質問が終わったら、いきなり、ICDでやりますか、DSMでやりますか?と訊いて来られたんですが、弁護士さんが訳が分からず、返事に困っているので、僕が、普通DSMじゃないですか、と言いましたら、自閉症スペクトラムか、私が前任地でやった時は4には入ってなかったよな、と言われるので、また、5ですと申し上げたら、ええ、医学の世界では常識なんですが、法に反映されるには、4年かかるんですよ、と言われて、5を取ってくるように、弁護士に命じて、それで、こんなかかるんですが、要は、裁判官が言われたのは、DSMの移行期間の事でして、DSMは、2013に改訂され、日本語に翻訳されたのは、2014ですから、まだ普及していない。因みに、ICDとは、一般に医療や年金を受ける時に使うWHOの診断基準でして、今は、ICD-10が使われてまして、自閉症スペクトラムとは、要は今話題の、アスペルガー、空気が読めない人、ICDでは、そうなっていまして、サンデー毎日を以前読んでいたら、牧太郎さんが、プーチン大統領はアスペルガー症候群?とか言う記事も書いてましたね~。
で、DSMは、アメリカ精神医学界の診断基準でして、アメリカですから、機能主義的なんですね、要は、医者が診察して薬を出す為の手引きみたいなものでして、これは、みすず書房から出ている 日本の精神医学50年、と言う本に詳しいのですが、DSM3,が日本に入って来て、日本の精神医学はおかしくなったという人もいる。反面教師としてのDSM,という本もありましてね、ただ病名を固定して、薬出せばいい、そんな感じになっちゃった。
前の主治医の、夢には一切意味がない、繰り返される夢にも意味がない、というのも、DSMの立場、フロイトやユングの見解は非科学的だとして、DSMからは廃除されてるんですね、って、被告人の僕が何でこんなこと知ってるんだろう。変な裁判。