だらだら日記goo編

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ぐるっとパス戦績

2009-06-23 22:52:08 | インポート
今日でぐるっとパスの期限が切れた。使った美術館を列挙してみよう。

.国立科学博物館、国立西洋美術館
共に常設だけ、これは下に書いた。

.出光美術館
水墨画の展覧会だった、会期末に行ったので、図録完売が惜しまれた。

.ニューオータニ美術館
今年からパスに加わった。
動物を愛した陶芸家たち、という企画展示。
ちょっと一貫性に乏しかった。

.泉屋博古館分館
本来なら大倉集古や智美術館とはしごできるが、ここだけ訪問。
板谷波山をめぐる陶磁器の展覧会。小さな美術館だが陶磁器なので場所をとらない、満足。

.五島美術館
今年から全部の企画展フリーパスになった。
松浦家とオランダ残照という展覧会。
平戸の松浦史料博物館からいろいろなものがやってきた、普段観られないものばかりで満足。

.三鷹市美術ギャラリー
デュフィ展、音楽作品に惹かれる。
ピアノ奏者とティンパニー奏者と指揮者をクローズアップした作品は何の協奏曲だろうか?

.八王子市夢美術館
ムットーニワールド、世田谷文学館でお馴染みのムットーニこと武藤氏の作品が堪能できる。
夢幻の世界きわまれり、DVDは売り切れ!

.武蔵野市吉祥寺町美術館
旅へ、という収蔵品展と新収蔵品お披露目の展覧会。
要望が多いからかカタログならぬリーフレットを作り出した。

こんなところ。今年からやはり加わった畠山記念館にも行きたかったがタイムアウト。


上野ぶらぶら

2009-06-21 23:00:34 | インポート
ぐるっとパスの期限が迫ってきたので、上野へ。
国立科学博物館と西洋美術館の常設を目的に。
常設といっても企画展示をやっている。
科学博物館は、宇宙の謎を解き明かす、世界天文年2009に合わせた企画、西洋美術館はル、コルビュジエと西洋美術館、まあ新館の改装が終わった記念企画か。
で、科学博物館の方は音声ガイドも用意しているのにずいぶん小規模でがっかり。
でも冥王星が太陽の惑星からはずれたり、第十番惑星の話を時々聞くが、海王星の外側には何かわからないが、色々な
星?がゴロゴロしているのだとか!
ホルストは惑星で海王星までしか作曲しなかったが、冥王星がそういう外側の天体の一つにすぎないとわかったいま、作曲家は正しかったと納得。
さて科学博物館で時間が余ったので、東博のミュージアムショップだけ利用。
係員にその旨告げると緑の券を渡され、ショップの店員にスタンプを押してもらうよう指示され、時間は90分以内で
といわれる。
しかし90分あれば、展示の一部みられる、勝手に近代日本画のコーナーをのぞく。
ショップでは京博単独開催のカタログ購入。
こうして時間を潰して、西洋美術館の常設は軽く流すつもりだったがこれが間違いのもと。
コルビュジエの展覧会力が入っている!
まず、常設入ったところ以前はロダンとかの彫刻が置かれていたところが第一会場だ。
では彫刻は展示されないのかというと新館一階が彫刻展示コーナーとなる。
コルビュジエと契約書をかわしたのが、1955/10/26、開館が1958/6/13、はじめは事務棟が確保されていなかったとか
本館の中三階に館長室があったとか。
コルビュジエの理想は無限成長美術館だ。
さて常設展示みつつ改装なった新館へ。
まだ木の香りがする。
新館は前川國男設計で1979建築。
で、新館の奥がコルビュジエの第二会場。初期のスケッチとか展示。
コルビュジエは三つの文化施設とそれらに囲まれた広場を la villeと一体のものと考えていたようだ。
ビデオもやっている。正確にはこの第二会場と新館出口と美術館入ったところの三箇所で映像が流れる。
しかし時間配分を間違えた僕には見てる時間がない。
精々1964、ミロのヴィーナス特別公開で一ヶ月あまりで83万が訪れたことを知る。
今の阿修羅の狂騒も昔と変わりないなと。
まあ西洋美術館にはこれからも何度も行くから今日は今日でよしとしよう、しかし疲れた。


哲学用語は何とかならないのか

2009-06-15 23:14:49 | インポート
前から書きたいと思っていたが、哲学用語というのは何とかならないものか?
たとえばカントにtranszendental Apperzeptionという用語があるが、これは超越論的統覚と訳す。
しかし普通の人がこの言葉を見て何が意味されているかすぐわかるわけがない。
端的にいえば、考えるわたしが意味されているのだが、理解せよというほうがおかしい。
カントにはEinbildungskraftという言葉もある。英語でいうimaginationだが、慣例的に構想力と訳す。
想像力ではカントがこの言葉に含めた意味はくみつくせないのだ。
ニーチェのWille zur Machtは、力への意志と訳す。
昔は権力への意志と訳され、今でもそう使う人がいるが、ニーチェは社会的なことを主張しているわけではない。
ハイデガーに至ってはWas ist das,die Philosophie?という。
哲学、それは何か?とでも訳すほかないがこれではハイデガーの意味はとれない。
ハイデガーはわざとこう記して、発音のアクセントがistにかかるようにした、つまりはSein,存在を強調したとみることができる。
しかし日本語ではそんなことは伝わらない。
結局何言ってるか不明な訳になる。
こうして哲学は日常生活とどんどん遊離していくのだ。


画家の涙

2009-06-13 23:50:53 | インポート
なんと岡本太郎はパリであのコジェーヴのヘーゲル精神現象学の講義に参加していたというのだ。
コジェーヴの思想は「ヘーゲル読解入門」として訳されているが、歴史の終わりには弁証法は正と反が止揚せずに、矛盾が矛盾のまま対立し引き裂かれた状態になると言ってよかろう。
バタイユにも影響を与えたこの解釈を太郎が知っていて、あの対極主義を唱えたのではないか、というのがこの展覧会の主張の一つだ。
川崎市岡本太郎美術館「岡本太郎の絵画」だ。
現存する太郎のもっとも古い絵画、慶応義塾の13歳のときの「敗惨の嘆き」から18-29歳のパリ留学時代の影響を受けた芸術家たちの作品、万博の時代を経て建築へ、そして太郎千恵蔵という人とのコラボレートと大回顧展だ。カタログをみると後期は横尾忠則とのコラボレートがあるようだ。
さて画家の涙とは具体的にはパリ留学時代に二回涙したことがあると、太郎自身エッセイ、絵の前で泣くで記しているものだ。
はじめは1930ルーヴルでセザンヌをみたとき、二度目は1932ピカソの「水差しと果物鉢」をみたときだという。
太郎はピカソについて「美ではない、行動であり力である」と語っている。
しかし太郎の留学がそんなに長かったとははじめて知った。
太郎をバタイユの集会に招きいれたのはエルンストだ。太郎に写真の手ほどきをしたのはマンレイだ。
しかしクリトセリグマンという人ははじめてきく。
神秘思想家でもあり、「魔法」は日本語にもなっているとか。
映画「日本の書」を作ったアレシンスキーが太郎に送った作品も展示される。
こうしてパリで多くを学び、日本に帰って縄文土器に魅せられ、また雑誌の取材で日本各地を回った岡本太郎という人が一筋縄ではいかないことがよくわかる。
そんな太郎が日本の伝統に対したコーナーもある。
光琳を「非常美をたたえた天才」と評したそうだがさすがに光琳までは展示されない。
富岡鉄斎がやり玉にあがる。
展示は個人蔵のものだが、「オーソドックスだが偽物」と一挙両断、小気味いい。
60年代になると黒いモチーフが盛んに表れてくる太郎だ。
墨書もした太郎だ。
建築では万博の鍵も作った太郎だが作品リストに載ってないのはお粗末。
さて太郎千恵蔵だが、あのテロのときニューヨークのワールドトレードセンターに旅客機がつっこむのを目撃、広重の
浮世絵などを下敷きに神話的ビジョンを現出と解説にあったが、展示作品はすべてテロ前なのが物足りない。
April Dragonという作品がなかなか巨大で見応えあった。
壁のむかいがわには太郎の「燃える人」が俺にかかってこいとばかりに展示されている。
映像も含めてお腹いっぱいになる展覧会だ。


あまりに若すぎる

2009-06-04 23:22:39 | インポート
東大名誉教授でカント研究をベースにいろいろな方面で活躍された坂部恵さんが亡くなった。
まだ73歳、若すぎる。
坂部さんは東大哲学科で演習にカントのKritik der reinen Vernunftを読まれていた。
僕も部外者ながら参加させてもらったが、パースの記号論を援用して、カントを理解するという試みをされていた。
大学院生も多数参加して、高度な議論をしていた、残念ながら僕の理解を超えていて最後まで参加することはなかった。
今だから言えるがカント哲学とはキリスト教の焼き直しなのだ。
カントは第一批判のなかで「神の存在を知っているという人がいれば、その人こそ私の探し求めていた人である」と
語っている。つまりカントは神の存在を信じる、Glaubenことはできても、知る、Wissenことはできなかったのだ。
神の存在はカントにとって道徳法則の存在ということによって示される。
神によって与えられた道徳法則を遵守して、世界福祉Weltbesteに励むことが来世での幸せにつながると一貫して
カントは考えていたように思われる。
しかし坂部さんだけでなく、東大の哲学は宗教的無関心が支配している。
従ってカントについての研究に坂部さんの高い評価を与えることは僕にはできない。
むしろ坂部さんの業績は和語に関する斬新な研究や、和辻哲郎という当時は東大倫理の神様のような人に外部から批判検討を加えたことにあるといえるだろう。
ワタリウムの岡倉天心研究会のメンバーでもあった坂部さんは芸術や東洋思想にも造詣がふかく、西洋東洋関係なく発言をされた。そういうところに坂部さんの真髄をみるべきだろう。
思想家は晩年になると宗教的になる、坂部さんの先輩でハイデガー研究の渡邊二郎さん然り、東大美学の今道友信さん然り、坂部さんは宗教的になる前になくなってしまわれた気がする、もう少し長生きされたらカント理解に
どんな変化が表れたろうか。